化け狐とタイムマシン

半ノ木ゆか

*化け狐とタイムマシン*

「本当に化け狸なんているのかな」

 いわし雲を眺めながら、二人の男子高校生が頬杖をついている。

 週末の高尾山は多くの人で賑わっていた。木々は色付き、紅葉は見頃を迎えている。だが、この二人は紅葉もみじ狩りに来たのではない。化け狸を探しに来たのだ。

 きっかけは今から一週間前のこと。SNSに上げられた一本の動画だった。

「狸ってほんとに化けるんだな」というコメントとともに投稿されたのは、高尾山で撮影されたとされる、二十秒ほどの短い映像だ。そこには、森の中を歩いていた一匹のタヌキが、みるみるうちに巨大化し、長い牙を生やした謎の生き物に変る様子がはっきりと収められていた。

 この動画はネット上でまたたく間に話題となり、テレビのニュースでも取り上げられるほどになった。

 二人は今朝早起きして、紅葉になんて目もくれずにこの山を歩き回っている。観光客の人混みには、彼らと同じ目当のネット民も、いくらか混じっているかもしれない。だが、二人が見かけたどのタヌキも、化ける気配なんてさらさら見せなかった。

「やっぱりあれ、CGだったんじゃない?」

「そうかもな」

 もう、探すのは諦めよう。そう思って、二人がピクニックテーブルを離れかけた時だ。

「あの、すみません……」

 背後の茂みから、女の子の声がした。

 振り返った二人は、きょとんとした。声の主はなんと、美しい毛並をした一匹のキツネだったのだ。

「ば、化け狐だ」

 彼らは目を丸くした。

 しゃべるキツネなんて、とても信じられない。それに、噂になっていたのはタヌキのはずだ。二人は顔を見合せた。

「びっくりさせてしまって、すみません」

 状況を飲み込めないうちに、キツネが言った。

「実は私は、銀色の手鏡を探しているんです」

「鏡?」

「はい。これくらいの大きさの」

 キツネは前足で、空中に四角を描いてみせた。

「それがないとお家へ帰れないんです。どうか、一緒に探してくださいませんか」

 眉尻を下げて、キツネは今にも泣きそうな顔だ。どうやら幻ではないらしい。

 今日は日曜日。時間はたっぷりある。二人はキツネに付き合ってやることにした。

 二人は山頂を後にした。人目につかないよう、キツネはリュックに入っている。小さく縮こまっていて、なんだか可愛い。

「その手鏡って、いつどこで落としたの?」

 訊ねると、キツネは隙間から黒い鼻を覗かせて答えた。

「一週間前に、この山で」

 もう一人が、考え込むように青空を見上げる。

「あの動画が上げられたのも、確か一週間前だったよな」

 二人はさっき、頂上のビジターセンターを訪れた。だが、手鏡の落し物はなかった。近くの交番にも、それらしき物は届いていないそうだ。

 誰にも拾われていないとすれば、探し物は人通りの少いところに落ちているのかもしれない。この路は人気のコースから外れていて、人影はほとんどない。キツネはリュックを出て、二人を導くように歩きはじめた。

「もしあるとすれば、この辺りのはずなんですけど……」

 二人と一匹で、草むらに分け入った時だ。

 森の奥が、がさがさと音を立てはじめた。だんだんと近づいてくる。彼らは茂みに身を寄せ合い、息を殺した。

 真っ昼間の山中に、黒い影がうごめいている。明るみに顔を覗かせたのは、人間よりも背の高い生き物だった。小さな頭と細長い頸はダチョウのようだ。体は青い羽毛でおおわれている。二本の足で落葉の絨毯を踏みしめ、太い尻尾をくねらせた。

「恐竜だ」

 一人が目を見開いた。

「サンチュウリュウです!」

 キツネが興奮気味に言った。

 一人がはたと何かに気付いた。地面にキラリと光るものが落ちている。彼はキツネの肩をぽんと叩き、指差した。

「探してる鏡って、あれのことじゃないの?」

 サンチュウリュウの足が手鏡に触れる。その途端、骨組が変り、もっと大きな獣に化けていった。

 アジアゾウくらいの巨体に膨らみ、周りの木々が今にも押し倒されそうになる。長い鼻や厚い肌は、ゾウそのものだった。だが、上顎と下顎に一対づつ、計四本も牙が生えている。

「アネクテンスゾウです」

 キツネが振り返った。

「私が鏡を取ってくるので、お二人はここで待っていてください」

 キツネが忍び足で、ゾウの背後に近づく。ひづめのすぐそばに、銀色の四角い手鏡が落ちていた。

 鏡まで、あと数歩のところだった。ゾウが振り返った拍子に、キツネは長い牙で弾き飛ばされてしまった。

「きゃあ!」

 キツネが宙を舞う。

「大丈夫か?!」

 一人が茂みを飛び出した。キツネが落葉の上にぽすんと落ちる。その騒ぎに、ゾウが気を取られた。

 取りに行くなら、今しかない。もう一人も茂みから躍り出ると、ゾウの股を抜け、手鏡をかっさらった。鏡の柄には、小さな赤いボタンがついている。

 彼はその釦を、無意識に押した。

 振り返ってみて、二人は「あっ!」と声を上げた。ゾウが、みるみるうちに縮んでゆくのだ。灰色の肌が、またたく間に茶色の毛でおおわれてゆく。アネクテンスゾウは二十秒も経たないうちに、タヌキになってしまった。

 タヌキはしばらくの間、あっけに取られたように辺りをきょろきょろと見回していた。だが、人間がすぐ近くにいるのを見つけて、一目散に山の奥へ逃げていった。

 二人は安堵の溜息をつき、それからくすくすと笑い合った。

 化け狸の正体は、この手鏡でいろんな生き物に変身する、普通のタヌキだったのだ。

「鏡は無事だよ! ……あれ?」

「痛た……」

 キツネのほうを見た二人は、口をあんぐりと開けて固まってしまった。頭をさすりながら顔を上げたのは、キツネではなく、彼らと同じ年頃の可愛らしい女の子だったのだ。

 彼女が自分の手のひらを見て、目をぱちくりさせる。長い黒髪をなびかせながら二人に駈け寄り、彼らの手をぎゅっと握った。

千変鏡せんぺんきようのリセットボタンを押してくださったのですね。おかげさまで、元の姿に戻れました!」

 満面の笑みでお礼を言われて、頰を染める。

「いやいや、それほどでも。当然のことをしたまでだ」

 満更でもない友人を、もう一人が肘で小突いてやった。

「……それにしても、君は一体何者なの? どうしてキツネなんかに化けてたのさ」

 手鏡を返して訊ねる。

「実は私は、紅葉もみじ狩りをしに、タイムマシンで未来から来たんです」

 彼女は答えた。

「動物に化けるのは、病気の予防です。二十一世紀には二十一世紀にしかいない、恐竜時代には恐竜時代にしかいない細菌やウイルスなどが、うじゃうじゃいます。そんなところへ生身で飛び込んだら、どんな病気にかかってしまうか分りません。そこで時間旅行者は、行く先々の生き物に変身することで、微生物に対する免疫を借りているんですよ」

 彼女は車型のタイムマシンに乗り込むと、人差指をダッシュボードに押し当てた。モーター音が響き、計器盤に色とりどりの光が走る。

「これで未来へ帰れます。キツネの指では、指紋認証が利きませんからね」

 彼女は「えへへ」と笑ってみせた。

「ありがとうございました!」

 タイムマシンが夕焼空へと舞い上がる。車体はいわし雲に紛れたかと思うと、まばゆい光を放って、消えてしまった。

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