ライブ・アライブ 脱走編

レンズマン

生きる男<アライブ>

 土砂降りの雨と強い風、そして雷が落ちる夜だった。

 ピカッ。雷光を見た弟が、後ろで編み物をしている姉に嬉々として振り返る。

「おねーちゃん、また光ったよ! もうすぐ……」 

「わかったわかった。それより、こっちのお手伝いを」

 ……ゴロゴロ!!

「きゃっ!?」

 予想よりも大きな雷鳴に驚いて姉の肩が大きく跳ねた。

「あはは! 教えてあげたのに。姉ちゃん、雷怖いんだー」

「もう、笑わないの」

 ふくれっ面の姉をひとしきり笑った後、少年は外を見る。

「早くお外に遊びに行きたいな」

「雨が止んでからにしなさい」

「ぶー。わかってるよう」

 弟は窓から離れて、姉の手伝いを始めた。


 子供たちが暮らす小屋の窓は、西からの風に押されて音を立てている。

 その風上を辿って行けば、緩やかな丘と、無数に建てられた墓がある。

 そして、頂上には一際大きな墓と、雨に打たれる黒い人影があった……。


 ☆☆☆☆☆


 『ライブ・アライブ 脱走編』


 ☆☆☆☆☆


 の明かりが彼等の顔を照らしている。人間に近い容姿を持った彼らは無表情で、整列して前を見ていた。

 一人は耳を鉄の部品で隠している。他の者も片腕が鉄でできていたり、首に鉄の繋ぎ目があったり、体のどこかが必ず鉄の部品で補強されている。即ち、彼等は人造人間ルーンフォークであった。

 外界で鳴り響く雷鳴が遠く聞こえる。しかし、彼等にとってはまるで別世界の出来事で、誰も関心を寄せていない。

 入口の自動扉が開いて、大きなシルエットが現れた。

「全く、凄まじい雨だった。……そろそろか?」

 列をかき分けて歩くのは、サソリのような胴体から、人間のような上半身が生えた蛮族だった。安っぽい皮鎧を地肌の上に着用し、鞘に入った両手剣を背負っている。長い後ろ髪は編まれていて、こちらもサソリの尻尾のように連なっている。

 その大きな体躯で無理やり列をかき分けて現れたので、意図せず道を塞いでいた彼等は雑にどかされ、転んでしまう者もいた。男は彼らを気にする素振りも見せず、雨に濡れた自らの身体を拭いている。

 また、彼らの中にも転んだ者に対して手を差し伸べる者はおらず、精々視線を向けるだけだ。また、転ばされた者も特に何か気にした様子はなく、自分の持ち場に戻っていく。

 皆が見守っているその装置は、卵型の容器の中を培養液が満たしていて、中に人が浮かんでいる。魔導器文明の遺産の一つであるそれは、ルーンフォークの製造のための”ジェネレーター”であった。 

「製造状況を報告しろ!」

 "サソリの男"は高らかに声を上げる。しかし、返事をする者はいなかった。サソリの男は怒って列のルーンフォークたちに振り返る。

「おい! 何故誰も答えん?」

 ルーンフォーク達は答えない。痺れを切らして、首の繋ぎ目が鉄でできているルーンフォークの胸倉をつかみ、持ち上げた。大きな下半身に支えられる胴体は人間よりも一が高く、その上一族でも巨漢の彼は身長が2m50cmある。

「製造状況を報告しろ!!」

 唾がかかるほどの距離、勢いでルーンフォークに怒鳴りつける。持ち上げられたルーンフォークは首が閉まるのに一瞬表情を崩したが、すぐに無表情に戻す。

「私は担当ではないので知りません」

「役立たず! では担当は!?」

 彼が指をさす先には、サソリの男の一番近くで”気を付け”をしているルーンフォークがいた。サソリの男は持ち上げていたルーンフォークを怒りのまま投げ飛ばすと、今度は製造担当のルーンフォークに顔を近づける。

「ごきげんよう、製造担当。製造状況を報告しろ」

「90%です」

 製造担当の彼女は淡々と答えた。

「そうか。ちなみに、どうして俺の問いに答えなかった?」

「誰に答えてほしいのか、指定がありませんでした」

「この間抜けが!」

 言うが早いが、大きな針が彼女の胴を貫いた。

「がはっ……!?」

 下半身、サソリ部分から伸びた鋭い針は彼女を持ち上げ、乱暴に投げ捨てる。

 投げ捨てられた彼女は身体を痙攣させて苦しんでいる。サソリの尻尾からは、紫色の毒液が流れていた。

「おい、首が鉄の奴。そいつに手当をしてやれ。仮にも製造担当だ、死なれて記憶を失われても面倒だ」

 指名されたのは最初に声をかけられ、投げ捨てられたルーンフォークだ。彼は立ち上がり、サソリの男に頭を下げる。

「……はい」

 声に生気は無い。製造担当のルーンフォークを抱えると、部屋を後にした。


「くっくっくっく! さあ、お前たちも見届けろ! 俺様の新たなる部下の誕生を!」

 順調な製造工程に上機嫌になった男は両手を広げ、新たな部下の誕生を待ちわびた。

 並んだルーンフォークたちは正気のない瞳でソレを見守っている。

 この部屋は照明が装置の光しかない薄暗い部屋だ。培養液の中に人影が見える。"彼"もまた、自らの誕生の時を待っていた。

 彼は少しずつ完成していく。製造進捗は95%。身体はほとんど完成している。後は、ルーンフォークとして"最も大切なモノ"を彼に覚えさせるだけ。


  ……その時だった!


 ……ピカッ、ゴロゴロ!

 雷光が雷鳴を呼び、それらは殆んど同時に彼等の五感に襲い掛かった! 雷がこの施設を、装置を。直撃したのである!

「ぬがあああああっ!?」

 サソリの男は、凄まじい光を見て目を焼いた。一瞬遅れて轟音が耳を裂く。そして、ガラスの破片と共に襲いかかる衝撃に大きな身体を吹き飛ばされた。

「うぐお……な、何が……起きた!?」

 サソリの男は起き上がろうとするが、全身に突き刺さったガラスの破片が身体の各所に痛みを走らせる。光に目を焼かれ、装置の照明が消えている。暗闇の中では、起き上がるのもままならなかった。

「誰か……! 俺を、起こせぇ!」

 じたばたともがくサソリの男。周囲のルーンフォークたちも同様に倒れたが、一人ずつ起き上がっていた。しかし、彼の呼びかけに応えるものはいない。

 ルーンフォークたちはサソリの男の声を聞いていた。彼に応えないのは、指名をされなかったから、だけではない。彼らは皆その光景に目を奪われていた。

 ルーンフォークの種族特徴は"暗視"。暗闇の中でも視界を確保できる能力。彼等は闇の中で蠢く、その男を見ていた。



 ……声が聞こえたぜ。

 "お前の使命は、誰かに仕えること"

 理解できそうだった。もう少しで、俺はそれを理解できた。

 ……だけど。そんなことより。

「死んだら、終わりだ」



 彼は自分を押しつぶそうとしていた装置の破片を持ち上げて、押し退けた。

 身動きする度、彼と装置を繋いでいた管が外れていく。生みの親の手を振り払うように、自らの足で自立していく。

 立ち上がり、目を開いた。霞がかっていた視界は、何度か瞬きをすると少しずつはっきりと見えるようになる。

 周囲を見て彼は理解した。"囲まれている"。だが、大半の連中に戦意は無さそうだった。武器を持っていない者もいる。

 囲んでいる連中の真ん中に、ひっくり返っている大きな"マヌケ"を見つけた。彼は、その男に……正確には、近くの床に落ちていたモノに目を奪われた。

 ルーンフォークたちは、闇の中から生まれた彼の動向に目を奪われ続けている。彼はそれを気にする素振りすら見せずに、真っ直ぐに歩いてマヌケに近づいた。

「誰かいるのか!? そこのお前、そうだ、俺様に一番近くのお前!」

 じたばたしているマヌケを見下す。爆音に耳を破壊された男は、おぼつかない手つきで彼の足を掴んだ。

「そこを動くなよ、今立ち上がって……」

 掴んだ足を支えにして、マヌケは立ち上がろうとする。強い握力と体重で、かなりの負荷が彼の足にかかった。しかし、彼は苦痛に顔を歪ませたりしない。その代わり口を大きく開いて笑顔を作る。

 それから、産声を上げた。

「お前の剣、寄越せよ」

「え?」


 ……ズバッ!


 次の瞬間、マヌケは再び身体を地面に打ち付けた。切り落とされた右腕から流れる血が、闇の中で笑う彼の足元をその血で濡らしていく。

「な、何を……うわあああああ!?」

 事態を遅れて理解し、悲鳴をあげる。

 一方、闇の中で生まれた彼は、生まれて初めて握った剣を自在に振り回し、宙に投げると、回転しながら落ちてきた剣をそのまま鞘に収めた。

「これが"剣"か。いいねぇ」

 鞘にしまったロングソードを左手で携行すると、彼は周囲を見渡す。そこで、初めて見物していたルーンフォーク達と目があった。

「……暇なのか?」

 声をかけられたルーンフォークは返事に困る。直後、突進してきた彼に驚いて顔を背けた。しかし、彼は襲いかかる事はせず、すぐ隣を通り過ぎて部屋から走り去って行く。彼らは何もできず、ただ走り去っていく影を見送った。

「……なんで」

 誰かが思わず声を漏らした。何かを言いかけたのだろうか。その言葉は途中で終わっていたが、その場の誰もが同じ気持ちだった。

「何をしている、お前たちッ!」

 呆然としているルーンフォークたちに、マヌケの男は声を荒げる。

「早く奴を追え!! ……ここに居る、全員でだ!」

 指令を受けた"全員"は、各々顔を見合わせた後、駆け足で部屋を出て行った。

「ハァ……ハァ……くそっ!」

 残されたマヌケの男は、身じろぎをする。そして、驚愕の事実に気づいて、目を見開いた。

「しまった! 俺を起こしてからいけえええっ!!」

 マヌケな声に応える者は、誰もいなかった。




 ……なんで。

 なんで、命令されなくても動けるのかな?

 ……良いなぁ。




 ☆☆☆☆☆


 暗闇の中を走る。そのうち、明かりがついた。

 彼は、相変わらず左腕でロングソードを持ち、適当な部屋から調達した服を着て、ボロ布をマントのように羽織っている。

 走ってくる足音を聞いて、彼は近くの部屋に飛び込んだ。その先には下りの階段がある。

「……地下?」

 追手たちは、自分が生まれた部屋から一定方向に向かって行動している……ような気がする。

 自分を先回りして捕まえようとするなら、彼等の行く先にきっと出口があるはず。だが、数で塞がれたら、逃げるのは難しいだろう。

 裏をかくつもりで、彼は階段を降りて行った。


 何かの音がした。彼はその時、その音が何を意味するのかわからなかったが、実物を見てそれが水の流れる音だったと理解する。

 地下には水の流れる人工の川……水路が広がっていた。

「こんなところに何のようだ?」

 背後から声をかけられる。ゆっくりと振り返ると、女性型のルーンフォークがそこにいた。

 漆黒のロングコートを着用した彼女はいかにも他の連中とは風格が違う。ショートボブの髪の下に見えるピアスが不思議な魅力を放つ。それが魔法道具だと察することができたのは、まだ先の話だ。左右で色の違う瞳のうち、左目が動いていない。義眼だ。

「お前か。例の脱走した新個体と言うのは」

 ロングコートの下、彼女の腰には二本の短剣が見えた。だが、今のところは剣を抜く素振りは見せない。

「……これって水路だよな。穴倉が好きな蛮族どもにしちゃ、随分気合の入った住処だな、と思ってよ」

 言いながら、左手にもった鞘から右手で剣を抜く。

「ここは魔導機文明時代の遺跡だ。今は、奴らの根城にされてるが……」

 女は自虐的に言い、笑った。それを見て、男も笑う。

「ふーん。じゃあお前らは、みすみす住処を奪われた挙句、後進を奴等の奴隷にされてるってわけだ」

「……黙れ。生まれたばかりで何も知らないくせに!」

 女は怒り、短剣を抜いて切りかかる。それを見て、男は左手で持った鞘を腰の近くに持って、右手を添えて低く構えた。

「ウッ!?」

 殺気を感じ、女は自分の間合いに入る直前に動きを止めた。直後、鋭い一閃が空を切り裂く。正しく間一髪、もう一歩踏み込んで居たら胴を両断されていただろう。素人の剣技ではない。

「なんだよ、斬らせてくれよ。先輩」

「恐ろしい剣の冴えだ。生まれたばかりというのは嘘なのか?」

「いいや、マジさ!」

 男は右腕で剣を振り上げ、斬りかかった。短剣を掲げてその斬撃をかわすと、続いて繰り出された二発の斬撃も同様に短剣でしのぐ。左から右に男が剣を振ったあと、正面はがら空きになった。そこへ、女は短剣を突き刺す。

 しかし、動く何かが女の視界の端に映った。それは、男が左手で持ち続けているロングソードの鞘。それが、気づけば眼前に迫っていた。

「オラァ!」

 鞘でこめかみを殴られた女は大きく体勢を崩す。

「ぐっ、鞘で殴られた……!? 頑なに鞘を手放さないとは思っていたが、このためか……!」

「ぶつくさ言ってんなよ!」

 隙を逃さず男の剣が迫る。鞘を投げ捨て、両腕で持った剣での突き。しかし、女の立て直しは素早く、軽やかな足取りで突き出された剣を躱し、敵の後ろを取った。

「やべっ……」

 男は慌てて身体を左回転し振り向く。それより早く女は短剣を刺そうとする。だが、異変に気が付いた!

「にひ」

「ッ!? こいつ!」

 男は笑っていた。見れば、剣が右腕から左腕に移動している。企みを直前に察した女は姿勢を必要以上に落とした。そのため、男の左手に握られていたロングソードは空を切る。その隙に振り上げた短剣は僅かに男を切り裂いたが、致命傷にならなかった。

「ぐぇ……けっ。アレもかわせんのかよ」

 切られた胸を触ると、赤い血がにじんだ。悪態をつく男はまだ表情には余裕がある。むしろ、反撃に成功した女の方が表情は険しく、疲れている様に見えた。

「生まれたばかりで剣を振るうことにも驚いたが……"両手利き"とはな」

「へっ。どの道、喰らったら死ぬんだよ。生まれたばかりとか、どっちの手で武器使うとか、言ってる場合かっての!」

「……なるほど。生まれたばかりのお前には、生活習慣というものがない。だから、利き手が偏ることもない、ということか。だが、それだけだ!」

 道理を見出して満足した女は、素早く踏み込んで攻撃を仕掛けた。

「うっ!?」

 女の動きは素早く、男の長剣はその姿を捉えることができない。

 すれ違いざまに右腕を切り、間合いを取ろうと下がった男を追う。迎撃の為に振り下ろされたロングソードに添うように短剣を動かし、敵の剣の挙動を最小限動かすと、女の剣だけが相手の頬を掠る。再びすれ違うと、今度は蹴りで体勢を崩し、背中に短剣を突き刺す。が、その前に振り返った男の腕に剣が当たり、鮮血が舞った。更に素早く二回、右と左の足をそれぞれ斬りつける。

「うげっ……」

 男は倒れそうになるのを剣を杖にして堪えようとするが、魔導器文明時代に人口で整備された硬い地面に剣は刺さらず、床に身体を打ち付ける。ロングソードも音を立てて転がった。

「くっそ……」

 倒れ伏し、頬を冷たい床に擦りながら言う。

「勝負あったな」

 男は何とか膝をついて身体を起こすが、短剣が首元に突き立てられた。

「”お父様”の命によりお前を捕らえる。抵抗しなければ、殺さないでやろう」

 誰の事を指しているのか考える。当てずっぽうとなるが、おそらくあの間抜けの事だろうとアタリを付けた。

「……”お父様”、ね。……あいつ、そんなに偉いのか?」

「何が言いたい?」

「俺には奴が、一人で起き上がることも出来やしねえ、タダのマヌケにしか見えねえぜ。お前等よォ、あんな奴に使われて満足なのかよ」

「……」

 主を馬鹿にされても怒りもしない。言い返す気もないその様子に、理屈は分からないが……男は隙を窺った。

「俺はゴメンだね……!誰かに命令されて戦うなんざ、馬鹿げてるぜ! 俺は俺が生きるために戦う! 誰が相手だろうと……生き抜いてやる!! その為なら……!」

 圧倒的に追い詰めたはずの相手から、強い殺気を感じた。女の頬を伝った冷や汗に気を取られた、その瞬間!


 ”生きる男”は動いたッ!


 足に溜めた力を開放し、低い姿勢からの体当たりを繰り出す。

「うっ……!?」

 大きく体制を崩した女だったが、未だに距離をとれずにいる男の首筋に短剣を突き刺そうとする。一方、男は右腕を真っ直ぐ伸ばして、それを”奪った”。

「貰ったァ!」

「!?」

 男が剣を振り上げると、女を切り裂いた。厚いコートに阻まれて致命傷には程遠いが、それでも血をにじませている。

 女は、先程男が落とした剣を見た。ロングソードは彼の手を離れている。だとしたら、その剣は一体……。

「貴様、一体……はっ!?」

 距離を取って男を睨み付ける。しかし、彼が持っている剣を見て驚愕の表情を浮かべ、続いて自らの腰を見た。

「お前、私の剣を狙っていたのか」

 彼女の腰に刺さっていたもう一本の短剣が抜き取られている。そして、それは男の手の中にあった。

「良い剣じゃねえか。”お父様”が持ってたこいつよりも」

 男は落としたロングソードを拾い上げ、ベルトと鞘で背中に背負う。奪った短剣を左右の手で忙しなく持ち替えて感触を確かめていた。

「恐ろしく鋭い剣だ。型も何も無いが……。ウチのモノとは気迫が違う」

「たりめーだ。命令待ちのボンクラ共と、一緒にすんなよ」

「そのようだな」

 薄く笑う。そして、男に奪われた短剣の鞘を腰から抜いて、彼に投げ渡した。

「なんだ、くれんのか? ……ん?」

 男は鞘と一緒に投げ渡された物を見る。歯車のようなソレは、強い魔力を秘めていて……。

「あ、テメ……!」

「グレネード」

 歯車のような、小さなマギスフィアが爆発した。爆発に吹き飛ばされ、男は水路に身を投げた。

「そこまで言うなら生き延びてみろ。……その剣は選別だ、くれてやる」

 女は、激しい水流に流されていく男に背を向けて歩き去っていった。

「げほ、思ったより水の流れがはええ……! くそ、こんな所で……」

 必死に顔を水の上に出して、水を吐き出す。しかし、流れが速く、抜け出すことはできない。

 やがて明かりからも遠ざかり、彼の身体は再び闇の中に消えて行った。


 ☆☆☆☆☆


 雨が彼の意識を呼び起こした。どこかで雷が落ちている。

「……生きてる……」

 水路を抜けて川下で目覚めた彼は、陸に上がって歩き始めた。

 あの女に斬りつけられた傷、特に両足の傷は歩くたびに痛みを訴え、そうでなくても水の流れと雨に体力を奪われている。苦しさは本物だが、落雷に照らされる彼の横顔は笑っていた。

 行く当てもなく、ただ目の前にあった丘を登っていく。

 ”生きる男”の道行を、丘に建てられた無数の”石”が見送っていく。男は、それを知識として知っていた。

「”墓地”って奴か。死んだ人間を弔って何になるってんだ……」

 知識として知っていても、彼にはそれをする意味は理解できなかった。

 丘を登る足取りは重く、いつ倒れてもおかしくはない。

「……俺もここで死んだら、手間が省けるか……? へっ、冗談じゃ……」

 視界が定まらなくなってきた。意識も朦朧としてくる。

 それでもなぜか、彼の足取りは頂上に向かっていた。そして、丘を登りきった時、一際大きな墓石に頭をぶつけた。ついに膝を折って、目を閉じた。


 ☆☆☆☆☆


 翌朝。連日の嵐は過ぎ去り、生い茂る草の雫は朝日を反射して瑞々しく光っている。

 姉弟は丘を登って頂上を目指す。ゆっくりと歩く姉と、その周りを弟は両手を広げて無邪気に走り回っている。道中、昨日の雨に濡れた無数の墓を通り過ぎた。

 頂上に辿り着いた二人は、一際目立つ大きな墓の前にやってくる。

 白い墓石が大半の中、その墓石は黒い。そして、墓の前には剣が突き刺さっていた。

 姉は跪いて目を閉じ、安寧を祈る。一方弟は、蝶々が飛んでいたので、それを追いかけた。

「こら、ちゃんと祈りなさい」

「は~い」

 姉に言われて蝶々から目を離した弟は、偶然”影”を見つけた。

「ねえ、そこで何してるの?」

 姉は近くに寄ってこない弟を不審に思い、目を開く。弟は、墓の後ろを覗き込んで、誰かに話しかけている。

「誰かそこに居るの?」

「うん。寝てるお兄さん」

「!?」

 姉も慌てて墓石の後ろを覗き込んだ。そこに居たのは、墓にもたれかかって眠っている一人の男だった。男はゆっくりと瞳を開く。

 姉は、男の瞳が白い事に気が付いた。驚きのあまり二人が動けないでいると、不気味な瞳はぎょろぎょろと動いて姉弟を観察した。

「……人間か。……クク、アハハハハ!!!」

「キャー!?」

 呟いたと思ったら、枷が外れた様に笑い出した。姉はその不気味で危険な様に恐怖して、悲鳴を上げて弟を庇う。

 ”生きていた男”はゆっくりと立ち上がった。そして、姉弟に近づいてくる。

「オイ……」

 男は傷だらけの右腕を突き出した。右腕だけではない、頬、両足、胸、他にも傷はたくさん見える。

「殺さないで!?」

 恐ろしい風貌と態度に怯え、姉は反射的に命乞いをしてしまう。弟は、状況が理解できずに姉の顔を不思議そうに眺めている。

「食物をよこせ……」

「賊!?」

「食えるモノをよこせ!!」

「キャアアア!!」

 太陽の下、少女の悲鳴が丘の上から墓地に響き渡った。


 ……こうして。彼は生後最初の危機を生き延びた。

 誰かに使えることを否定し、生きることに執着するルーンフォーク。

 彼は後に”アライブ(生きる者)”と名乗る冒険者になるのだが……それはまだ、先の話。



 「ライブ・アライブ 脱走編」……終

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ライブ・アライブ 脱走編 レンズマン @kurosu0928

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