番外編 深窓の妖精・2
シュトラウス・ディル・ゼクス・アドニスはアドニス家の嫡男として英才教育を受けて育った、非常に頭の回る男であった。
パーシヴァルにこそ劣るものの、それなりに整った清潔感のある容姿は親から叩き込まれた帝王学と非常に相性が良く、人当たりが良く物腰も柔らかい彼は老若男女に好感を抱かせる事が出来た。
しかし、彼本来の性格は好感を抱かれるものとはかけ離れていた。
自分がこう言えば人が喜ぶから。こう動けば好かれるから。こうすれば上手くいくから。
自分が何をどうすれば人がどう動くかを把握し、いかに自分の思い通りに事を運べるかに生きがいを見出す彼の人生は、いわばゲームのような物であった。
そんな彼が思い通りにできなかった事が二つある。
その一つが、恋である。
彼が恋を知るきっかけとなったのは、とあるパーティーにてパーシヴァルが捕まえた妖精の噂を聞きつけた時。
シュトラウスも多くの令嬢から熱い視線を向けられていた
パーシヴァルの結婚式に参列した者達は、皆口々に可愛らしく美しい新婦だったと語る。
しかしその美しい新婦は式以降はメルカトール邸に籠り、パーティーやお茶会に誘っても出て来ない。
噂は更なる噂を呼び、いつしかパーシヴァルの妻は夢か幻かも分からない<深窓の妖精>とまで言われるようになっていた。
人は隠されれば隠される程、一目見てみたいと思うものである。
それはシュトラウスも例外ではなかった。
様々な花に囲まれ目が肥えた貴公子が選んだ女性は、一体どれほど美しいのか――そして自分が治める都市の中に未知の存在がいる、という状況も面白くなかった。
丁度その頃、シュトラウスは父から爵位を譲り受けてアドニス伯となり、襲爵パーティーを開く事になっていた。
奇しくもパーシヴァルの父も病に倒れ、パーシヴァルが家を継いだばかりであった。
シュトラウスは襲爵パーティーにメルカトール夫妻を招待した。
確実にマデリンを連れて来させるよう<深窓の妖精を一目見てみたい>と招待状に一筆書いて招待したのである。
そんな招待状が送られてきて、パーシヴァルは頭を抱えた。
パーシヴァル達は結婚式の際、親族達にマデリンの事を口止めしたかったのだが、何故? と問われれば事情を話す以外になく。
話してしまえば祝福ムードが一転、マデリンが迫害されてしまうかもしれない事を思うと、打ち明ける事は出来なかった。
かといって貴族がささやかな式もあげないようでは怪しまれ、見下される。
結果、親族達には『悪い虫が着くかもしれないから、あまり妻の美しさを広めないでほしい』と惚気の体でお願いするしかなかった。
その結果が<深窓の妖精>である。
さして強みを持っている訳でもない商人貴族の子爵が領主の襲爵パーティーで領主直々の招待を断る訳にはいかない。
せめて極力目立たないようにと装飾と化粧を控えめに、ドレスも地味な物を用意して口を隠す為の扇子を持たせたが、貴族の生活で本来の美しさが露になったマデリンの艶やかな銀の髪に透き通るような白い肌、美しい空色の目はシュトラウスを始め多くの男の目を惹き付け。
あっと言う間にパーシヴァル達の周りには多くの人が集まった。
予想以上の反応にマデリンはもちろんパーシヴァルも困惑する中、パーティーの主役であるシュトラウスが人の輪に道を作った。
パーシヴァルとマデリンは彼に挨拶をした後、シュトラウスが止める間もなく帰っていった。
時としては5分にも満たない出会いはシュトラウスに未だかつてない熱をもたらした。
自分のパーティーの話題をかっさらわれた事も気にもならない。
(もっと彼女を見たい。彼女の声を聞きたい……
けして波立つ事のない、凍った心が熱に溶かされていく。
とは言え、シュトラウスは領主である。人妻を強引に奪えば当然民から反感を買う。
手に入れるなら、計画を練らなければならない。
メルカトール家をどう潰すか――思考を巡らせると同時に、マデリンに会いたい話したいという欲求が心の中に渦巻く。
改めてシュトラウスはメルカトール家に一通の手紙を送った。
<先日はパーティーでろくなもてなしも出来ず、申し訳ない。静かな空間で改めて二人を招待したい。都合の良い日を教えて欲しい>
パーシヴァルは嫌な予感がしたが、招待された身ですぐに帰るという失礼を働いたのは事実であり、伯爵直々の招待を断ればどうなるか分かった物ではない。
パーシヴァルが危機感を抱く一方、マデリンは助けに入ってくれたシュトラウスの事を良い人だと思っていた。
そしてアドニス邸の応接間で三人は再会する。
ささやかに花で飾られた応接間のテーブルには普段メルカトール家では食べられないような希少な果物にお菓子などが並び、マデリンはますますシュトラウスに感謝した。
マデリンは家族から過保護に育てられていた事もあり、あまり男というものをよく分かっていなかった。
人あたりが良く、物腰の柔らかい貴族の男は皆、パーシヴァルと同じように良い人だと思い込んでいたのである。
「ありがとうございます、シュトラウス様!」
笑顔――の中にある、青にシュトラウスは一瞬、表情を歪ませた。
彼の中では動揺の方が大きかったのだが、マデリンはそれを嫌悪の感情だと受け取ってしまった。
「……ご、ごめんなさい」
「いや、何も……何も謝る事はない」
マデリンの表情が曇った事に耐えかねたシュトラウスは反射的に言葉を紡いでいた。
「貴女が抱える秘密は誰にも言わない。どうか、楽に過ごして欲しい」
「……本当、ですか?」
無意識に零れ出る自身の言葉に驚きながら、マデリンの表情から怯えが消えていく事にシュトラウスは心底安堵した。
「ああ、本当だとも……私は貴方方と友人になりたくてここに招待したのだから。友人を困らせるような事はしない」
「シュトラウス様……本当に、ありがとうございます!」
先に人払いをしていたのが幸いした。
愛しいパーシヴァルと優しいシュトラウスしかいない部屋でマデリンも安心したように微笑んだ後、早速お菓子に集中した。
ぎこちないながらも頑張って行儀よく食べようとするマデリンを微笑ましく思いながら、シュトラウスはパーシヴァルに念話を送る。
『彼女の口は……病気か、呪いか?』
『いえ、妻の故郷の生き物の体液が彼女の口や手足を青く染めています。義母によると、その体液は一度着いたら落とせる物ではないそうです』
『……そうか』
『シュトラウス様……どうか、この事は……』
『パーシヴァル殿、安心してほしい。先ほど彼女に言った通り、この事は誰にも言うつもりはない』
改めて伝えるとパーシヴァルの肩の力が抜けた。
そのまま三人はしばしの会話を楽しみ、シュトラウスは帰る二人を見送った後執務室の椅子に腰かけた。
明るい笑顔に心奪われ、悲しげな表情に心締め付けられ。
彼女が楽しそうに喋れば喋る程心を溶かされていく感覚を覚える。
これが、恋という感情なのだろう――シュトラウスは理解した。
しかし口が青く染まっているマデリンを領主夫人はおろか、妾にする事すら無理があった。
パーティーや茶会の一時だけならまだしも、常に扇子で口を隠し続ける訳にはいかない。
口の中以外は非の付け所の無い美人でも、口の中を見られれば瞬く間に噂が広がってしまう。
パーシヴァルから奪い取る事自体は容易くても、その後マデリンを囲い続けるのは一都市の領主に過ぎないシュトラウスには厳しい。
彼の地位は公爵や民の信頼の上にある。領主が得体の知れない存在を一室に監禁すれば、何処かから情報が洩れて自らの地位を脅かされる事になる。
この時初めてシュトラウスは自分の立場に不満を抱いた。
目障りな民を殺しても罪に問われず、気に入った者をどのように扱っても誰にも文句ひとつ言わせない公爵を羨ましいと思った。
どれだけ恋焦がれても、けして結ばれる事が叶わない存在――まさに深窓の妖精に、シュトラウスは初めて思い通りに出来ない物があると思い知らされた。
それ以降、シュトラウスは自分が開くパーティーにメルカトール家を招待するのはやめた。
ふとした仕草からマデリンへの想いを人に気づかれる事を恐れたからだ。
メルカトール家の話をする事も控えた。
自分の心にある熱を人に知られる事を警戒したからだ。
この叶わぬ想いを誰にも悟られないよう、結婚もした。
彼の地位はアドニス家と自身、両方への信頼の元に成り立っている。
例え愛の無い政略結婚と言えど、これから共に生き家族を作る相手に対して「自分には愛する人がいるから君を愛する事はできない」などと突き放すつもりは一切なかった。
自分勝手な非礼は相手に無駄に敵意を持たせ、それがいつしか自分の身を破滅させるかもしれない事をよく分かっている。
だからシュトラウスは自分の中にある想いを妻に気づかれないよう、妻に想いがあるように見せて過ごした。
むしろ、叶わぬ想いから逃れる為に政略結婚で結ばれた妻を愛そうと努力していた。
妻もそんな彼の振る舞いに応えるように、シュトラウスの公務を懸命に支えた。
そんな二人は誰が見ても仲の良い領主夫妻に見えた。
それでも、マデリンが彼の心から消える事はなかった。
自分の名を呼びかける深窓の妖精を思い返す度に彼の心は
(……私が、こんな立場でなければ。彼女が、ああでなければ)
シュトラウスは自分の立場を呪い、マデリンを蝕む青を呪った。
それでも、短い会食の間でマデリンが「民にも優しい都市にしてほしい」とお願いされたから貴族の反感を買わない程度に民に寄り添う統治を心掛けた。
そしてパーシヴァル達もマデリンに社交界には悪人もいるという事を言い聞かせ、マデリンを社交界から徹底的に遠ざけた。
マデリン自身、華やかな場で見知らぬ人達に口の中を見られないように気を張って過ごすより、穏やかなメルカトール邸でゆったりとした時間を過ごす事を望んだ。
一切社交界に出ない妻がいるメルカトール家の景気が傾くのは自然な流れだったが、これもシュトラウスがメルカトール家に最低限仕事が回るよう暗に手配した。
また、妖精の話題も早々に消えるように対処した。
とは言え、鳥籠を守った所でいつでも好きな時に覗きに行ける訳ではない。
こんな事をしても全く自分の益にはならない。
それでもシュトラウスはそうしたかった。彼の恋はいつしか、報われなくても構わない献身的な愛に変わっていた。
そして時は流れ――シュトラウスにコンラッドという息子が産まれた翌年。
システィナが産まれた頃、シュトラウスの中にある愛が変化しだした。
(私の息子と、彼女の娘が結ばれれば……)
それは想い人と結ばれる事が出来なかった男が想像した瞬間に自己嫌悪に陥るような、ちょっとした妄想であった。
だがシュトラウスの中で降り積もっていた報われない愛とマデリンに対する執念は彼に一切罪悪感を抱かせず。
妄想は願望へと形を変え、彼の中で長年にわたる計画が組み上げられる。
マデリンが亡くなった時、シュトラウスは葬儀には出なかった。
愛しい人を飾る花を贈らせて自身は自室に籠り、天から見えるように一輪の花を飾り。
身を引き裂かれるような想いを一筋の涙に込めて、もうこれで彼女が穢されなくなった事に安堵した。
そしてまた時が過ぎ――シュトラウスの妻が病気で亡くなった頃、彼の予測通り、パーシヴァルとマデリンの子ども達は皆美しく成長していた。
コンラッドもまた両親の良い所を受け継ぎ、文武両道のアドニス家の血筋にふさわしい美しい男に成長した。
シュトラウスは社交界に出てきたシスティナとマイシャに『アドニスの二輪花』という価値を与えた。
表立って後押しした訳ではない。たがパーティーで領主が令嬢に向けて『アドニスの花』と呟けば、領主も認める美しさだと広まっていく。
これだけの美しさがあれば領主夫人として遜色無いと知らしめる為に。
アドニスの花を手折るのは当然、
舞台と役者が揃った所で、シュトラウスはパーシヴァルに息子達の縁談をもちかけた。
システィナが美しいばかりでなく博識で、人当たりも良く頭が回る事、彼女こそコンラッドの妻にふさわしいと思っている事。
システィナが嫌だと言えば推し進めるつもりはない――そう説得されれば、表立って断る事も出来なかった。
そしてコンラッドもシスティナもお互いに惹かれ合った事やシスティナがアドニスの領主夫人としてふさわしい女性に育っていた事に運命を感じながら、シュトラウスは自分の願いが叶う日が近づいている事に期待を膨らませていた。
しかし、運命はシュトラウスにも不幸をもたらす。
彼が二十年近く願い続けた計画は、システィナが誘拐された事をきっかけに崩れ始めた。
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