第5話 新球種

「よし、とにかくいろんな球種を投げてみてからしっくりきたのを練習しよう」


 翌日、さっそく私と昴はグラウンドにいた。十八メートルと少しの距離の先にマウンドに立つ昴がいる。一応、防具はけが防止のためにつけているけれど昴の球なら飽きるほど捕ったし、よりしっかりフォームや球筋を見るためにも外したかった。


 昴の持ち球は、いわゆるフォーシームと呼ばれる回転の綺麗なストレートとタイミングを外すためのチェンジアップ。さらに打者の手元で小さく曲がるツーシームも持っている。もちろん、これでも充分という人もいるだろうけど。


「私、甲子園で優勝投手になりたい」


 そんな風に昴が何度かつぶやいていたのを隣で聞いていたことがある。その時にはいつもなんていうべきなのかわからずにリアクションはしないでいたけれど、甲子園を勝ち抜くのならばもう一種類くらいは球種が欲しい。


 それに私たちが選んだのは、チェンジアップよりも大きく落ちる球だった。


 タイミングを外す球や、芯を外してゴロを打たせるのもいいけれども前の試合みたいに自分の力じゃ球をコントロールしきれないとそういうボールは一気にその力を失う。その状態でもど真ん中にめがけて放れば相手が空振りをしてくれるような球種。


「じゃあ、まずはフォークから」


 縫い目に指をかけてボールを挟み込むようにして、昴がこちらに向かって思い切り投げてくる。さすが握力トレーニングをしっかりとしているだけあって、変化量は確かに大きかったけれどもボールは大きく右側にそれて地面にバウンドした。


「次、ドロップカーブ」


 指をボールに重ねて、トップスピンをかけたボールが地面に向かって叩きつけられた。ボールを拾って昴のほうへと投げ返すと、えへへと照れ臭そうにしている。


「じゃあ、次はシンカー」


 中指と人差し指に挟まれたボールが、リリースされてこちらへと向かってくるけれども明らかに威力がない。やはり、オーバースローの昴には投げづらいのだろう。


 ここまで大きく三種類、さすがにここから一年間でナックルを習得してそれで甲子園大会を勝ち上がるのは爪への負担を考慮するとできない。ただ、その点で言えばかなりフォークも肘への負担がかかる。フォーシーム、ツーシーム、チェンジアップはかなり体への負担が少ない球種だったから長期の離脱をしたことが昴はこれまでになかったけれど、もしも怪我で離脱してしまえば甲子園に行っても意味がない。


「じゃあ、次は何があるかな」


「私、パームが投げたい!」


 そう言って昴が腕をぐるぐると回す。私がそっとミットを構えると、リリースされたボールは山なりにこちらへと向かってきて、地面にワンバウンドしてからミットに収まった。まだ、コントロールはうまくできない。しかし、チェンジアップと似ている球種な分だけさっきの三つよりもよっぽどものになりそうだった。さらに、昴のチェンジアップはどちらかと言えばシンカー方向に曲がるのに対して、パームは一球だけだがカーブ方向に逸れた。


 それを操ることができれば、変化量の大小で空振りも狙えるボールができる。


「これだ、これだよ。昴!」


 思わずぎゅっと昴を抱きしめて、そのまま持ち上げようとすると昴が悲鳴を上げた。確かに、フォークやドロップカーブに比べると球速は遅かったけれどチェンジアップよりも威力もあるし、何より肘への負担がない。そんなパームに私はすっかり夢中になっていた。まだ秋の大会までには一カ月以上も時間がある。


 それまでに、徹底的にこの球種だけを磨きあげよう。そうすればきっと勝てるはずだと私は信じていた。そんな私たちを傍でじっと見ている視線があったことには、その時は気づいていなかったのだけれども。


※※※


「せんぱ~い、偵察班がただいま戻りましたよ~」


「ご苦労様、とりあえずビデオを見せて頂戴」


 江雪高校の野球部室、テーブルの上にはぼろぼろになったノートがいくつも並べられているのを見て、軽い調子で戻ってきた偵察班の宮下友莉は顔を強張らせた。その部屋のほとんど主でもある時任は目をしばたかせながら、黙々とビデオを見ながらノートを纏めている。今回、甲子園のベンチ入りのメンバーに入らなかった悔しさからか、この人が寝ているのをメンバー発表以来、友莉は見ていなかった。


 友莉自身は一年生で学校推薦じゃなくてセレクションから受かったメンバーだからそんなことを考えていなかったけれど、ここで一年もすればこうなるのかもしれない。青春を全て犠牲にした野球に取りつかれた日々。


「ここにビデオテープおいておきますから。でも、どうして柏原なんですか」


 柏原。正直に言うと、関東圏では別に注目するようなチームじゃない。私たち江雪なら、分析をするまでもなく戦力でごり押せる相手だ。正捕手の掛橋湊は確かにすごい選手だし、江雪から特別待遇での推薦が提案されたほどらしい。


 ただ、野球に置いて一人で戦況を左右できるのは投手だ。プロ野球のように一週間に六度の試合があるのなら野手の比重は大きくなる。シーズンに置いては正捕手の離脱によって明確に順位が乱降下する事例もあったけれども、さすがにそこまでの捕手が高校レベルで存在するわけはなかった。


「別にあなたが知ることじゃないわ。それに、ビデオをとってきたんでしょ?」


「ええ、先日の二試合と今日の練習風景を」


「それを見て私の意図がわからないなら、まだレギュラーは遠いかもね」


 そう言ってから、時任は小さく笑った。

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2024年7月4日 15:00 毎週 木曜日 15:00

マウンドに咲いた向日葵 渡橋銀杏 @watahashi

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