第7話 百合豚

「清泉……どうしてここに……」


「別にぃ? 単に暇だったから校内を散歩していただけだよ。こう見えて、入学して一か月の新入生なもんでね。そしたら良い感じの空き教室を見つけた。イイコトしてる女子もいた。混ざりたいのは必然だよね? 僕も一緒に遊びたいな」


 くつくつと楽しげに笑う清泉に、せっちゃんは凍て殺すようなガンを飛ばす。


「お呼びじゃねーよ。クズ」


「あーあ。いいのかな? そんなナメきった態度取って。こう見えて、僕は一応だぞ?」


「それがどうし――」


 反論しようとしたせっちゃんの腕を掴んで、清泉は強引に教室の外に引き摺って行く。そうして、暴れるせっちゃんを廊下にポイっと投げ捨てると、「あはは!チョロ~!」と楽しそうに笑って教室の内鍵を閉めた。ご丁寧に髪を纏めるピン止めを噛ませて。


「巳散!!」


 せっちゃんが歯痒そうに教室の扉を叩く。ちなみにこの空き教室は、後方の扉が壊れていて開かない。だから人に見つかりづらくて丁度良くて、私とせっちゃんは利用していたんだ。


 私はブラウスの前を隠しながら、清泉を睨みつけた。


「編入一か月の新入生が、どうしてコツのいる内鍵の閉め方を知ってるわけ?」


「見りゃあわかるよ。僕ってほら、頭いいから♪」


「下衆野郎……どうせ前の学校でも、同じようなことしたことあるんでしょう?」


「ふふふっ。鍵を閉めないキミ達が悪い。言っておくけど、僕は閉めてたよ。女子校ってほんと、良い意味でも悪い意味でも平和ボケしてるよねぇ? いくら凄んだところで、男に力で敵うはずがないでしょう。お友達のせっちゃんには、今度そう言っておいて」


「チッ……」


「さぁ、ピンチだ! どうしよう! あははっ!」


 さも楽しそうに、戯曲の演者よろしく笑みを浮かべる清泉。

 私はなるだけ思考を冷静にし、窓から脱出しようと視線を向ける。


「今頃せっちゃんが職員室に助けを呼びに行ってる。やれるもんなら手ぇ出してみなよ。あんたは明日にでも退学だ」


「おいおい、僕は理事の遠縁だぞ? そんな不祥事揉み消すに決まってんだろ。家名に傷がつく。それに、学園の生き残りをかけてここまで進めた共学化プロジェクトを、今更おじゃんになんて誰もしたくない。だから僕は退学にならない。『犯されました~』とか噂でもなんでも広めてみろよ、学校に来れなくなるのはお前だぞ? 『百花百合』の巳散ちゃん♪」


(くそっ。こいつ、目に迷いがない……! おまけに色々クソすぎる!!!!)


「ねぇ、『百合』って実際どうなの? 女子同士でキスして気持ちいい? 廊下にポイ捨てしたアイツとはもうヤッたの?」


「関係ないでしょ……」


「興味はある」


 少しずつ距離を詰めてくる清泉。この空き教室から職員室まではかなり距離がある。いくらせっちゃんが走ったところで、間に合うかどうかは微妙なところだ。


(校舎二階か……たしか二階位なら落下しても死なないとか聞いたことあるな)


 多分、絶対。メチャクチャ痛いだろうけど。


(あーあ。骨とか何本も折れるんだろうな……)


 私は心の中でため息を吐きつつ、窓際へと足を向けた。

 鍵の壊れた窓をぶち破ろうと、凶器になりそうな椅子を引きずりながら。


「窓割って飛び降りんの? 正気? そんなに僕とスんの嫌? ちょっとショックなんですけど~」


「初めては好きな人がいいって決めてんの。それに、こうすればあんたの余罪には殺人未遂がおまけで付く。ざまぁみろ」


 窓から下を見下ろすと、グラウンドで部活中のクラスメイト達が豆粒みたいに小さく見えた。それが少し霞んで揺れているのは、泣きそうだからかも。


 ――だって。いくら強がったところで、やっぱり怖いんだもん。


「は?? マジで飛び降りるつもりかよ? おい、洒落にならな――やめろって!」


 椅子を振り上げて窓を叩き割ろうとした瞬間――

 その窓が震えんばかりの怒声が響いた。


「『やめろ』ってんのはてめぇだろうが――清泉!!!!」


 ガシャアン!と耳をつんざく破壊音が聞こえ、固く施錠されていたはずの扉が開かれた。どうやら、鈍器のような何かで強引に扉をぶっ壊したらしい。


 衝撃でカシャン、と廊下に落ちるメガネ。

 はぁはぁと息を荒げる肩。汗の滲む額。その手には、いつも背表紙の見えない分厚い本が握られていた。扉を壊すのに使われたと思われるその本はブックカバーが破れて、ポップな字体のタイトルが覗いていた。


 ――『ゆるくない★ゆり』


 ……空いた口が塞がらない。


「『メガネ』……くん?」


 声を絞り出すと、メガネ、もとい忍野くんは呆然とする清泉にずかずか歩み寄る。

 そうして、ひしゃげた本の角で後頭部をぶっ叩いた。一切の手加減もなく、血が出る勢いで。清泉が思わず悲鳴をあげる。


「いってぇ!!!!」


「さっき廊下ですれ違った氷室さんが走りながら泣いていた! 何があったかは知らない――おおよそ予想がつくけど、彼女と、そこにいる桜庭さんの胸の痛みはてめぇの痛みの比じゃないだろ!!」


 息をあらげて一気に喋るので忍野くんは咽て咳込む。だが、彼は𠮟責をやめない。


「百合の間に! 男が入るんじゃねぇよ!!!!」


「「……は?」」


 怒るとこ……そこ?


「推しカプの間に男が現れたときの絶望感! お前にソレがわかるのか!? わかんねぇからこういうことするんだよな!? 百合は女の子同士がイチャイチャするからソレがいいんだ! 僕は間違っても混ざろうなんて思わない! せっかくこの一か月、僕は幸せに浸りながら校内の百合――仲良さそうな女子達を眺めていたっていうのに、お前のせいで台無しだよ!!」


「いや、お前なに言って……」


「百合はなぁ! その触れあいは柔らかなマシュマロのようでいて、気づいたらわたあめみたいに消えてなくなる甘い夢なんだよ! お前みたいな不純物が混ざると……ああああ! 何もかもがダメになる!! よくも僕の夢に水を差してくれたな!!」


 そう言って、忍野くんはもう一発清泉をぶん殴った。

 本の角で一発。グーで脇腹と肝臓に二発。そうして上段回し蹴りを顔面に食らわせ、教室の壁に清泉を吹っ飛ばす。


「『お前、顔と性格的に絶対イジメられるから』って親に無理矢理格闘教室に通わされて、泣きながら毎日通った小学校時代! 僕の唯一の楽しみは仲良さそうに手を繋いで帰る女の子たちを目で追うことだった!

 男だらけで汗臭い道場とは無縁の、甘くて柔らかくて優しい世界! 百合!! 僕はその本に出合って、人生が変わったんだ!

 一度でいいから、女学院の壁に生まれ変わってみたかった! 彼女たちを包む空気になりたかった! その夢がようやく叶ったっていうのに! お前のせいで台無しだよ!!!! 男のくせに、女に手ぇ出すんじゃねぇ!!」


「じゃあ男に手ぇ出せっていうのかよ? はは。意味不明ww」


 うん……もはや意味が分からない。

 殴られた清泉以上に、今の忍野くんは錯乱している。


 ただ、忍野くんはドン引きで半笑いする清泉に「百合は黙って享受しておけ!」とさらに意味の分からない説教をかましていた。


「あ~……忍野、お前ただの地味男だと思ってたのに。とんだ変態だったんだな。あはwウケる――いや。くっそ萎えたわ……もう帰ろう」


 よろよろと起き上がった清泉は脇腹をおさえて教室を去った。


 いまだ呼吸の荒い忍野くんとふたりきりになってしまった私は、頭が真っ白になって言葉が全く出てこない。

 そんな私から視線を逸らし、メガネを拾い上げて、忍野くんはくい、と目頭を押し上げる。そうして少し、気恥ずかしそうに。


「前、見えてます。隠してください」


「えっ!? あ、うわ。ごめん……」


「僕の方こそ、見苦しいところを見せてしまって……怒鳴り散らして、怖かったですよね? ごめんなさい。清泉のこと許せなくて、つい……」


「いやいや。お礼を言うのはこっちの方だって。助けてくれてありがとう……」


「じゃあ、僕はこれで。氷室さんといつまでも仲良しでいてください」


 ふわ、と少しだけ笑って、忍野くんは血の付いた本と共に去ろうとする。

 そこへ丁度せっちゃんと氷室先生が現れて――


「巳散!! って……あれ? 忍野? なんで? 清泉は?」


 疑問符ばかりを浮かべていたせっちゃんはハッとして忍野くんの睨みつけた。


「まさか……共犯か!?」


 私は「違うよ!」と声を張り上げる。


「忍野くんは私を助けてくれたんだ。せっちゃんが泣いているところを見つけて、駆けつけてくれたの。命の恩人だよ、本当……」


 飛びおりようとしていた窓に視線を向ける。

 氷室先生はひとまず忍野くんに詳しい事情を聴取することにしたらしい。

 せっちゃんと私を残して隣の教室へ移動した。


 せっちゃんは、震えがおさまるまで私の肩を抱いてくれた。傍に居てくれた。


(私はやっぱり、せっちゃんが好きだ……)


 でも、隣で黙ったままのせっちゃんはどこか歯痒そうに、「巳散のあんな顔初めて見た……」と呟いた。そうして、「とにかく無事でよかった」と無理矢理に笑みを浮かべる。それは、どこかちくりとする胸の痛みを隠すようだった。


 瀬那は本能的に、その危険性を察知していた。


(忍野、か……思わぬ強敵だなぁ、こりゃ……)






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