【KAC2024③】貝瀬学院大学学生食堂の7人のおばちゃん

宇部 松清

第1話

しら――恭太きょうたさん、これを」


 居酒屋である。

 

 読者の皆さんこんばんは。あたしの名前は小林恵美めぐみ。皆さんもご存知、貝瀬学院大学学生食堂で働いているの。社歴は安原さんの次に長くて、もう二十年になるかしら。年はマチコちゃんの次に若いのにナンバーツーなんて言われて、すっかりお局扱い。やんなっちゃうわね。


 今日はあたしのパートナーと一緒に行きつけのお店で一杯やってるってわけ。長年付き合ってるパートナーの陽春ひばるは六歳下の三十九歳。『結婚』の二文字がよぎらなかったわけではない。そりゃあ長く付き合っていればそんな話にもなる。あたし達は何度もそれについて話し合い、結局のところ、こういう形に収まった。周囲からはたまに奇異な目で見られるけれど、構わない。


 その声が聞こえて来たのは、彼がトイレに立った時だった。人の波をかき分けて、スイスイとトイレを目指す彼の背中を目で追っている時に、聞き慣れた声が耳をかすめたのだ。


 恐る恐るその方を見ると、奥の座席に見知った顔が二つ並んでいる。白南風しらはえ君とマチコちゃんだ。


 あたし、耳が良いのはもちろんなんだけど、視力もそこそこ良いのよね。だってほら、あたしまだ老眼じゃないし?


「……マチコさん、これ」


 あらあら? 声が震えてるわよ、色男。

 無理もないわよね。ちょっとちょっと、テーブルの上にある小箱って、もしかしてアレなんじゃないの?!


 アレよ、アレ。

 大きさ的にどう見たってアレよ。

 

 指輪じゃない?

 指輪が入ってる箱なんじゃないの?!

 

 ちょっともー何?

 マチコちゃんから仕掛けるの?!

 

「受け取っていただけますか、し、恭太さん」


 マチコちゃん、顔真っ赤じゃない。飲んでる? アルコール入ってる?! 酔いに任せてプロポーズってこと?!


「も、もちろん受け取るけど! えっ、何?! マチコさんから?! い、いつの間にサイズを?!」


 そうよね。

 そうなるわよね。

 絶対指輪でしょ?

 だとしたらサイズ測定は必須だもの。

 あの反応からして、白南風君はサイズを教えてないみたいだし。


「も、もしかして、あの後?! 俺が寝落ちしちゃったあの時?! えっ、マチコさんってば案外タフなんだね! えー嘘、俺、全然気づかなかった!」


 あらっ、何?! 二人とも、もうそういう関係なのね?! 関係なのね、っていうか、当たり前か。そりゃそうよね。二人だっていい年した大人なんですもの。


 それにまぁ、相手に内緒で指輪のサイズを測る手段として、まぁまぁベタな方法よね、疲れて眠っている時に、っていうのは。その直前に何をしていたかについては濁させてもらうけど。そういう展開がある新刊をこないだ陽春が出したばかりなのだ。パートナーの陽春はBL漫画家なのである。ペンネームは『原薔薇バルバラヒバリ』。そこそこ売れてる。アナログ原稿だった頃はトーン貼りやベタ塗り、消しゴム作業なんかを手伝ったこともあったっけ。いまはデジタルだからお役御免になっちゃったけど。


 そんなことよりあの二人よ!

 ていうか、こんな居酒屋で逆プロポーズで良いのかしら?

 マチコちゃん、案外男前?!


「マチコさん、俺、すごく嬉しいよ」


 そんなことを言って、白南風君が小箱を手に取る。マチコちゃんはそれを慈母のような目で見つめている。頬がほんのり赤い。


 妙だな、と思った。

 指輪を渡してプロポーズだとしても、言葉が足りなすぎるのだ。別に言葉とセットじゃないと駄目、ということはないけれども、せめて「結婚しよう」とかそれくらいはあっても良くない? まぁマチコちゃんだから「しよう」じゃなくて「してください」の方か。


 感極まっている様子の白南風君は、多分もう完全に指輪だと思っていそうな表情である。えっ、何。あの白南風恭太がなんかもう乙女みたいな顔になってんだけど?! おいおいおい、お前、いつも逆の立場だろ!? マチコちゃんにトゥンクしてる場合じゃねぇぞ?!


「開けて良い?」

 

 そう尋ねて。


「どうぞ」


 マチコちゃんが答える。


 いやもう絶対指輪ではないでしょ、あれ。

 あたしにはわかる。この手の引っ掛けもあるあるなのだ。それらしい小箱を渡し、読者に期待させる。開けてみたら中身は違うものが入っていて、読者と、それからその恋人は落胆するのだ。でも大丈夫、大抵の物語はハッピーエンド。というか、あたしはハッピーエンドしか読まないし、陽春も描かない。


 だからきっと中身は――、


「マチコさん、これ……!」

「し、恭太さん、スーツを着ることも多いですし、こういうのどうかなって思って」


 はい、定番のやつ――!

 カフスボタンでした――――!!


 良いよ良いよマチコちゃん!

 そうだね。男から女へだったらピアスとかイヤリングが『定番引っ掛けアイテム』だけど、白南風君はそういうアクセ着けてないしね?! 大人の男ならカフスだよね! うん、よくあるやつ!


 どうする?! 乙女白南風! ここでトゥンクしただけで終わんのか、お前!


 そう思っていた時、白南風君がその小箱をそっと脇に避け、マチコちゃんの手を取った。それを軽く自身の方に引き寄せる。良いぞ、まだお前の目は死んでない! 乙女に染まりきっていない! ここで男を見せろ! モテ男のソウルを取り戻せ!


「マチコさん、次は俺からで良いよね?」

「何がですか?」


 が、伝わってない!

 たぶんこれは伝わってない!

 ギブアンドテイク! ギブアンドテイクの精神よ、マチコちゃん!


「こんなに素敵なものもらったんだし、次は俺が贈る番で良いよね?」

「そうですねぇ」

「まぁ、俺が贈るものなんて決まりきってるけどね。マチコさん、あとで指のサイズ測らせてね」

「え? どうして指のサイズを?」

「どうしても何も、俺から贈るのが指輪だからだよ」

「えぇっ?!」

「こんなこともあろうかと、常にこういうものを持ち歩いてるんだ」


 こういうもの?

 一体何を持ち歩いてるの?


 居酒屋のドリンクメニューで顔を隠しつつ見守っていると、「何してんの?」と後ろから声をかけられた。陽春である。


「声を落として。はい、ひぃはこっちで顔隠して」

「『今月の当店おすすめメニュー』で?! 顔を?! 何で?!」

「良いから! きっとひぃのためにもなるから!」

「僕のためにも?!」

「ひぃのためっていうか、『原薔薇ヒバリ』先生のためっていうか!」

「ここでその名前出さないで!」


 クエスチョンマークとびっくりマーク(正式にはエクスクラメーションマークだ)を頭上に浮かべている陽春に「とにかく、あの二人を静かに観察するの」とだけ伝える。


 ごそごそと鞄の中から紙の束を取り出した白南風君は、何やら得意気な顔である。


「渡すタイミングはサプライズでも良いけど、やっぱり、デザインとかはさ、好みもあるだろうし」


 その言葉でわかった。

 これ、あれだ。

 色んなアクセサリーブランドのブライダルリングをプリントアウトしたやつだ。えっ、そんなの持ち歩いてんの?!


 うーわっ、マチコちゃん引いてる。

 何か一気に酔いが醒めた顔をしてる。


「ひっ、な、ななな何ですかこれ! 0の数が、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくま、ひゃ……?!」

「やっぱり一生モンだからなぁ」

「った、高すぎます! 高すぎますよ! く、車が買える額です!」

「いやいや、そう考えたら安くない?」

「どういうことですか?!」

「だってさ、車って、十年も二十年も乗り続けられないだろ? でも指輪はこれから先ずーっとつけるわけじゃん? あと百年つけるって考えたらさ、日割り計算したらただみたいなもんでしょ」


 トンデモ理論――――!!

 何言ってんの、このモテ男?!

 いよいよ頭イカれたのかしら!??


「待ってください。さすがに私、百三十二まで生きられる自信ないです!」


 その通り! その通りよマチコちゃん!


「そう? 俺、マチコさんとだったらヨユーで百五十くらいまで生きられそうだけど」


 愛の力で! とのたまいながら、マチコちゃんの手に口をつける。んなわけあるか。愛もそんな万能じゃねぇわ。

 ああわかった、こいつも酔ってんだな。

 何だよ白南風君、君、案外お酒弱いタイプか。


「めぐ、あの二人は一体……」

「あたしがいま一番推してるカップルよ」

「めぐがNLのカップルを推すなんて……!」

「あの二人は例外なの」

「成る程」

「ひぃも学ぶことは多いと思うわ。よく観察するのよ」

「僕はNLは管轄外なんだけどなぁ。でもわかった、参考にさせてもらう」


 正直、何が何やらといった様子の陽春だったけど、二人を観察しているうちにネタが下りて来たのだろう。これだ! とか言いながら、ネタ帳にガリガリと書き込み始めた。


 それが形となったのは数ヶ月後のことだったが、酔うと乙女になる俺様スパダリイケメンとハイパーネガティブ黒髪優等生の純愛もので、どぎついエロ描写に定評のある『原薔薇ヒバリ』先生の新境地か!? と業界がざわついたのはここだけの話である。

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