17...人間同士でさえ憎しみ合うことがあるのに。
濡れた頭にその辺に置いてあった布を乱雑に巻いて、寝台に寝転ぶ。ばたばたと足を前後に揺らし窓へ視線を移せば、窓掛けの隙間から宵闇を照らす月が浮かんでいた。
昼間の騒めきはすっかり冷たい空気に吸い込まれて、静けさだけが取り残されている。
時折外から壁を突いて聞こえる潜めた声たちが、妙に耳朶に触れてしまうような夜。
「寝たの? コクー」
柔らかなジウの声音が部屋を満たした。ぱちりと双眸を開いて少し身動ぎすると、長い髪を拭いているジウが目に入る。
枕元の小さな照明のみになった部屋は薄暗い。影の輪郭を追うようだ。
「起きてるよ」
「そっか。……ねえねえ、いつの間にヨカさんと仲良くなったの?」
ジウは距離を置いて並んだ寝台の隅に腰を下ろしながら、興味深さをふふふという笑い声に包んでいた。
「仲良く……? ふつうに喋るようになっただけじゃない?」
「えーっ! 仲良さそうだった……」
「でも今度喧嘩するよ」
一対一の戦いを喧嘩なんて表現していじわるをする。いやどちらが意地悪な言い方だったかな。案の定、きゃーっと両手で口を覆っていた。
「喧嘩なんてだめだめっ!」
「大丈夫、互いに同意の上だから」
「同意とか関係なく怪我とかしちゃうっ」
「今日仲良さそうに見えたんでしょ? それならきっと大丈夫だよ」
「そうかなぁ……でも確かに仲良しに見えたもんなぁ……」
ひとりぼやくように紡いで、ううんと首を捻っている。どんなことにも真面目で真っ直ぐで結構だ。
オレはそろそろおねむだから、ふあと大きな欠伸を零して掛け布団に潜り込もう。起きているか寝ているかの微睡みは気持ちがいい。
「コクーはすごいね。あっという間に距離を縮めちゃう」
「そーお?」
むにゃむにゃと口内に言葉がこもる。
「あんなにも一触即発、みたいだったのに……」
「そ〜ぉ?」
にゃむにゃむとゆめうつつ。
「……実はね、わたし、昔から、人間と魔族が仲良くなれないかなって……ずっと考えてたの」
正直、眠気まなこに打撃を受けたような心地だった。魔族という単語が出た刹那。
オレと他人の関係に、人間と魔族を重ねたのだろうがそのまんま人間と魔族過ぎる。背筋にひやりとしたものが走りながらも、至って平生の顔で。
「……どうしてそう思った?」
「……秘密にしてくれる?」
「たぶんね」
「もうっ!」
「オレにとって言う必要がないことは無意味に言いふらしたりしないよ」
「え〜……。……昔ね、わたしが小さい頃、飛んで森の中を探検するのが日課だったの。魔族も飛べないから空は比較的安全だしね」
悩んで迷った結果、ぽつぽつと少しずつ語り始める。目を瞑ったオレが聞いているとも聞いていないとも判断付かないだろうに。誰かに聞いてもらいたいというより、何か話したい気分だったのかもね。
「その日も空を飛んでいたら、誰かが木の幹に倒れ込んでいたの。びっくりしたけど、よく目を凝らしたら魔族だって分かった。あちこちがいっぱい抉れてて、もう死んじゃうのかなって」
人間よりもずっとずっと数の少ない魔族。人間に比べれば簡単に消えないとはいえ、足に攻撃を受けると動けなくなるから困る。と考えてしまった。
「痛そうでかわいそうで、魔族は危険だって教えられてたからすごく怖かったけど……情けないほど足も震えていたけど、地面に降りて話しかけたの。大丈夫って」
「なんて言ってた?」
「なぁんも。何も言わないし、それから毎日食べ物とか手当の道具とか持ってったけど、手も付けない。わたしはずうっと家族のお話とか村のお話とかしてたけど、返事も返ってこない。……子どものわたしなんて転がすように倒せちゃうだろうに、そうもしなかったの」
「ふうん……」
まあ魔族だからね、と、え〜魔族なのに? の感想が行ったり来たり。
「ただね、最後に、さようならって言ってくれたっ! だから、わたし、思ったの。人間も魔族も、いっしょに生きたら分かり合えるんじゃないのかなって! 戦いなんてしなくても……」
「どうだろうね。その魔族がただ特殊だったのかも」
というか特殊だと思う。互いに特殊だっただけの話。早々に起こり得ない甘い物語。
「うん……。でも、生まれた種族も、育った環境も、身体すべて違くても、せっかく同じ言葉を持っていたのに……」
「人間同士でさえ傷付け合うことがあるのに? 人間同士でさえ憎しみ合うことがあるのに」
「それは……」
接続される言葉がなかなか見つけられずに、ジウは口ごもる。ぎゅうと胸の前で両手を握って、それでもやっぱり唇を開いた。
「……人間だけでも結局争うことがあるのなら、争いは理由にならないんじゃないのかなっ。傷付けるひともいる。憎まれることをするひともいる。争うひとたちがいるっ! でも、それはみんなじゃない。たくさん話して分かり合えるかもしれないものたちもいるのに、どうして争うものたちにばかり気を掛けなくちゃいけないの?」
そうだといえばそうだけれど。夢物語だといえば夢物語。
「そうだよ、手を取り合いたい奴らは、争い合う奴らに足を引っ張られてるんだよ。単純問題。そのふたつの判別ができないのが問題だからね」
「うっ……」
「自分のために、誰しもが他人を騙そうとする」
大なり小なり他者を騙す。自分を少しでも良く見せようとしたり、自分の心情を悟らせないようにしたり。あるいは純粋な悪意を持って。
それに、と寝転んだまま言葉を続けた。
「一度身に刻まれた恐怖心が消えることはないよ」
過日に味わった痛みが、強く鮮明に脳髄にこびりつく。いつだって這い寄るように意思に纏わりつく。恐怖心とおててを繋いだ思考は果たして一切の純度濁ることない本人の意識なのだろうか。
……こんな話をこの間ギョーセーともしたな。
魔族に、人間に、それぞれ傷付けられた存在の恐怖心が元に戻ることはないのだろう。癒えることはあっても、無かったことには出来ない。
争っている奴らだって、もともとは争いたかった訳ではない奴らだっているはず。
何もかものすべてのことが始まる前だったらそんな選択肢があったのかもしれないが、そんなものすごく大昔の話オレたちが知る由もない。
ジウはしょんぼりと肩を落としていた。その髪先から雫が落っこちる。
そうだな。それでも。恐怖を超えられる唯一のものがあるとするなら、きっと。
「小さい頃のジウは持ってたんだね。勇気を」
ううん、幼い子どもの話じゃない。
「戦いが怖いって言いながらここまできた、ジウには勇気があるんだ」
まあ、何を考えたって、もう魔族は滅ぶだけの存在だから人間と魔族が抱き締め合う日は永遠にこない。さようなら。そんな別れの五文字に価値はあるの。
どうして死んだの魔王様! トマトガフル @tomatogafuru
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