漂着者たちの織りなす綾 —宮古島の神話・伝説—

長崎

第一話

 太古、天帝アメノテダ彌久美神ヤグミノカミに命じた。「汝、下界の風水のよい所に島を造れ」と。

 彌久美神は天帝より授かった天の岩柱の一部を、天の夜虹橋アメノユズノハスの上から大海原に投げ入れた。するとその石がおのずと凝り固まって宮古島が誕生した。

 さらに天帝は、できたばかりの宮古島に古意角コイツノ姑依玉コイタマという夫婦神を遣わし、島の守護神となした——。

 これは宮古島の開闢かいびゃく神話の冒頭である。日本神話の「自凝おのころ島伝説」の要素がうかがえるし、古意角・姑依玉は伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみをほうふつとさせる。そしてその要素を含みながらも独自の世界観を作りだしている。

 似通ったモチーフが島に残されているということは、日本神話をよく知る者がかつて島に流れ着いたのではないか、という憶測が自然と沸き起こってくる。


 宮古島(を含む宮古群島)は広大な黒潮のただ中に孤絶しており、島に至るまでの手段は海路のみだった。だから島民の祖先は必然的に漂着者であったということになる。北の日本列島から、南の東南アジアから、西のユーラシア大陸から。新天地を求めた者、台風で流された者、戦乱を逃れた者、侵略に踏みこんだ者、流刑に処せられた者。さまざまな土地からさまざまな理由を抱いて島を訪れ、根づき繁栄した。

 現在でも、島の人は集落ごとに容姿や方言に特徴があり、ルーツの相違を感じさせられる。島出身の私自身も例に漏れず、ルーツの特徴を備えている自覚がある。


 山に住めば山の、島に住めば島の、人は住む場所によって思想もその土地にふさわしいものになるようである。

 こんにちでは宮古島と来間くりま大橋でつながれた来間島にはこんな伝説がある。14世紀ごろに宮古島に与那覇原軍よなはばらぐんと呼ばれる謎の戦闘集団が突如現れ、島中を暴れ回った時期があった。与那覇よなは湾の近くに住んでいた兄妹がその戦乱を逃れるために、島から南西約1.5キロの来間島に泳いで逃げ延びた。当時無人島だったため、兄妹はやむなく夫婦となり、島民の祖先となったという。

 宮古島から北東に約4キロの大神おおがみ島、南西に約70キロの多良間たらま島にも同じような、兄妹で結ばれ祖先となった伝説が残されている。大神島の場合は二人以外の島民を海賊が虐殺したこと。多良間島の場合は、津波で二人以外の島民が流されてしまったという事情からである。兄妹二人がやむを得ぬ事情の末に孤島の始祖となるというのは、海に隔離された島の人ならではの発想なのかもしれない。


 また、宮古島から西に約10キロ・下地島のヨナタマの話など、津波にまつわる伝説も多く残されている。ヨナタマは頭部だけ人間の人魚である。それを漁師が捕らえて食べようとすると、ヨナタマの親である海神が怒り大津波で島をさらったという。人の力ではどうにもならない圧倒的な災害に際して、島民たちは海神を怒らせた罰だと、あるいはある人の悲痛な望みを海神が叶えたのだと解釈しては、語り継いでいった。

 

 宮古島に漂着した人々の伝説は実に多様である。

 島の北端・西平安名岬にしへんなざき近辺の狩俣かりまた集落には、正盛、金盛、房盛といった名前の平家の残党が流れ着いてきたそうである。その集落にある仲間なかま御嶽ウタキに航海守護の倭神やまとかみとして祀られている。 

 御嶽ウタキとは、神話の神々や祖先神をまつる聖地(拝所)の事である。島を統治した権力者や、島民に恵みをもたらした人が神格化され崇められることもあった。製鉄技術を持ち農具や漁具を島民に与えた渡来人は、金殿カニドノ神と尊ばれ、鍛冶神・農業神として御嶽に祀られた。

 島の東南端・東平安名岬ひがしへんなざき近辺の保良ぼら集落は伝説の美女マムヤの伝説が残されている。マムヤは洞窟にひっそり暮らしていたが、按司アズ(集落の豪族)に見つかり求婚され受け入れる。しかし按司に裏切られて東平安名岬から海へ身投げしたという。その保良には大陸由来の出土品があり、マムヤは海外交易をしていた渡来人の一族と推測されている。この保良の人が14世紀にシンガポールと交易していたという記録が『元史』にも残されてあり、当時の活発な航海事情をうかがい知ることができる。

 他に、島の南側・城辺ぐすくべ砂川うるか地区にある上比屋ウイピャー遺跡には航海者が利用したとされるトゥーンカイフツイス(遠見台)があり、大陸由来の陶片なども多数出土している。そこは貿易商人の港町もしくは中継基地、あるいは倭寇の根城などと、現在も諸説分かれている。

 

 大昔、月の神と天の神は、人間に不死の体を与えようと思い、アカリヤニザという男に「心良き人間には巣出水スデミズを浴びせ、心悪しき蛇には死水スニミズを浴びせよ」と命じた。アカリヤニザは「巣出水」と「死水」が入った2つの担ぎ桶を預かり、下界に降り立った。巣出水を浴びれば古い肉体を脱ぎ捨てて新たな肉体を得られ、死水を浴びれば死ぬと再生できないという。アカリヤニザが下界に降り、桶を下ろして休憩をしていた隙に、あろうことか蛇が巣出水を浴びてしまった。巣出水はもう人間には使えない。彼は泣く泣く人間たちに死水を浴びせて天上に帰っていった。かくして蛇は脱皮し、新たな体を得られるようになったという。

 不死の薬を蛇が盗んだという話は古代メソポタミアのギルガメシュ英雄譚と共通している。果たしてこの話のモチーフを島に持ち込んだのは、どの地から流れ着いた人なのだろうか。


 宮古島に残されている神話・伝説を読み進めていくと、単一民族によって編まれたものではなく、さまざまな地方から流れ着いてきた、多様な人々の思想が反映されているのがうかがえる。古来より連綿と訪れてきた漂着者たちの記憶の糸の一本一本を、り合わせて織りあげたものが宮古島の神話・伝説の特徴なのだと私は解釈している。


 参考文献

『宮古史伝』慶世村恒任/(株)冨山房インターナショナル

『宮古島庶民史』稲村賢敷/三一書房

『宮古風土記・上巻』仲宗根將二/(有)ひるぎ社

『綾道』宮古島市教育委員会


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