番外編 深窓の妖精・4


 シュトラウスのアドニス伯復帰は息子夫婦の失態だけが理由ではなかった。


 彼は有能な人間である。

 武芸こそ人より抜きんでている訳ではないがその分頭も回るし、話し相手や場を和ませる人好きの笑顔の裏で必要とあれば人を陥れたり消す事も厭わない。


 そんな融通の利く人間がまだ50にもならぬ歳で早々に引退した事がルヴィスは面白くなかった。

 だからコンラッドの不出来を口実にシュトラウスを引っ張り出したのである。


 自分の手を汚す事無く邪魔者を排除し、公務を息子に任せてこれから人生の余暇をマデリンとの孫達とゆったり過ごせると思っていたのに――


 新聞の一面を飾った息子夫婦の失態にシュトラウスは深いため息を付いた。そして――


「コンラッド様のせいよ……! 貴方があの女に見惚れたりするから……!」


 エントランスに入るなり恨み言を繰り返す嫁と、ウンザリした顔で恨み言を無視している息子の姿を二階から見下ろした彼は二度目のため息を付いた。


 その後、頭を下げに来た息子にシュトラウスは大人しくしているように伝えた。

 しかし大人しく家に籠っているのは謝りに来ないマイシャだけで。

 翌日、コンラッドはアドニス家の馬車に乗ってふらりと何処かに行ってしまった。


 そしてシュトラウスが公爵や侯爵、付き合いのある貴族に向けてパーティーを騒がせた事に対する謝罪の手紙を書いている中、ライゼルがアドニス邸を訪れた。

 応接間にてソファに座る事もなく頭を下げるライゼルは明らかに緊張していた。


「せっかく招待して頂いたのに、アドニス家に泥を塗る結果になってしまって申し訳ありません……」


 コンラッドとマイシャが失墜した理由こそ自業自得だが、そうなった原因は自分が連れて来たステラにある。

 そう思っていたライゼルはシュトラウスから厳しい言葉を受ける事を覚悟していた。

 だからこそ、シュトラウスが紡いだ言葉は予想外だった。


「……君が気にする必要はない。愚かな者が自滅するのも、賢い者が生き延びるのも世の常だ」


 息子夫婦を愚者の自滅と言い切ったシュトラウスに眉を潜めたライゼルに対し、シュトラウスは更に言葉を重ねる。


「まあ、悪いと思っているならあの娘を連れて行ってもらえると手間が省けて助かるのだが……コンラッドもとうに見限っているようでな、誰一人あの娘のところに近寄らない」


 ライゼルはシュトラウス同様、頭の回る男である。自分の慕情を見透かされている事には気づいていた。

 それでもシュトラウスが自分をパーティーに出られるよう手配してくれたのはスミフラシに価値を見出したからだとばかり思っていた。


「私はアドニス家の名誉を貶めた者を養い続けるつもりはない……ただ、あの娘には孫を生んでくれた恩がある。姉を死なせてしまった負い目もある。だからこの状況であの娘を拾う者がいるのなら、一切邪魔するつもりはない」


 それはシュトラウスのであった。それがマイシャに示せる最後の情だったといえる。

 

 かつて、致命的な欠点を背負った妖精マデリンを手にする事が出来なかった自分とよく似た男が、致命的な欠点を背負った想い人マイシャをそれでも手に入れたいと思うなら――素直に応援したいと思った。


 しかしライゼルはシュトラウスが用意した道を選ばなかった。

 厳密に言えば選びかけたが、自分に擦り寄るマイシャの目には、彼が求めているものが宿っていなかった。

 このまま周りの反対を押し切って囲って大切に扱った所で、この目に熱を宿す事は出来ない――ライゼルはそう判断したのである。


 だからシュトラウスは本来の手段を取る事にした。


 マイシャがいる部屋から激しく物が割れる音を聞いた彼は孫のオイフェを抱えて部屋に入った。


 コンラッドは既にマイシャを見限っている。

 しかしオイフェにとってマイシャは関わる時間こそ短くとも大好きな母親。


 そんな母親が恐ろしい形相で物を投げつける姿を見れば、オイフェは母親に対して恐怖を抱く――そんな目論見でドアを開いた矢先、オイフェの方に向けて燭台が投げられた事は予想外だった。


 反射的に右手でオイフェを庇ったものの、肌を金属が貫く激痛にしゃがみ込むとオイフェはマイシャに対して花瓶の破片を投げつけた。

 オイフェが花瓶の破片で傷つく事を恐れて慌てて抱えるとマイシャに対して冷めた視線を向け、自室に戻った。


 治癒師に治療されている間もオイフェはシュトラウスの傍を離れなかった。


「ママ嫌い……! ジジがいい……! ママなんて、いなくなればいい……!」

「そうだな……暴れ馬が誰にも望まれてないなら、いっそ消えてもらおうか……」


 それはシュトラウスにしては珍しく過激な発言であった。

 そして初めて愛しい者オイフェを傷つけられかけた彼にとってマイシャはもはや疎む対象から憎むべき対象――敵に変わっていた。


 同時にシュトラウスは自分とマデリンの孫が恋敵の子を攻撃し、自分を守った事に強い喜びを感じていた。

 

 だからそんな呟きを部屋の前にいたライゼルに聞かれていた事に気づかず、泣きじゃくるオイフェの頭を撫でながら眠りを促し、寝入ったタイミングで乳母に託し――自室に一人になってそう時間が立たないうちに、コンラッドが入って来た。


 コンラッドにいちいち「あの娘を始末する」と言う程シュトラウスも愚かではない。

 アドニス家から追い出した後で消せばいいのだから。


(……まあ、あの様子だとこちらが手を加えずとも勝手に死ぬかもしれんが)


 価値を失くし、腹を痛めて産んだ子にすら敵意を示された絶望に包まれたマイシャの姿はそのまま軽く押すだけで倒れ込んで割れてしまうような、そんな危うい印象を受けた。


 いっそそのままシスティナのように身を投げてくれれば手間が省けて助かるのだが――と思いながらシュトラウスはあくまでマイシャを追い出す体で話すつもりでいた。


 しかしコンラッドは父親が人を殺す事を考えている時の表情を知っていた。

 シュトラウス自身が気づいていない、殺意を押し殺す独特の表情を知っていた。


 必死にマイシャを助けようとするコンラッドを前に、シュトラウスは考えた。


 逃げてはいけない時に逃げた息子が、動くべき時に動けなかった息子が、今ようやく、大切な存在を守ろうとしている。


 それを守る為に、これから今までよりずっと辛く重い人生を歩まなければならなない。

 自分が用意した道よりずっと険しい道。愚か者が自ら選ぶにはあまりに厳しく、汚く、みすぼらしい道。


 それでも――その道を選ぼうとする息子を止める気にはなれなかった。




 コンラッドに助け舟を出した数日後、シュトラウスはアドニス家が所有する家の1つと男爵位、アドニス邸に長く勤めている数人の従者をコンラッドに託して二人を見送った後、ルヴィス宛てにコンラッドに新たな家名と爵位を与える許しがほしい旨綴った手紙を送った。


 そして、3日と経たぬうちに紺碧の大蛇に乗ったルヴィスがアドニス邸を訪れた。


「すまんな、シュトラウス……お前の息子があまりに情けなくてつい厳しい言葉を放ってしまった」

「いえ……愚息がちゃんとしていれば起きなかった事です。閣下が心痛める事は何もございません。むしろ今回の件で愚息と嫁が迷惑をおかけしてしまい……この罪、私が生涯をかけて償わせて頂きたいと思います」


 公爵が望む言葉と表情を持ってシュトラウスは深く頭を下げた。

 そしてアドニス邸の応接間に場所を移し、最上級の茶を飲みながら近況やパーティーの件を話す中、ルヴィスはシュトラウスの右手に巻かれた包帯に目を向けた。


「……それはどうした?」

「ああ、先日孫が危ない目に合いまして。庇った際に負ったもの……いわば名誉の負傷でございます」

「お前の息子もお前程の度胸があれば良かったのだがな」


 圧倒的強者の率直な嫌味もシュトラウスは笑顔で受け流す。


 システィナが誘拐された時、コンラッドに自分を犠牲にしてでも大切な者を守る度胸があれば良かった。それは事実だからだ。


 だが、その度胸があったら――コンラッドとシスティナとの未来に愛しい孫達はなく、シュトラウスの願いは叶わなかったかもしれない。


 システィナは聡く、領主夫人としての才覚も十分にあった。

 彼女がいればアドニス家の繁栄に一役買ってくれただろうが、けしてシュトラウスの思い通りには動かなかっただろう。


 息子が愚かだったお陰で家よりも大切な孫達オイフェとメイファが産まれたばかりか、自らの養子にする事さえ出来たシュトラウスの晴れやかな笑顔は公爵を戸惑わせた。


「……息子が落ちぶれたというのに、よくそんな笑顔を浮かべていられるな」

「閣下、私はこれで良かったと思っております。閣下が仰る通り、愚息は度胸が無かった。そんな者が領主となれば、遅かれ早かれこの都市の名前は変わっていた」


 主のした事に対して一切の不満を抱いていない忠臣の態度で言い切るシュトラウスに対し、ルヴィスの怪訝な視線は緩まない。


「……シュトラウス、お前、あの商人がスミフラシを扱っている事を知っていたな?」

「ええ。レイチェル様がお気に召すかもしれないと思っておりました。素敵な物に巡り合わせてくれたルヴィス様に感謝するかもしれないと」


 シュトラウスはルヴィスから娘がヌメヌメした気持ち悪い生物を好む事をよく相談されていた。

 だから鮮やかな青を吐き出すスミフラシという生き物もレイチェルの目に留まれば受け入れられるだろうと確信していた。麗しの女傑がそう確信していたように。


「……それなら何故、お前はマイシャ夫人に娘の嗜好を伝えなかったのだ?」

「閣下のお悩みは家族であれ伝えませんよ。それにあの娘は思い込みが強く、何でも自分に都合が良いように言いふらす……閣下もパーティーでご覧になられたでしょう? あの調子でレイチェル様の嗜好を言いふらされては叶いません」

「……確かにな。しかし……コンラッドには言えただろう?」


 できればルヴィスは娘の趣向が公に知られる事を避けたかった。

 そんな自分に忖度してシュトラウスがマイシャに助言しなかった事は納得できる。


 しかし、レイチェルがスミフラシを気に入るかもしれないと思っていたなら――マイシャにやんわりと釘を刺す事は出来ただろうし、何よりコンラッドに伝えたはずである。

 頭の良い部下が、あえてそれを言わなかった――シュトラウスが答える前にルヴィスは自分の中で答えを出した。


「そう言えば……他人の為といいながら、自分の我儘欲望を押し通すのはお前も得意だったな。私を使って邪魔者を追い払えて満足か?」


 一切表面を荒立てないシュトラウスは公爵の覇気にも引く事なく冷静に思考を巡らせる。


 満足だと言えば殺される。見透かされたなら本音を織り込む必要がある。かつ、こちらもそれなりに痛い目に合っていると分かれば機嫌を直すだろう――


「滅相も無い……私は隠居して孫と穏やかな余生を過ごすつもりでいたのに貴方に表舞台に引っ張り出されたのですよ? アドニス家の崩壊を止めて頂いた事は心から感謝しておりますが、満足かと聞かれれば不満と答えるほかありません」


 あまり間を置かず極々自然に自分の指摘に言い返したシュトラウスに対し、ルヴィスは一つため息を付いた。


「……まあ、お前にはこれからもしっかり働いてもらわねばならんからな。そういう事にしておいてやろう。ついでに、その右手……ここの治癒師が治せない程の怪我なら、復帰祝いに最高の治癒師を手配してやるが」

「閣下……それにつきましてはお気持ちだけありがたく受け取ります。これはこれで都合が良い面もありますので」

「どう見ても不便にしか見えんが……まあ、お前がそれでいいのなら」


 ルヴィスはそれだけ言うと、再び紺碧の大蛇に乗って大空を飛んでいった。

 紺碧の光が見えなくなった所でシュトラウスの全身からドッと力が抜ける。


 恐れ多い存在に対し堂々と向かい合う力無き者達はルヴィスには物珍しく、だからこそ気に入られるのである。

 とは言え、一秒後には殺されているかもしれないような状況で感情を荒立てず笑顔でいられるだけの度胸は誰もが持っているはずがなく。


(……麗しの女傑、か)


 自分と同じように――いや、自分よりずっと不利な状況でなお公爵と向かい合った、辺境の漁村の娘――新聞を飾る麗しの女傑は、かつて義娘となるはずだったシスティナを彷彿させた。


(あちらはレイチェル様にも気に入られている……敵に回したくないな)


 美しさにも商才にも恵まれ、頭も切れる。かつリアルガー公爵と親交があるローゾフィアの英雄にも気に入られている。

 そんな女傑がアクアオーラ領から割譲された村を発展させるのは想像に難くない。


 取り込んで懐柔したいところではあるが、息子夫婦がした事を思えば彼女はアドニス家に良い思いは抱いていないだろう。

 そして新聞の記事やパーティーで言い争いを目撃した者の証言を重ね合わせれば――この女傑はきっと自分の思い通りにならない。


 思い通りにならない相手なら、迂闊に触れなければいい。

 こちらが嫌味を言わずメルカトール家に報復もせず、失礼のない振る舞いだけ心がければ互いに敵対する理由はない。



 公爵を見送った後、シュトラウスは乳母の元にいるオイフェとメイファの元へと足を運んだ。


「ジジ! 公爵様、帰ったの?」

「ああ、今帰った所だ」

「オイフェ様、ジジではなく、父上と……」

「構わん、無理に言わせた所で混乱させるだけだ」


 乳母の諫めを遮った後、シュトラウスはオイフェをひょいと抱き上げる。


「オイフェ……そろそろお前もお勉強しないとな」

「お勉強?」

「ああ、悪い事や狡い事を考えている奴の見抜き方とか、そういう人間からどうすれば身を守れるかとか……人から悪く思われない振る舞い方も」

「……パパやママは教えてもらえなかったの?」


 オイフェも幼いとはいえ両親が自業自得で家を出たという事は理解しているらしい。

 泣きそうな顔でギュッとシュトラウスの腕を掴んだ。


「ジジは領主のお仕事が忙しくてなぁ……パパとママはちゃんと人から教えてもらってるとばかり思っていた。だから二人が教えてもらってなかったのか、教えてもらっても覚えられなかったのか分からない」


 オイフェが見上げるシュトラウスの表情は、眉を寄せて、どことなく悲し気で――悔いているようにしか見えなかった。


「だからお前とメイファには私がしっかり教える。難しい話かもしれないが、頑張って覚えなさい。それは絶対、お前とメイファを守る力になるから」

「僕……頑張る! パパとママの代わりに、メイファを守るんだ!」


 オイフェが元気よくそう返すと、シュトラウスの顔が緩む。

 彼に抱っこしてほしいのかシュトラウスに向けてモゾモゾと身を捩らせて乳母を困らせるメイファもまた、彼に幸せをもたらす。

 

 自分とかつて自分の心を奪った妖精の血を継ぐ孫は、シュトラウスが望むものをくれる。


 システィナは星に。マイシャは星と神に。ステラは人に。スティは朱色の星に――様々なものにかけられた多くの願いが複雑に絡み合う裏で、星にも神にも誰にも打ち明ける事の無かったシュトラウスの願いもまた、誰に知られる事なく叶ったのである。


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 ※最後の番外編はスティ達の後日談です。

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