最終話 夢見るバンドワゴン
北側と西側に土間のある、古びたこの家は、もう11月も終わりかけの今じゃ底冷えする。冷たい空気の中で、生傷が痛む。
おれは、目の横と口の端に痣のある顔で、引っ越しの荷造りをしていた。
*
先週、久々にBAR木の実に行った。璃桜ちゃんとの件があって以来、さすがに気まずくて顔を出せなかったが、不動産王こと中元さんに相談したいことがあった。名義をおれに変更した、元あいこさんの家のこと。
話は早々にまとまった。まだ家を売る覚悟はなく、しかし家を出て留学はしたいおれは、中元さんに仲介をお願いして、あの家を借家にすることにした。古い家だから、誰も住まなければあっという間に荒れ果ててしまうだろうと、定期的に管理もする、と言ってくれた。
管理費は
「失恋割にしてやろうか!?」
とまたでかい声で言われたけど、さすがにもうおれも大人だから、そしてあいこさんから相続した遺産はこういう時のためにある、と思って、お断りした。
おれは、あいこさんの遺産から、留学費用の不足分と、向こう3年分ぐらいの管理費だけ使わせてもらって、残りは、経済的な理由で進学できない子供のための基金に寄付することにした。
おれと中元さんが話しているのと逆サイドのカウンターの端に、璃桜ちゃんがいた。予想通り、気まずい。でも、気まずそうにしてるのはおれだけだったみたいで、話がまとまって少ししたら、璃桜ちゃんはおれの側に来た。
「りおちゃん! とうとうこいつ行っちゃうよ!いいの?」
いいのも何も。璃桜ちゃん、彼氏いますんで。ていうかこの店の人たちにも黙ってたんだ。
「えー、私はそういうのじゃ…。」
と言って、目を伏せるがもうおれは騙されない。そしてほんっと相変わらず恐ろしい子!
中元さんが、電話しに外に出ていったタイミングで、璃桜ちゃんが小声で
「あとで、連絡しますね。」
と言った。またこれかよ。
しかし、結局ユイさんとホテルに行ったあの日以来、おれは相変わらず品行方正に過ごしていた。それにどうせもうすぐ留学でこの町を出ていく。今なら後腐れもないし、と思い、ノコノコと璃桜ちゃんのマンションに行った。
そう、おれは、璃桜ちゃんが真面目そうというだけで実家暮らしだと決め込んでいたが、一人暮らしだった。本当に、ちょっとしたことまで浅はかだ。
そして、さぁこれから、という時。
玄関ドアが開いた。璃桜ちゃんの彼氏だった。
おれよりだいぶ背が低くて、すごく真面目そうな彼は、おれに馬乗りになり、喧嘩をしたことのない人特有の全く手加減のない力で、おれを何度もぶん殴った。
泣きながら、お前ら何なんだよ、と言いながら。
璃桜ちゃんが泣きながら、やめて、やめてよぉと叫ぶ声が、すごく遠いように聞こえた。
璃桜ちゃん、人間ってこうなの。
いや、ごめん、主語でかかったね。
君の彼氏は、こうなの。君が浮気したら、浮気相手の男を、泣きながら全力でぶん殴ることができる、そういう人間なの。
彼は突然殴るのをやめ、おれが横たわるベッドの横で、吐きそうなくらい嗚咽していた。璃桜ちゃんのベッドに座っているクマのぬいぐるみに、おれの鼻血が垂れた。璃桜ちゃん、ごめんね。
おれと璃桜ちゃんがやったことは、法律的には何の問題もなく。璃桜ちゃんの彼氏を徹底的に傷つけても、裁かれることはない。
でも、おれは、あの夜のおれを、一生赦すことはないだろう。
*
今日は、あいこさんの月命日だった。
あいこさんの机に飾った、あいこさんの写真に手を合わせる。月命日なのに、こんな顔でゴメンね。顔に怪我があることだけ謝る。もうおれにはあいこさんという彼女は居らず、おれは女の子と寝ようとしてその彼氏に殴られても、あいこさんに赦しを乞うことはできないから。
この家に引っ越すため、赤帽のおじさんに叱られながら荷造りをしたあの日と違って、今回はかなりあっさりと荷造りが終わった。
中元さんが、
「案外こういう古い家具喜ぶのよ、都会から移住する人は!」
と言っていたから。
冷蔵庫や洗濯機なんかの家電だけ不用品回収に出して、箪笥や小引き出しは置いていく。使う度にあいこさんを思い出し涙したレンジも、処分する。
段ボールが積まれた部屋で、夕飯にコンビニ弁当を食べ、あいこさんの部屋だった和室に大の字に寝転がり、窓の外を見た。
ふと、あいこさんに、曲を聴いてほしいな、と思った。
好きな子に、自分が好きな曲を聴かせるなんて、男子中学生みたいだけど、女子中学生みたいな方法でおれに愛をくれたあいこさんには、お似合いだと思う。
iPhoneから、andymoriの「夢見るバンドワゴン」を流す。おれは全然世代じゃないけど、高校の頃友達が文化祭で演奏してて、いいなと思った。
”バンドワゴン”という言葉はどういう意味なんだろうと思った。
バンドの曲だから、遠征するときのワゴン車かなぁぐらいに思っていたけど、検索したら、”パレードを先導する楽器隊”みたいな意味だった。
パレード。もし、おれとあいこさんのパレードがあるなら、それは、あいこさんを見送るための、葬列みたいなものかな、と思った。
あいこさんがこの家におれを留め置いたように、おれもまた、あいこさんをおれの心に留め置いていたんだ。もう、あいこさんを、葬送しなければいけない。留学には、連れていけないよ。
“夜 満天の星 またたく時の中で
訪れた沈黙とレクイエム
止まない雨に打たれ 再び朝を迎え
少しくたびれた寝ぼけ眼で”
andymori「夢見るバンドワゴン」
田舎町の、11月の澄んだ空には、嘘みたいにたくさん星が瞬いていて。
こんな都合いいことあるかよ、って少し笑ったら、おれの眼から涙がこぼれた。もう、鼻水垂らして泣いたりしない。
涙は、こめかみの生傷を通り抜け、そっとおれの髪の中に消えた。
*
寒さでちぎれそうな耳を、ニット帽に押し込んで、夕方からのレッスンが開講されるスタジオへと急ぐ。ニューヨークの空は星なんて見えないけど、その代わりに、ネオンの向こうの、紺からオレンジへのグラデーションが壮大だ。
もちろん、鬱陶しい、つま先が濡れる雨の日もあるけれど。
こっちに来てもうすぐ一年が経つ。語学学校に通い、それ以外の時間はとにかくダンス。ジャズやモダンバレエなんかの、俺の守備範囲外も含め、ひたすら踊る。紛れもない、ダンス漬けの日々だった。
そして、この日々をもっと続けようかと思っている。通っているスタジオのうちの一つが、俺を一年間雇ってくれることになった。その先、帰国してプロダンサーやコレオグラファ―を目指すか、あるいはこっちでカンパニー所属を目指すか。ひとまずは、踏み出してみてから決めようと思ってる。
四か月前にこっちで出会った友人たちとチームを組んで、ロスのダンス大会に出場した。俺達は、まさかの優勝。英語もろくにできなかった俺が、アメリカでチームを組み、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、共に一つの作品を作り上げるなんて。あの小さな町で、小さな家で過ごしていた俺からは、考えられない。
一番に報告したかった人は、ビデオ通話の向こうで泣いていた。加奈は、いつもこうだ。
今、日本にいる加奈は、大学の短期留学制度を利用してニューヨークに来ていた。日本人同士のコミュニティで知り合った加奈は、〝短期〟なのになかなかのホームシックにかかり、何度も泣いていた。語学習得のため異国に来る、志高い女性も、泣かない人も居れば、泣く人も居る。
加奈がこっちにいる間に、俺達は仲良くなり、加奈の帰国後何度かのビデオ通話を経て、付き合うことになった。加奈は通話するたびに、最終的には泣いていた。俺が、好きだよ、というと、私も好き、と返してくれる。俺も、いじらしさに涙が出そうになるけれど、それはしない。少なくとも、加奈の見てる前では。
来週、日本に一時帰国する。久々に加奈に会える嬉しさもあるが、それ以上に、大切な「用事」に、俺は胸を膨らませている。
LOVE&※の、産休前ラストライブに行くためだ。
LOVE&※は、メンバー三人全員が結婚し、結婚後もこれまでと変わらず活動を継続するという、アイドル史上類を見ないグループになった。そして、メンバーのうちの一人が妊娠し、もうすぐ産休に入る。
見慣れないアドレスからメールが来たのは、二ヶ月前のことだった。いや、そのアドレスは一度目にしたことがあって。LOVE&※の所属事務所だった。
あの家で撮影して送った振付を、採用したい、という内容だった。あんな、いち素人の送った動画を未だに保管していた事務所のマメさに驚いた。もしかしたら、ほんとにあの時点で結構評価してくれてたのかもな。
そして、俺が優勝したことも、ダンス雑誌で取り上げられたりはしていたから、ちょっとだけハクが付いたっていうのも理由かもしれない。
ともかく俺は、観客ではなく、関係者として、ライブを観る。
帰国した翌日の夜、ライブ会場に行った。
LOVE&※はもう、あんなとんでもない量の米は売らず、贈答品みたいに、一合分だけかわいらしく包装されたものがグッズコーナーで売られていた。あの米で俺らは足腰鍛えられたのになぁなんて、ぼやくファンもいる。
俺が三曲送ったうちの一曲を、少し手直しして使ってもらった。アップテンポな曲だけど、大きな動きはなくて、三人の手で次々と形を作る。体調に配慮して椅子に座っている妊娠中のメンバーでも、無理なく踊れる振付だった。
俺達が米を買いコールをし、サイリウムの光を届けたLOVE&※は、地元を飛び出すどころか、後ろに続くアイドル達の新たな道を切り拓くような、もっともっととんでもないところまで来た。
愛子さんに、見て欲しかった。今のLOVE&※、そして今の俺を。
MC中ふと、パンフレットに目を落とす。ありがたいことに、俺の名前もクレジットされている。
Choreography:Dai Komiyama って。
〝万感の思い〟でそれを見つめていたら、あることに気が付いてしまった。
俺の名前の中に、愛子さんがいる。ai Ko、と。
うわ、また、ちょいとだせぇな。
愛子さん、気付いてたのかな。名前をのこす、って、これも含んでたんだろうか。
いや、きっと気づいていなかったんだろう。わざわざ縦書きにした名前を、千ちひのDVDに挟んで、やっと伝えてくれたぐらいだから。
愛子さん、縦書きじゃなくて、横書きだったわ。しかも、英語。
愛の欠片が欲しくてのたうち回ってた男と、回りくどく愛を伝えようとした女と。でも、愛は、愛子という名前は、ずっとずっと前から俺の中にあったなんて。俺たちは滑稽で、いたいけで、必死だった。
もう少し早く俺が活躍していたら?なんていう想いは、胸の中に染み込むことはなく、葉の上の水滴のように滑り落ちていく。だって、愛子さんの死が、そして愛子さんの生が、俺をここまで連れてきてくれたのだから。
何にしろ、俺が生きている限り、小宮山 大という名前の真ん中に、愛子さんがいる。俺が仕事をするたび、そこに愛子さんの名前もクレジットされる。
愛子さん、次は俺の番だ。もう、俺達のバンドワゴンは、葬列を率いてはいないよ。
HIP HOPや、J-POPや、アイドルソング、様々な曲と共に、俺は愛子さんを、色んな所に連れてってあげるよ。
あいこさんの相続人 早時期仮名子 1/19文フリ京都出店 @kanakamemari
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