謡いて君の幸なれば
小紫-こむらさきー
見習い巫女と不気味な呪詛
「ひ、人の魂を食らう妖怪め! わた、わたしが退治してみせます!」
見習い中の巫女が何故、退治屋の真似事をしているのかというと、これには深い事情がある。
白鱗山の上にあるという戦女神さまにお参りをしようと遠路はるばる来て、ようやく麓の小さな村へ辿り着いた。
宿を取り、寝ようとしているところへおどろおどろしい呪いの言葉か、恨みの言葉が風に乗って聞こえてきたのだ。布団を被って眠ってしまおうとしていると、不安に思った村人がわたしの部屋に訪ねてきた。
未熟とはいえ、わたしも巫女の端くれ。鬼を倒すほどの力はないけれど、ちょっとした
そこにいたのは二つの青く光る人魂を今にも口の放り込もうとしている
目の前にいるのは、わたしと同じ位か、少し大きいだけの半人半妖だ。少し脅せば人魂を開放して、恐ろしい呪いの言葉を放つのをやめてくれるかもしれない。
そう思って錫杖を向けながら凄んでみた。
「はて……わしのことかのう?」
大きく口を開いて、今にも人魂を食べようとしていた
高貴な方を思わせる肩当りで切りそろえられた青みがかった黒髪と、円形に剃られた眉……。細長くて白い首をこちらに向け、切れ長のつり目に嵌まっている金にも見える澄んだ黄色の瞳は、わたしのことをじっと見つめている。
無いも言わないわたしを見てしびれを切らしたのか、首を傾げた
「たま、たましいを食らうのをやめるのなら、みのが……見逃してあげてもいいですよ」
「のう、お嬢さん」
わずかに筋肉のついた細くて長い腕をもちあげたのが見えて、とっさに錫杖を前に突き出しながら咄嗟に印を結んだ。
でも、いくら待っても覚悟していた衝撃も痛みも来なくて、わたしはおそるおそる目を開く。
「勇ましいのか、臆病なのかわからんのう」
目を細めた
「わしは人の魂を喰おうとはしておらんよ」
「え?」
口を開いた
「ほうら、人魂たちも怯えていないじゃろ?」
真っ暗な池の上で、ふわりふわりと浮いている二つの人魂は確かに掴まれているわけでもないのに
池に反射した青い光と、中心から漏れ出てくるような鶸色の光がまわりを照らしている。人魂たちは
「見ての通り、わしは無害でか弱い
「だ、だって……あなた……さっき口を開いて恐ろしい呪詛を唱えていたじゃないですか……」
そう言われて、思い出す。最初にこの
でも、半人半妖の
「そのようなことをした記憶はないんじゃがのう……。あんたの聞き間違いじゃないか?」
「た、確かに聞きました!」
「ふむ……妙な話じゃのう」
「ここいらは
知らないはずがない。そう答えようとする前に
「気になるのなら、わしが聞いてきてやろうか?」
「はえ? 聞いてくるって? あなたが怪しい
予想もしていないことを言われて、思わず考えていたことを口から漏らしてしまう。
「わしみたいな弱い鳥が、おぞましい呪詛を放つ
「で、でも……その……見間違いだったら、怒られたり、しませんか?」
「ひっひっひ、わしは長い寿命だけが取り柄の
喉を鳴らすようにして笑う
「あ、あの……もしよろしければ、加護をいただくためにお口添えをしていただきたいなぁ……なんて」
「んー」
ずうずうしいかもしれない。そう思ったけれどダメ元でそうお願いをしてみることにした。師匠や姉弟子たちがみたら、
何か考えるように唸った
「そうじゃ! ならば歌を教えてくれ。
「ええ?」
「あんたの知ってる
やっぱり、ここに来た時に聞いたおぞましい呪詛は、この
魂や体の一部をもらうみたいな大変なものじゃなく、
「それでいいのなら、わたしが母から教わった子守歌を教えて差し上げます。だから……」
「ひっひっひ。そうと決まれば道を急ごうじゃないか」
「はえ」
てっきり、わたしは
確かに、目の前にいる半人半妖の
「元の姿へと戻るとしよう」
目の前にいた半人半妖の
「ほら、特別じゃ。背中に乗ってくれ」
あっというまに雄牛よりもずっと大きくなったアオサギの
「ああ、それと、籠の中にこやつらを招いてくれんか。不用意に浮いていたら、それこそそこらの
「ああ、はい」
言われるがまま、わたしは藤で編まれた丸籠の扉を開くと、人魂たちはすーっと音も無く飛んできて内側へと吸い込まれるように入って行く。
気が気ではないまま、わたしは巨大な
丸籠を両手で抱きかかえていると、冷たい夜風に当たって手がかじかんでくる。もう春だというのに山頂に近い場所はまだまだ冬の気配が濃厚に漂っている。ただ、ふわふわとした羽毛に触れている部分だけは温かくて不思議な気分だった。怖いことに代わりはないけれど。
「さあ、人間の娘歌っておくれ。山頂についたら山の主をわしがたたき起こしてやるから安心しろ」
わたしが震えて怯えているのは、白鱗山の主に対してだと思っているのだろうか。それも間違いではないのだけれど。
ここで断ってしまって、この
「ねむれやねむれ、母の背で。梅の花こぼれて子もうれしいね。ねむれやねむれ、さあここで。笹の葉ながれる音聞いて。おそらの月が山越えて、峠の底に沈むまで。ねむれやねむれ、可愛い子。すくすく育てよ母の背で」
母が歌ってくれていたのを思い出して、声を出す。背中におぶられて畑仕事を眺めたり、焚き火の前でわらじを編んでいたのを眺めていた日々を思い出す。それに……一面に広がる茶畑がキレイだったなとか、そんなことを思い出していると、また例のおぞましい呪詛の言葉が聞こえてきた。それはやっぱりわたしの予想通り、この鳥の
「声の調子をもっと上下させるんじゃな。それにしても、この姿だとやはり
「……たぶん? わたしは未熟なのでこの子たちの声を聞くことは出来ないですが、怖がっていないことだけはわかります」
声の調子という問題ではないと思うけれど……という言葉を飲み込んで、わたしは抱えていてる丸籠の中を見る。人魂たちはふわふわと浮くばかりで何を思っているのかはわからないけれど、それでも見ていると温かい気持ちになるのだから、怖がっていないことは確かにわかる。
それに……最初はおぞましい呪詛だと思っていたけれど、知っている
「ほれ、見て見ろ。絶景じゃろう? 上から見下ろす白鱗山が一番美しい」
「さて、ではお主の願いも叶えてやらんとな」
大きく羽ばたきながら、庭に降り立った
長い首を伸ばし、月を見るように立派な嘴を空へ向けると
「ガァギャア! ガァギャア!」
あわてて丸籠を足下に置いて、耳を塞ぐけれどそれでもけたたましいほどの鳴き声が庭に響き渡った。
ドタドタと物音がして、勢い良く閉められていた雨戸が開かれる。
雨戸から顔を出したのは二本の黒い角を持つ大きな白蛇と、左のこめかみから黒い牛のような角を生やした小柄な女だった。
「何事かと思ったら……」
険しい表情をしていた御殿の主たちは
白蛇の姿が青い光に包まれたかと思うと、左右のこめかみに生えた一対の黒い角を残したまま長い銀髪を簪でまとめた男性の姿へと変わる。
「あのう……わたしは見習いの巫女です。白鱗山の戦女神様に……その、加護をいただきたくて……」
「あら……人間なのねあなた。そう……ええと、どうしましょう、
「
二柱が顔を見合わせていると、わたしの後ろにいた巨大な鳥の
ちがうのは、半人半妖の姿ではなく完全な人の姿ということくらい。……人に化けられる
「なあに、この娘に
「ああ、その
銀髪の方……山の主様が呆れた様な声色でそういったので、わたしは少しだけ安心する。やっぱりあのおぞましい声の主はこの
「なら心配はいらないようじゃのう! ひっひっひ、よかったよかった」
アオサギの羽根に似た色の羽織り物を着て、腕に丸籠を持っている
もしかして、半妖みたいな姿だったのは、人魂たちに歌を聞かせるためだったのかな。
そんなことを考えていると、戦女神がこちらへ静かに近付いて来てくれる。もっと苛烈な方だと思っていたけれど、まるで人間の娘みたいな見た目だし、物腰も柔らかで戦う姿なんて想像が出来ない。
「
そう微笑みながら言った彼女の言葉にわたしが思わず頷くと、二柱は顔を見合わせてプっと噴きだした。鳥の
「せっかくですし、体が丈夫になる加護を与えましょう。こちらを」
戦女神はそういうと、胸元に手を入れて何を軽く引っ張って、一枚の薄い皿のようなものを手渡してくれた。てのひらくらいの大きさの黒いそれは、よく見ると皿と言うよりも巨大な鱗のように見えた。透き通っていて月に翳すと薄ら輝いているように見える鱗をひっくりかえしたり、傾けて見ているわたしに戦女神が「お守りよ」と教えてくれた。
「不老不死というわけにはいかないのだけれど……それがあれば擦り傷や切り傷くらいならすぐに直るでしょう」
「あ、ありがとうございます」
「そうじゃ! この娘から教わった
「おい
下げた頭を持ち上げたと同時に、鳥の
「なんじゃ?」
「それよりも先に、その娘を村へ送ってやれ。こんな夜更けだ。おぞましい呪詛を放つ
首を傾げて、少し拗ねたように唇を尖らせた
「村の人たちも、この娘さんが
「そうか。確かにそれはいけないのう」
腕組みをして少しだけ考え込むようにした
「ほれ、これを持って念じれば池に戻れるはずじゃ」
そう言いながら差し出せた青い光を帯びた大きな風切り羽根を両手で持った瞬間、羽根は雷を帯びたみたいに眩い光を放つ。
慌てて目を閉じて、もう一度目を開くと目の前には静かな池が広がっていた。
夢でも見ていたみたい。
襟元を探ると、硬いものに手が当たる。端っこを掴んで引っ張り出すと、ちゃんと黒くて薄いキレイな鱗が一枚しまわれていた。
「巫女様!」
あたりを見回していると、少し遠くから松明の赤い火が見える。
駆け寄っていくと、わたしを探していたらしい宿の主人が安堵の表情を浮かべて近付いて来た。
どうやら長く戻らないわたしを心配してくれていたみたいだった。
「ああ、すみません。もう、大丈夫です」
呪詛ではなく、ただの
大丈夫とだけ言ったところで、どう言い訳をしようか考えていると、どうっと強い風が吹いてきて、遠くから聞き覚えのある調子が外れた
あの丸籠を手に持ちながら、楽しそうに歌う
あの
戦女神の加護を貰って、師匠の元へ帰ったわたしが海の
――完――
謡いて君の幸なれば 小紫-こむらさきー @violetsnake206
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