訪問者たち

あまるん

第1話 鳴り止まない拍手と弾丸

 甘い汗と濃く漂うサンダルウッド、素足に響く音楽。ステージの前のスポットライトが眩しくて、客席に落ちてしまいそう。赤いベリーダンスの衣装を纏った馨が舞台に立つと、お客様の視線を肌に浴びる。

 観客と演者の距離は隣の席に触った他人より近い。濃いメイクで表情が読みづらいはずなのに、緊張感がそのまま伝わってぱりんと空気が張り詰める。

 楽団がダンサーの登場に合わせて音を波に乗せそれから床に叩きつける。そこからふわりと、場内に広げてくれた。200人弱のお客様一人一人の目を見ているかのような、そして誰とも合わせない神秘的な目線をして、会場を見回す。座席の一番奥まで自分のオーラを伝えるように。

 エジプトの先生から教わっているダンス。馨が得意としているのは、ベールという薄布に空気を纏わせる振付だ。衣装とよく合う黄金の布を長い腕と髪を活かして、アラブヴァイオリンの音に合わせてなびかす。ウードという弦楽器の弾く音をつま先でとり、腰で太鼓のリズムを表現する。

 アコーディオンとベースが奥行きをつくり、音を支えてくれる。

 楽団が作る音楽を聴いたお客様から音が溢れている。馨はそれを拾い上げ自らの心の中の美しい風景と重ねていく。この五分間の、ほんの居眠りくらいの時間に馨は自らの一年を費やしていた。

 居眠りをしている人もいる。多分、家族の誰かの運転手として連れてこられたのだろう。熱心に見てくれる友人たちがいる。初めて見に来たらしい驚いた顔の人も。全てに感謝しかないと馨は思っていた。

 それがどれほどの美しい夢だったのか。

 今思うと、前世の出来事だったのかもしれない。馨は自宅の柱が歪んで辛うじて屋根を支えているのを見ながら、空のポリタンクを乗せた一輪車を走らせ始めた。給水車がいるのは歩いて15分先の公民館だ。

 粉っぽい春の空気がする。日差しは柔らかく水の香りがした。ひび割れたアスファルトに足を取られないように慎重に進む。

 忘れないように曲を口ずさみながら前屈みで一輪車を押す。徴兵された兄が押しやすいように二つの持ち手の間に粘着テープを貼ってくれていたので体を預けるように進む。

 思い出して、ポケットのスマホを取り出し、電源を切った。家の前から離れるとWi-Fiが繋がらなくなる。

 メイクもしないで髪を引っ詰め、兄のパーカーを着て一輪車を押している。

 ほんの二年前だ。馨は舞台を思い出すたび、胸が少し苦しくなる。今だって、別に食料に困っでもなければ水も来る。自転車で通える距離に職場もある。病院勤の父はたまにしか帰ってこないし、母は兄の心配ばかりしているとしても。

 周りの同世代は工場のある地区に移ったか、もしくは徴兵されてしまい、馨は一人取り残されている。休みの日は農作業を手伝いに行き、お礼に野菜を貰うこともあって、昔よりは逞しくなった。

 もう貨物列車か、徴兵された人が乗る特別列車しか走らなくなった踏切を越える。

 髪を巻いて、長く垂らすと花の香りがしたな、と思い出す。視線を上げると半分廃墟になった家の庭から木蓮の花が咲きこぼれていた。

 前の職場は街中で、お堀の脇に木蓮が何本かあって、空に赤紫の花を咲かせていたのだ。

 諦めていた怒りが腹の底から湧き上がって、思わず一輪車をひっくり返した。ポリタンクの転がる音がする。

 知らぬ間に、誰かが勝手に、こんな悪夢を始めた。


 薫が最初テレビの画面で見た時はドッキリかな、と思った。桜の時期、人々がそぞろ歩きをしていたところに、花の代わりにドローンが弾丸を降り注いだのだと言う。電波塔は木の代わりに焼け落ち、ビルは山の代わりに崩れた。

 大きな都市にいる友達が言うには、地下鉄に隠れてやり過ごしたけど、運が悪いものたちはガラスや大きな瓦礫にやられてしまったのだという。あの時演奏してくれた楽団も散り散りになっているらしい。

 一年、たったの一年で。

 しゃがみ込んで、じっと地面を見たけど、馨はまた諦めて立ち上がった。

 −−遠い空の下で兄は何を見ているのだろうか。

 −−−−私の役割は果たせているのか。

 小学生の頃の国語の教科書には、ちゃんと誰かが世界を見張らないといけないよ、と書いてあった。だけど馨はその方法を聞くのを忘れてしまったのだろう。

 やることはいっぱいあって、毎日増えていく。それが当たり前だったから。

 公民館に行かなくては。水がなくなってしまう。

 一輪車にポリタンクを載せようと手をかけたところで大きな音がした。咄嗟に一輪車の影に隠れる。

−−まさか、こんな田舎で?あ、ここはバイパス沿いだから戦闘車ならすぐにこられると言っていた。

 馨が隠れてる間にも爆音は止まない。避難訓練通りに遮蔽物の中に縮こまる。

 近くでこちらの方言にも似た、しかし全く意味が取れない言葉が聞こえた気がする。馨は見つからないように息を殺した。

 −−ここは舞台だ。この音は拍手。私はやっと踊り終わって息が上がっている。お客さんの前だ。そっと呼吸を抑えて微笑む。礼をして、ゆっくりと回ってみせる。

 やっと気を落ち着かせたと思ったがまた近くで足音がする。馨の視界がセピア色に染まる。隠れろ、動くな。まだ近くに聞こえるか?顔を出すと目立つ、近くの泥を顔に塗れ。頭に何か巻き付けて、目を見開くな。

 発砲音が聞こえる。誰かが撃たれたのでなければいい。聞き慣れた言葉を今は記号としてしか処理できない。


 タスケテ、タスケテ!


 やがて周りが静かになり、馨の周りから音が消える。

 ライトで照らされた衣装は赤にもピンクにもなった。そして黒にも。緊張して色が見えない。

 舞台の上でもたまにこうなった。自分の香水が香ることでやっと気持ちを解放できるのだ。

 でも、今は土煙と火薬、それから排ガスの匂いしかわからない。

 舞台の袖を出る時はいつも恐ろしかった。あの上には魔法がかかっていて、コントロールを失うとどこに連れてかれてしまうかわからないから。

 馨は笑みを浮かべた。あの日、本当に言うべき言葉は、感謝だけではなかったのだ。

 あの舞台の上で、あの200人に。

 

 

 

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