解説(言い訳) ①


 ご訪問ありがとうございます!

 一幕終了にあたり、言い訳と解説を挟んでみます。物語だけでいい、という方は飛ばして下さい。


 こちら、開国開港頃の横浜を舞台とする物語です。

 のどかな半農半漁の村だった横浜はペリー来航によって歴史に引きずり出されました。そんな現場からの中継により、変わりゆく日本社会とそこに暮らす神仏を描こうという謎企画となっております。


 弁天ちゃんは神でも仏でもあるお立場。江戸末期につき、がっつり神仏混交されています。弁天社の管理を別当寺の増徳院がやってますしね。

 まあ人がどう規定しようが、弁天ちゃんは弁天ちゃんなのです。神仏の皆さま方におかれましてはご笑覧いただきたくお願いいたします。


 主役は弁財天、お供に弁天と一体にみなされることもある宇賀神、お友達が薬師如来という本作。

 登場する洲干島弁天社は宇賀神との習合を推す弁天さまではありません。

 弁天ちゃんの相方は欲しいけど、眷属の童子十六人を召喚するとしっちゃかめっちゃか。そんなわけで関係の深い宇賀の神を勧進(?)してしまいました。

 ゆるーく、参ります。


 * * *


 横浜。

 これつまり〈横に長い浜〉だそうです。

 現在の山手の丘(南側)と野毛の丘(北側)に挟まれた平地(伊勢佐木町地区など)は江戸初期までは遠浅の入り江でした。江戸湾と入り江を分ける砂洲が長くてですね、そこがです。

 元町・中華街駅あたりから桜木町駅方面へ、にゅーんと伸びた砂洲。その先っぽにあった弁天社は現在の横浜市役所付近らしいです。

 近況ノートに地形図を載せました。現在の横浜と埋め立て前の比較です。ご参照下さい。

https://kakuyomu.jp/users/yamadatori/news/16818093076948614117


 * * *


 さて第一幕は横浜におけるそもそもの始まり、黒船(再)来航。

 日米和親条約の締結にいたる政府間交渉――の、脇でバタバタしていた村人たちと、面白がっていた弁天ちゃんの様子です。


 弁天ちゃんの家である、海龍山本泉寺増徳院は実在の真言宗寺院です。作中での立地は今でいう横浜市中区元町一丁目ですが、関東大震災被災により移転し現在は横浜市南区平楽にあります。

 ただ、住職の清覚は架空の人物。記録には存在しません。

 当時の増徳院は本寺である宝生寺の住職が代表を兼任する形だったようで、資料によっては無住の寺などと書かれていたりします。それぐらい寂れたお寺だったのです。

 ですが横濵村の百十戸を檀家にしそれなりの境内地を持っているのですから、誰かしら居るよねという希望をこめて老僧を配置しました。正式な住職ではなかった、なんて適当な理解でお願いします。


 ちなみにアメリカ水兵ウィリアムズの葬儀で読経したのは宝生寺の住職・圭厳阿闍梨。そしてあの葬列で演奏されたのは、ヘンデルの葬送行進曲だそうです。警備担当松代藩の医師補・樋畑翁輔が、縦笛ひとり小太鼓ひとりの葬列の様子を絵に残しています。

 ペリー上陸時に演奏された曲は『Hail Columbia』。検索するとYouTubeなどで出てきます。弁天ちゃんの「ぱーらぁーら、ぷぁーぱん!」と合わせてお聴き下さい。

 あ、ペリー上陸を描いたハイネの絵はご存知でしょうか。その右端に描かれている鳥居と祠と木々が水神の杜です。


 村名主の石川徳右衛門は実在の人物です。横濵村には数人の豪農がいたのですが、その中でも有力な立場の名主だったようですね。

 彼には年の離れた弟・半右衛門というのがいて、これがまた面白い人物です。後々作中で描きます。

 徳右衛門は与力の香山と一緒にペリーの饗応などに尽力し、条約締結後には出航前に民情視察を希望したペリーを屋敷に招いています。

 ペリーさん、徳右衛門夫人のお歯黒にドン引きしたと書き残しています。ただし、既婚者の証であり貞節の誓いであるという文化は理解していたようです。

 それでもなお『キスしたら臭そう』『せっかく奥さんもらってイチャイチャできるようになったのに、あれは』ってウジウジ書く。ペリーさん、どんだけキス好きなの。

 その時のペリー一行は増徳院にも立ち寄ったとか。墓所を確認したのでしょうか。水兵は後に伊豆下田に改葬されています。


 砂洲の先っぽ、下の宮弁天社付近の名主は中山家でした。その縁者として出てきた弥助くんは架空の人物です。

 実際の中山本家の子らがまだ幼くて、物語には活かせなかったので創作しました。小夜ちゃんも架空。ですが黒船を恐れ逃げ出した村人がいたのは本当です。


 アメリカからの贈り物の蒸気機関車と電信は、つまり鎖国日本に対して近代科学を示威するためのものでした。でも村人にとっては見世物でしかありませんよね。

 弁天社前にあった中山家と応接所を結んで立てられたのが、電信柱の事始めです。電線の横をみんなで走ったというのは中山家の娘・はるさんが証言しています。でもはるさんは当時まだ一歳。もちろんご本人の記憶ではないでしょう。家族や親戚の誰かから聞いたこと……うん、弥助は親族だし駆けっこに混ざっててもおかしくないな。

 電気と競って走るなんて何十年も経ってから聞くと馬鹿げた話ですが、あの頃はそんなものだったとおっしゃっていたそうです。


 * * *


 次にくだらない閑話を挟み、第二幕では五年ほど飛びます。

 通商条約の後、港が開かれて村が町になりました。有名な方もチラリと出てきます。だーれだ。

 よろしければお付きあい下さい。


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