最終話 澤村くんでしめる
俺が地元商店街の女子ソフトボールチーム『オレンジモンスターズ』のコーチを引き受けたのは2月のことだ。周囲には3月に突然依頼があったということにしている。その間にいろいろ根回しやら逡巡があったからだが、快諾したということにした方がチームの子供達に受けがいいかと思ったのだ。
思えば俺は野球の神様に愛されている。色んな失敗を繰り返しても神様は見捨てないでいてくれた。
高校で大事な試合にエラーをして甲子園を逃したときも、大学のスカウトが見ていてくれた。
その大学で肩を壊したけれど、草野球で楽しむ道を残しておいてくれた。
地元に戻ってから高校野球に関わりたくて就活したけれど、上手くいかなかった。そりゃあそうだ。何の実績もない俺を雇ってくれる高校はない…と思ったら元の恩師から声が掛かった。
「俺も契約や教員の仕事の都合があるから、もうしばらくこの仕事を続けるつもりだが…俺の後は澤村、お前がやってくれるか」
俺はその夜、泣いたな。こんな俺に大事なチームを託してくれようとする人がいる。だからそれまでは監督の下、ボランティアでチームの手伝いをすることにした。監督は少しでもバイト料が出るように高校側と交渉しようとしてくれたけど断ったさ。罰が当たるってもんだ。神様はいるんだからな。
俺の実家は酒屋をやっていて、俺は次男だからホントは家業を継がなくてもいい環境かもしれないんだけど、兄貴は一流の大学を出て今は大企業の海外支社で働いてる。
どうやら親父は俺に酒屋を継いでほしいみたいだ。
で、俺は親父と話をしたんだ。継ぐのはいいけど、このシャッター通りになりつつある商店街で酒屋をやっていても今後ジリ貧は免れない。俺が作戦を考えるから好きなようにやらせてくれってね。
親父は『構わん、お前の好きなようにやってみろ』って言ってくれた。
そんなわけで今現在の俺は商店街の放浪者だ。あちこちの店で手伝いをしながら、それぞれの店主が何を望んでいるのか聞かせてもらってる。もちろんボランティアだぜ。商店街全体がこれから何処へ進んでいくのか、俺たちの世代が考えるんだ。
というわけで俺は忙しいんだ。朝は草野球チームの練習、日中は自分の店と商店街のあちこちで手伝いして当然美里の店にも顔を出し、夕方には高校の野球部練習につきあう。さらに夜はまた街のパトロールをして、それからまた美里の家に行くんだ。
忙しいだろう。異論は認めない。
そうだ。その美里の話を忘れてた。
野球の神様に愛されてるって言ったけど、もう一人、俺には幸運の女神もついている。
高校最後の試合でヘマやって落ちこんでるとき、大学で怪我をして選手としては挫折したとき、どんな時でもいつも近くで俺を見捨てず声をかけ続けてくれた女神だ。
予選でエラーした夜、俺の長い長い弱音の電話に深夜2時までつきあってくれた。(最後は寝息が聞こえたけど)
大学で野球を諦めて一度実家に帰ってきてグチグチとあいつの電気屋でクダを巻いても、就活が上手くいかないで近所の公園のブランコで揺られてても、だいたいあいつが隣にいて呆れたような顔だけど離れないで話を聞いてくれたんだ。
最後は『しっかりしろよ、澤村!』ってパンチやキックが飛んでくる。
あいつなりの励ましだって俺はちゃんとわかってる。
美里がいてくれたから俺はこの街からも野球からも離れずにいられたんだ。
その俺の女神、美里とは中学校時代からの付き合いだ。ホント言うと中学校の時に一回俺は美里に告白しかけている。
自分の夢と人生設計を蕩々と話して、ここからいよいよ『美里を嫁に欲しい』という肝心なパートに入る前に美里が当番日誌を置きに行くという不運?に撃沈したけどな。
さてオレモンのコーチの話には前振りというものがある。
さっき言ったとおり、俺は結構美里の家の電気屋に入り浸りなんだけど、あいつが居ないとき、親父さんから相談されたんだ。
「なあ、澤村。美里は無理してるんだ」
俺も少しは感じてたさ。あいつは滅多に自分がなにをしたいのか言わない。高校卒業後、製菓学校に行ってたのはパティシエになりたいっていう夢を追ってたからだ。
だけど製菓学校に通い始めて二年目、お袋さんを病気で亡くしてからはそれも口にしなくなった。
美里には四人も歳の離れた弟と妹がいて、ずっと母親代わりをしている。ホントは俺がいろいろ悩みや不安を聞いてやりたいんだけど、あいつは自分のこととなると途端に口が重くなるんだ。
「あいつの背中を押してやってくれ」
親父さんはそう言った。弟妹たちは中学校か小学校の高学年になって、それほど手が掛からなくなった。自分のために人生を使って欲しい、って親父さんが言うんだ。
あいつはずっとそうなんだ。家族のために日々を使い、そして俺なんかのために時間を使い、自分のことは後回しだよな。
俺は奮い立ったよ。今まで美里から貰ってばかりのものを少しでもあいつに返すんだ。あいつを幸せにするんだ。
「わかりました。俺が嫁にいただきます」
「馬鹿野郎、そういうこっちゃねえ」
親父さんが顔を赤くして怒った。意味が違ったみたいだ。
それからもうひとつ、次女の楓ちゃんは学校の水球部でうまくいってないらしい。
昨年度は全国大会までチームを引っ張ってって、生き生きしてたんだけどな。
隣町のチームと合同チームになるわ、新しいコーチとうまくいかないわで表情が暗いんだそうだ。
「娘二人を何とかしてくれないか。あいつら両方、お前のことを信頼しているからな」
親父さんにそんなこと言われたら引き受けないわけにはいかないよな。俺は頭を捻った。
…というような話の最中に商工会長の山田さん登場だ。
「ああ、いいとこに澤村くんもいるな。あのさ、オレンジモンスターズだけどな」
山田さんは商店街としてオレンジモンスターズにお金をかけることは難しくなってきたと言う。選手数が減り、地区順位は最下位が定位置で、指導者も引っ越しでいなくなったのに次のなり手も決まらず…場合によっては解散も視野に入れてって話だった。
俺は実を言うと、地区の女子小学校が所属するソフトボールのチーム事情に興味はなかった。
だが、そこでピーンときたんだ。閃いたね。いろいろ一挙に解決!…かもしれないと。
「山田さん。オレモンの件、俺がコーチを引き受ける。スポンサー打ち切りも解散も今度のリーグ戦の結果を見てからにしてくれ」
それから美里の親父さんにも言った。
「オレモンを美里が外へ出ていくきっかけにするんだ。楓子ちゃんも引き受けた」
というわけで、美里の親父さんが俺を監督に推薦したって話にしてもらった。
「澤村、コーチ引き受けたってよ」って、しかもふたつ返事で快諾だってよ、って情報がしばらくしてから商店街を駆け巡った。
夕方、美里の家に行ったら、あいつが真顔で俺に言うんだ。
「澤村くん、あなたに小学生女子の指導が出来るわけないでしょう」
美里の心配とは裏腹にオレモンは何とか軌道に乗った。
いろいろあったと言えばいろいろあった。まず俺はソフトボールを舐めてた。野球の劣化版くらいに思ってた俺は全国のソフトボール女子に土下座しなくちゃいけない。
だから研究に研究を重ねた。実業団チームや高校のソフト部に行って練習にも参加した。昨年のリーグ戦と全国大会の記録やデータもできるだけ取り寄せた。
今田に頼み込んで、コーチに入ってもらった。成功報酬は…あいつが喜ぶものをぶら下げたつもりだがそれは後ほどの話だ。
「今田くん、俺はこのリーグの試合動画を見て気づいたことがある」
「ふむ。言ってみるべし、澤村くん」
今田も何だかんだいって商店街のこととオレモンのこと両方、心配してんだ。
「地域リーグと県大会は別物だな。本格的な勝負を今年やるのはキツいが、とにかくこの地区のレベルに特化して勝たせることは何とか出来るかもしれない」
「勝算ありか」
「バッテリーが何とかなればな」
本格的なピッチャーは今年は無理だ。何とか器用な子を仕込んで、コントロールと緩急で誤魔化す。さらに内野ゴロを確実にアウトにすることで大量得点を防ぐ。相手の弱点をついてそれより一点でも多く取る。
方向性が決まったところでチームの改革に取り組んだ。
高校生のソフト部員と美里の弟の敦基を臨時のコーチに雇って、ある程度細かい個人指導を任せた。
それから楓ちゃんをスカウトしてうまくチームに誘い込んだ。楓ちゃんの身体能力の高さは知っていたけれど、予想以上というか、小学生の女子としては言葉が悪いけれど『化け物』級だった。
オレモンは思いもかけず全国レベルのキャッチャーを手に入れたんだ。
そして…何より美里を家から誘い出せた。河川敷の『オレモンフィールド』(俺は心の中でこう呼んでいる)に高校以来のジャージ姿で俺と今田の間に立つ美里を見て、俺は結構感動したぜ。
あいつと一緒に何かやれるというのは高校の文化祭のお化け屋敷以来だ。あいつの幽霊と俺が操る火の玉がリアルすぎていろいろ問題を起こして、担任からメチャクチャ怒られた話はいつか話すよ。
他にも色々策を巡らせた。最初の2試合は仕方ない。守備を固めるだけで精一杯、勝ち負けについては捨て試合だな。
とにかく突貫工事でバッテリーを形にして、さらに出塁率を高める仕掛けを施した。
いろいろ穴があるのは承知の上だが、まずまず順調だったと思う。
ただしピッチャーはこのままじゃ、やっぱり難しい。好ちゃんはよく投げてるけれど、レベルの高いチームと対戦したら打ち込まれるのは時間の問題だ。
真理ちゃんの実戦投入まではもうしばらくかかりそうだ。ある程度ストライクが安定して投げられるようになるのは地区リーグ戦の最終局面かな。
ただキャッチャーが安定してるのは何よりありがたいね。地区の普通のチーム相手なら好ちゃんとのバッテリーでも大崩れはしないだろう。
余計な話だが…俺は野球の神様に愛されてるって言ったんだけど、正直恋愛の神様には相性が悪いみたいなんだな。地区リーグの始まりから数日後、俺は何だかついつい美里にプロポーズしちゃったんだ。
何でかわからん。こういうことをついついやっちゃうのが俺の悪いとこだってわかっちゃいるんだよ。
練習終わりの夕方、美里の家で恒例の反省会をしていて、あいつの横顔見てたら、たまらなく愛おしくなっちゃったんだ。こいつ、ずっと気を張ってこの店と家族を守ろうと頑張ってきたんだな、これから俺がこいつの助けになりたいなって思ったんだ。
夜更けに電話かけて俺の得意の
「美里、オレモンがもし県大会に行けたら…俺と結婚してくれ!」
返事はまだない。電話ではあいつがどこからか転がり落ちた音と「ぐえっ?」っていう可愛いのと不気味なのの中間くらいの美里の声が聞こえて、それで切れちまった。以来その話は進展なしだ。というか露骨に美里が俺を避けてる。
リーグ戦はまずまず好調なのに、俺の恋は絶不調だ。
さて2勝2敗で滑り出した地区リーグ、前半が終わって10戦で6勝4敗というところまでは一応計算通りではあったんだ。
ちなみに前年度3位のベリーズに勝利したときには商店街に激震が走った…というのは大げさだな。だけど結構なインパクトだったんだ。ベリーズは昨年の県大会進出3チームのひとつだったからな。
好ちゃんは結構打たれたけれど、とにかく粘り強く投げて大崩れは防いだ。
攻撃陣はなかなか上手くなってきたバント戦法でランナーを溜め、3番の楓ちゃんと4番の真理ちゃんで返す作戦が形になりつつあった。
俺が特にここしばらく成長著しいと感じるのは以前ピッチャーをしていた
敵の内野手の重心を察知して強めのバントをしたり、バスターのフリだけしてやっぱりバントしたり…
俺はみんなの前で思いっきり褒めたね。
「ピッチャーをクビになって嫌な思いもしたに違いないのに、今までの体験を活かして活躍している。そう出来るこっちゃない。すげえな!」
今田も合わせる。
「グレートだぜ!佳乃ちゃん!」
佳乃ちゃん、あんまり表情を変える子じゃないんだけど、いい笑顔になってたな。
ベリーズとは点の取り合いになったけど、どうにかこうにか最終回、その佳乃ちゃんがバスターもどきで塁に出て、楓ちゃんがさよならタイムリー、これで7対8Xだ。ちなみに楓ちゃんはこの日2本のホームランと、このタイムリーで完全に他チームからマークされた。
強豪ベリーズに勝ったのは5年ぶりだそうだ。
この日は商工会長の山田さんが見に来てて、これは中々のアピールになったんじゃないのかな。
で、それから2ヶ月、現在6月も後半だ。地区リーグ戦はいよいよ大詰め、最終試合を残すのみとなった。
「おーい、澤村。いよいよピンチだな」
今田が今夜の作戦会議序盤で零した。
県大会進出を考えるなら、確かにギリギリだ。オレモンは最終戦の相手があの現在1位ウィングス…最強チームとの対戦が残ってしまった。勝ち星を考えるとこの相手に勝つか引き分けしかない。あとはベリーズの結果次第だ。
現在1位で相変わらず全勝街道まっしぐらのウィングスと17勝2敗で2位のミラクルスはすでに県大会当確で間違いない。
あとひとつの椅子をめぐって、ベリーズとオレモンが13勝で並んでいる。ちなみにこの間のベリーズとの2試合目はまた点の取り合いになって負けた。
ただ真理ちゃんはこの試合でついにピッチャーデビューを果たし、2回を投げて被安打0で6三振、5四死球の2失点だった。まずまず…かな?
「ウィングスねえ」
今田が腕を組みながら、難しい顔をする。だがこいつは何も考えていないときだって、やはり腕を組んで難しい顔をするのだ。
「なあ、美里。どうする。真理ちゃんを先発で使うべきかなあ」
俺が振り返ると美里はあいかわらずギクシャクと貼り付いたような笑いを浮かべる。
「ソウネ。ドウナンデショウ」
「美里!いい加減にしろよな。俺とお前の将来の生活設計は後回しだ。まずオレモンに集中しろ!」
もうふた月近く、俺の前ではこんな感じの美里に俺はついつい怒鳴ってしまった。
いつもの美里ならここで俺の腹にパンチを入れてから「判ってるわよ。エラそーに」というはずなのに、何でだ。美里は身体を硬直させてから、涙をいっぱい溜めて俺をにらんだ。
「何が生活設計よ!澤村の馬鹿!アンポンタン!」
そう俺に言うと、今田に向き直る。
「ごめんね。今田くん。しばらく私は外れます」
「お、おい。美里」
俺の言葉を無視して美里は店の奥へ入っていってしまった。
「困ったなあ。澤村。エヘヘヘへ」
ちっとも困ってない顔で今田が言う。俺は何で勢いでプロポーズしちゃったんだろう。
いよいよ最終試合、超難敵の昨年優勝チーム、無敵ウィングスとの勝負だ。
前回は攻撃陣が手も足も出ず、5対0で負けている。あの時とはちょっと違うところを見せたいが、向こうもだいぶ違う。
第1にこちらを研究する時間があったことだ。特に好ちゃんのスローボールは対策済みだろうし、内野7人の守備の弱点も考えてきているかもしれない。バント戦術はどれだけ通じるか…。
少し緊張して俺は監督同士のメンバー交換に臨んだ。前回と同じく相手のオヤジ監督が余裕タップリに俺に笑いかける。
「いい試合をしましょう」
俺もニヤリと笑ってやろうと思ったのだが、笑えなかった。
「お、お互いにね」
そうか。本気で勝ちたいという気持ちが俺から余裕を奪っているのかもしれない。
それに…美里が来ないんだ。連絡もない。楓ちゃんに訊いても『何か体調悪いから今日は休み!』って元気よくベッドの中から答えてたんだってさ。俺から幸運の女神が逃げていったような気がする。
1回の攻撃は好ちゃん、真理ちゃん、楓ちゃんと三人で簡単に終了。さすがにウィングスのエースは速い。速い上にライズボールとチェンジアップを使う。小学生としたらルール違反級だ。
続いてウィングスの攻撃、とりあえず2回から3回は好ちゃんのヘロヘロで誤魔化せないかと思って先発は好ちゃんにした。だが、無理だった。ウィングスがきっちりスローボール対策で調整してきてる。おまけに前回と違って本気のレギュラーメンバーだ。
もう県大会確実なんだから、少し手を抜いてくれればいいのに。
結局1回の表に2点を取られて、予定よりもだいぶ早いが真理ちゃんの出番だ。
「真理ちゃん、緊張してる?」
顔色の青い真理ちゃんに俺が話しかけるが、唇がプルプル震えている。
そしたら急に楓ちゃんが言った。
「真理ちゃん、監督だってお姉ちゃんに勇気をもってプロポーズしたんだから、真理子も頑張れ」
「な、何を」
「しかもだよ。しかもそれからまともに口をきいてもらえないんだよ。」
真理ちゃんがパーッと頬を赤くして急に笑顔を浮かべる。何なんだこの子達。
「監督、ホントですか?フラれたんですか?」
「か、関係ないだろ。楓ちゃん、試合にしゅ、集中しようジェ」
噛んだ。
真理ちゃんと楓ちゃんが同時に大笑いし、マウンド上で解散となった。こんな馬鹿な。
真理ちゃんの挑戦が始まった。まだコントロールには不安がいっぱいだな。
一球目、大きくて力強いフォームで腕を回す。
バシッ!
「ストライク!」
「ナイスピッチ!ナイスピッチ!」
楓ちゃんのかけ声に真理ちゃんが笑顔を浮かべた。高めの快速球、球速だけならウィングスのエースと遜色ない。
二球目、外角に外れる。三球目もワンバウンド。
四球目、ど真ん中を空振り。五球目、またもど真ん中…
「ストライク!バッターアウト!」
「よっしゃーっ!」
楓ちゃんの商店街大声チャンピオンの声が再びグランドに響いた。
一人四球を出したが、無得点に抑えて真理ちゃんが戻ってきた。
「ナイスピッチ、真理ちゃん!」
「真理子サイコー!」
チームメイトも大声でエースを称えた。いいムードだ。点を取りたい。
俺の願いも虚しく、バント戦法がウィングスに通じない。
ウィングスがオレモンの『内野7人作戦』を採用してきたのだ。これは頭になかった。そりゃそうだ。バントばっかりで長打のないチームには効果的だ。真理ちゃんと楓ちゃん以外のバッターにはこの陣形で戦うつもりだろう。俺は歯ぎしりした。
次の守備で今田がベンチに来て、ボソボソ言う。
「どうする。さすがに手も足も出ないぞ」
「とにかく相手の点を抑えて、真理ちゃんと楓ちゃんで1点ずつでも返していくしかないな」
「俺の感触だとその間に3~4点取られるな。このまま真理ちゃんの球がストライクを取り続けられると思うか。何か後押しが必要だぞ」
「むう。まさか」
今田が俺の目をジッと見る。
「おい、押せ押せムードを作る最後の作戦を発動するなら早いほうがいい。どっちにしろ、俺たちに切れる手札は全部切った」
「ハア、そうだな。最後は精神論かあ。そこに行き着くとはな」
「俺たちの野球は最終的にいつもそうだったからな」
今田が高校時代の最後の試合の時と同じ笑顔になった。
真理ちゃんの球は少しずつ荒れてきた。四球、三振、四球、四球、三振。ツーアウト満塁だ。
「真理子!集中!」楓ちゃんの声が響く。
「真理ちゃん!後ろのイチョウ!」楓ちゃんそっくりの大声…これは。
いつの間にかベンチに美里がいて、真理ちゃんに声援を送った。
真理ちゃんが『イチョウ』と言われて一瞬首を傾げたが、ハッとして頷く。
内角にストライク!高めのストライク空振り!
次の球がワンバウンドして大きく逸れた。しまった!バッテリーエラーか!
…と思ったら楓ちゃんが必死に飛びついて倒れ込みながらも前で止めた。うまい!
思いもかけない本格派のバッテリーがオレモンに出現して、相手ベンチの監督が唸っている。
次はさらにど真ん中、空振り!再び無得点で抑えた。俺はすっかり疲れ切った。
疲れ切ったが、顔は横の美里から離すことができない。選手が守備から戻ってきて円陣を作ったが、俺は呆然としていた。
「監督!次の攻撃です。コーチングを!」
真理ちゃんが俺に声をかける。
俺は我に返って、今田の言う最後の手段を使うことにした。
「みんな、聞いてくれ。この試合はオレモンの未来を決めるかもしれない大事な試合だ」
「澤村くん!そんなの子供達に関係ないでしょ!」
美里が横から口を挟む。
だが俺は構わず続けた。
「そうだ。オレモンの将来は大事なんだが、俺にとってここにいる美里と結婚できるかどうかの、違う意味でも大事な試合なんだ」
ナイン全員が唖然として俺を見る。楓ちゃんは面白そうに笑い、真理ちゃんと好ちゃんは手を合わせて「キャーッ」と興奮した声を上げた。
美里が一瞬黙ってから、手を振り回して俺の肩を掴みながらワチャワチャ何か言う。
「ななな、何をあんたは、け、け、結婚って、あんた、誰が誰と、いや、あんた、勝手に」
俺は帽子を取って、頭を深々と下げた。
「みんな!頼む!俺と美里を結婚させてくれ!この試合にかかってるんだ!」
しばらくナインが静かになってから、真理ちゃんが決意に燃えた顔で全員を見渡す。
「みんな!いい?!必ず勝って、澤村監督と
全員が頷くが、美里だけは相変わらずパニックを起こしながら俺の肩となぜかキャッチャーのレガースを振り回している。
「ま、真理ちゃんまで何を、ど、どうしてこんな、こんなことに」
割とシャイだったはずの真理ちゃんが円陣の中心で大きな声を上げる。
「監督結婚!美里っちゃんの幸せ!オレモン・ファイトーーーーッ!」
「オーーーーッ!!!!!」
あんなに大人しくて人見知りぞろいのオレンジモンスターズが今までで一番大きな声を出している。
「ねえ、真理ちゃん。『イチョウの木』って何よ。お姉ちゃんがそう言ったら、急にコントロール持ち直したじゃん」
ベンチで楓ちゃんが真理ちゃんに不思議そうに聞いた。
「たいしたことないよ。いっつも練習してるところのキャッチャーの後ろにイチョウの木があったでしょ」
「うん。覚えてる」
「美里ちゃんからイチョウのどこに向かって腕を振るか、目線をどうするか、基準を作ってフォームを安定させるように言われたの」
「お姉ちゃんがねえ」
聞いていて俺も不思議だった。美里は運動神経悪い方ではないが、そんなに部活で活躍できるようなタイプでもなかったように思う。
「美里ちゃんに聞いたら、お菓子作りの基本なんだって。材料の量や色や味とか、いつも変わらないものと合わせて確認すること。それで味が安定するんだってさ」
俺は横でまだキャッチャーレガースをモジモジいじっている美里に声をかける。
「美里、ありがとな。真理ちゃんがもう少しイケそうだ」
美里は身体をビクッとさせ、それから拗ねた顔で俺を見た。
「だ、だからあんたは駄目なのよ。あ、あんまり頼りないから…来てあげたのよ」
その顔があんまり可愛いので、俺がジッと見つめ続けると美里は俺の脇腹にパンチを当てる。
「じっと見てんじゃない!」
そのパンチはいつもより全然力が入ってなくて、全然痛くなかった。
試合は中盤、気持ちを盛り上げたといっても力の差は歴然だ。5回を終わって4対0、ウィングスがリードしている。ちなみにここまでオレモンはノーヒットで四球ひとつのみに抑えられている。
6回の表、オレモンの攻撃。ワンアウト、9番のミサちゃんがデッドボールで出塁した。
美里が一塁に駆け寄って、ミサちゃんの様子を確認する。
「
今田が唸った。
「ああ、避ける格好だけはしたけど、避けてない」
褒められたことではないのはわかっている。しかしオレモン一の引っ込み思案で気の弱いミサちゃんが勝ちにこだわって執念をみせているのだ。俺はグッと拳を握った。勝たせてやりたい!
一番バッターの好ちゃんが「さあ、こい!」と声を出して打席に入った。
一球目、空振り。
「?」相手ピッチャーが怪訝な顔をする。そう、好ちゃんがヒッティングのポーズに出ているのは初めてなのだ。
二球目も空振り、速球に当てさせてもらえない。
好ちゃんが打席の一番後方で深呼吸する。
「何かやる気か?」
俺が呟くと、今田がこちらを向かずに言った。
「決まるかどうか、わからん。期待するな」
三球目、ほぼど真ん中の速球、好ちゃんはボックスの中でスタートを切った。
「ランニングセーフティ!」
コン!
ボールが三塁線に転がる。切れるか?切れないか?
切れそうもない!サードが球を拾って送球するがセーフ!
「いいぞ!好花!」「好ちゃん、うまーい!」
ベンチから歓声が沸き上がった。
バッターボックスの中から走り始めて、そのままバントを決めるランニングセーフティ、しかもスリーバント…今田が行き詰まった時用の秘策で仕込んでおいたらしい。二球目までの空振りも効いていた。
ワンアウト1,2塁、真理ちゃんが気合いの入った顔で打席に入った。
「スラップがあるぞ。注意しろ!」
相手の監督がサードに声をかける。ちゃんとしてるなあ。こちらの手の内を全部スカウティングしてある。そう準備されたらなかなか決まらない。
それでも真理ちゃんは不敵にニヤリと笑う。逞しくなったなあ。
一球目、見逃して高めのボール。
二球目、チェンジアップ、見逃してストライク。
三球目、ほぼ真ん中の速球をスラップ気味にダウンスイングして空振り。
やはり敵はスラップをしずらいコースに決めてきている。
フウと息を吸い込んで集中力を高める。
次の球が低めに入ってくる。ボールか?
真理ちゃんが…何とバントした。しかもピッチャーの真正面。
あわててピッチャーが前へ出ようとして、つんのめり前へコケた。
どっと両ベンチや保護者席が沸いた。
「真理ちゃん、ナイスバント!」
すべての打席でバントする好ちゃんとは逆に、ここまで真理ちゃんはリーグ戦で一度もバントしていない。
ウィングスの完璧なスカウティングが裏目に出たということだろう。
それにしても…いつの間にこの子達はここまで成長したのか。あのオドオドした一日目の練習からは想像がつかない。
蚊のなくような小声で『左打席なんて…』と呟いたミサちゃんがウィングスエースの速球にくらいつき、ボンヤリとただ俺のいうとおりに動いていた好ちゃんや真理ちゃんも自分の考えで相手の意表を突いている。
俺は美里との結婚話はまた別にして、何だか不思議な感動を味わっていた。
「澤村!ボンヤリすんな!勝負どこだよ!」
美里の声が耳元で響いた。
そうだった。一死満塁だ。バッターは楓ちゃん、これ以上のチャンスはもう望めない。
楓ちゃんが打席に入る。相手のピッチャーも警戒している。
一球目、低めに外れてボール。
二球目、空振り。
三球目、高めのボール。
そこで楓ちゃんがタイムをとって打席を外す。スパイクの紐が緩んだのだろうか。結び直して立ち上がり深呼吸をした。
いつのまにか俺は美里の手を握りしめていた。美里もそれを振り払おうとはしない。
楓ちゃんがこちらのベンチに向かって叫んだ。
「お姉ちゃん、澤村さん!結婚させてあげるからね!」
美里がベンチから後ろへひっくり返って、選手に助け起こされている。俺は呆然として声が出なかった。今田が大笑いして、選手達もそれにつられる。
保護者席は騒然として、試合とベンチのどちらを見たらいいのか困惑している。
ピッチャーも目を瞬かせてこちらの様子を見ていたが、むむっと気を引き締めたのがわかった。
きれいなウィンドミルから速球が繰り出される。
タイミングを合わせて楓ちゃんが初心者と言われても信じられないスピードのスイングをした。
コン!
いつかと同じ乾いた音がして、打球は青空に吸い込まれていった。
…これは6回の表のオレモンの攻撃だ。当然その後も試合は続く。
でも俺はこの試合のエンディングはこの場面でいいと思うんだ。
秋が来た。
ここは酒屋カフェバー『フルカウント』だ。今から4時半まではカフェ、6時から深夜にかけてバーになる。俺の家の隣が空き家だったので借り受けて改装し、ようやく10月にオープンすることが出来た。資金不足のため、いろいろ手作りだが、なかなかいい雰囲気のカフェだぜ。
資金不足なのは、当然俺と美里が結婚式に備えなくちゃいけないからだ。
俺は美里の親父さん、商店街の山田会長、それに俺の親父と相談してこのカフェバーを開店した。
まず店の改装時に一番こだわったのはプロジェクターで店内のスクリーンにスポーツの画像を出せるようにしたことだ。オレモンの試合はもちろん、俺が世話になってる高校の試合を映して時々ミーティングにも利用してもらってる。
美里の親父さんが格安で電化製品を売ってくれたのも助かったよ。
「ほら、あんたは隣の酒屋で店番やりなさいよ!」
美里が俺の尻を蹴飛ばした。
そんな大きな声出さなくてもいいよな。でも、全然痛くない。
「美里、後で練習にも顔出せよ」
夕方のオレモンの練習にはなかなか参加できなくなってしまった美里に声をかけた。カフェの片付けもあるんだけど、俺とそろって練習に行くと子供達が冷やかすかららしい。
「…もう。今日は無理だけど明日は行くから」
「メシはお前んちで食っていい?」
「…図々しい」
「だめ?」
「…ぃぃょ」
「美里、好きだ」
「早く行け!馬鹿!」
生き生きとカフェ経営をする美里の作る菓子は結構評判になっていて、何かの雑誌でも記事になっていたと女子力の高い真理ちゃんが言っていた。
俺もこれからオレモンの練習に行って、美里の家で夕飯食ったらバーの方の手伝いするんだ。忙しいぜ。
リーグ戦最終日のウィングス戦、楓ちゃんの満塁ホームランで一度は追いついたオレモンだが、そんなに勝負は甘くない。最後は押し出しサヨナラで負けた。勝利数で並んでいたベリーズの方は最終戦に勝利して俺たちは県大会には行けなかったんだ。
ガッカリする俺の所へ山田会長がやって来た。
「澤村くん、ありがとう。本当に感動したよ。こんなに興奮したのは久しぶりだ」
「会長さん、すると…」
「大丈夫だ。君が監督を続けるという条件で後援を続けようという話になった。澤村くんはずっと商店街でお手伝いボランティアやってるしな」
「ありがとうございます!それから俺と美里の結婚は…」
「え…?…うーん。いいと思うよ」
「ありがとうございます!」
美里が顔を真っ赤にして山田さんに抗議する。
「な、何で商工会長が私の結婚の許可を出すんですか!」
「うん?嫌なの?」
山田さんがそう言うと、いつの間にかワラワラと寄ってきたオレモンナインが美里を取り囲んで問い詰める。
「美里ちゃん、嫌なの?」
「私たちこんなに頑張ったのに」
「結婚してあげなよ。気の毒に」
「美里ちゃん、澤村監督嫌いなの?」
そして楓ちゃんがニヤリと笑う。
「じゃあ、澤村さんは私がもらうよ、お姉ちゃん」
美里はもはやどこに何を言い返したらいいのか、パニックになっている。
オレンジモンスター達の輪の中、俺も美里を真正面から見た。
「美里…嫌なのか?」
美里は真っ赤になってグルグル周りを見渡し、涙ぐむ。
「ば、馬鹿。澤村の馬鹿。ずるいよ」
「美里、ず~っと好きだった。中学校のとき話した夢の最後はお前との結婚だったんだ。県大会行けなかったけど…駄目か?」
俺たちのオレンジモンスターズが俺と美里を拍手や口笛、野次などで祝福した。
夜の部、バーは店の外にもテラス席をたくさん作った。夜寂しくなってしまうシャッター街が明るくなったって感謝された。照明は当然美里の親父さんがやってくれたんだ。商店街の人達が夕方過ぎになるとやってきて、賑やかにこれからの商店街をどうするかワイワイ話をしている。
意外と街の外の人もやって来ているみたいだ。リーグ戦の時(まだ開店未定にも関わらず)チラシをあちこち配ったのが効いたかもしれない。
商店街の保護者にも頼んで、練習の後少しだけ子供達もここで過ごせるよう許可してもらった。練習や試合の反省、時には学校の勉強会もする。その様子を見ていて来年はオレモンに加入させたいという親が多くなればと思っている。
ふと顔をあげるとバーの店長がまたテーブルで酒を飲んでいる。まったくコイツは。
「今田、店長がガバガバ飲んでどうするんだ。働け!」
「何か知らないけど、この店は手伝いがたくさんいるからヒマなんだよ」
今田が店を見回す。これまで俺が商店街でボランティアをして回った店の人達が笑いながら手伝いをしてくれている。
「気にすんなよ。澤村くん。このバーは商店街みんなで作っていこう」
山田さんが言ってくれた。
そうだな。まだまだこれからだ。ここから第1歩だよな。商店街もオレモンも。
…それから俺と美里も。
美里が遅れてやって来て、チラリと周りを見てからおずおずと俺の隣に座った。
「…何の話してたの?」
「俺と美里のこれからの話だ」
「騒がしくて賑やかで澤村くんに振り回される未来しか見えない」
「ワハハ、そう言うなって。そりゃそうと明日の練習は来られるか?」
「…カフェの片付けが終わったら、明日こそは顔を見せにいくわ。だから」
「だから?」
「私たちのオレンジモンスターによろしく」
オレンジモンスターによろしく jima-san @jima-nissy
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