第5話 たまんねぇな

「というわけで、これ、お返し。ほんとにこれで良いのかわからないけど」


 恐る恐る、紙袋を真知子に渡す。

 シンプルな茶色い紙袋である。こじゃれたスイーツ店のそれではない。口を折り、端を透明なテープで留めただけのものである。どう考えても、それなりの店で用意したものではなさそうなその外見に、さすがの真知子もやや不思議そうな顔で「ありがとうございます」とそれを受け取る。


 慎重にテープを剥がして口を開く。中を覗き込むと、真知子は「わぁ」と小さく叫んで下唇を嚙み、笑った。


「正直ちょっと意外でした。しら、恭太さんからこういうの、いただけるのって」

「また金にモノを言わせてすげぇモン用意してると思った?」

「まぁ、その、はい。だって直前にあんな高価なアクセサリーの話題を振るから……!」

「うん、まぁ正直、あん時のマチコさんの反応如何ではアレを買うつもりだったけど」

「やっぱり」

「いや、婚約者へのプレゼントって考えたら、二十万くらいはさ」

「桁がおかしいですって。そんな高価なものをいただいても、着けていくところもありませんし」

「俺と行こうよ。俺が連れてく。普段のマチコさんが一番だけど、ドレスアップしたマチコさんも好きだよ」

「うっ……。し、恭太さんはすぐそういうことを」


 いや、本心だし? と悪い笑みを向けると、真知子は困ったように眉を下げた。


 照れ隠しのように、言葉を噤んで、袋の中のものを一つずつテーブルの上に置く。


 光沢のあるクリーム色の生地の小花柄シュシュに、同柄のハンカチ。パッケージに緑色の葉の絵が描かれたハンドクリームとボディクリーム。ポーチに入るサイズの折り畳みミラー。


 いくらおしゃれに縁遠い真知子といっても、これらがすべてその辺の雑貨屋で売られているものではないことくらいわかる。とはいえ、ものすごく高価なものではないこともわかる。シュシュとハンカチはそれなりのアパレルブランドのものだし、ハンドクリームとボディクリームはフレグランスブランドのやつだ。ミラーにしても海外のデパコスブランドのホワイトデー限定のものである。


 どれもこれも普段の真知子なら、自分では買わない額ではあるものの、友人等へのちょっとしたプレゼントと考えるとちょうど良い価格といったところだろうか。もちろん、その場合は単品で、だが。アイテムはおばちゃん達のアイディアで、それをランクアップさせたのは美波の入れ知恵である。


 ハンドクリームを手に取って、蓋を開ける。セットで使えるようにボディクリームも同じ香りであるらしい。鼻を近づけて、くん、と一嗅ぎ。そして、少しだけ手の甲にクリームを出し、すり、とこすり合わせた。


「好きな香りです、これ。グリーンティーですね」

「良かった。ぶっちゃけ俺としてはどの辺が『緑茶グリーンティー』なのかわかんねぇけど」

「知ってたんですか? 私がこういうの好きだって」

「いや、マチコさんが使ってる柔軟剤の匂いでアタリをつけた。甘い系じゃなくてさっぱりしたやつ使ってるだろ、緑色のボトルの。そういうの好きなんだろうなって思って」

「好きです」


 手の甲を目の高さに持ち上げ、すん、と鼻を鳴らして目を細める。いまの『好き』は香りに対しての感想だというのはわかりきっているが、彼女の口から出るその単語についどきりと胸が高鳴る。


「もっかい」

「はい?」

「好きってもっかい言って。今度は俺に」

「え、いや」

「嫌なの? 俺のこと、好きじゃない?」


 わかりきってるくせに、わざとそう言えば、真知子は口をむぐむぐさせてから、小声で「好きです」と呟く。囁き声レベルのそれでも、彼女からの言葉は的確に彼の胸を打つ。単語自体は耳にタコが出来るほどに浴びて来たものだが、浸透力が違う。真知子からの言葉は、耳を通って全身に回る。もっと聞きたくなる。どうやら相当に中毒性があるらしい。願わくば、ベッドの中でも聞きたい言葉である。背中にしがみつき、爪の痕を残しながら囁いてもらえたら、と思う。


「……ボディクリーム、この後使っても良いですか」


 と、恐る恐る尋ねられる。


「この、後」

「この後、です。あの、出来ればシャワーをお借りしたくて。その時にでも、と」


 真っ赤な顔でボディクリームを指差してから、はっ、と何かに気付いたらしく、「あっ、もしかして、変な味したりしますか?」と口元を押さえる。まさかの問いかけに固まっていると、この言い方では伝わらないと思ったのであろう、あわあわと焦って「だって、し、恭太さん、あちこち口付けたり舐めたりするじゃないですか。その時に、そのクリームの味がするの嫌かな、って」と補足する。


 何とも生々しい情報に、思わず恭太も吹き出す。顔を伏せ、くつくつと喉を鳴らしていると、さすがに己の失言に気付いたらしい真知子が「ちょっと私トイレに」と立ち上がる。恐らくはトイレだなんて嘘だ。この場から逃げるための口実のはずである。


 だから、その手を取って、引き寄せた。


「大丈夫、味とか気にしないから」


 耳元でそう告げる。

 びゃ、と真知子が叫んだ。


「あとでマチコさんを全部味わわせてね」


 とどめのようにそう言えば、ふしゅう、と息を吐いて、真知子の腰が抜ける。


「あ、ああああじ、あじ、味わうとか」

「だってさっきマチコさん言ったもんな? あのベッド、二人で使うって」

「い、言いました……」


 グリーンティーの香りがする手の甲に軽く口づけをし、恭太は、にや、と笑った。


「あのベッドにマチコさんの匂いが移ったらたまんねぇな。俺もう、一人では寝らんねぇかも」

「わ、私の匂いというか、このクリームの香りかと思います、けど」

「それでも。いまからこれはマチコさんの香りになるんだから」


 すぅぅ、と深く息を吸い込めば、ほのかなグリーンティーが鼻腔を通って肺を満たす。


 ほんと、たまんねぇな。


 ぽつりとそう呟いて顔を上げれば、頬を紅潮させ、潤んだ瞳でこちらを見つめている彼女と目が合う。


「シャワー浴びたい? 俺はもう正直このまま抱きたいけど」

「ひえっ、で、出来れば、浴びたい、です」

「そっか。一緒に入る?」

「あの、ひ、一人で」


 涙目でそう答える彼女に「冗談だよ」と軽い笑みを返して、テーブルの上のボディクリームを渡し、「いってら」と浴室を指差す。


 冷蔵庫の中には二人で食べる予定のバウムクーヘンが入っている。二人で共に年を刻んでいこう、というメッセージを込めたつもりだ。だけど、それは後回しだな、と恭太は思った。何せいまはそれより食べたいものがある。


 テーブルの上に残されたハンドクリームを手に取り、蓋を開けてその香りに目を細める。


 マジでもう、一人じゃ寝らんねぇかも。


 そう考えて、浴室から聞こえる水の音に耳を傾ける。


「マチコさーん、一緒に住もうよ」

 

 気持ち大きめの声でそう言ってみるが、本人には確実に届いてはいないだろう。

 彼女はいまそれどころではないだろうし、シャワーの音でかき消されてしまっているだろうから。

 

 だから後で改めて本人に伝えよう。

 

 そう決意して、クリームの蓋を閉めた。

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サワダマチコのホワイトデー 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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