第三詞【現の暴暁光】


「……父さん」


 ――最悪な、父娘の再会。

 死体を哀れむかのように自分の娘を見下ろしてくるこの男を、強張る唇を噛みながら気力を振り絞って睨み付ける。

「……なんだその目は」

 気を抜けば、その場に倒れこんでしまいそうだ。肺が凍りつく。壁に手をついて、なんとか立ち上がる。

「貴方には関係のないことだ」

「……」

 狭い路地裏で、沈黙が流れる。互いの呼吸する音だけが虚空に響く。朝の木漏れ日が差し込んできた。

 差し込んできた光に気を緩めたところで男が口を開いた。自分を見つめる視線に、喉笛を噛みちぎられそうな恐怖感を覚える。

「有紗、帰ってきなさい」

「……」

「水泳もピアノも、英会話も他だって何ヵ月も溜まっているんだぞ。」

 どれもやりたくなんかない。好きな音だけに包まれていたい。どうにかして隙をみて逃げ出そうと、片足を一歩後方へとずらす。

「お前が少しでもまともでないと、私の顔に泥がつくだろう。ただでさえ出来損ないのくせに、親の手を煩わせるな」

 ――"出来損ない"。何度この男に言われてきただろうか。思い出すだけで虫酸が走る。

 そして何よりも、この男は自分の事しか相変わらず考えていないのだ。思わず呆れてしまう。

「……帰らない。帰ってあげない」

 上手く機能しない表情筋を無理矢理動かして、片頬をあげて答えて見せる。

「……今はいい。今はな。困るのはお前なんだから。少しはお前の兄を見習うんだな」

「……兄さんは関係無い。さようなら」

 男の視線を背に受けながら歩いていく。路地裏を抜けてスマホを見てみると、もう既に朝の3時を過ぎようとしていた。

 肩の力がどっと抜けて、膝から崩れ落ちる。高鳴る鼓動が鳴り止まない。歯がかたかたと音を鳴らす。その場に座り込んで、膝を抱える。


「……あんな男、死んでしまえばいいのに」


 脳内に、かき消してしまいたい記憶が流れ込んでくる。頭に割れそうな程の激痛が走って、ポケットから取り出した市販薬を無理矢理喉の奥に飲み込む。



 身体の強張りが落ち着いたところで、叔父さん達の家にたどり着いた。

「「有紗ちゃん!」」

 叔父さんと奥さんが私に駆け寄ってきて、強く、それは強く抱き締めてきた。

「何度も電話をかけたりしたのになんで返事をしなかったんだ!」

「本当に心配したのよ!」

 スマホを改めて確認してみると、百件ほどの通知で画面が溢れていた。

 驚くと同時に、自分はこの人達にとって必要な存在なのだ、欠けてはいけない存在なのだ。――愛されているのだと安堵してしまう。

「なんでそんなに遅くなってしまったんだ」

「……父が」

 それを聞いた途端に、叔父さんと奥さんの顔から血の気が引いていく。

「……そうか。……そう、だな。ひとまず、家の中に入って休みなさい。疲れただろう」

「そうね。そうしましょう。ほら、有紗ちゃん。お貸しなさい?荷物、もったげるわ」

「……ありがとうございます」

 朝のシャワーを浴びて、階段を上る。途中で、叔父さん達の小声が聞こえた。

「あいつが……なんで」

「有紗ちゃんの居場所がバレたのかしら」


「……僕達が、守らなくては。あの子を。あいつには……人の心なんて存在しないんだから。娘さえ、駒としか考えてないような奴だからな」


「……」

 寝間着に着替えて、ベッドに寝転ぶ。

「……母さん」

 目を閉じる。今日はきっと、学校を休むだろう。なら、このまま寝てしまおう。ノートは

 ……そうだな、隣の席の奴にでも見せて貰おうか。そんなことを考えながら静かに目を閉じる。

 閉まりきったカーテンから垣間見える光が、すっかり朝であるという現実を突き付けてくるようで嫌になる。


 眠りに落ちたかと思うと、私は懐かしい実家に立っていた。

 いつもより何倍にも狭い視界、低い視点。鏡を見るとそこには、今の私の何歳も若い、無垢な瞳をした「本郷有紗」がいた。

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Melted - 天に捧ぐ君讃歌 萩野 郁 (はぎのいく) @iku_hagino

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