火神の婚姻

@videodrome

 この記録はある村の異類婚姻譚のような出来事について簡単にまとめたものである。

 筆者は当事者の老女(取材時には彼女は百二十歳を超える高齢だった)に体験した出来事について語ってもらい、それを文章に起こした。


 ◆

 あれは私が十二を数えた歳の頃ですかね。ええ前触れの話です。

 まず最初に啓示がありました。私が調理場の火の番をしながら火をぼんやりと眺めていますと、突然それが大きく燃え上がって私を包み込みました。

 私の両親はその光景を見ていて飛び上がって私に着いた火を消そうとしたそうです。

 その火はすぐに消え去り、代わりに私の手のひらの上には炎のような濃い赤褐色の紅玉髄が載せられていたそうです。

 その時私は何を見ていたのかって? 正直なところよく覚えていません。朧げな記憶はあるのですが、それはあまりにも抽象的で、うまく言葉にすることはできません。

 ただ、声が聞こえたことはよく覚えています。ものすごく暖かな声の方が私に語りかけてくれたことを覚えています。その声色の心地よさに私はうっとりとしてしまって、その方の話は重要な部分しか覚えていませんでした。

 私は両親にこう言いました。

「この石は贈り物です。あの方は三年後に私を迎えに来るそうです」

 両親はこの時私がハヤカミさまに選ばれたことを察したようです。


 ◇

 少女が住んでいた地域では『ハヤカミ』と呼ばれる火の神に対する信仰が根付いている。地域の住民たちは不毛だった土地を肥えさせたハヤカミの物語を語り継いできた。

 住民たちは紙や木の板に、絵や文字を用いてハヤカミの物語を書き記して焚き上げる。そうすることでハヤカミに物語を忘れていないことを伝える風習が存在している。

 最近ではその風習が曲解され、捨てるには心苦しい書籍を火にくべて焚き上げることで、書籍を供養する風習に変化してきているそうだ。近いうちにハヤカミの物語は新しい風習によって消えてしまうかもしれない。

 ハヤカミは火と豊穣さをもたらす神として村人たちに語られている。同時にハヤカミは好色な神でもある。度々村の少女がハヤカミさまに選ばれて、火にその身を捧げたそうだ。不思議なことに火に身を捧げた少女たちはその後どうなったのかよく分かっていない。

 燃え盛る炎に足を踏み入れ、その先に別の世界があるかのように、彼女たちは火の中を進んでいくそうだ。元の世界への甘い感傷に浸っているのだろうか、ゆっくりと歩きながら。


 ◆

 婚礼の儀式のことは今でもはっきりと思い浮かべることが出来ます。私の人生で一番輝いていたときのことですから。

 婚礼は薄明が柔らかに闇を彩る頃から始まりました。

 まず私は清水で身を清めますと、髪を櫛削り、それから化粧を施しました。

 新しい白い着物を着て髪を結い上げ、それからハヤカミさまから預かった紅玉随を小袋に入れて首から下げ、そして最後に水を飲みました。体を清めるために三日間の断食を行なっていたので、水が体によく染み渡っていったことをよく覚えています。

 その後に少しうとうとしていますと長老方が私の家を訪れて、それから私に着いてくるように言いました。

 社に向かうのです。

 社は村のはずれにありましてね、そこでは火守人と呼ばれる火の番人が火を絶やさずに灯し続けています。

 社の周囲は神聖ですから、汚れなどあってはいけません。

 本来は私のようなものが来てよい場所ではないのです。だから私は見知らぬ世界に足を踏み入れているような、そんな気分になりました。

 社は森の開けたところにありました。入り口の両脇に篝火が置かれていて、それが赤々と周囲を明るく照らしていました。森から光に誘われた虫が火に向かって飛び込んでいく様子を眺めて、私は虫とは愚かなものだと思いました。

 社は人が三人入るといっぱいになってしまうような狭い場所でしたので、私は守人に案内されるとすぐに木製の小さな椅子に腰掛けて、それから守人に頭に市女笠のような、白い布でできた被り物を被せられ、それから待つように言われました。

「少し待つとハヤカミさまがいらっしゃるから」

 そうして長老と守人が歩み去っていき、私の周囲を静寂が包みました。

 聞こえるのは周囲の草木に潜む虫の鳴き声と、社の前に置かれた篝火のぱちぱちと弾ける音だけでした。

 視界を遮られているものですから、私はしばらく眼を瞑って、周囲の音に耳を澄ませて過ごしました。

 そうやって一つの感覚に神経を集中させますと、いつもとは違ったものを感じることがあります。

 虫の鳴き声の他に、そよ風によって揺れる木々や葉っぱのこすれる音。村では宴が行われているのでしょうか、囃子の賑やかな様子が風に乗って聞こえてきます。

 音だけで構成された世界はとても豊かなものでした。その発見に私が驚いていますと、すぐ近くに何かが降りたったような音がして、それからじんわりと熱を感じて私は少し汗ばみました。

 何かが私に一歩ずつ近づくにつれて、熱が強くなっていくのを感じて、私は気づきました。ああ、今、すぐ近くにいるのがハヤカミさまなんだと。

 ハヤカミさまは私の目の前に立ち、まず私の名前を尋ねました。薪が燃えるような軽やかな声色でした。私がそれに応えますと、彼は「今から加護を施すので決して瞼を開いてはならない」と告げ、それから私の頭の上にあった布を取り去りました。

 私は瞼の向こう側に強い光と熱を感じました。瞼の裏は光によって炎のように赤く見えました。

 ふと、先ほどの虫が炎に飛び込んでいく光景を思い出しました。

 あの時、私は虫のことを愚かだと思いました。けれどそうではなかったことをその時理解したのです。

 炎に飛び込む虫の姿は人の目から見れば愚かに映りますが、虫の目から見ますと闇の中で揺らめく熱を放つ炎は、抗い難い狂おしいほどの魅力があるのでしょう。

 あのときの私は虫と同じでした。私は目の前の光の魅力に負け、瞼を開いて彼の姿を見たのです。視界の全てに広がる強い光が彼でした。

 光は私の目を貫き、熱は焼きました。私は激痛にこらえながら彼の姿を見つめ続けました。

 それから私は気を失い、そしてしばらく経ってから長老と守人に揺り起こされて、婚姻が成立しなかったことを告げられました。


 ◇

 語り手の女性はこの物語を語った三日後に突然発火して全身が炎に包まれた。その炎は消すことが出来ず、発火してから二年以上経った現在でも燃え続けているそうだ。

 筆者は最後に彼女が言った言葉を忘れることが出来ない。

「後悔はありませんよ。あれほど美しいものを見られたのですから。あの美しい光は私の中で永遠に輝き続けているのです」

 そう言って彼女は何もない真っ黒な眼窩で筆者の方を見つめながら微笑んだ。

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