番外編 深窓の妖精・3
シュトラウスはウェス・アドニスの不穏な動きには常に気を払っていた。
息子が度々街に下りる事は都市の状態を正確に把握する事も大切だと黙認していた。
ただ――ウェス・アドニス外で自分を貶める輩が動いていた事、息子が色神祭の日に自分勝手に婚約者を連れて街に下りる事までは予測していなかった。
コンラッドがシスティナを連れて街に下り、賊に襲撃されたのはシュトラウスにとっても致命的な事件だったのである。
だが、シュトラウスは危機的な状況に対して判断も行動も早かった。
コンラッドが己の罪悪感と羞恥心に押し潰される中、シュトラウスはまずメルカトール邸に向かい、パーシヴァルに頭を下げた。
シュトラウスはウェス・アドニスの領主である。そしてコンラッドは次期領主。
自分で誘っておきながら守る事が出来なかった、という情けない汚名を次期領主に被らせる訳にはいかない。
『マデリンの秘密を打ち明けなかった事を本当に感謝しているのならば、貸しをここで返してほしい』
かつて、シュトラウスがマデリンの秘密を知った時。
それをシュトラウスが広めれば、まず間違いなくマデリンは迫害され、メルカトール家も滅んでいた。
それはパーシヴァルも重々承知していた。
今メルカトール家がある事も、子ども達が健やかに育っているのも、目の前で頭を下げるシュトラウスのお陰だと。
他の何を犠牲にしても大切な者を守りたい――その気持ちも痛い程に分かるパーシヴァルはシュトラウスの頼みを承諾するしかなかった。
そしてシュトラウスはシスティナの誘拐に関わった賊達を全て始末し、息子の汚名を灌ぐ為に駆け回る中、当の息子本人がシュトラウスを苛立たせた。
コンラッドがシスティナに一切会いに行かない。それはシュトラウスの力では取り繕えない。
父親が息子を無理矢理引っ張って被害者の前に突き出した所で、何の意味も無いのである。
一度でもいい。コンラッドが自分の意志でシスティナに会い、そのままシスティナと結婚すれば後は美談で飾る事が出来る――その為の地盤を固めてもコンラッドは自室に引き籠って酒に溺れるばかりで全く動こうとしない。
どうしようもない息子を置いてシュトラウスは定期的にメルカトール家に訪れ、パーシヴァル達に頭を下げながら帰りしなにメイドやマイシャからシスティナの状態を聞き出した。
段々やせ細っていくというシスティナにシュトラウスは一抹の不安を抱いた。
(……そこまで痩せ細って、まともに子が産めるのか?)
それに、襲われた事で性的な行為にトラウマを抱えている可能性もある。
そうなればコンラッドと結婚させても子を作るに至れず、養子を招く事になりかねない。
――それでは自分の計画が崩れてしまう。
幸い、マデリンの娘は二人いる。
肉体的にも精神的にも子が産めるかどうか分からないシスティナとこのまま結婚させるよりは――子が望めるマイシャに変えるべきだ。
こうして、シュトラウスは姉から妹へと標的を替えたのである。
彼はマイシャがコンラッドに憧れの眼差しを向けているのを見ていた。
システィナがマイシャをフォローする度にマイシャが不満げな表情をしている事も。
当人や家族には分からない、他人だからこそ気づける表情がある。
特に他人の心情を察するのが上手いシュトラウスからすればマイシャがシスティナに抱えている不満は手に取るように分かった。
婚約者変更を打診してメルカトール家がどう出るかは賭けである。
勝った場合と負けた場合、両方に備えなければならない。
必要であればパーシヴァルやアーティを始末する事も考慮した上でシュトラウスは賭けに出た。そして、賭けに勝った。
しかしその夜、システィナが身を投げた事は想定外であった。
義娘になるかも知れなかったマデリンの娘を死なせてしまった事はシュトラウスも心が痛んだ。
せめてもの詫びとして葬儀に出席して花を送り、多額の援助金も飲んだ。
嫁いできたマイシャの我儘にも出来る限り応えて彼女の機嫌を取る一方、コンラッドを支えてやって欲しいと念を押した。
全ては、コンラッドとマイシャの間に生まれる子――自分とマデリンの孫の為である。
そして、シュトラウスの願いは叶う。まずアドニス家の跡継ぎとなるオイフェが産まれた。
夢にまで見た、自分とマデリンの血を引く孫――シュトラウスの関心はコンラッドとマイシャからオイフェに移った。
マデリンの面影を残す自分と同じ髪色の赤子は、想像以上に――何より誰より愛おしかった。
この子の為なら、命も惜しくない――息子には抱かなかった程の強い想いがシュトラウスの心を満たした。
嬉しい事に翌年にはメイファというマデリンと同じ銀の髪の可愛らしい女の子も生まれ、シュトラウスは自分と愛しい人の血を引く二人の孫を得られた幸せを堪能していた。
同時に、彼はマイシャを疎ましく感じ始めた。
これまではマイシャの容姿も性格もマデリンに似ていた事もあり、彼女のフォローをする事も着かず離れずで監視する事もさして苦痛ではなかった。
しかし二人の孫が産まれた今、マデリンにはあった向上心も無く隙あらば散財しようとするマイシャがいよいよ目障りになってきたのである。
このままマイシャに好き放題させればコンラッドの代でアドニス家は終わる。
コンラッドの事などもはやどうでも良かったが、コンラッドの次にアドニス家を継ぐオイフェの為に、アドニス家をここで終わらせる訳にはいかない。
消そうと思えば簡単に消せる。しかし、自分が関われば人知れずに恨みを買う可能性がある。
システィナの誘拐事件によってシュトラウスはより一層警戒を強め、いかに自分が関わらずに人を陥れられるか考えた。
自分の手を少しも汚す事無く、どうやってマイシャを追い出すか――そして、彼女を追い出した後、子ども達に何の支障もない状態にするにはどうすればいいか。
難しい話に聞こえるが、相手がマイシャなら簡単な話である。
このままただただ甘やかして一層堕落させ、時を見計らって自滅させればいい。
パーティーではシスティナと違って失言しやすいマイシャの傍で常にフォローに回り、彼女は開く茶会にも気心の知れた者しか呼ばなくていいと伝えた。
コンラッドには自分の仕事の大半を継がせてマイシャとの時間を削らせ、子どもの面倒も自分と乳母で見るから、わざとマイシャと子ども達を遠ざけた。
案の定マイシャは自分にとって都合が良い提案をしてくれるシュトラウスを微塵も疑わなかった。
姉であれば間違いなく警戒心を抱くような状況も喜んで受け入れ、自分自身の誇りである美貌以外の努力は怠り、どんどん堕落していった。
元々姉が愛した男と結婚した時点でマイシャの評判は悪い。
その中でシュトラウスはアドニス邸の中でいかに彼女が自由で贅沢な生活をしているか噂を流し、マイシャがいつアドニス家から追い出されても仕方がないような風潮を作り出した。
後はいつ、突き放すか――シュトラウスが時を見計らっていた頃、ライゼルがマイシャの元を訪れ、追い出されたのを目撃した。
マイシャに横恋慕する他領の商人貴族の事も把握していたシュトラウスは、納得いかなそうな表情で館を出ようとするライゼルを呼び止め、私室に招いた。
ティブロン村のスミフラシで染めたドレスを広めたいが、マイシャに断られてしまったと話す彼に、シュトラウスはかつて報われない愛に溺れていた自分を重ねた。
絶望的な状態でも想いを消せない哀れな男が生誕祭のパーティーに出られるよう、ルヴィス宛てに<アクアオーラ領に美しい青布を売る商人がいるらしい>と伝え、招待するように勧めた。
同時に嫁の散財ぶりに悩まされているがシスティナの事もあり強く言えない事も綴った。
生誕祭が近づくにつれてマイシャがライゼルが音沙汰無くなった事が気になって色々調べだした事も把握していた。
そしてライゼルから生誕祭パーティーの招待状が届いた、という報告を兼ねたお礼の手紙には、連れて行く予定の女性の事について書かれていた。
ステラの事も、マイシャの
かつて自分に熱い視線を向けていた男が嫌いな女を連れていれば、大半の女性が面白くないと思うだろう。
そしてその中の大半が面白くない感情を抑えこむが、マイシャはそれができる女性ではない。
何かしら言いがかりをつけて執拗に絡んで、それを見たルヴィス公爵から苦言を呈され、自滅する事までシュトラウスは読んでいた。
ただ――言いがかりをつける前にコンラッドがマイシャを上手く宥める事が出来れば自分の計画は未遂に終わる。
しかし、マイシャの諫め方にはコツがいる。
ひたすらマイシャの心を傷つけないよう、言葉を選んで
これまでマイシャは社交の場に出る際、システィナなりアーティなりシュトラウスなり、誰かしら身近な者にフォローされていた。
中でもシュトラウスが一番マイシャを甘やかし、丁重に扱った。
領主という中間の立場にいるからこそ格上も格下関係なく相手の機嫌を取って調子に乗らせる事を得意としていた彼にかかれば、世間知らずの娘一人、我儘なお姫様の如く堕落させる事など簡単な話であった。
こうして事が起こるのを確信しながらシュトラウスは生誕祭に向かう息子夫婦を見送った。
そして彼の読みは見事に的中し、マイシャは暴れた。
ただ――彼の想像以上に暴れたのである。
諫められなかったコンラッドに領主失格の烙印を押され、引退したシュトラウスが復帰せざるを得ない状態になるほどに。
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3話位で終わるかなと思ってたんですが後日談も含めて5、6話位になりそうです。
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