第2話 キャプテン

 三年生が引退して新チームになってから初めて集合がかかったのは、千葉大会を敗退してから二日後のことだった。監督は後から来るから、とりあえず決勝戦のビデオを見ておくようにとマネージャーづての託に従い、分析班の撮ってきたそれを部室で見る。ホワイトボードに写し出されたそれは、全員から言葉を奪った。


「いや、さすがだな。うちが負けたのは時の運じゃない」


 準決勝で敗れた若石と、前年覇者の松洋高校のカード。私が四打席連続で凡退させられた若石のエース、砂羽さんは六回まで順調にアウトを重ねるが、松洋打線の徹底した待球によりスタミナを削られ、中盤から終盤にかけて砂羽さんとその後を受けついだ中継ぎが打ち込まれ、突き放されて敗戦。甲子園には松洋が駒を進めた。


 このことはさすがにニュースで知っていたけれども、分析班のビデオを見ていると自分たちとのレベルの違いは明らかだった。自分たちにも砂羽さんに対してボールを見て粘るという指示はされていたけれど、私自身がそうだったようにスライダーで視線を狂わされてストライクゾーンを広げられてボール球にも手が出る。反対に松洋はそこにもしっかり対応し、ボールになるスライダーは手を出していない。


 もしも私たちが偶然、若石を倒して決勝に進んでいたとしても松洋には勝てなかっただろう。どうやっても、この打線を抑えられるリードが思いつかなかった。


「どうだった」


 ビデオを見終わったタイミングで、まるで計っていたかのように監督が部室に入ってきた。それに対して、誰も言葉を発することができない。優勝した松洋と自分たちが全く同じ作戦をとっていたのに、その完成度の高さをまざまざと見せつけられた。


「それが答えだ。今のままでは私たちに甲子園に出ることはできない。松洋も、若石もすべて倒して甲子園に行くんだ。そのためには、投手力、打撃力の両方を劇的に向上させるしかない。そのためには厳しい練習メニューになる。とりあえず、一週間後に練習試合をダブルヘッダーで組んでもらった。一試合目は一年生の岩屋。二試合目は石田に先発してもらう。そのつもりで準備しておけ、では解散」


 それだけ言って、監督は部室から出ようとする。監督は基本的に放任主義だ。


「ああ、そうだ。キャプテンは三年とも話し合って掛橋に決めた。頼んだぞ」


「先生、今日の練習はどうするんですか?」


 二年生で先日の大会でもクリーンアップを務めた桂原早苗が声をかける。本当はこういう時に声を出せることや、内野陣の中心ということもあって早苗がキャプテンをしてほしかったけれども、監督の指示は絶対だ。放任だけど、指示は的確でたまにしかない試合中のサインも、成功すれば効果は高い。


「自主練だが、そこの馬鹿はしっかりと手を直せ。そんな状態でピッチャーの球を受けたとて両方に良くない。石田、お前が責任をもって部屋に置いておけ。リハビリのメニューくらいなら一緒にやっててもいいぞ。じゃあ、今度こそ解散」



「キャプテンかあ。すごいねえ。湊キャプテン!」


 夜、お風呂からあがって部屋に戻り、だらだらとタブレットでプロ野球中継を見ていると昴が隣にやってきた。寮は二人暮らしで、昴が二段ベットの上、私が下でいつも眠っている。赤ちゃんのように四足歩行でベットの上にあがり、近づいてくる。


 昴は久しぶりの本格的なリハビリで疲れたのだろう。自分よりも一回りも小さい体がゆったりともたれてきた。横からふんわりとシャンプーの良い匂いが漂ってくる。私は若干緊張しながら、肩に乗った昴の頭の重さに神経を澄ませていた。


「そっちも、久しぶりの先発だよ。頑張らないとね」


 来週の試合、一試合目はおそらく岩屋の試し投げ。別にその結果はどうでもいいとまでは言えないけれども、監督もそこまで期待をしていないだろう。しかし、二試合目の昴は今年のエースだ。それはチームの全員が分かっている。


 怪我からの完全復活後、最初の先発マウンド。先日の大会では引退した遠野さん、一年生の岩屋と栗原で昴はどうしても厳しい場面での火消し。もちろん、久しぶりの先発でイニングを引っ張ることはしないだろうけど、ここでどれだけ投げられるのかが今年のチームの結果を占う。野球は投手、高校レベルならなおさら。


「そうだ! そうだよ! また、湊にボールをとってもらえるの楽しみだなあ」


 ふんふんと息を鳴らしながら、嬉しそうに昴は微笑んでいる。もうプロ野球はどうでもよくなって、心臓がバクバク鳴っていた。まるで犬みたいで可愛い昴を抱きしめそうになったけれども、気が付いた瞬間に手を引っ込める。


 こうやって昴が言ってくれるのは、単純に昴が良い子だからってだけで私の昴に対して持っている感情とは違う。急に私が昴を抱きしめても怒ることはせずに受け入れてくれるだろうけど、それに甘えて自分の欲を満たすのは違うと思った。


「そっか、私も楽しみだよ。昴のボールをとってる時が野球をしてて一番、楽しいから。そのためにも二人で頑張ろうね。久しぶりだから、ちゃんと勝ちたい」


 私がその言葉を言い終わるのが早いか、昴はこちらを振り向く。


「ホントに!?」


「え?」


 昴は嬉しかったのか、私のあぐらをかいていた胸元に飛び込んできた。油断していた私は、そのまま態勢をくずしてベッドの上に二人で倒れ込む。昴の顔は私の胸元にあって、ふんふんと嬉しそうに鼻息を立てていると、ちょうど私のパジャマの隙間からその息が吹き込んでくる。それがなんだか不思議な気分にさせてくる。


「えへへ、湊がそんな風に思ってくれてたんだ。嬉しいなあ」


 そのまま私の胸元に頬ずりをする昴を、押しのけなければ変になりそうなのにそれがどうしてもできない。昴の柔らかくて温かな感触が、パジャマ越しにじんわりと伝わってくる。どんどん、抱きしめてしまいたくなるけれどもそれを落ち着かせようと視線を別の方向へ逸らす。その瞬間に、タブレットから大きな歓声が響いた。


「あ、ホームランだ」


 昴の意識がそちらに逸れたおかげでようやく私の体は昴の手から解放された。背丈は決して投手としては高くないけれども、昴の腕は私の胴体を軽く抱きしめられるくらい長い。そのまま、私は昴の隣に寝転がって再びプロ野球中継を見ることにした。


「ねえ、湊」


 隣に寝転がる私に向かって、昴はしっかりと顔を向けて話しかけてくる。私は、昴のこの表情が好きだ。いつも明るくて、元気で野球をしている時が一番輝いているけれども、こうやって私にだけ見せる表情がとても好きだ。私にだけ見せる表情は、特別感があって見られただけでとても満足できる。昨日の疲れが残っているはずの手も、少しだけ癒される気がした。きっと、今日くらいは良いだろう。そんな言い訳を心の中でして、私は昴の髪の毛を梳くように手を入れる。


「なに?」


「まだ、プロへの憧れはある?」


 急に真面目な質問をされたから、私は面食らってしまう。プロへの憧れ、もちろんドラフト指名されたいとは思っていたけれども昴にそれをはっきりと聞かれたことは無かった。今、ここで話すべきなんだろうかと迷う。


「まあ、あるかな」


 そんな風に答えることにした。昴は、その答えに小さく頷いてからまた黙ってタブレットの画面を見ていた。そして、試合が終わると上のベットに戻っていった。

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