花の女王
香久山 ゆみ
花の女王
はるるちゃんは小さな女の子。お友達のてんとう虫のトットと森を探検していると、広いお庭を見つけました。けど、木の柵でぐるりと囲われていて、小さなはるるちゃんの背ではぴょんぴょんジャンプしても中がよく見えません。柵の周りを歩いてみると、南側に入口を見つけました。半円形のドアの上部には、木製の札がぶら下がっています。
「たちいり……きんし……?」
トットが札を見上げて言いました。
「ちがうよ」
とはるるちゃん。トットはまだ字を読めないのです。代わりにはるるちゃんが読み上げます。
「ご自由に、どうぞ。だって」
言いながら、はるるちゃんはもうドアを開けようとしています。
「え。ほんとに? 大丈夫?」
心配性のトットがおろおろするのを横目に、「ほんと、ほんと。大丈夫、大丈夫」と、はるるちゃんは入口をくぐってずんずん進んでいきます。慌ててトットもあとを追います。
「うわあ!」
先を行くはるるちゃんが大きな声を上げました。その声に驚いたトットも、きゃあっと体を丸めて死んだふりします。やっぱり入っちゃいけなかったんだ。怖いおばけが出てきたんだ! けれど、そのあと聞こえてきたのは、はるるちゃんの弾んだ声でした。
「見てみて、トット! すごいよ!」
トットもそっと目を開きます。そして、
「うわあっ……!」
目の前の光景に、声を上げました。
そこは庭一面の花園でした。
ツツジやポピーやスズラン、他にもたくさんの色とりどりの花が所狭しと咲き誇ります。美しく整備された庭園は、まるで大きな宝石箱のよう。
ふたりは吸い込まれるように庭園の中を歩いていきます。中程に差し掛かった時、しくしくと微かに聞こえました。誰かが泣いているみたい。誰だろう? 見渡す限り花ばかりの中、泣き声を辿っていきます。ふわり不思議な芳香が鼻をかすめます。しくしくしく。こっちだ。ガサガサッ。
泣き声はもうすぐそこだと、草をかき分けると、広い庭園の中央に出ました。噴水がしぶきを上げるすぐそばに、レンガを積んでひときわ美しく作られた花壇があります。庭園全体を見渡せるよう一段高くなったそこには、一輪の真紅のバラが咲いています。
「ねえ、バラさん。今ここで泣いていた?」
「泣くわけないでしょ」
はるるちゃんが尋ねると、美しいバラがつんと答えます。
「さっきまでここで誰か泣いてなかった?」
「誰も泣いちゃいないわよ。だいいち他に誰がいるっていうの」
確かに、ここはバラのための花壇で、少し離れた周りの花たちも泣いていないようです。
「あれえ? 確かに聞こえたのに。どこか行っちゃったのかな?」
「花は勝手に歩いてったりしないわよ。だあれも泣いちゃいないのよ。噴水の音でも聞き間違えたんでしょ」
えー、そうかなあ? 絶対聞こえたよねえ。本当に他に誰もいないの? はるるちゃんとトットがわいわい言っていると、バラがきんと鋭い声を出します。
「うるさいわ。静かにしていただける。あすこのライラックはまだ眠っているのだから」
「ご、ごめんなさい」
「だいいち勝手にアタクシの庭園に入ってこられちゃあ困るわ」
そう言うので、トットも言い返します。
「勝手じゃないよ。ちゃんと入口に書いてあったんだから! 『ご自由に、どうぞ』って!」
「いや、そうは書いていないな」
背後から低い声がして、振り返ると、背の高い男の人が立っています。じつははるるちゃんも札の字を読めなかったのですね。トットがちらりと視線を送ると、はるるちゃんは決まり悪そうに俯いています。
「書いちゃいないけれど、ようこそ僕の自慢の庭園へ」
「あら、今朝は来るのが遅かったわね」
バラがつんと言います。彼はここの庭師よ、と付け加えました。
「おはよう、僕のお姫さま。今朝はちょっと用事があってね」
バラはぷいと赤い顔を背けます。
「ねえ、バラはお姫さまなの?」
はるるちゃんが尋ねます。「そうさ」と庭師は答えます。
「彼女はまだ花をつけたばかりのお姫さまだが、じきに女王としてこの庭園を治めるのさ」
「へえ、すごいねえ!」
はるるちゃんとトットが嘆息すると同時に、バラが声を上げました。
「アタクシは女王にはならない!」
皆がバラを振り返ります。バラは微風に揺れてふるふる震えています。
「どうしてだい?」
庭師が気遣わしげにバラに手を伸ばします。けれど、バラはするりとその手をかわします。
「バラさんはいっとう美しい花を咲かせているし、わたしも女王にぴったりだと思うよ」
「そうそう。庭園全体を見渡せるこの場所に凛と咲いていて、本当の女王さまみたいだよ」
はるるちゃんとトットが言うも、バラはにこりとも笑いません。
「アタクシには無理よ。とても女王なんて務まらない。……だって、女王が何をすべきかも知らない。世界のことも何も知らないもの」
吐き出すようにぽつりと言いました。風は止んだのに、バラはまだ震えています。
「なるほど。確かにあなたももう外の世界を見に行っていい頃合いだね。けれど、僕はこの庭園を離れるわけにはいかない。だからきみ達が彼女の冒険を手伝ってくれるかい?」
「もちろん!」
庭師に頼まれて、はるるちゃんとトットは元気よく返事しました。それを聞いて、庭師はエプロンのポケットから鋏を取り出し、バラの枝に手を伸ばしました。左手をやさしく添えて、右手で丁寧にバラの枝を切りました。ただ、伸ばした手を引っ込める瞬間とげに左手をひっかけて「いたっ」と声を上げました。
「またやっちまった。いつもひっかけちゃうんだよ。彼女がこんなに美しい真紅の色をしているのは、僕の血を吸ったせいじゃないかと思うほどさ」
庭師は冗談めかして笑いますが、バラは花弁をかんで俯いています。掌に抱いたバラの枝から丁寧にとげを取りのぞいて、バラの一枝をはるるちゃんのワンピースの胸ポケットにそっと差し込みました。
「それじゃあ、彼女のことをよろしく頼むよ。いってらっしゃい」
「いってきます!」
はるるちゃんとトットとバラは庭園を出発しました。
庭園を出たものの、はてさて。
「うーん、どこへ行こうか。バラさん、行きたいところある?」
「分かんないわ。アタクシ、外の世界のこと何も知らないのだもの」
初めて庭園の外に出たバラははるるちゃんのポケットの中で小さくなっています。
「じゃあ、いろんな王さまや女王さまがどんな仕事をしているのか見に行こう」
そういうことになりました。
まずは、王さまといえばあのひとだよね。羽を広げたトットの背中に乗って、三人は草原を目指しました。草原には首の長い動物や鼻の長い動物など、バラが見たこともないような生き物がたくさんいます。
「こんなたくさんの種類の生き物をまとめる王さまが本当にいるの?」
バラには信じられません。
「あ。あそこにいるよ!」
トットが声を上げて、三人は草むらに身を潜めました。近くの岩場にライオンの親子がいます。ライオンは「百獣の王」なのだと、はるるちゃんがバラにそっと耳打ちしました。なるほど、とりわけ体が大きくてふさふさしたたてがみをしているのが王さまに違いない。バラはじっとその様子を見つめました。
子ライオンが「おなかすいた」と鳴くと、ママライオンが狩りに出掛けます。ママライオンが懸命に獲物を追う間も、王さまはじっと横になって昼寝をしているだけです。
「あら、王さまって何もしないのかしら?」
「ほんとだねえ」
はるるちゃんとトットもあきれ声。
と、ずっと寝ていた王さまがおもむろに起き上がりました。水場の方に歩いていきます。
水場では、動物達が言い争いをしています。「僕が先に並んでたんだぞ」「あたしのが先よ」「俺のが強いんだぞー」「あ、こら。抜かすな」リスにハイエナ、カバ、小さな動物から大きな動物まで大騒動です。
そこへ、のそりライオンの王さまがやってきて、
「ガウッ!!」
一声咆哮するや、たちまちびくりと静まり返って、動物達は背の順にきれいに一列に並び直しました。「ふむ、よろしい」その様子を見届けて、王さまはまたゆっくり縄張りへ帰っていきました。
「すごい……」
草むらの三人は感動しました。王さまはその威厳で皆を統率するのですね。
「けれど、アタクシには無理よ。だってライオンみたいに強くないもの」
バラはしょぼんとしおれてしまいました。
「ほ、ほかの王さまも見に行こう」
次に見に来たのは、蜂の巣。女王蜂ならば、ライオンよりもずいぶん小さいですからね。
「ねえ、女王蜂さんはどんなお仕事をするんですか?」
離れた場所から大きな声で、インタビューします。刺されたら大変だもの。
「何もしませんわよ。エサを取ってくるのも戦うのも、働き蜂の仕事ですもの」
女王蜂はそう答えましたが、折しもハチミツを狙った熊が近付いてきました。働き蜂が一斉に攻撃するも、びくともせず巣に手を伸ばしました。その時、先程まで優雅に休んでいた女王蜂が飛び出して、ブスリと熊の鼻を刺し、驚いた熊はどたどた逃げていきました。
「はしたない真似をしてしまったわね。まあこんなこともたまにはありますわよ。仲間を護るのが女王の務めですもの」
女王蜂はそう言うとまた巣に戻っていきました。
最後に果物の女王のマンゴスチンに話を聞きにいきました。
「あたしの務めは世界中のひとを幸せにすること。そのために堅い皮で守って美味しい果実をみのらせるのよっ」
マンゴスチンは堂々と言いました。
ポケットの中ではいっそうしょんぼりしたバラがかなしそうに葉を丸めています。
「やっぱりアタクシには無理よ。蜂のように強い針を持っていないし、唯一持っている小さなとげは誰かを守ったり幸せにしたりするどころか、大切な人さえ傷つけてしまうもの」
そう言ってついにはらはら泣き出しました。バラの溢した涙からはとても美しい香りがして、ああやっぱり庭で泣いていたのはこのバラだったのだ。はるるちゃんはバラの力になりたいと思いました。
「女王の仕事って、他者のために務めることだと思うの。仲間を守ったり、幸せにしたり。わたし達が庭を訪ねた時、まだ眠っている子がいるから静かにしてって言ったでしょ。バラさんは庭園の仲間のことをもうすでに十分思いやっているよ」
「そうだよ。それにバラの姿も香りも、皆を幸せにするよ。僕なんて体から黄色いくさい汁しか出ないもん」
はるるちゃんとトットはバラを慰めながら庭園に戻ってきました。それでもバラは元気がないままです。「おかえり」、庭師が温かく迎えてくれます。
「これを見て元気を出して。ふたりで青いバラを作ろうと昔に約束したろう。きみの苗から改良してついに完成したんだよ」
庭師が右手を差し出しました。掌には小さな種が載っています。
「あ!」
一瞬のことでした。大きな鳥が庭師の手から種を奪っていきました。
「トット! 死んだふりしてないで、追って!」
「アタクシも、行く!」
さすがにはるるちゃんを乗せては追いつかない。トットは羽の間にバラだけをはさみ飛び立ちます。すでに鳥は天高く逃げています。
「大丈夫? あなたあんな高くまで飛べる?」
「へいき。てんとう虫ってお日さまから名前をもらっているんだよ。だから飛べる」
とはいえ鳥のスピードには敵わない。どんどん引き離されていく。アタクシの大切な子。バラは涙をふりはらい前を向きます。溢した雫がトットの羽に落ち、七つ星に光が宿ったかと思うと、ぐっとスピードが上がりました。
ぐんぐん距離をつめて、ついに鳥の真上まで来ました。トットが黄色い汁を放つと、くさっ、鳥は驚いてくわえていた種を放しました。バラは迷うことなくトットの背中から飛び下り、花弁で種を包み込むとそのまま落下していきました。
広い大地から美しい真紅の色はすぐに見つかりました。バラは地面に叩きつけられてなおわずかな花弁の内に種を守っていました。
「やっぱりあなたは女王だよ」
「ふふ。けれど、もうだめよ。花弁もずいぶん散ってしまったし、枝からも離れて、もうわずかな命だもの」
「大丈夫だよ」
庭師は傷ついたバラをやさしく抱くと、丁寧に枝の処理をして小さな鉢に挿し木しました。しばらくは家まで連れ帰ってつきっきりで世話をするから、安心おし。そう言われてバラは幸せそうに庭師を見上げました。何度傷つけてしまっても彼だけがいつもバラのそばにいてくれるのです。
「来年の春にはふたたび美しい花を咲かせるから、また見においで」
その時にはきっとバラは庭園の女王として堂々と咲いていることでしょう。青いバラも産声を上げているかもしれません。
はるるちゃんとトットは次の春の約束をして庭をあとにしました。庭園の入口には『QUEEN’S GARDEN』と書かれた札が夕陽を受けて赤く輝いています。
〈おしまい〉
花の女王 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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