バレンタインのトリュフチョコレート

西しまこ

あの人のために

 トリュフを作る。あの人にあげるために。


 あたしとあの人は仕事仲間だ。でも、あたしがあの人とつきあっていることは、誰も知らない。だって、あの人には奥さんがいるから。

「妻とはもう終わっているんだ」

 あの人はずっとそう言っていた。

「妻はもう僕に興味はないんだよ。会話は全然ないし、もちろんセックスもない」

 だいじょうぶ、あたしが癒してあげるって思っていた、ずっと。


 でも、ある日会社に行ったら、みんながあの人に「おめでとう!」って言っているの。え? 何? どうしたの? 「赤ちゃんが出来たんだって、田渕さん!」

 赤ちゃん⁉ どういうこと? 妻とはセックスしていないって言ったじゃない。

「ほら、見て見て。仲良しでしょう、二人」

 あの人ときれいな女の人が、まるで夫婦みたいに映っている写真を見せられた。……これはいつの写真?「この間、田渕さん夫婦と出かけたの。共通の友だちがいて、あ、偶然なんだけどね、で、その友だちへの結婚のお祝いをいっしょに買おうってことになって」

 あたしは、あの人を中心に、結婚のことや赤ちゃんのことをみんなが楽しそうに話すのを、笑顔で見ていた。どうして? どうして? どうして?


「あれは妻が無理やりしたことなんだ。お酒が入った夜に」

 そんなことあるの? それに、結婚のお祝い買いに行ったのは?

「妻の学生時代の友人だったんだよ」

 どうしてあなたもいっしょに行ったの?

「仕方のないことなんだ」

 あの人はそれ以上話をしなかった。いいじゃないか、そんな話は、と言った。


 もうすぐバレンタインね。「ああ」

 いっしょにいられる? 「その日は都合が悪いんだ」

 そう。……でも、チョコは貰ってくれる? 「ああ、もちろんだよ」


 トリュフを作ろうと思った。

 甘い甘いトリュフ。完全な球体ではない、ちょっと歪な形のまるいチョコレート。

 ミルクチョコレートと生クリームとココアパウダーだけで作る、トリュフ。

 温めて溶かして、冷やして丸めてココアパウダーをまぶすだけ。


 ああでも、今回のトリュフには特別なスパイスを入れましょう。

 あの人のために。

 ……もしかして、あの人の妻が食べるかもしれない。

 職場で話しているのを聞いた。チョコをもらっても、家に持って帰ると奥さんや子どもが食べちゃうって。職場の義理チョコなんて、そんなもんだよねって。

 だから、あたしはトリュフを作る。特別製の、トリュフ。

 狭い台所で夜中に作る。

 夜があまりに深くてお菓子を作る音しか聞こえない。

 ぐるぐると溶かしたミルクチョコレートと生クリームを混ぜる。マーブル模様だったものが次第によく混ざり、均一の色となっていく。

 

 そこに入れるの。特別なスパイス。

 食べるのは、あの人か、或いはあの人の妻。


 バレンタインデーにトリュフを作るの。




   了

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バレンタインのトリュフチョコレート 西しまこ @nishi-shima

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