第9話 ずる休み

鬼寅の一件があった翌日。

 朝日はとっくに昇って、窓の外では小鳥がさえずりを響かせている。

 普通の学生であればとうに起き出し、登校しているだろう時間帯。だというのに、俺はと言えば……。

 温い暖かさで俺を優しく包んで離さない揺り籠――布団から未だに、抜け出せずにいた。

「……昨日、あんなに頑張ったんだし、今日くらいはサボっても許されるか」

 そう。俺は昨日、勇気を前借しながらも、友の為に立ち上がったのだ。

 少ない材料で拙い作戦を立てて、彩空という心強い助っ人に力を借りて、不良共から友達の大切な物を取り戻すという作戦を、たった二人で成功させた。

 まあでも結局、黒幕の鬼寅はカオルを確かめたかっただけだから、あの後スマホは返してくれただろうし、カオルも鬼寅に会いに来た節があったから、俺がしたことは骨折り損と言えなくもないんだけど。

「……それでも――」

 結果的に見れば無駄だったのかもしれない、けれども。

 その過程で彩空の事をわずかだが理解出来た気もするし、カオルの過去も知ることができた。何より三人で共に歩いた夜の帰り道、くだらない事で笑いあったあの時間は――

「――悪くなかったな」

 昨日の出来事を思い出して、自然と口の端がつり上がる。

 あの時は、学校に行って良かったと心から思えた。

 明日からも登校し続けようと思ったりもした。

 しかし、日を跨げばその感情も熱も冷めてしまうもので……。

 昨日で気力を使い果たした俺は、今日もまた学校をサボる事にした。

 違う。これはサボリではない。今後の為に休息をするだけだ。英気を養いゲームをして自尊心を高める。うん、明日から頑張ろう。

 俺は自分にそう言い訳をして、再び眠りに着こうと瞼を沈める。


 ブゥーーー。ブゥーーー。


 枕元で充電していたスマホが振動する。

「……こんな時間に着信? 叔父さんが忘れ物でもしたのか?」

 俺は渋々と言った感じにスマホを手に取ってその画面を確認すると。

 そこには、『橙山 カオル』と電話相手が表示されていた。

 幾つもコールが過ぎているにも関わらず、未だに鳴り続けている着信に俺は急いで応答する。

『すまんカオルッ!』

 俺は慌てて謝罪の言葉を告げると、焦る俺に反して耳にあてたスマホからは、ひどく眠たそうに欠伸をする音が聞こえて来た。

『ふわぁ~~~。おっ、ようやく起きたか。おはようソウマ』

『あ、ああ……おはよう』

 大きな欠伸を零すマイペースな友人の声で、俺の中に在った焦りはいつの間にか霧散していた。

『……こんな時間にどうしたんだ?』

 昨日の今日でまた何かトラブルにでも巻き込まれたのだろうか? それにしては焦る様子も感じれないし、急を要する内容ではない気もするが……。

『用って用はねぇんだが~、まあアレだ。ソウマと一緒に登校しようと思ってよ』

 はははっ。と軽い笑い声がスマホから聞こえてくる。

『どうせ今日は休むつもりだったんだろ? 入学式の翌日も休んでたし、一回行ったら休むタイプだろソウマ。だから迎えに行こうと思ってな!』

 カオルの真っ直ぐな言葉には、彼らしい世話焼きで友達想いな感情が、目一杯に詰め込まれていた。

 そんな普段の俺ならば容易くうなずいてしまうであろう、情に溢れるカオルの誘い文句であったが。今日の俺はすでにサボる事を決定づけてしまった後、それを今更変えようとするには少しばかり足りない。

 引き籠りという種族は、外出するのにとてつもない労力を要する。

 そしてそれを回復するには、それ相応の時間を使うのだ。たった一日程度で足りる訳が無い。

『あー、悪いなカオル。ゲホッゲホッ 実はちょっと風邪を引いちゃってな、だから今日は休むことにしたんだ。すまないな……ゲホッ』

 カオルに嘘をつくのは心が痛むが、ここはお引き取り願おう。

 なに、また一週間も経てば気力が回復する。その時に謝れば、カオルなら許してくれるはずだ……。

『なるほど、風邪。風邪ねぇ……』

 カオルが訝しむように俺の言い訳を反芻し始める。

 まさか、気付いたというのか……? いや、そんなはずがない。俺はこの方法で何度も叔父さんを欺いてきたんだ。それをまだ付き合いの浅いカオルに看破されるわけが――

『ソウマよぉ。おれにその手の誤魔化しは効かねぇぜ~? アイツにも何度も騙されてきてるからな。それよりもうすぐお前家に着くから、さっさと支度しておけよ!』

 それを最後に着信は切れてしまった。

『…………何て、ことだ』

 万物を許し俺に救いの手を差し伸べてくれた、神の如き後光を放つカオルが、今日に限っては俺を地獄に落としめんとする閻魔様に見える。

 それにしても困った。俺の心はどうしても学校に行きたくないと言っている。

 それには、昨日頑張った事で気力を使い果たしたという理由もあるが、それともう一つ、今日のお昼からオンラインゲームの新イベントが開催されるのだ。

 ゲーマーならば誰よりも先に、未知の場所へと足を踏み込み新たなアイテムや報酬を手にしたいと思うのは当然であった。故に、俺は今日、絶対にやすm――


 ピンポーン。呼び鈴が鳴り響いた。


 ピンポーン。ピンポーン。再び呼び鈴が鳴る。


 ピンポンピンポンピンポン。今度の呼び鈴は間髪を容れず、連続で鳴り響き。


 ブゥーーー。ブゥーーー。今度は俺の手の中でスマホが震え始めた。


 俺は恐る恐るスマホの画面を覗くと、そこには『橙山 カオル』の文字が表示されており、震える指で着信に応答する。

「家の前に着いたぜ。学校に行く準備は出来たか~?」

 スマホからは相変わらず明るいカオルの声が聞こえてくるが、それは何処か得体の知れぬ迫力を感じる。

『い、いや……ええと。それがまだ…………』

 先程のカオルとの通話を終えてから数十秒程度しか経過していなかった。それなのに、もう家の前に居るとかどうなっているんだ。それにどうやって家の住所を突き止めたんだ……? いや、それよりも今は如何にしてカオルに諦めてもらうかを考えるんだ!

 俺がカオルの撃退について考えを巡らせようとした次の瞬間。

 電話先から、ガチャリ。と何かが開く音がする。

『お~、開いた開いた。んじゃ、お邪魔するぜ! うへぇ~、ウチの何倍あんだよ!? 良いなぁ~羨ましいもんだぜ。まあそれはおいて置いて、ソウマの部屋は何処だ?』

 そんな興奮気味なカオルの声がスマホのスピーカーと、マイルームの扉の先から聞こえて来た。

『は、はは……幻聴だよなカオル? 今聞こえて来たのは幻聴のはずだよな……?』

『ん? 幻聴じゃねぇぜ? 今おれはお前ん家にお邪魔してる、今ソウマの声が聞こえた二階の部屋を目指してる最中だ』

 タンタンタンと、獲物を追い詰めたように緩やかな足取りで階段を上る音。

 そして次の瞬間には、俺の部屋に軽快なノックの音が響き渡る。

「到着っと。んじゃ、学校に行くぞソウマ!」

 そんなカオルの掛け声と共に部屋の扉が開け放たれた。

「って、まだ布団に包まったままじゃねぇか。ほら、さっさと着替えて学校に行く支度しようぜ!」

 俺の登校する気のない姿を確認したカオルは、どんどんとこちらへ歩み寄って来て、包まっていた布団を剥いでしまった。

「……きょ、今日はダメなんだカオルッ! 今日だけは、今日だけは休ませてくれ! 頼むッ!」

 俺は日本から古来より伝わっている伝統的方法、DOGEZAを駆使して何とかカオルを説得しようと試みる事にする。

 俺の懇願を真に受けたカオルは一瞬考え込んでくれた。

「どうしてそこまで行きたくないんだよ? 昨日はアレだけ楽しそうにしてたじゃねか。それとも他に何か理由があるなら教えてくれ、悩みならおれが助けになるからよっ」

「うっ……」

 カオルの底なしな優しさが今日はつらく、重く圧し掛かる。

 しかし、それを振り払ってでも。俺は今日、学校には行きたくないッ! 昨日めっっっちゃ頑張ったし! ゲームをやりたいんだ!

「いや、その……ゲーm、じゃない。昨日頑張ったからさ、今日は気力を回復したいなーって…………」

 欲望が先行して若干本音が零れかけたが、誤魔化せていると信じたい。

 これで説得的できなければ、カオルの純粋な優しさによって、学校に強制連行されるのは目に見えている。

 俺はカオルの事を嫌っているわけではないし、むしろ代え難い大切な友達ではある。あるのだが、それを差し引いてもゲームの新イベントと言うのはそそられるものだし、何より昨日頑張りすぎて心も体も動きたがらない。

 そんな俺の葛藤なんてつゆ知らず、カオルは何やら考え事をして懐からスマホを取り出すと、何やら指を動かし始めた。

 それから数十秒程経過した処で、カオルが何やらにやけ顔をこちらに向けてくる。

「よぅしっ。――ソウマ、気力が回復すれば行くんだな?」

「……あ、あぁ、回復すれば行っても……良いかな」

 だがそんな事は在り得ない。俺は数日掛けてゲームを満喫してようやく、学校に一日行けるレベルまで回復する程度の回復量だ。

 むしろそんな一瞬で回復する奇跡や魔法みたいな方法があれば教えて欲しいくらいだった。

「ふっふっふ。言ったなソウマっ! 取り消しは認めねぇからなっ!」

「……お、おおう?」

 俺は謎に勢いのあるカオルの言葉につい乗ってしまう。

 そして、了解の意を確認したカオルは、手に握ったスマホの画面を俺へと見せつけてくる。

 そこには――――クールで不敵な俺の知ってる姿ではなく、まぶたを擦り完全には眠気を覚まし切れていない、無防備な彩空の画像が表示されていた。

「こ、これはッ……!?」

「へへっ。まったくソウマは分かり易くて助かるぜ。これはな! いまツクヨちゃんに頼んで送ってもらった、今朝の彩空さんの画像だぜっ!」

「な、んだと……!? …………なぁカオル。俺達、友達だよな? だからさ……」

 俺はベッドから勢いよく飛び起きて、カオルの肩をこれでもかと力を込めて掴むと、彼は狙い通りと言わんばかりに悪戯な笑みを浮かべる。

「ああ、わかるぜ。ソウマの気持ちはよーくわかるとも。勿論良いぜ、ソウマにこの画像を渡してもよ」

「……本当か!?」

「ああ。それよりも大分元気になったみたいだなソウマ? 気力が回復した様でおれは嬉しいぜっ!」

「……しまったッ!」

 俺の欲求に正直な脳は魅力的な彩空の画像に釣られてか、サボりたいという怠惰よりも彩空の画像を優先しまったらしい。自分のことながら願望に素直過ぎて、最早呆れてくる。

「まあ良いじゃねぇか、ソウマは彩空さんの画像を手に入れられるし、学校に行けば本人にも会えるんだぜ。それにおれは友達と愉快な学園生活を送れる。お互いに良い事ばかりなんだしよっ」

 カオルは「ははっ」と軽い笑いをあげて俺の背を叩くと、扉の方へと足を運んで。

「んじゃ、俺は外で待ってるからよ! 早く支度を済ませるんだぜ!」

 そう言い残して出て行ってしまった。

 一人残された俺は、手元のスマホを覗き見ると、そこには先程カオルが見せてくれた彩空の画像が送られてきていた。

 さらさらの黒髪、半分に閉じられた瞼の下に隠れた緋色の瞳、眼を擦る指は細く白い。

 真っ黒なセーラー服に身を包んで自由気ままに歩みを進めては、あの鮮烈な赤色のマフラーを今日も風に揺らすのだろう。

「…………もう少しだけ、頑張ってみるか」

 俺は彼女の姿を脳裏に焼き付けると、意を決してベッドから立ち上がり、いそいそと学校に行く準備を始めることにした――。

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君彩モラトリアム 黒咲 エイター @Ater626

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