第3話 先発復帰

「ナイスバッティング!」


 グラウンドにベンチからの声が響いていく。どんどんとその声は大きさを増していった。熱心な保護者やファンのざわざわとしている声も聞こえてくる。その空気がどんどんとグラウンドを支配する前に、監督がベンチから乗り出した。


 マウンドに集まっていた私たちの下に、伝令の一年生が駆けてきた。それと同時に監督が主審と話し合いながら、昴の方向を指さした。そのまま何かを話している。


「昴先輩、降板です。内野陣は栗原用の守備シフトに切り替えるようにと」


 昴の先発復帰戦、新チームの二戦目は先発の昴が三回途中五失点で降板となった。


 

 監督から練習試合の相手が告げられたのは、試合の前日だった。 


「二戦目の相手は近くの野瀬高校。同地区であなたたちもよく知ってる相手だとは思うが、とにかくこのチームは経験が全体的に足りないからと練習試合を組んでもらうことができた。相手はお前たちからすれば格下かもしれんが、次の試合では相手ではなく味方のライバルよりも良い成績を出すことを心がけろ。今年はレギュラー確約をするつもりはない。掛橋だろうと成績が悪ければ外すぞ」


「はい!」


 監督は相変わらず、厳しい目つきで言った。私たちの代、新チームが始まってからの初の試合。前年度にレギュラーを獲得していたのは捕手の私と、右翼手の平井、遊撃手の桂原だけ。昴はここまで公式戦ではリリーフ起用でしか登板していなかった。 


 昴のもらったことのある背番号は最小で十。だけど、今年は違う。


「一番、石田」


「はい!」


 隣にいた昴が思っていたよりも声を出したから、私は思わず体を震わせた。投手を経験したことのない私からすれば、その気持ちはきっとわからないのだろう。一番という背番号の持つ意味も、その重みも。昴の顔も、声も、手も、武者震いか、それともプレッシャーかはわからないけれども小さく震えていた。


「石田にはとにかく先発の経験を積んでもらう。この先、夏の間に合同合宿や練習試合でダブルヘッダーの両方で登板もあるから覚悟しておくように」


「はい!」


 昴の返事に満足したのか、監督は小さく頷く。小学生の頃からずっと投手をしてきた昴にとって、高校二年間のブルペンから試合を眺めている時間はもどかしかったのだろう。もちろん、遠野さんに比べて自分の実力が足りなくて先発マウンドに立てていないことは誰よりも昴自身が理解している。だけど、あのプレイボールの一球目、綺麗なマウンドから投げ下ろす快感、それがボールから伝わってくるほどなのだから相当だろう。中学時代にも昴は先発でそれなりの結果を出していたし、ずっとバッテリーを組んできたから抑える自信は湊にもあった。しかし、現実はそう甘くはない。


「どうしたの、球が全く走っていない」


 初回、昴は先頭バッターに出合い頭のポテンヒットで出塁を許した。私の目から見てもそのボールは久しぶりの先発な事と、まだ肩も温まりきっていないことを踏まえると仕方のないヒットだったと思う。しかし、そこから一球も良い球が来ない。


 昴の持ち味は同世代の中でも目を引くほど速いストレートと、ムービングボールでゴロを打たせる投手。なのに、そのストレートはミットの構えたところにほとんど来ないし、来ても棒玉。相手がこのチームだからなんとかファウルになっているけれども、それこそ近隣の強豪である江雪や松洋なら間違いなく大量失点をしている。


「うん、なんでだろう」


 これまでもう何年も昴の球を受け続けている私からみて、別にフォームが崩れているわけではなさそうだった。なら、先発としてのプレッシャーなのか。それともセットポジションが良くないのか。それとも、精神的なものなのか。


「とりあえず、真ん中に思い切って投げ込んできて」


「うん、頑張る」


 なんとかツーアウトを取ったけれども、初回から二安打と二四球で満塁。運よく取れたゲッツーも相手には気持ち良くスイングをさせてしまっていた。何が問題なのかはわからないけれども、それを解消しないと目標である甲子園どころか前年度を超える成績を出すことは難しい。私はぽんと昴の方を優しくたたいて、そのままホームベースの方へと駆けて行った。


「プレイ!」


 昴がもう一度、セットポジションに入る。私はミットを構えた。フォームもいつも通りで大丈夫。しっかりと踏み込んでから腕をしならせるようにして投げる。


 はずなのに。


「いった!」


 先ほどまで真っすぐにこちらへ向かってきていたボールが視界から一瞬で消え去って、見えなくなる。すぐにマスクを放り投げて視界を広げてボールの行方を追う。


 打球に反応していたセカンド、その視線の先を追うと、白球が右中間を突き破っていった。ボールが点々と転がり、フェンスに到達してボールの足が止まる。


「ライト、バッターランナーを三塁で封殺!」


 ボールを拾ったライトの平井がすぐにサードへと送球するが、返球は間に合わず走者一掃のスリーベース。三塁のベースカバーに入っていた昴がちらりとこちらを向いた。呼吸を落ち着かせたいけれども、タイムの回数を考えると初回からそこまで使うわけにもいかない。三回しかないタイムは公式戦ではないから守る必要はないけれども、監督は練習試合と言えど公式戦と同じようにするべきと指示されている。


 ベンチの方を見ると監督は座ったままだった。交代はないらしい。


 とにかく自分が動揺していると昴まで不安に思うかもしれないから、すぐにマスクを拾い上げてそれを被った。審判の印象を悪くしても仕方がないから、昴にマウンドに早く上がるように視線で指示する。昴は再びマウンドに上がった。


 だけど、なぜか昴が遠くに見えた。いや、昴の体が小さく見えた。


 いつもブルペンでも、今日の投球練習でも感じたことない。今までに見たことないほど昴の体が小さくて委縮しているように見える。そのせいで遠くにいるように見えていた。ただ、交代がない以上は昴に抑えてもらうしかない。


 ただ、制球は定まらずスリーボールと追い込まれる。なんとか自信をもって思い切り投げさせるしかない私は、腕を広げてとにかく思い切って投げ込んでくるように昴に伝えた。それに昴も小さく頷く。ワインドアップからボールを投げ込んできた。


 そのピッチングは、自分でもダメダメだとわかっただとわかったのだろう。


 ボールを叩く音が聞こえたあとに、後ろで審判が手をぐるぐると回すジェスチャーをした。ツーランホームラン。これで昴は五失点。さすがに昴が交代かと覚悟したけどタイムはかからない。またマウンドを降りることなく、昴は相手チームのバッターと向き合う。下位打線だから、なんとか二人でワンアウトを取るしかない。


 結局、八番にも四球を与えて、なんとかピッチャーをかなり際どいところをフレーミングと審判のおそらくわずかな同情もあって見逃し三振に切って取った。


 ベンチに戻ってきた昴に声をかけようとした私は、急に後ろから肩を掴まれて止められた。振り向くと、そこには冷たい顔をした監督が立っていた。


「なにするんですか、監督」


「いいから、放っておけ。声をかけてもあいつの成長にならない」


 監督は冷たい声でそういうけれども、昴は一イニングを投げただけなのに既に肩で息をしていた。しかも、三塁打に本塁打で五失点はこれまで一緒に野球をやってきた中で間違いなく最悪の成績。ここで声を掛けなければ、昴のメンタルがやられてしまう可能性もあった。しかし、監督はそれを止める。


 どうして、そんな気持ちが募っていたけれども監督の近くに座っていた昴に声をかけることはできなかった。ぼろぼろの昴を見ているのは辛かった。

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