コウテイペンギンのありがたいお話
虹色冒険書
コウテイペンギンのありがたいお話。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「パパ、待っててね!」
俺にそう告げて、妻と娘が園内に設置されたトイレに向かっていく。
ふたりの家族の後ろ姿を見送って、俺はベンチに腰を下ろして大きくため息をついた。
「ふう……」
ここは、『ジャパンペンギンワールド』という水族館。
その名のとおり、ペンギンのみを飼育している水族館であり、個体数・種類双方において日本どころか、世界でも最大規模なのだそうだ。
ペンギンが好きな人にはまさしく聖地と呼べる場所で、テレビでも幾度か取り上げられていた。その放送を見た娘が『行きたい!』と言ったので、連休を使ってここに来たというわけである。遠方だったので車を走らせるのは少し疲れたが、たまには家族サービスしなきゃならない。
ここで目にするペンギン達がよほど可愛いかったんだろう。小学校に上がったばかりの娘はもうはしゃぎっぱなしだったし、妻もずっと笑顔だった。
「んっ……!」
背もたれに寄りかかり、ぐっと伸びをする。
連休中ということもあるし、園内には家族連れが多く見受けられた。娘と同じように、ペンギンの姿に歓声を上げる幼い子供もあちらこちらにいる。
人の声とペンギンの声が織り交ざる喧騒の中、俺は空を見上げてみた。
澄んだ青空を、数羽の鳥が横切っていくのが見えた。
「はあ……」
今日は、とても天気がいい。それに、妻や娘が喜ぶ姿を大いに見ることができた。
それだけでもここに来たかいがあったというものなのだが、俺の胸には何やらモヤモヤしたものが渦巻いていた。その理由は、考えなくともわかる。
つい先月に勤めている会社で人事異動があり、俺は別の部署に回された。退職による人手不足が理由だったのだが、転属先はこれまでとはまるで違う仕事をする部署で、慣れない俺は怒られてばかりだった。音を上げる……とまではいかないものの、休日にも会社や仕事のことを考えてしまうくらいには参ってしまっている。
まあもちろん、妻や娘の前では間違ってもこんな悩みを表には出さないけどな。
「わあすごい、大きい!」
前方にある飼育スペースのほうから声が聞こえて、俺はそちらを見てみる。
ベンチから腰を上げ、その飼育スペースに歩み寄った。
そこにいたのは、コウテイペンギンだった。
別名『エンペラーペンギン』、体長は大きい個体だと130センチにもなり、現存する中では世界最大のペンギンである……と、飼育スペースの前に設置された看板に書かれていた。
その解説に偽りはなく、本当に大きいペンギンだ。
130センチって、うちの娘よりもデカいじゃないか。きっと、体重もそれなりにあるんだろうな……と思った。
それにしても、動物園の動物っていいもんだな。
働かなくても飯が食えるし、飼育員に身の回りの世話も焼いてもらえる。子がいる動物だって、子育ての一切を飼育員が担ってくれるんじゃなかろうか。とりわけペンギンなんて人気者だ。ヨチヨチ歩く姿を見せるだけで観客を喜ばせられるだろう。
家族を養うために馬車馬のように働き、日々怒られている俺からすれば、羨ましいことこの上なく思えた。
「いいよなお前らペンギンは。なんの苦労も知らなそうで」
柵に頬杖をつき、コウテイペンギンを見つめながら呟いた。
それはもちろん独り言で、誰の耳にも入らず消えていく言葉のつもりだったのだが、
「おう兄ちゃん、そいつは聞き捨てならんな」
その声に、思わずビクリと身を震わせた。
誰だと思って周りを見渡すが、声の主は見当たらない。
「こっちだ」
何かの聞き間違いだったのかと思ったその時、誰かの声が再び俺の耳に入ってくる。
正面から聞こえたのだが、俺の前にはペンギンの飼育スペースがあるだけで、そこに人はいない。
人はいないが、コウテイペンギンは数多くいる――その中の1匹が、俺のほうをじっと見つめていた。
「へ……?」
「お前、今俺達ペンギンのことをディスったな」
呆けた声を出した俺に向けて、言葉が重ねられる。
周囲を見渡しても、声の主が見つかるはずがなかったのだ。
――俺に呼びかけていたのは人間ではなく、ペンギンだったのだから。
「は!? ぺ、ペンギンが喋って……!」
「喋れるぞ、お前の勘違いを叩き直すための言葉くらい出せるぞ」
信じられなかったが、どうやら聞き違いじゃないらしい。
周りにいる人々にはペンギンの声は聞こえていないようで、どうやら会話できているのは俺だけのようだ。
「単刀直入に訊くが、お前、俺達ペンギンのことをどう思ってる?」
「は……?」
非現実的な現象に直面し、大いに混乱しまくっている俺に、ペンギンは唐突に質問を投げかけてくる。
「当ててやろう。ペンギンは足が短くて、空も飛べずに地面をヨチヨチ歩くことしかできない、水族館や動物園の客寄せパンダ的な、鳥という種族の誇りを失ったような動物……そんなところじゃないか」
「あ……」
さっきまで俺が考えていたことと、ほとんど一致していた。
「そうなんだろ、違うのか?」
あまりにもスムーズに喋るので、気づけば俺はペンギンの言葉に聞き入ってしまっていた。
人と普通に話しているような感覚になり、不思議と違和感が薄れていく。
「あ、ああ……悪いけどそう思ってた」
ぎこちない喋り方になってしまったが、とりあえず俺は返答した。
やれやれと言わんばかりに、ペンギンは肩をすくめる。その仕草はまるで人間そのものだった。
「ま、大半の人間はそう思ってるみたいだし……無理もないな」
下を向き、ペンギンは諦めの気持ちを噴出するように呟く。
しかしすぐに顔を上げて、俺と視線を重ね直した。
「け、けど実際ペンギンは足が短いし、空も飛べないだろ?」
俺は言った。
ペンギンは肩をすくめた。やれやれ、と言わんばかりの仕草だ。
「そもそも、ペンギンは足が短いというのは人間が勝手に作り出した偏見だ」
「え?」
ペンギンは足が短い――多くの人がそう思っているだろうし、俺もそう信じ込んでいたのだが。
「俺達ペンギンの足はな、いわば『空気椅子』のような形で大部分が体の中に隠されているんだ。表から見えている部分が少ないだけで、本当は体長の3分の1くらいあるんだぞ」
「え、そうなのか……!? ちょっと調べてみてもいいか」
にわかに信じがたい話だった。
スマホでネットを立ち上げ、『ペンギン 足の長さ』と検索してみて、すぐに今の話が事実だったと知る。
ペンギンは足が短い――それは彼が言ったとおり、俺達人間が勝手に生んだ偏見だったようだ。
「マジか……」
「それと、俺達ペンギンは空を飛べないということについてだが、それは俺達が海中での活動に特化した進化を遂げたからなんだ」
ペンギンの話は続く。
「そもそも、飛ぶというのは重力に逆らうことでな、それなりのエネルギーを必要とするんだ。だが俺達が住む場所には天敵が少なくてな、飛んで逃げる必要がある状況に遭遇することは珍しいのさ。それに、海中には俺達が餌とする魚類や甲殻類が多い……飛ぶよりも海中に潜ったほうが、餌を見つけやすいんだ」
「へえ……なるほどな」
空を飛べないのにも、そんな理由があったのか。
いや、彼らペンギンは飛べないというより、自ら飛ぶ能力を失ったと解釈すべきか。
「そこで俺達が手に入れたのが、この翼……『フリッパー』だ」
ペンギンはその羽をひらひらと動かした。
ヒレとでもいうのかと思っていたが、フリッパーっていう正式名称があるのか? 知らなかったな……。
「あのペンギンを見てみろ」
ペンギンは翼で……いや、フリッパーで俺の後ろを指した。
その先には別のペンギンの展示スペースがあり、中にはコウテイペンギンとは別のペンギンがいた。
頭に白い帯のような模様が付いていて、足が黄色いペンギンだ。
「あのペンギンがどうしたんだ?」
「ま、見てろ」
ペンギンに言われるまま、俺は視線を向け続けた。
そのペンギンはヨチヨチと可愛らしく歩いていたと思った次の瞬間、水に飛び込んで泳ぎ始めた。
深い水槽の中を縦横無尽に泳ぎ回るその姿に、思わず目を見開いた。
数秒前まで、地上をヨチヨチと歩き回っていたとは信じられなくなる。まるで魚雷のごときスピードに、旋回能力まで持ち合わせていて……その動きを目で追うのが大変なくらいだった。
「は、速いな……!」
「あいつらは『ジェンツーペンギン』。好奇心旺盛で人に慣れやすい気質から『オンジュンペンギン』とも呼ばれていて、唯一足が黄色いペンギンだ。さらに泳ぐスピードは、18種類現存するペンギンの中で最速なのさ。最高時速は35キロに達するんだぞ」
さ、35キロ……自転車なみじゃないか。地上より何倍も抵抗のある水中でそんなスピードが出せるってのか?
そりゃ目で追うのが大変なわけだな……。
「このフリッパーで空は飛べないが、代わりに俺達は水の中を飛べるのさ。ところで、この園内で注意書きを見なかったか? 散歩中のペンギンに近づくなって」
「え? ああ、あったな……」
園内の目立つところには、いくつも看板が立っていて、『散歩中のペンギンに近づかないで!』と警告されていた。
詳しくは見なかったが……何か理由でもあるのだろうか?
「ペンギンの種類にもよるんだが、このフリッパーで叩く威力はな、人間を骨折させるほどなんだ」
「えっ、マジか!? そんなに強いのか……」
泳ぐ速度に続いて、またも衝撃的な情報だった。
そんなの、当たり所が悪ければ命も危ういんじゃ……。
「まあ、あれだけの推進力を生む源だからな。可愛さにつられてペンギンに近寄った子供が大泣きさせられたのを見たことがあるし、叩かれてアザを作ってしまった飼育員さんもいるぞ。『ヒゲペンギン』や『イワトビペンギン』は攻撃的な気質だから特に注意だな」
「そうなのか……」
まあ、そんな威力をぶつけられれば怪我をするのも無理はないだろうな……。
骨折させるほどの力を持っているなんて、ペンギンと人間がタイマン勝負したら、恐らく人間は負けるんじゃなかろうか。
知る由もなかったペンギンの身体能力に感心していると、同じ展示スペース内にいる別種のペンギンが目に留まった。
「あのペンギンは……また別のペンギンだよな? お前と似てるようだが……」
「あれは『キングペンギン』さ。『オウサマペンギン』とも呼ばれていて、俺達コウテイペンギンに次いで世界で2番目に大きなペンギンだよ」
遠目に見て一瞬は同じコウテイペンギンなのかと思ったが、やっぱり別のペンギンだったのか。
コウテイペンギンよりは小さいようだが、それでも大きいことに変わりはない。
「似てると言われることがあるが、体色や身体の模様で区別できるぞ。ちなみに、かの『ニルス・オーラヴ卿』、それに昔鹿児島で有名になった『おつかいペンギン』こと『ララ』もキングペンギンだ」
「ニルス・オーラヴ卿って?」
聞いたことがない名前に、俺は訊き返した。
「イギリスにいる陸軍のマスコット的存在のペンギンさ。勲章ももらってるんだ」
「勲章? ペンギンが?」
スマホでまた検索してみて、例の『ニルス・オーラヴ卿』の任命式の動画を見つけた。
威儀を正した兵士がずらりと居並び、それらを1匹のキングペンギンが閲兵し、勲章をそのフリッパーに付けてもらっていた。
「はは、すごいペンギンがいたもんだな」
卿ってことはつまり『騎士』の称号を有しているということだし、准将って軍隊の中でもかなり上の階級だよな。
そんなペンギンがいるとは、知る由もなかった。
続いて、隣にいるペンギンが目に留まる。
「あの茶色くてもふもふしたペンギンは?」
「あれもキングペンギンだぞ」
思わず、素っ頓狂に「は?」と言ってしまった。
それもそのはず、姿形があまりにも違いすぎたからだ。
キングペンギンの隣にいたそのペンギンは、全身が茶色一色の毛で覆われており、まったくもって似ても似つかない姿で……とてもじゃないが、同種には見えない。
「まあ、あれはキングペンギンの赤ちゃんなんだけどな」
「え、赤ちゃん? じゃあ、あれが雛なのか?」
ペンギンは頷いた。
「キングペンギンは雛と成鳥の姿がかけ離れていることで有名でな。でっかいキウイみたいで可愛いだろ?」
「でっかいキウイ……!」
吹き出して笑ってしまった。
確かに、茶色くてもふもふでまんまるなその姿は、でっかいキウイだ。
「しかし、あれだけ大きいと育てるのも大変そうだな」
キングペンギンの雛と、隣に立つ親鳥を見つめて俺は言った。
推測の域を出ないことだが、餌だってたくさん食べるだろうし、他にも俺の知らない苦労もあるのだろう。
「ああ、少なくとも楽じゃないだろうな」
「俺も子を持つ身だし……わかる気がするよ」
「ところで、さっき一緒にいたのが、お前の奥さんと娘さんか?」
ペンギンからの不意の質問に、俺は頷いた。
どうやら、妻と娘と一緒にいた時から俺達のことを見ていたらしい。
「ああ、ちょっと仕事が上手くいってなくてな。俺にこのふたりを幸せにできるのかってネガティブになってたとこさ」
「なるほど、それで俺達を見て『なんの苦労も知らなそうだ』って言ったわけだな」
ペンギンは、俺をまっすぐに見つめてきた。
「お前は、俺達コウテイペンギンがどんな子育てをするか知ってるか?」
「へ? そんなの……他の鳥とかと変わらないんじゃないのか? 餌取ってきて、それをあげて……」
正直なところ、ペンギンの子育てなんか人間と比べれば余裕だと思っていた。
思っていたのだが。
「100日以上絶食するんだ」
その言葉で、頭が真っ白になった。
「は……?」
ペンギンはさらに、
「そしてマイナス60℃のブリザードが吹き荒れる中、メスが帰ってくるまでひたすら卵を守り続けるんだ。ピンとこないなら、冷凍庫に強力な扇風機を据え付けて、四方から強風を浴びつつひたすら寒さに耐えてくれ。もちろん、そのあいだは絶食な」
「い、いやいや、そんなの死んじまうだろ!?」
100日絶食して、生きていられる人間などいない。少なくとも、1日でも絶食すれば普通の人間は空腹でフラフラになってしまうだろう。
しかも、マイナス60℃って……マイナス10℃でも十分キツいのに、凍死するのは目に見えている。
今の話が本当ならば、コウテイペンギンの子育ては人間が耐えられるものではない。過酷という段階を軽く超え、もはや表現不可能だ。
「死ぬわけにはいかないのさ、子供を守らなきゃならないからな」
「命がけの子育てだな……そこまでするなんて」
「当然だろう」
ペンギンは即答した。
「子を持てば誰でも親になれるんじゃないぞ。子供は自分以上、子供を守るためならどんな苦難だって引き受ける。そういう気概をもってこそ、親というものだと俺は考えている。そうは思わないか?」
「っ……」
俺は息をのんだ。
コウテイペンギンの子育てがどんなものなのかを知ったことで、より一層の説得力が感じられた。
「誰かを養うのは楽じゃないよな。けど、家族がいるというのはとても幸せなことじゃないか? それだけ思い悩むということは、お前が奥さんと娘さんを愛している証拠だろう」
ペンギンの言葉が、心に染み入る。
ネガティブになっていたとはいえ、俺は自分が妻と娘を愛しているのは確かだ。
「そうだな……」
妻や娘を幸せにできるか、できないか。大事なのはそこじゃない。
幸せにしようとするか、しないかだ。ペンギンの話を聞いていると、そういう気持ちが芽生えてきた。
「気が晴れた、もうちょっと頑張ってみるわ」
その時だった。
「パパ、行こうよ!」
振り返ると、娘がこちらに手を振っていた。隣には妻も立っている。
どうやら、トイレは済んだようだ。
「奥さんと娘さん、大事にな」
俺は今一度、ペンギンを振り返った。
「あのさ、ありがとな。色々教えてくれて……『なんの苦労も知らなそうだ』って発言は取り消すよ。頻繁にとはいかなそうだが、また会いにきてもいいか?」
「もちろんだ、いつでも来い」
ペンギンから教わったことは、大いに娘との話題に使えそうだった。
妻と娘のところに向かおうとしたが、俺はもう一度ペンギンを振り返る。
「そういえばお前、名前は?」
今日新しくできた、ちょっと変わった友達に、俺は名前を尋ねた。
「俺に興味があるのか?」
ペンギンと視線を重ねながら、俺は小さく頷いた。
「『タンク』と呼んでくれ」
【世界で最も偉大な父】
コウテイペンギンは命がけの子育てをすることで知られており、その過酷さたるや、映画の題材に取り上げられるほどである。
繁殖期を迎えると、彼らは産卵のために途方もない距離を旅する。海岸近くでは、天敵に襲われる危険が大きいためである。
卵を産んだメスは栄養を求めて海へと戻るため、残された卵を守るのはオス、つまり父となるコウテイペンギンの役割だ。氷に触れさせては卵が弱ってしまうので、彼らはずっと足の上に卵を乗せ、吹き荒れるブリザードの中で飲まず食わずでそれを温め続ける。その期間は実に60日間、繁殖地に向かう際にも何も口にしないので、絶食期間は実質100日以上に及ぶ。
子のために命を捧げ、世界で最も過酷な子育てをするコウテイペンギンは、まごうことなき『世界で最も偉大な父』である。
※作品の舞台である『ジャパンペンギンワールド』は架空の動物園ですが、作中にて言及されている『ニルス・オーラヴ卿』はエディンバラ動物園に実在するキングペンギンです。興味があれば、ぜひ調べてみてください。
コウテイペンギンのありがたいお話 虹色冒険書 @Rainbow_Crystal
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