番外編 深窓の妖精・1


 パーシヴァル・フォン・ゼクス・メルカトールは麗しく繊細な容姿の割に非常に好奇心が強く、行動力のある男だった。


 商人貴族の跡継ぎとして生まれた彼は成人を迎えると同時に親に『自分の足で各地を見て歩き、物を売り回ってみたい』と訴えて荷馬車1台と御者を連れてウェスト地方を渡り歩いた。


 そんな彼がティブロン村の噂を聞いたのは、旅の期限が近づいていた頃。 

 ウェサ・クヴァレの酒場で吟遊詩人がティブロン村の歌を歌っていた時だった。


 足を踏み入れた途端、手足も口も青に染まってしまう、呪われた村――

 

 周囲がその歌を聞きながら呪われた村について語る中、パーシヴァルは純粋にティブロン村に興味を持った。


 本当に呪われているのであれば、何故侯爵も公爵も放っておくのだろう?

 そんな呪いを受けていながら、何故その村は村として存続し続けられるのだろう?


 北領には呪術と解呪に長けた侯爵家が、皇都にはどんな怪我も呪いも消せると唄われる公爵家がいる。

 扱いに困っているなら、どちらかを頼ればいいのに。


(近寄られると都合が悪いから、あえて嫌な噂を流して人を遠ざけている……?)


 人は疑問に対して自分なりの答えが思いつけば、正解を知りたくなるものである。


 それでも、侯爵も公爵も手を出さない場所。

 平常のパーシヴァルであれば触らぬ神に祟りなし――と関わらない道を選んだだろうが、彼は旅の目的の一つ、『まだ誰も売っていないような物を見つけたい』という目的を未だ達成できておらず、焦っていた。


 もしその村に何か希少な物があれば、他の商人達を出し抜けるかもしれない。


(……道に迷った体で、村に近づいてみるか)


 思い立ったら即行動――翌日パーシヴァルは明らかに嫌そうな顔をしている御者を説き伏せ、ティブロン村に向けて出発した。




 普段旅人も賊も魔物すらも近づかない村の人々にとって、荷馬車は相当珍しい物だったらしい。

 パーシヴァルがティブロン村の前に辿り着くなり、村から人がぞろぞろと現れた。


 吟遊詩人が歌っていた通り、肌が青白く、手足も口も青に染まっている人間達を目の当たりにし、パーシヴァルは硬直したが、


「どうしたどうした、オズ坊かジジェが帰ってきたのか?」

「いや、違う。どっちでもない。よそ者だ」

「よそ者だぁ? どうする? 勝手に入れたらバルバラ怒るだろ?」

「でもなぁ。オズ坊かジジェ絡みの話かもしれないし、俺らが勝手に追い出すのも違うだろ……?」


 オタオタしている村人達からは覇気も悪意も敵意も感じられず、体の力が抜けたパーシヴァルは村人達に自己紹介しようとしたが、


「あー、俺らに自己紹介されても困るんだ。ちょっと待ってな。村長呼んでくるから」


 村人から唐突な足止めを食らってしばらく待つと、若かりし頃は美しかっただろう銀髪の、中年女性が現れた。


「なんだいあんた達」

「……私はパーシヴァル・フォン・ゼクス・メルカトールと申します。ラリマー領のウェス・アドニスを中心に商いをしています」


 ギロりと怪訝な眼差しを向けてくる女性の敵意を和らげようと、パーシヴァルは深く頭を下げ、穏やかな声で挨拶した。


「商人か……残念だったね、うちには金になる物も無ければ金もないよ。来るだけ無駄だ」

「いえ……実は道に迷ってしまったんです。ウェサ・バリエナまでの道をご存じなら教えて頂けませんか?」

「バリエナなら、あっちの方に3日も進めばあるはずさ。あっち方面に入った事が無いから途中に泊まれるような村があるかどうかまではしらないがね……分かったらさっさと去りな」

「ありがとうございます……もし宜しければ、あなた方にかかっている呪いについてお聞きしたいのですが」


 丁寧な態度ながらも踏み込んでくるパーシヴァルに女性は目を細める。


「……道に迷ってここについたとは思えない聞き方だね。まあいい。私達が青に染まってるのはこの村に生息してるスミフラシって生き物の体液が落ちないからだ。ただそれだけだよ。この村は何の呪いも受けていない」

「……という事は、この村に入ってもそのスミフラシに関わらなければ貴方がたのように青に染まる事はないのですか?」

「ああ」

「……せっかくなので村に入らせてもらえないでしょうか? もちろんタダでとは言いません。丁度、今この荷馬車には青蜜柑が100個積んであります。それと引き換えでいかがでしょう?」

「……うちの村には隠すもんがある訳でもないから、入りたければ入ればいいけれど……果物だけで済まそうってのは気に入らないね」


 興味本位で村に近づく者に慣れているのだろう。パーシヴァルが元々村に入るつもりで来た事を見透かしたように、女性はふっかける。

 

「こっちも高値を吹っ掛けようとは思っちゃいない。そうだね、10万ベルガー……銀貨十枚でいいよ」


 平民相手なら高額過ぎる通行料だが、商人であるパーシヴァルには大した額ではなく、二つ返事で承諾した。




 パーシヴァルは銀貨と青蜜柑を荷馬車から降ろした後、バルバラと名乗る女村長の案内を受けて村を巡った。


 ティブロン村は至って普通の村――とは言い難く、やや朽ちた建物が並ぶ、寂れかけた漁村であった。


 平和な雰囲気の中に広がる海と岩場、岬にそびえ立つ灯台は見事な物だが、海岸沿いにある漁村には大抵あるもので、珍しい物ではなかった。


 スミフラシも確認し、その青が美しいと思ったが――蛞蝓なめくじに似た風体から美しい以上に気持ち悪いという感想しか抱けず。


 ただ、すれ違う村人達ののどかな雰囲気からは何か隠し事をしているようには見えず。


 呪われた村という噂から誰も近寄らず。場所柄魔物に襲われる事も殆どなく。

 豊富に採れる海産物や近くの森で取れる木の実や果物で自給自足が出来るここは隔離された楽園とも言える。


 そんなバルバラの説明でこの村が何故存続し続けられるのか納得したパーシヴァルは、ここに何かを見出す事は出来なかった。


 落胆して荷馬車に戻る道すがら、パーシヴァルはバルバラと他の村人達に明らかな違いがある事に気づく。


「貴方は手足が染まっていないようですが……」

「ああ、わたしの一族は灯台を管理したり、村を纏めたり、怪我した村人を治療したり、色々役目があるからね。他の村や都市に行かなきゃいけない時もある。そんな時に騒ぎにならないよう、スミフラシに極力近づかないようにしているのさ」

「なるほど……」


 確かに、肌が青白く手足や口が青く染まった人間が街や都市に出て来ようものなら魔物や魔族と見なされて迫害される。

 外出する必要がある者がスミフラシを避けるのは至極当然の話であった。


「まあ、手足をどうにかできても、口ばっかりはどうにもならない。この村じゃ冬は果物の代わりにスミフラシを食べないと生きていけないからね……今ウェサ・クヴァレで治癒術を学んでる息子も、いつ迫害されるかと思うと気が気じゃないよ」


 バルバラは憂いを帯びた目で一つため息を付いた後、パッと表情を切り替えた。


「しかし、あんたが来てくれたお陰で助かったよ。私が通ってた頃は灯台の修繕費としてアクアオーラ侯爵家から多少お金が入ってたんだけど、ここ十数年全然でね……でもこれで息子は卒業まで学校に通える。学費を用立てる為に娘を売りに出さないといけないところだった」

「売りに……」


 微笑むバルバラの非情な発言にパーシヴァルは言葉を失った。


 人を売るにも色々ある。跡継ぎがいない家の養子や住み込みの働き手から、表立って話すのが憚られるものまで――ただ、この村から売りに出すとなれば迫害の可能性からは逃れられない。


 そんなパーシヴァルの思考を見透かしたようにバルバラの微笑みは苦笑いに変わった。


「分かってるよ。いくら手足が綺麗でもこの口じゃ、どこもまともに扱ってくれない……だからあんたが来てくれて本当に助かったんだ。娘が不幸になるのを喜ぶ親が何処にいるんだい」


 娘を売りに出さずに済んで安堵しているバルバラに見送られて、パーシヴァルはティブロン村を後にした。



 そして――パーシヴァルが荷馬車の異常に気付いたのは、夜。

 野宿の為に荷馬車を止めた時だった。


 荷馬車に積んだ木箱から物音がしたのと、人の声。

 中に誰か潜んでいる――パーシヴァルが御者と顔を見合わせ、護身用の魔石や短刀、カンテラを持って恐る恐る木箱を覗くと、中には銀の髪と澄み渡るような水色の目を持つ美しい少女が収まっていた。


 目が合った瞬間、少女はカンテラに照らされた大の男二人に対して恐怖の叫び声をあげて。

 賊や魔物ではなかった事に安堵しつつ、美しい顔立ちの少女にパーシヴァルと御者が見惚れていると、少女は木箱から出ようとして蹴躓いて倒れ込んだ。


 今度は痛くて絶叫する少女を御者と二人で何とか宥めて数分――ようやく落ち着いた少女は名を名乗った。


「わたし、マデリンっていうの! 貴方が話してた村長の娘!」


 儚い印象の割には元気いっぱいで明るい声のマデリンはパーシヴァルから質問される前に矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出した。


「お母さんったら酷いのよ! お兄ちゃんは学校に行かせるのに、わたしにはお金が無いからって行かせてくれないの! あんな何もない村で一生過ごすのも絶対嫌って言ったら、じゃあお金持ちに売り飛ばすって!」


 マデリンはパーシヴァルや御者が言葉を挟む事も許さず、立て板に水を流しかけるように滑らかに話し続けた。


「黙って忍び込んでごめんなさい! 何処かの街で適当に下ろしてくれれば後はわたし一人でなんとかするから! あっ、でもウェサ・クヴァレはお兄ちゃんがいるから駄目! 連れ戻されちゃう!」

「……君のお兄さんの学費は私が支払った銀貨で賄えるそうだ。君が売り飛ばされる事はない。村に戻った方が……」

「嫌! 村には何もないもの! これがわたしにとって最初で最後のチャンスなの! 村に戻るのも、また何かあって売り飛ばされるのも、どっちも絶対嫌!!」


 外の世界を何も知らない、無知で美しい少女を放っておく事は出来なかった。

 カンテラに照らされたマデリンの手足は先が少し青く染まっている。口は母親と同じように真っ青――何処かの街に置いていけば不幸になる事は分かり切っている。


 ティブロン村に返す事が一番無難な選択だが――それはマデリンを絶望に突き落とす事になる。

 これに懲りずにまた脱走を試みるかもしれない。


 パーシヴァルは悩んだ結果、自分の家に住まわせる事にした。


 マデリンには文字も何も読めないようでは街に出ても一人では生きていけない事、教養を身に付けるまでは自分の家にいればいいと説得した。


 とにかく村を出たかったマデリンは村を出てからどうするかまでは全く考えていなかったようで、パーシヴァルの言葉に素直に従った。


 こうして、パーシヴァルはマデリンを連れて数年ぶりにウェス・アドニスへと戻ったのである。


 行商を終えた息子が可愛らしく美しい嫁を連れて戻ってきた――と思ったら口が真っ青で――と立て続けに驚く親を説得し、マデリンに手袋と厚手のタイツと扇子を買い与え、徹底的に青を隠させた。


 バルバラ宛てに事の顛末とマデリンはこちらで面倒を見るから心配しないでほしいという手紙を綴り、十数枚の金貨と共に御者に託した。

 後日バルバラから『どうしようもない娘だがよろしく頼む』と短い返事が返って来た。


 こうしてパーシヴァルはマデリンの保護者となった。しかし保護者と言ってもマデリンは既に16歳で、結婚が認められる年齢であり。

 年頃の男が年頃の女を家に住まわせる――それは妻も同然であり。


 親も従者達もそのつもりでマデリンに接し、パーシヴァルもそれを拒否しなかった。


 そして、村の垢抜けない男達とは違う、洗練された貴族の色男に甲斐甲斐しく尽くされれば世間知らずの村娘が恋に落ちないはずもなく。

 パーシヴァルとマデリンが想いを通わせるのにそう時間はかからなかった。


 そしてマデリンの、妖精のような儚げで可愛らしい美しさはメルカトール家で過ごすうちにより一層神秘性を増し、彼女の世間知らずで楽観的な性格も相まって周囲の庇護欲を掻き立てた。


 物覚えはけして良いとは言えず、それでも教えられた事を一生懸命覚えようとする姿がパーシヴァルや彼の親、従者達の心を打ったのである。


 幸い、成人前から縁談の話が複数来ていたパーシヴァルが『縁談については旅が終わってから考えたい』と常々言っていた事もあって婚約者が決まっておらず、マデリンとの結婚と強く反対する者はいなかった。


 こうしてパーシヴァルとマデリンが出会って1年後――二人はパーシヴァルの親族だけが集まった教会で小さな結婚式を挙げ、祝福された。


 その親族達がパーティーなどで「パーシヴァルの妻はとても美しい。儚く可愛らしい妖精のようだ」と語った事がパーシヴァルに仄かな想いを寄せていた女性達を中心に一気に広まり。


 その噂がアドニス家に届くまで、そう時間はかからなかった。


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番外編は親世代と本編の後、合計3話程を予定しています。お付き合い頂ければ幸いです。

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