【KAC2024③】貝瀬学院大学学生食堂の7人のおばちゃん
宇部 松清
第1話
「
居酒屋である。
読者の皆さんこんばんは。あたしの名前は小林
今日はあたしのパートナーと一緒に行きつけのお店で一杯やってるってわけ。長年付き合ってるパートナーの
その声が聞こえて来たのは、彼がトイレに立った時だった。人の波をかき分けて、スイスイとトイレを目指す彼の背中を目で追っている時に、聞き慣れた声が耳をかすめたのだ。
恐る恐るその方を見ると、奥の座席に見知った顔が二つ並んでいる。
あたし、耳が良いのはもちろんなんだけど、視力もそこそこ良いのよね。だってほら、あたしまだ老眼じゃないし?
「……マチコさん、これ」
あらあら? 声が震えてるわよ、色男。
無理もないわよね。ちょっとちょっと、テーブルの上にある小箱って、もしかしてアレなんじゃないの?!
アレよ、アレ。
大きさ的にどう見たってアレよ。
指輪じゃない?
指輪が入ってる箱なんじゃないの?!
ちょっともー何?
マチコちゃんから仕掛けるの?!
「受け取っていただけますか、し、恭太さん」
マチコちゃん、顔真っ赤じゃない。飲んでる? アルコール入ってる?! 酔いに任せてプロポーズってこと?!
「も、もちろん受け取るけど! えっ、何?! マチコさんから?! い、いつの間にサイズを?!」
そうよね。
そうなるわよね。
絶対指輪でしょ?
だとしたらサイズ測定は必須だもの。
あの反応からして、白南風君はサイズを教えてないみたいだし。
「も、もしかして、あの後?! 俺が寝落ちしちゃったあの時?! えっ、マチコさんってば案外タフなんだね! えー嘘、俺、全然気づかなかった!」
あらっ、何?! 二人とも、もうそういう関係なのね?! 関係なのね、っていうか、当たり前か。そりゃそうよね。二人だっていい年した大人なんですもの。
それにまぁ、相手に内緒で指輪のサイズを測る手段として、まぁまぁベタな方法よね、疲れて眠っている時に、っていうのは。その直前に何をしていたかについては濁させてもらうけど。そういう展開がある新刊をこないだ陽春が出したばかりなのだ。パートナーの陽春はBL漫画家なのである。ペンネームは『
そんなことよりあの二人よ!
ていうか、こんな居酒屋で逆プロポーズで良いのかしら?
マチコちゃん、案外男前?!
「マチコさん、俺、すごく嬉しいよ」
そんなことを言って、白南風君が小箱を手に取る。マチコちゃんはそれを慈母のような目で見つめている。頬がほんのり赤い。
妙だな、と思った。
指輪を渡してプロポーズだとしても、言葉が足りなすぎるのだ。別に言葉とセットじゃないと駄目、ということはないけれども、せめて「結婚しよう」とかそれくらいはあっても良くない? まぁマチコちゃんだから「しよう」じゃなくて「してください」の方か。
感極まっている様子の白南風君は、多分もう完全に指輪だと思っていそうな表情である。えっ、何。あの白南風恭太がなんかもう乙女みたいな顔になってんだけど?! おいおいおい、お前、いつも逆の立場だろ!? マチコちゃんにトゥンクしてる場合じゃねぇぞ?!
「開けて良い?」
そう尋ねて。
「どうぞ」
マチコちゃんが答える。
いやもう絶対指輪ではないでしょ、あれ。
あたしにはわかる。この手の引っ掛けもあるあるなのだ。それらしい小箱を渡し、読者に期待させる。開けてみたら中身は違うものが入っていて、読者と、それからその恋人は落胆するのだ。でも大丈夫、大抵の物語はハッピーエンド。というか、あたしはハッピーエンドしか読まないし、陽春も描かない。
だからきっと中身は――、
「マチコさん、これ……!」
「し、恭太さん、スーツを着ることも多いですし、こういうのどうかなって思って」
はい、定番のやつ――!
カフスボタンでした――――!!
良いよ良いよマチコちゃん!
そうだね。男から女へだったらピアスとかイヤリングが『定番引っ掛けアイテム』だけど、白南風君はそういうアクセ着けてないしね?! 大人の男ならカフスだよね! うん、よくあるやつ!
どうする?! 乙女白南風! ここでトゥンクしただけで終わんのか、お前!
そう思っていた時、白南風君がその小箱をそっと脇に避け、マチコちゃんの手を取った。それを軽く自身の方に引き寄せる。良いぞ、まだお前の目は死んでない! 乙女に染まりきっていない! ここで男を見せろ! モテ男の
「マチコさん、次は俺からで良いよね?」
「何がですか?」
が、伝わってない!
たぶんこれは伝わってない!
ギブアンドテイク! ギブアンドテイクの精神よ、マチコちゃん!
「こんなに素敵なものもらったんだし、次は俺が贈る番で良いよね?」
「そうですねぇ」
「まぁ、俺が贈るものなんて決まりきってるけどね。マチコさん、あとで指のサイズ測らせてね」
「え? どうして指のサイズを?」
「どうしても何も、俺から贈るのが指輪だからだよ」
「えぇっ?!」
「こんなこともあろうかと、常にこういうものを持ち歩いてるんだ」
こういうもの?
一体何を持ち歩いてるの?
居酒屋のドリンクメニューで顔を隠しつつ見守っていると、「何してんの?」と後ろから声をかけられた。陽春である。
「声を落として。はい、ひぃはこっちで顔隠して」
「『今月の当店おすすめメニュー』で?! 顔を?! 何で?!」
「良いから! きっとひぃのためにもなるから!」
「僕のためにも?!」
「ひぃのためっていうか、『原薔薇ヒバリ』先生のためっていうか!」
「ここでその名前出さないで!」
クエスチョンマークとびっくりマーク(正式にはエクスクラメーションマークだ)を頭上に浮かべている陽春に「とにかく、あの二人を静かに観察するの」とだけ伝える。
ごそごそと鞄の中から紙の束を取り出した白南風君は、何やら得意気な顔である。
「渡すタイミングはサプライズでも良いけど、やっぱり、デザインとかはさ、好みもあるだろうし」
その言葉でわかった。
これ、あれだ。
色んなアクセサリーブランドのブライダルリングをプリントアウトしたやつだ。えっ、そんなの持ち歩いてんの?!
うーわっ、マチコちゃん引いてる。
何か一気に酔いが醒めた顔をしてる。
「ひっ、な、ななな何ですかこれ! 0の数が、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくま、ひゃ……?!」
「やっぱり一生モンだからなぁ」
「った、高すぎます! 高すぎますよ! く、車が買える額です!」
「いやいや、そう考えたら安くない?」
「どういうことですか?!」
「だってさ、車って、十年も二十年も乗り続けられないだろ? でも指輪はこれから先ずーっとつけるわけじゃん? あと百年つけるって考えたらさ、日割り計算したらただみたいなもんでしょ」
トンデモ理論――――!!
何言ってんの、このモテ男?!
いよいよ頭イカれたのかしら!??
「待ってください。さすがに私、百三十二まで生きられる自信ないです!」
その通り! その通りよマチコちゃん!
「そう? 俺、マチコさんとだったらヨユーで百五十くらいまで生きられそうだけど」
愛の力で! とのたまいながら、マチコちゃんの手に口をつける。んなわけあるか。愛もそんな万能じゃねぇわ。
ああわかった、こいつも酔ってんだな。
何だよ白南風君、君、案外お酒弱いタイプか。
「めぐ、あの二人は一体……」
「あたしがいま一番推してるカップルよ」
「めぐがNLのカップルを推すなんて……!」
「あの二人は例外なの」
「成る程」
「ひぃも学ぶことは多いと思うわ。よく観察するのよ」
「僕はNLは管轄外なんだけどなぁ。でもわかった、参考にさせてもらう」
正直、何が何やらといった様子の陽春だったけど、二人を観察しているうちにネタが下りて来たのだろう。これだ! とか言いながら、ネタ帳にガリガリと書き込み始めた。
それが形となったのは数ヶ月後のことだったが、酔うと乙女になる俺様スパダリイケメンとハイパーネガティブ黒髪優等生の純愛もので、どぎついエロ描写に定評のある『原薔薇ヒバリ』先生の新境地か!? と業界がざわついたのはここだけの話である。
【KAC2024③】貝瀬学院大学学生食堂の7人のおばちゃん 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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