空と木がすきな子ども

ひのひかり

むかしから

むかしから、気づいたときには空をながめるのがすきだった。




あるところに、空と木がだいすきなひとりの子どもがいました。子どもは日々たくさんの「つかれた」をためて、ためて、まわりには気づかれないようににこにことわらってかくして、ただ何もしていないような、何も考えていないような見かけで空や木をながめました。そんな子どもはまわりに気がつきやすく、きっとだれよりもたくさんの考えごとをしていました。


空も木もまいにちうつろい、かわります。子どもはまいにちまどのそとをみていました。自由にみえる空。やさしい風が木たちをゆすります。

でも、空を自由にとびまわってみえるとりたちにあこがれても、子どもはとべません。ひかりをたくさんあびて、いきものたちのために役にたっている、木にもなれません。

それなのに子どもはいつまでも、ぼんやりとした顔であこがれているのでした。



ぼんやりふわふわと生きてみえる子どもはきき上手でした。「この子ならじぶんのなやみをばかにしないでちゃんときいてくれるだろう」そうやって考えるひとはたくさんいました。まいにちたくさんのひとたちが子どもにそうだんごとをしにきます。


「きいてきいて」「なあに」「あのね」


子どもはじぶんで気がついていないだけでつかれてしまっていました。だって子どもはまわりに思われているほどぼんやりしていません。子どもはとてもがんばり屋さんでした。たくさんなやみをかかえて、それをひたかくしにして。しかも、まいにちそうだんごとをきいているのですから。

そもそも子どもだって「子ども」です。子どものまわりのひとたちは子どものつごうを考えていませんでした。


子どもはだんだんくるしくなっていきました。





子どもはある日とうとう言ってみました。


「ごめんね今日はおはなしきけないんだ」


「えっなんで?いつもはきいてくれたのに!いやだ、きいてきいて」


「今日はしんどくていっぱいいっぱいなんだよ」


「それでもきいて!」


子どもはおどろきました。自分はこんなにがんばっても、相手にそのたいへんさがつたわっていなかったのです。自分ばかりむりをして、くるしいのにまわりはじぶんがはなしをしたいばかりで子どもをだいじにしませんでした。それに子どもは知っています。みんな話をきいてもらったらいなくなるのです。「きいてくれてありがとう、すっきりした!じゃあね」と。


子どもは思いました。

自分はうごくこともはなすこともできないおおきな木のようだなと。ことり達はよってきてもたくさんそうだんごとをしゃべったらすっきりしていなくなってしまう。自分はきっとずっと止まり木にしかなれないんじゃないかと。それに、空にあこがれているのに、木と空はあんなに近いのに遠くて、ぜったいとどかないじゃないかと。


かなしいきもちすらかくした子どもは、たくさんむりをして、それからもはなしを聞きつづけました。



たくさんのくろうがありました。たくさんのかなしみがありました。たくさんまきこまれごとをして、たくさんたいへんなことがあって、たくさんのことをのりこえようとがんばった子どもはとうとうげんかいになりました。ものがたりにあるような、ぷつんと糸の切れたようなかんじなんてわからないまま、すこしずつ子どもはえがおをなくしていきました。


なやみとつかれとりゆうも分からないままのくるしさがたまった子どもは、とうとうごはんをたべることも、ねむることもできなくなって、やりたいことも、たのしいこともわからないまますごしました。心のなかはずっとくもり空で、けしきはどんなにはれた日でもくらい色にみえました。





またへやでぼんやりとすごしていたとき、もう昼だな、とふと外をみたときでした。



なにげなくまどの外にみえた木がとてもきれいでした。

きみどり色の、いきているという色のはっぱはおひさまのひかりにてらされて、すけています。

そよそよかぜが、えだもはっぱもゆらして、さらさらとおとがきこえてきそうです。

とてもへいわな、やさしいけしきでした。


ふだんなら、いそがしくてふつうのけしきにみえたかもしれません。きれいだとおもっても、ここまで心はうごかなかったかもしれません。でも、子どもにはこのけしきが、なきそうになるくらいたいせつなものにみえたのです。きっとひとはつかれきったとき、あたりまえだったけしきがぜんぜんちがうものにみえて、それをみてはじめてきづくものがあるのでしょう。

子どもは


「きっとこのけしきをわすれることはないだろうな」


とおもいました。




それから子どもはじぶんのためにたくさんじかんをつかってあげることにしました。やりたいこともまださがすのがむずかしいです。でもゆっくりしたじかんをすごして、じぶんをだいじにだいじにやすませました。



すこしやすんだあとの子どもはちょっとせいちょうして、だいじなじぶんだけのじかんをほかのひとのためにつかうことを、そうだんごとをひきうけることをすこしずつやめることにしました。

だいじなひとのためにつかうならいいのですが、みんなにたいしてやさしくするのはよゆうがないとできないことです。

子どもはよゆうなんてないのでやめることにしました。


それに、そうだんごとしかしてこないひとには、きっと子どものほんとうにすてきなところがみえていないのです。そうだんごといがいにも、子どもは子どもにしかない世界のみえかたがあって、それをいまはまだむずかしくても、ことばにしてみたらどんなにあたらしいけしきがみえるでしょうか。そんな、すてきな子どものいいところをみつけてちかづいてきてくれるひとはきっといます。



これからもやっぱり子どもはむりをするし、人生はながいもの、たくさんくろうはかさねるでしょう。でも、すこしずつじぶんをだいじにして、じぶんをすきになって、いまいじょうにすてきになった子どもは。きっといままでのたくさんをことばにして、ひとのきもちによりそえる、すてきなおとなになるでしょう。そんなおとなになれるように、子どもは願っています。

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空と木がすきな子ども ひのひかり @Ohirune22

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