(5)ほうき星と流れ星は違うもの
「パラグラフ、営業再開するよ」
そのメッセージは、今日のちょうど昼休みあたりに届いていた。茅襟さんらしいシンプルな一行が脳内で再生された。
茅襟さんは元々よく色んな所に旅行に行く性分らしい。そして今回も一ヶ月前からの纏まった期間の内、全部で17カ国を巡ったらしい。成田空港に戻ってきたのは今日の午前9時ごろだったとか。休み無しで大丈夫なのかと思いつつも、正直嬉しくもある。
とにかく僕は浮かれていた。話したい事が山ほどあるけど、それらの何一つ話せなくても構わない。そんな気分だ。
静杜学園は校門を出ると二つの分かれ道がある。一つは一緒に帰る友達がいる人用、駅まですぐ近くの短い左の道。もう一つは一駅分余計に歩くものの、人とすれ違う事は少ない帰宅部用の長い右の道。
僕は左の道を選んだ。短くて狭く、逸る足を懸命に抑えて駅まで。電車を待っている間、自動販売機が視界に映ったものの、何も買わなかった。
喫茶「パラグラフ」は、静杜学園からおよそ4駅分の距離にある。
財布には今も、あの日に貰った地図兼名刺が入っている。名刺サイズに書いたせいで地図はやたら小さく、改めて訪れた時は駅からの行き方が省略されていて、苦労したものだった。
でも今はもう覚えている。
十字路の左側に公園が見えてきたら、敷地内にドデカい木々が乱立しているその裏にねずみ色の建物が隠れているのが分かる。
信号を渡って公園の外周についたら沿うように右折、季節は4月だが公園の木々は何一つ桜ではないらしく、代わり映えのしない常緑だ。
一本道に差し掛かったら、横に長いこぢんまりとしたカフェが見えてきた。
店内を覗くと、打ちっ放しコンクリートの内壁とガラス張りの冷たい印象から、黒い木材の家具などでアクセントを加えた目に優しい雰囲気。扉には柔らかな黄色で「Paraglagh《パラグラフ》」と店名が印字されていた。文章の段落を意味する英単語を、一段落と掛けている。
入り口の前には小さな立て看板。「ご予約の方のみ営業」の文字があった。
嬉しくなって扉を開けたはいいものの、店内は明かりが点いているだけでとても静かだった。
カウンターテーブルに座席は無く、あくまで提供するための仕切りだけ。席は全部で7つある。ファミリー用に大きめのテーブルと四人席、カップル用に小さな丸机と向かい合う二人席、そして空いたスペースにねじ込んだ壁掛けテーブルと対面する立ち飲み用の一人席だ。
店主の茅襟さんの姿が見えない。やはり午前9時に日本に戻っていきなり営業は無理だったんじゃなかろうか。
「茅襟さん?お邪魔しまーす……」
やっぱり返事が無いので、僕は一度扉まで引き返し、もう一回開け閉めする。従業員では無いのだからバックヤードに入るのは躊躇われた。わざわざアンティークなドアベルを設置したみたいだけど、グラスの中の氷のような軽やかな音はオンボロの換気扇の音にかき消える。
静かな店内を僕は何となく見回す。
茅襟さん曰く、この店は元々コインランドリーの店舗だったらしい。その名残か、洗濯機を置いていたであろうスペースの数々は本棚にジュークボックスにと遊び心で埋められている。
なんでコインランドリーの店を改装するやり方を取ったのかと聞いた事がある。
「子供の頃って何もかも大きいでしょ?洗濯機が並んでるだけなのに無性にワクワクしたんだ」
茅襟さんにとっての童心の象徴が、コインランドリーなんだとか。
そんな話を踏まえると、確かに立ち飲み用の席の正体とは洗濯篭を置くための壁掛けテーブルに見えてくる。
コンクリートの打ちっ放しの壁に見られる丸い窪みにも、色んな国の硬貨を押し当て、セロテープで止めている。確かにあの窪みは子供の頃、意味もなくなぞったりしていたけれど。
そんな鼠色の内壁と比べ、カウンターテーブルやその奥のディスプレイ用のラックはこんがりとした焦げ茶色。作り物のツタ植物が巻き付く先を見上げれば、オンボロの扇風機が首を振って風を送っていた。それだけに注目するといやに錆びていて捨てたくなるような代物だが、天井近くに設置されている事で見えづらく、汚くなり過ぎず調和しているようにすら思えてくる。
ラックに置かれている小物も、達磨にトーテムポールにアラビアンライトとごちゃ混ぜ。とにかく片っ端から好きな物を置くような収納だった。
あまりに反応が無いものだから、僕は衝動的にレジに目が行ってしまった。あの中に金が入ってるんだよなと思うとつい禁忌の思考実験が頭を過ぎり、急いでソレを振り払う。
(それにしても、本当に大丈夫かな)
従業員では無いからカウンターの奥を覗くのも躊躇われるし、結局校則でバイトにはなれなかったのでツケ払い的な前倒しも不可。
僕は本当、こういうちょっとした空白の時間にありったけの嫌なトラブルが頭に浮かぶ。何処かで事故ったんじゃないかとか、財布取られて動けないんじゃないかとか。
いてもたってもいられず、スマホの連絡先から茅襟さんの番号へ掛ける。床屋に予約いれるのにだって緊張するけど、もう頭の中では焦りの方が勝っていた。
着信音は、すぐ近くで鳴った。
リズミカルでノリの良いテンポとサイケなサウンド、ちょっと古臭い「マッドチェスター」ジャンルの何かしらの名曲なのだろう。
僕は辺りを見回すが、茅襟さんの姿も、スマホも、全く見あたらない。
「茅襟さん?」
着信音がサビのところに差し掛かる。
「茅襟さん、いるんですか?」
こっちのコール音も鳴りっぱなしで、いよいよ留守電になってしまう。
「もしもし、茅襟さん?今どこに……」
そう、備海が喋り始めた時だった。
スマホはさっきまで振動していた為に、いよいよその場所からこぼれ落ちて。
ゴッ、と鈍い音を立てた。
「痛っ!?」
突然頭上に降ってきた痛みに備海は反射的に上を向いた。
すぐ近くで鳴った着信音の在処を探そうと、彼はずっと辺りをクルクルと回ってばかりいた。
右も左も後ろも全て見たが……。
上はまだ、見ていなかった。
「うわあああああああっ!?」
備海は我を忘れて腰を抜かした。
唯一見落としていた店の天井に、時代劇の忍者のごとく、人が張り付いている。シーリングライトのカバーをコの字に抱き込んだり、寝返りを打ったりしている。宙を浮いたままで。
「な、何してるんですか!マジで!」
「……んぐ」
茅襟さんが持っている力は、浮遊の重心。自分も他人も色んな物も、浮かばせる事が出来る。
まさか眠っている最中にも勝手に浮かび上がるとは……。
よほど疲れているのか、散々叫んだり近くでスマホが鳴ったにも関わらず気怠そうにしている。服装を見ると上は白のワイシャツで、そこの胸ポケットからスマホが落ちてきたようだった。
「ああ……備海君?」
なんとなく、二日酔いっぽい声音だと思っていたら眠そうにコクコクと船を漕いでしまう。
出来れば自力で起きて欲しい所だ。もしまた寝てしまったらどうすれば良いのだろう。なにせ天井にいるから手が届きようが無い。モップの柄でツンツンしてもいいのだろうか。
「あの、なんか出来ることありますか?」
「いやあ……なんかドッと疲れちゃってさ」
微睡んでいる人特有の噛み合わない会話が始まったと思えば、なんか頭の方から重力に負けて地上に降り始めている。貼っていたポスターの先から剥がれていくみたいに、ベリベリと。
「ちょっと⁉」
僕は茅襟さんのいる方に向かってスライディングをした。浮遊の重心が切れたのか、いきなり加速度的に勢いを増して僕の腹に向かって落ちてくる。
「ゲホッ⁉」
よりによって人体最硬の頭から。ボディーブローのようにジワジワ、なんてレベルじゃない。内蔵が破裂したんじゃないかって痛みが襲ってくる。結局その後も寝ぼけ気味な茅襟さんを起こし、どいてもらうまでに10分はかかった。
「ちょっと遅くなかった?」
なんて言いながら、茅襟さんはカウンターではなく僕の向かいの席に座っている。たった一人の従業員がいなくなってしまえば、もうここは店ではなくただの溜まり場なのだが……。
「部活を見てたんです。暇つぶしにですけど」
「おお⁉」茅襟さんは立ち上がった。テレビ番組だったら「シャキーン!」なんて効果音が鳴っていただろう。今までの気怠さは何処へやら途端に元気を取り戻した。
「凄いじゃない!」
「ザッと見てただけですよ?結局心動かされずに帰宅部を決意しましたし」
「出会った頃と比べたら、大変な進歩だよ」
そう言われて喜ぶのも情けない話だが、茅襟さんからすれば僕は自殺未遂の少年だ。それはそれは結構な進歩だろう。
「そっか……良かったね」
そう言って優しく微笑んでくれる茅襟さんの表情に、ドキリとする。
母親でもなく、僕は一人っ子だから姉でも妹でもなく、先生でも同級生でもない。
ただ一人の大人の女性の、安心したようなその顔が印象に残る。心配をかけていた事が申し訳なかった。
「まだ、確約は出来ませんけど」
「しなくていいよ」
何が、どう、って事は言わなくても伝わってくれる事が。僕の欲しい言葉をくれる事が嬉しかった。
僕らの重心は傾いている 式根風座 @Fuuza_Readsy
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