第76話 これから

 日本では季節が移り替わって、秋が感じられるようになっている。

 朝の教室、始業のチャイムが鳴る前の喧騒の中で、夢佳は携帯の画面に目を落とす。


(今日も返信、来てないなあ……)


 落ち込む自分を励ますように、教室の窓から、鰯雲が泳ぐ青空を見上げた。


(どうしてるかな、珠李……)


 切なくて胸の奥が痛い。

 今日だけのことではなくて、昨日も、一昨日も、その前も……


 夢佳の席から少し離れた場所で、大柄でいかつい男子と、華奢でにへら顔の男子とが、何やら楽し気に会話をしている。

 赤石と東雲、一見して不似合いな風貌の二人だ。


「一体、どこの誰がやったんだろうなあ?」


「色々と探ってはみたけれど、どこにもそれが分かりそうな情報はないね」


「あの『GOKUMON』が、一夜にして壊滅、ねえ……」


 どうやら、直近のネットニュースとかで話題になっている件のようだ。

 凶悪をもって名高い半グレ集団のアジトが何者かによって襲撃され、トップや幹部を含むことごとくが重軽傷を負ったそうだ。

 警察も捜査をしているようではあるが、犯人の目星は全く立っていないのだという。


『キーンコーン』


 予冷が鳴って、HRのために、担任教師の神代が教室に入ってくる。


(今日も綺麗だな、先生は)


 夢佳はそんなことをぼんやりと思いながら、彼女をじっと眺めた。


 珠李がこの教室からいなくなって、3月程が経つ。

 その間に夢佳と神代は、色々なことを話すようになっていた。


 学業のこと、家のこと、趣味のこと、そして、珠李がどこで何をしているのか……

 話していて、夢佳は何となく感じている。

 神代が珠李に対して、一教師が生徒に抱く以上の何かを、胸に秘めていることを。


 それも、仕方ないと想っている。

 なぜなら、夢佳自身も同じような感情を、じっと抱えているのだから。


 夢佳は毎日のように連絡を送っているけれど、たまに『元気だ』程度の返事があるだけで、様子は全く分からない。


(全く…… 何をしているのよ……)


 そんなことを悶々と思いながら、夢佳は毎日を過ごしている。


 少し長めのHRが続いていると、教室のドアが開いて、事務員の人が神代を呼んだ。

 彼女は教室から出て行って、それからなかなか帰ってこない。


 (どうしたんだろう?)

 

 夢佳が心配になりかけた時、教室のドアが、またガラリと開いた。


 (あれ、どうしたの、先生?)


 神代先生の様子が、明らかにおかしい。

 目が真っ赤で、ところどころ化粧が崩れている。

 視線が定まっていなくて虚ろだけれど、でも、口元は笑顔を見せている。


「あの、みなさん、急ですけど、1つニュースがあります!」


 よく通り抜ける、嬉々を含んだような声が、教室の中を走った。


「みなさんの仲間が、帰ってきました!」


(え?)


 夢佳の心の中で張りつめていた糸が、ぴんっと音を奏でた。

 帰って来る仲間、そのような人物は、この教室には、一人しかいないのだ。


「藤堂君、入って」


 神代に促されて姿を現した珠李は、老け顔には似合わない制服に身を包んでいた。

 あの夜に別れてからと、全然変わらない様子で。


 でも、最初に自己紹介をしていた時とは、様子が違う。

 緊張はしているっぽいけれど、清々しく晴れやかな顔をしている。


「みんな、長く留守にしていて申し訳ない。今日からまた、よろしく」


 珠李はそう挨拶をしてから、たった一つだけ空いている、一番後ろの席に座った。


 HRが終って次の授業が始まるまでの間、夢佳は呆然として、何も手が付けられない。

 急な出来事への戸惑い、久しぶりに会えた喜び、何をどう話したらよいのかの逡巡……

 色んなものが、頭の心を支配して。


「夢佳?」


 そう声がかかった先に目をやると、珠李が照れくさそうに立っていた。


「ただいま」


 そう言って珠李は、何事もなかったかのように笑う。

 夢佳は……


『バシーン!!』


 教室中に、乾いた音が鳴り響いた。

 クラスの全員が、その音の源に目を向ける。

 夢佳が、珠李の頬を、力いっぱい引っぱたいたのだ。

 驚いて啞然とする珠李に、


「馬鹿!! 全然連絡もくれないで、どこで何をしていたのよ!! 心配したんだから!!!」


 そう大声で言い放つと、夢佳は人目を気にすることなく、珠李の胸に飛び込んで、わんわんと泣きだした。




 ◇◇◇


 日本の土を踏むのは久しぶりだ、3か月ぶり程になるかな。

 俺は今、ルイジェリアの政府軍参謀府次長のグレッグ・アデルソンと、その他の何人かの仲間とともに、日本の空港に降り立った。


 日本を立ってから今まで、ルイジェリアで不穏な動きを見せていた旧政府軍の幹部や上級将校等と片っ端から会談を重ねて、国の平和と発展の重要性を説いて回った。

 その中には、かつて直接戦場で刃を交えたり、俺の昔の二つ名でもある『慈悲の赤、マーシーズ・レッド』を知る者も多くいて、取っ掛かりとして話はしやすくはあった。

 けれど交渉は難航を極め、一進一退、下手をすれば内戦再燃の危機まであった。


 けれども、粘り強い交渉と、現政府側が譲歩して融和の姿勢見せたため、最悪の事態は回避できた。

 今は議会や政府の要職の一部を分け合う方向で、調整が進んでいる。


 大まかな目途が立ったところで、俺は各地に散らばる、戦友たちの墓を回っていった。

 その中には当然、俺の元恋人である、アイラ・シュトラも含まれる。


 彼女の故郷は、首都のルキアからは遠く離れたのどかな農村地帯にあって、生家には母親と二人の娘達がいた。

 母親に事情を説明すると、彼女はアイラにそっくりな大きな瞳を滲ませて、


「娘が手紙に書いてあった通りの人だわ。よくきてくれたわね」


 と言って頭を下げて、彼女のお墓へと案内してくれた。

 そこは小高い丘の上にあって、付近の農村一体を、眼下に納めることができた。

 俺はそこで丸一日を過ごしてから、アイラに謝罪とお礼、そしてさよならを伝えた。


 その日を境に俺は、白い世界の中で彼女が歌って去って行く夢を、見ることがなくなった。

 これは俺の推測なのだけれど、やはり、彼女は俺の人格を守るために、俺の中から記憶を持って行った。

 そして、再びそれを思い出す時の鍵として、あの夢を残してくれた。

 そんな風に思うんだ。


 そんなある日、俺に日本へ渡るように命令が下った。

 詳細な内容は、現地に入ってから説明するとのことだった。


 日本の空港から都心へと向かう車の中で、グレッグが口を開いた。


「多分、日本の野犬達がどこかで見ているだろうから、今日はこのまま大使館に入る。詳細はそこで説明するが、作戦決行は明後日の夜だ。それまでは、昔の血の時代の記憶でも、呼び覚ましておけ」


 俺の体の中に、戦慄が走った。

 グレッグの瞳には、かつての内戦時代を彷彿とさせる、狼の影が宿っている。


 ―― あんまり血なまぐさいのは、勘弁願いたいな。

 この時は、心底そう思った。


 明後日の夜、日本の政府や警察の眼を眩ませるために、大使館からいくつもの車が発進した。

 俺達一行はその中の一つにいて、向かった先は――


「説明した通り、これより、『GOKUMON』の拠点を急襲する。下見の報告では、幹部以下、主だった面子もいるようだ。夜見山もそこにいるようだぞ、シュリ?」


「グレッグさん、本当にこんなことしていいんですか、俺のために?」


「お前の知り合いを安心させたいんだろう? 今まで散々、国のために尽くしてくれた、お前への花向けだ。それにシュリ、お前に一つ、伝えておくことがある」


「何でしょうか?」


「シュリ・トウドウ大佐。今回のこの任務の完了をもって、わが国における貴君の任務・軍責の全てを解く。この任務完了後はこのまま、日本に滞在すべし。以上だ」


「……え?」


 思いがけない通達に、俺は自分の耳を疑った。


「え、あの、グレッグ…… なんで……?」


「お前のお姉さんみたいな、ミズ・トヨシバに、再三再四言われているんでな。シュリをきっちり日本へ帰せと。一度ルイジェリアに戻ると、今度はこの国の犬から、どんな妨害が入るか分からん。だから、今はこのまま、ここに残れ。それが一番確実だ」


 俺は、心根が熱くなるのを感じた。

 恐らくこれは、グレッグと豊芝さんとの間で考え出された、妙案でもあるのだろう。


 GOKUMONへのレイドは覆面を被って行われ、グレッグに俺、それに旧アポカリスのメンバーも含む精鋭4人と一緒に遂行され、10分程の間に決着がついた。

 夜見山との一騎打ちには少々手こずり、いくつか手傷は負ったけれど、何とか組み伏せて、霧島、篠崎姉妹には二度と手は出さないと誓わせることはできた。


 その後グレッグ達と別れた俺は、すぐに豊芝さんに連絡を取った。

 直後に駆け付けてくれた豊芝さんは、俺に部屋の鍵を渡してくれるのと一緒に、


「このままいくとあなた、高校は留年確定ね」

 

 と、涙目で笑みながら、残酷な一言をくれた。


 高校の学校長に連絡をとってもらったところ、とにかく一日でも早く、学校に出席するように、とのお達しがあった。


 そうして今日この日、久しぶりに学校の校長室に顔を見せてから、教室に向かったのだけれど、どうやら神代先生にも知らされていなかったようで、俺の顔を見るなり彼女は、大粒の涙をこぼした。


 まさか夢佳からは、いきなりビンタをくらうとは、思っていなかったけど。

 それだけ、心配をかけていたってことなのかな。


 夢佳に抱きつかれながら、気になって未来の方に目を向けると、彼女も顔をぼろぼろにして泣きながら、俺をじっと見据えていた。


 赤石や東雲、他の野郎連中もやってきて、俺をぐるりと取り囲む。


 どうにかこうにか、またここに戻ってくることができた。

 けど俺、果たしてみんなと一緒に、2年生になれるのかなあ……?



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(作者からのご挨拶です)


 これまで本作をご拝読頂きまして、ありがとうございました。


 ここまでの話で、一区切りとしては、丁度よいかなと思っています。

 珠李がこれから無事に高校生としてやっていけるのか、神代先生や夢佳、未来とどうなっていくのか興味は尽きませんが、それはまた、機会があればまたその折にと思います。


 今まで応援を頂きまして、誠にありがとうございました。

 今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。





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記憶を失くした俺は美人の先生や美少女達と一緒に学生生活をやり直したい まさ @katsunoi

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