第8話 命のサブスクリプション

 あの日以降、巳散と忍野の関係は明らかに変わった。

 ただの前後席のクラスメイトから、「おはよう、忍野くん!」と笑顔で挨拶する仲になったのだ。


 挨拶をされた忍野は照れ臭そうにメガネを押し上げて「おはようございます……」と返すレベル。一見すると他のクラスメイト達が葵とするようなやり取りと変わらない。けど、あたしにはわかる。


 巳散。絶対忍野のこと好きだよな……?


 なんだよ、「おはよう、忍野くん!」って。あんな屈託なく笑う子だったっけ?

 アレって無自覚? ピンクベージュの髪を揺らして、いつもより少しだけ香水が甘めで。ああ~、相変わらずくそ可愛いな、巳散は。

 つっても、巳散の『好き』は範囲が広すぎるから、どこまでガチで好きなのかはわからない。多分、本人にもわかってないんだろうな……


 あたしはそんな二人の間に割って入るように、空いている巳散の隣席に腰かける。


「おはよ、巳散」


「あ。おはよう、せっちゃん!」


 ……心なしか忍野がにまにましているように見える。ちょっとキモい。


「今日部活は? あたしの家で補習課題しないの?」


「あはは。そういえばそんなこともあったっけ……色々ありすぎて忘れてた」


「兄貴は『課題提出は心が落ち着いてからでいいよ』って言ってた。急ぐ必要はないよ」


 あたしも、巳散が家に来るまでに、色々準備しておきたいからね……


 ――にしても、だ。


「おい、忍野。話がある。放課後、ちょっとツラ貸せや」


「せっちゃん、カツアゲは良くないよ」


「カツアゲじゃないから、安心して。今日は巳散は先に帰ってて」


「そもそも、今日は部活の日だよ」


「じゃあいってら。あ、くれぐれも萌とイチャコラすんなよ?」


「せっちゃんにどうこう言われる筋合いはないです~」


「チッ」


 まったくもってそのとおりだ。あたしたちはただの親友で、恋人同士じゃないんだから。


 今はそれが、どうしようもなくはがゆい。


  ◆


 兄貴から鍵を借りた、ひとけのない放課後の屋上で。

 忍野は眼鏡を押し上げて恐る恐るたずねてくる。


「……カツアゲですか?」


 どこかわくわくしているような、そんな口調が不愉快極まりない。

 どうせコイツも、清泉みたいに『女が力で勝てるわけない』とか腹の底ではあたしのことを嗤っているんだろう。


 その日のあたしは気が立っていた。

 売り言葉に買い言葉じゃあないけれど、夕方の陽光を反射する忍野の眼鏡をぶっきらぼうに取り上げる。


「本当は目ぇ、悪くないんだろ? なのにどうしてこんな分厚い眼鏡なんか。人と距離とる為にかけてるみたいで、あたしは気に食わない。あたしと話すときだけは、眼鏡外しなよ。目ぇ見て話しろ」


「……いつから気づいていたんですか?」


「目ぇ悪い奴が眼鏡なしで喧嘩して、運動神経の良い清泉に勝てるわけないだろ」


 淡々と告げると、忍野は「別に隠していたわけじゃないですが」と、あたしにまっすぐに向き直った。こうしてみると、幼げな容姿の中にどこか芯があるような、不思議な雰囲気を纏った奴だ。巳散が惹かれるのも無理はない。くそ! 厄介だ! 死ね!


「『話』って……眼鏡のことだけですか?」


「んなわけねーだろ」


 あたしは、単刀直入に尋ねた。


「ここ最近、あたしと巳散のことをしきりに目で追っているよな? キモチワルイんだよ。理由を教えろ。それともお前は、巳散の『あのこと』を知っているのか?」


「『あのこと』……?」


 きょとんと首を傾げる様子から、本当に何も知らないようだと伺える。

 ここで答えて藪蛇ってなっても面倒だ。知らないならそれでいい。


「『あのこと』については知らないならいい、忘れろ。ただ、あたし達を目で追う理由は聞かせてもらおうか。事と次第によっちゃあ、兄貴に告発して退学してもらう必要がある。要はセクハラなら訴えるって意味だよ」


「えぇ……女子校じゃあ、男子が女子を見るだけでセクハラ扱いからの退学コンボなんですか? それこそ男性蔑視。男子ぼくらに人権はないんです?」


「ねーよ」


「こわっ。女子校こわ……。でも、そんなこと言ったら葵くんは? クラスの女子にやたらちやほやされてますけど」


「あいつはほら、ウサギ小屋の兎みたいな……じゃなくて。今は葵の話をしてるんじゃない、てめーだ、忍野。お前の話をしているんだよ。端的に言って、お前があたし達を見ている回数と時間は異常だ」


「…………」


 そこまで言うと、忍野は心あたりがあるのか黙りこくってしまう。

 ああもう、埒が明かない!


「あたしは単純に、『用があるなら話しかけろ』って言いたいんだよ! 黙って見られるだけとか気持ち悪い! あと、巳散に気があるなら早々に諦めろって言いたい! 巳散はあたしのもんだからな!!(巳散に聞かれたら、絶対否定されるだろうけど)」


 言い放つと、忍野はなぜか顔面をおさえてその場にうずくまる。

 そして、大声で――


「てぇてぇ!!!!」


 なぜか叫び出した。

 瞳にうっすらと涙さえ浮かべて、ぐす、と情けなく鼻水をすする。

 ったく、巳散がこいつに惹かれる理由がわかんなくなっちまったよ……


「……プなんです……」


「は??」


「推しカプなんです! 僕の中で、桜庭さんと氷室さんは一番の推しカプなんです!!」


「なんだよ、推しカプって……」


「推しカプは推しカプですよ! 推していきたい! 影から見守りたい! その親交が深まっていく様をまるでその場に佇む観葉植物かのように、ときに壁のようにあなた方を眺めていたい! それが推しカプです!!」


 ぐあっ!顔をあげて熱弁する様に圧倒――ドン引きしてしまう。


「視線を向けていることに気づかれていたなんて、せっかくこんな眼鏡までして隠していたのに、氷室さんの勘は鋭い。さすがです。それともこれも、桜庭さんを守ろうとする一心の愛ゆえ……? だとしたら、てぇてぇが過ぎる!!!!」


「う……うっぜ……てかキモ……」


「キモくてすみません! でも僕はこれが生きがいなんです! 百合――あなたたちのように、仲睦まじい女子同士のやり取りを眺めることが人生の救いなんです! 視線がキモイというなら悔い改めます! でもどうか……一日三時間でいいです! あなた達をひっそりと眺める権利を僕にください!」


「三時間――!? 長ぇよ!!」


「お金ならこのとおり、月額三万円くらいお渡ししますから……!」


「ガチでカツアゲみたいじゃんか!? やめろっ……! 金を押し付けるな!」


「受け取ってください! 僕にとっては命のサブスクリプションです!!」


「意味不明だから――っ!!!!」


 そんなやり取り――謎の攻防が十五分くらい続いて。

 あたしは、忍野が敵ではないことを理解した。

 いまだコイツのことをキモイと思っている事実は変わらない。

 ただ、忍野の視線に害意がないことはわかった。


「……だったら、協力して欲しい」


「はい?」


「あんたがあたし達のことを眺めるのを看過する代わりに、手を貸して欲しいんだ。巳散の下駄箱にラブレターを入れている謎のストーカーの正体を、一緒に突き止めて。あの子を守るのに、協力して欲しいんだ」




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男女比1:30の女学院と百合豚 南川 佐久 @saku-higashinimori

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