婚約指輪を、今夜食う
笠井 野里
婚約指輪を、今夜食う
ギャグを思いつくとすぐに、口に出てしまう、それが私の悪い癖だった。
日曜日の昼下がり、ツイッターを見ていると、声優の結婚報告。指輪が婚姻届を囲み、その銀色の光が私を
ため息をついて廻る脳みその中の嫌な思考を吐き出すと、ふと思った。
「なんで指輪が三つもあるの」
左か右は忘れたが、薬指につけるのが結婚指輪だろう。男と女で二つ。も一つあるけどこれはなんだろう。
「婚姻届 指輪 三つ なぜ」
検索をかけると、婚約指輪というものが一つ、結婚指輪が二つで計三つだということがわかった。
もしかしてメロドラマでよくある指輪を渡すシーンで渡すのはコレだったのか。と驚くと、実際そうでもないらしく、プロポーズリングなるものもあるらしい。結婚と縁遠いのがよくわかって、なんだか声に出して笑ってしまった。
こうやって自嘲気味に笑う
「婚約指輪を、今夜、食う」
つい口に出してギャハハと笑ってしまったが、隣で笑う人は一人もおらず、醒めた瞳で見つめる人さえいない。なんだかむかむかしてきた。
――婚約指輪を今夜食わなければならない。
ふと、そう、思った。
――――――
善は急げ。私は家を飛び出して、婚約指輪を買いに駅の指輪やさんへ出かけた。もうクリスマスソングがとけて混ざりはじめた真冬の空を背に、GUの半袖Tシャツ一枚着て。
しかし婚約指輪というのは高いもんだ。あと一桁増えたらカンマが二つになるぞ。口座には十万しかねえんだ。そんなことを考えていると、ひと昔前に流行った女優のような、きりっとした顔立ちの店員は、
「すみませーん、これ欲しいんですけど」
宝石もなにもない、ただ何かの葉の模様がついただけの、他の指輪より一桁安いものを指さして店員さんに話しかける。
「サイズのほうは……」
「今すぐ現物が手に入るサイズならどれでも……」
店員は「いやいや、まったく、ご冗談を……」と顔に出るような苦笑いをして、バックヤードに指輪を見に行った。逃げるような早足。
しばらく待って、バックヤードから出て来たのは七三分けの細身な男だった。写真加工アプリで作ったような口角の上がりかたで、丁寧な声色して、
「こちらでお間違いないですか?」
「十万切ってるなら、間違いないですね」
店員の笑顔がひくついているのを見て、
「いや、今すぐ、というか、少なくとも今夜までにはほしくてですね……」
と弁解する。
「なるほど……」
なんてわかったような台詞をはいても、顔がなるほどとは思っていない。モノ言うのは目や口より顔である。
ほかにもいくつか問答をして、会計にペイペイが使えないことや、Tポイントがつかないことを確認し、そうしてレジで現金払って外に出る。手には四角い箱。なんだか質感がメガネケースみたいだと思った。
しかし「今夜」までにはまだ数時間があった。ふと「婚約指輪を渡されて困惑」というギャグ思いついた。やろう。駅前の広間に出て、手当たり次第に婚約指輪の箱を差し出す。しかし迷惑系YouTuberのように思われて、皆ありきたりだというような顔しかしない。困惑を見ることも出来ず、ただ好奇の瞳にさらされた。
私はYouTuberみたいな、金と馬鹿げた名誉のためになんでもするようなチンケな
近くの公園のベンチに座る頃には、夕焼けが空の半分ぐらいに広がって、空がさびしい色をしている。カラスが夕焼けに向けて一羽飛んでいるのを見て、黒い星のようだと思った。
婚約指輪を今夜食う。
それが意味することは、意外と重みを持っている。婚約指輪を食ったら間違いなく喉が詰まる、死ぬかもしれない。いや、死ぬ。
が、やらなければならない。なぜそう思っているのか、私自身の心理を
ただ、空を見上げる。星の命を燃やすきらめきも、地球に届くころには弱々しい光となってしまって、うっすらとしか見えない。どころかビルに邪魔されて、そのうっすらさえ見えないこともある。星という生き物の切なさに同情した私は、できるだけ静かで高い所へ向かい、そこで婚約指輪を食おうと思った。ビルの屋上へ向かうため、ベンチからケツを離すと、腰の部分が妙に痛くて、その主張の場違いさに
長い階段を上がり、扉を開けると、ビル風がかなりうるさく、扉を閉める音さえかき消されて聞こえなかった。
航空障害灯がチカチカ光り、あたりを余計に騒がしくする。これじゃ落ち着いて天体観測と洒落こめないじゃないか。
箱を開け、婚約指輪を取り出す。雑草のような模様が後ろまで繋がっていて、後ろの方に一輪の知らない花が咲いていた。普通は逆だと思う。しみじみ眺めていると、流石に百均の指輪とは違うのがわかる。銀色の鋭い光が生き物のように動くからだろうか。それとも重みか。
誰にも渡してないのに重みを持った指輪。
星にかざして見ても銀色の光は変わらない。そのまま食べちゃおう。人間を食べる巨人のように、
しかし、舌に冷たい感触を感じると同時に、右から声をかけられた。驚いて口からオエッと指輪を出してしまう。
「ちょっと! なにしてるんですか!」
声のした方向を見ると、航空障害灯を光背に、なにか人影が見えた。影がこちらに走って寄ってくると、その人が女性であることがわかった。白いダッフルコートと赤いマフラーがあったかそうで、今さら自分が半袖シャツでいることを思い出す。寒いよ。掌に乗った、唾液のついた指輪が、さっきよりかがやきを増していた。
「あぶなかったぁ…… どうして指輪なんか食べようとしてたんですか!」
子どもを叱る母親のような口調で彼女は言う。怒っているような、泣いているような、悲しんでいるような表情。こちらを見つめる大きな瞳が、小さく揺れている。少し年上だろうか。
「いやあ。『婚約指輪を今夜食う』ってね……」
彼女はふと、あの複雑な表情を崩して、一瞬無になり、そうして、呆れた顔になり、噴き出して笑った。彼女の瞳からは一粒、明るい涙がこぼれていた。
「ふざけてるの……?」
「かもしれないっすね」
彼女はなにも言えなくなってしまい、へなへなと脱力し、へへへと笑う。長い黒髪がビル風に吹かれて、赤い光に溶けてゆく。
「ね、下、見て」
楽しそうな声色でつかつかとビルの端まで歩いてゆく彼女。それに私はついてゆく。
「川すね」
「キレイだねえ」
駅前の大通りに、一直線に流れる青。
その正体は、海をモチーフにしたイルミネーションだった。
「私さあ」
航空障害灯が何回か
「振られちゃったの」
「でしょうね。でなけりゃこんなビルの屋上来ませんよ」
「じゃ、君もやっぱり振られたんだ」
「いや。僕は『婚約指輪を今夜食う』をやりにきただけで……」
「だからー なんなのさ、それ」
「なんなんでしょうね。僕にもよくわからないや」
「まあ…… もしかしたら…… ふと、指輪を食べたくなることもあるかもね」
風に乗ってどこかへ飛んでゆくほど軽い笑い声。
それを聞いて、なんだか私は、今日一日中ずっとあった、よくわからない不安や義務感から解消されたのを感じた。それはギャグの
「婚約指輪を今夜食うの、やめといた方がいすかね」
「うん。食べたら死んじゃうし」
「そっかあ。助かりました。いなかったら多分食べてましたよ、僕」
「私も、君が馬鹿げたことしてなかったら――」
彼女はそこで言葉を止め、
「……ね、振られた話、していい?」
「振られ話を振られた……」
「……やっぱいいや。それよりさ、呑みいかない? おごったげるから」
チープな展開だ。都合がよすぎる。しかし、こんな展開に飲まれてしまう自分がそこにいた。
「いいんすか?」
「じゃ、いこ。おでんやさんにしよ。ね。『こんにゃく、今夜食う』これなら死なないし」
なぜだろう。その答えは明白なのに体が震える。
「寒いっす」
「じゃ、これ」
彼女は赤いマフラーを私の首に巻いてくる。半袖にマフラー。かなり変だ。
――――――
彼女の背を見ながら階段を下っていく私は、ポケットにしまった指輪を右へ左へと転がしていた。なぜだかその動作に私は、恋愛の恐ろしい象徴を見たようで、やはり寒気が止まらなかった。
「寒いっすね。”Someone is walking over my grave.”っすね」
「なにその急な英語」
「ギャグす。寒いとサムワンをかけたギャグ」
くだらないことをいいながら、二人は階段を下っていく。あたたかいおでんを目指して。
婚約指輪を、今夜食う 笠井 野里 @good-kura
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