第4話 覚悟

「そんな……」


 監督の指示、意図はわからないけれども、私はそれを振り切って昴の隣に座る気にはどうしてかなれなかった。それでもなんとかしようと私は二イニング目からキャッチャーミットを常に動かしてなんとかストライク判定をとったことで無失点。


 いつも無失点で抑えた時は昴の方から駆け寄ってきてハイタッチをしにくるのに今日の昴にその元気はなかった。私のほうからハイタッチをしに昴の隣に行きたかったけれども監督がそれを許さない。そのことを気にしすぎたせいか、二回の裏に回ってきた打席でも見逃しの三振。本当はこんなときこそ自分の打撃で援護をしなければいけないのに、まったくと言ってもいいほどボールに集中できなかった。


 しかも、相手投手は私を抑えたことでノってきたのかそのまま連続三振。昴に心を落ち着かせる間もなく、マウンドに上がらせることになる。まだ息も整っていない状態でマウンドに上がった昴は、調子を取り戻していない。いくらフレーミングでごまかしをいれても、さすがに球審にもあからさますぎてばれたのかこのイニングからよりストライクの判定が狭くなった気がする。


「ボール、フォアボール」


 うちのベンチから、呆れ半分に怒り半分が混ざった声が響いた。そして、三者連続四球でノーアウト満塁になった昴はついに交代。さらに、私もマスクを外された。代わりにファーストミットを借りてそのまま守備に入る。


「先輩、代わります」


 捕手には後輩の石塚紀代実、マウンドには栗原琴音が上がった。


 結局、最終盤に反撃したものの序盤の失点に加えて中継ぎ陣の急な登板で重なった失点を取り返すことができずに私たちは新チームの二戦目を野瀬に敗れた。


「じゃあ、今日はお疲れ様。明日は朝の九時に集合。解散!」


「ありがとうございました!」


 そのまま試合を終わって片づけをしている間も、監督はあえて私を昴から遠ざけていた。ようやくそれが終わって、同じ部屋に帰ることができる。さすがに部屋の中でまで話すなとまでは監督も言わなかった。言われていたとしても、私はそれを無視していただろう。


 いつもは同じ時間に上がるお風呂も、今日の昴はさっと体だけ流してあがってしまった。私もずっと炎天下のなかで試合に出続けていたから疲れを取るためにゆっくり浸っていたかったけれども、さっさと切り上げてあがる。


 部屋についた時には、昴は自分の布団に寝転がっていた。部屋には、どこの地域かはわからないけれども地区大会の様子を伝えるラジオがかかっていた。あれだけ野球で嫌な思いをしたばかりなのに、やっぱりまだ野球のことを考えている。昴も野球が好きなんだと伝わってくる。それが私には嬉しかった。


「昴」


 私が少しだけ顔をあげてベッドの方に声をかけても昴は返事をしない。だけど、昴が眠っているわけではないことはわかっていた。しかし、昴になんと声をかけていいかがわからない。でも、何かしら会話をしなければいけないことはわかった。


「ねえ、昴。私もベッドの上にあがっていい?」


 昴の頭が小さく縦に動いた気がした。私は初めて、二段ベッドの階段に足をかける。これまで、昴が眠れないからと下に降りて私の布団に入ってくるちょっかいはあったけれども、こっちからそれをすることはなかった。初めて、私は昴のベッドに入る。空調は聞かせているとはいえ、二人も布団の上で近くにいるとさすがに暑い。それでも、私は壁の方をむいて寝転がっている昴に覆いかぶさるように顔を除いた。


「やっぱり、泣いてた」


 昴の目には、赤い涙の跡があった。そして、その上にもまた涙が重なっている。ここまで大炎上して、それも実力で負けたのならばともかく自分の力を出し切れずに打たれ、四球を出して自滅したのが悔しかったのだろう。私は昴の涙を、そっと拭う。


「湊、私はどうしたんだろう。どうすればいいんだろう」


 私の胸に飛び込んで、弱弱しく昴はつぶやいた。その小さな体を抱きしめる。昴が今日を除いて最後に登板したのは二週間前。それまでもちろん、投球練習などでブルペンに入ることはあったけれども、試合のマウンドとプルペンのマウンドは全くと言ってもいいほどに違う。緊張のせいか、いつものように楽しく、伸び伸びと自慢の直球をど真ん中にめがけて投げる投球スタイルはどこかへとなりを潜めていた。

 私からすれば身内びいきかもしれないけれども、昴は良いピッチャーだ。それも高校レベルではかなり。だけど、その武器の投げっぷりがここまで縮こまってしまうといくら格下と言えども打ちごろになってしまう。


「大丈夫だよ。いっぱい練習しよう」


「でも、このままだと湊の」


 そこまで言って、昴はしまったという風に口をつぐんだ。しかし、私はもう何年もバッテリーを組んでいるから言いたいことがわかる。そういうものだ。


「湊の? また私のこと考えてたの?」


「だって……」


 思わず私は溜息をついてしまい、気づいて手で抑えた。思い当たることはいくつかあったけれども、そのどれも良いことじゃない。


「なに? プロのスカウトさんの話? それとも甲子園?」


 自分にプロのスカウトがついていることは、早いうちから知っていた。そして、それに昴がプレッシャーを感じていることも。昴からプロに入って野球をしたいという話を聞いたことはないけれども、かなり昔にプロに行きたいと昴に話したことがある気がする。そのせいで、私が良いアピールをできるようにと昴は気遣いすぎたのか。


 それとも、甲子園へ行くために、今年は自分がエースだからチームを甲子園へと連れて行かないとという思いが圧し掛かってそれで投球が縮こまってしまったのか。どちらにしろ、昴が自分を責めている。そして、それは私にとっては一番嫌なことだった。だから、私は優しく昴の頭を撫でながら話す。


「あのね、昴。私は最悪、甲子園に行けなくても、プロに入れなくてもいいとは思ってる。それが結果なら」


「で、でも……」


「もちろん、野球を始めた時の目標は甲子園で優勝すること。そして、野球をやるうちにどんどんとそれが好きになって、プロに入って野球で生活ができるならどれだけ幸せかなって考えることもあった。でも、それはどっちも相手があってのことだから仕方のないこともある」


 私が一拍を開けても、昴は黙っていた。


「でもね、昴が全力を出して打たれた結果で負けたのなら納得できるけど、私の自慢の昴が実力も出せないまま負けるのは嫌だな」


 基本的にプロに入るような人や、強豪校で野球をするような子は小学生のころは四番でエース、あるいは二遊間や捕手をしていることが多い。運動量も多く、運動神経も必要なポジションだからこそ、センターラインの強さがそのままチームの強さに直結するからだ。もちろん私も、チームに入って少ししたら投手への転向をコーチから打診されたけど、捕手に憧れを感じていた幼い頃の私はそれを断った。そして、その代のエースに収まったのが昴だった。それなりに強豪だったそのチームで、私以外にも身長が高くてぱっと見た限りでは投手の適性が高い子も多かったし、実際に地方に散らばって今はエースとして投げている子もいる。


 そんな中で元プロのコーチが、私の次に投手として指名した才能。体がばねのように柔らかく、小さな体から全身を使ってなげることができるし、腕も柔らかいから上手くしなってより速度が出る。なにより、常に楽しそうで三振を取るとホームベースからでもわかるほどにこにこしている。バッテリーを組んでいるうちにそんな昴を見るのが私は好きになっていた。野球をする理由の一つになっていた。その昴が、私と一緒に甲子園に行くという約束を果たす前にくすぶったまま終わるなんて嫌だった。


 だから、はっきりと言う。


「私、昴が楽しそうに投げているボールを受けるのが好き。ストレートが特に気持ちがこもっているから、ずっと受けていたいって思える。だから、私は昴と甲子園に行きたい。甲子園のマウンドで楽しそうに投げてる昴の球を受けたい。だけど、それがプレッシャーになって昴が楽しく野球ができないのは嫌」


「うん……」


 昴がこくりとうなずいた。


「私も、湊に捕ってもらうのが好き」


「そっか、嬉しいな」


 私は思わずに作っていたクールな顔をくずして照れ臭そうに笑うしかできない。


 そして、そんな私の笑顔につられてか、昴もようやく笑顔を見せた。結局、昴はその後はしっかりと投球の映像を見たり、二人で素振りをしているうちに昴の気は晴れていった。映像を見ながら改善点を探しているうちに、最初は私も念のために気を付けて話していたけれども途中からは昴のほうから、こういう投球がしたいや、ここがダメだったなど自分で反省点を出してくれたおかげでかなり気を割って話せた。


 そんな中で、昴からやっぱり出た言葉があった。


「湊。やっぱり、私は新しい変化球が欲しい」

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