第6話 異人さんと土産


「来た」


 弁天がつぶやいたが、正確に言えば葬列はまだ来ていない。姿より先に笛の音色がかすかに流れてきたのだった。

 沿道には今日も人が詰めかけている。だが弔いの事であり、誰もが厳かな面もちだ。異国での野辺送りを死者の家族はどう思うのか。そう考えれば、村人たちはせめて静かに見守ることにしたのかもしれない。

 ここにいる中でもっとも不謹慎なのは弁天だろう。亡くなった男をあわれむ心はあるが、それより楽器と音曲に気が向いている。弁天は耳を澄まして柔らかく微笑んだ。


「――おだやかな、優しい曲だね」


 行進してきた兵は二十数人。腕や脚にぴったりした黒っぽい服を着ている。

 その列の真ん中に担がれた棺の前で、二人が楽器を持っていた。先が広がり加減の縦笛と、体にぶらさげた小さめの太鼓だ。

 笛が奏でる旋律と音色が空を震わせる。そして太鼓に合わせてゆっくり進む足音。

 これがアメリカの弔いか。皆が厳粛に見守っていたのだが、葬列が厩の前に差し掛かると馬たちがいななき騒ぎ出した。


「あらら、慣れない音にびっくりしたかな」


 跳ねる馬を押さえにかかる松代藩の兵たちを見て、笛と太鼓が音を低める。弁天はがっかりしたが、そういう気づかいはアメリカ人も同じなのかと宇賀は意外だった。




「――あのね、笛太鼓ひとりずつだったの。他の楽器も見たかったなあ」


 下の宮弁天社に帰って第一声、ごろごろしていた薬師やくしに弁天は訴えた。


「もう弁天ちゃんたら。お葬式の感想がそれ?」


 起き上がった薬師が苦笑いする。


「異国の神様とか、儀式はどんなだったのかしら」

「申し訳ありません、そういうのは一切見ておりませんので」


 慇懃に宇賀が答え、薬師は笑い転げた。弁天をむぎゅ、と抱き寄せ頭をなでる。


「仕方ないわねえ。清覚せいがくの様子ぐらい気にしてやればいいのに」

「あ、そうね。忘れてた」


 黒船騒動に巻き込まれ突然忙しくなった僧侶、清覚。きっと疲れているだろう。今日は偉い阿闍梨あじゃりが来てくれて、むしろホッとしていたかもしれない。

 そんな配慮もできないのは浮世離れしていると言われそうだが、弁天も宇賀も神仏の内、浮世の者ではない。気が回る薬師こそが変わっていると思うのだが、それもきっと民の病や体調を気づかう仕事柄のようなものなのだ。


「ええと、だけど葬列は見たよ。早桶はやおけが平らだった」

「あらまあ」

「歩いてた人たちに髪も目も黒くない人がいてね。それに肌が白かった。船乗りが日に当たらないなんてことあるのかな」


 妙に生っ白い顔色で弁天の目をひいたのだった。地の肌色なのだが、そんなことを知らない弁天はしばらく寝込んでいたのじゃないかと推測する。薬師は眉をひそめた。


「船酔いでもしたかしら? 異人さんも大変なのね」

「見た目は違えど、人なのは変わりないものと見受けられました」


 宇賀が口を添えて、弁天は目をぱちくりした。


「あれ。宇賀のは異人を嫌っているかと」

「腹は立てていますよ。だが興味深いとは思います」


 宇賀は、横濵村のささやかながら豊かな暮らしが揺らぐことに怒っている。だがそれで目を曇らせようとは思わなかった。物事は真っ直ぐに見ていたい。


「あれらも仲間の死を悼む人なのだと知れました。心広く異人の弔いを受け入れた村の者らは善いことをしましたね。さすが弁財天さまの鎮める横濵村です」

「隙あらばあるじ上げ……」


 薬師だって同じく村人をいつくしんでいるのだが。呆れて天井を仰いだが、ふと思い出した。


「だけど彼ら、もっと村を変えてしまうかも。持って来たお土産を披露するらしいから」

「は?」


 宇賀の目が剣呑になる。しかし弁天は身を乗り出した。


「お土産?」

「そう。大きなカラクリの乗り物を見せるために広い所がいるんだとか。遠くに文を届ける柱とやらを立てたいとも言ってきたわ」


 その設置、警護にはもちろん松代藩も関わる。薬師はそんな話を増徳院で聞き込んで来たのだった。


「なあにそれ。面白そうな見世物ね」

「弁天ちゃんがそう言うなら、宇賀のも見守るしかないわねえ」


 言葉を返せなくなる宇賀を見て、薬師はホホと上品に笑った。




 薬師が言ったことは、日を置かずに始められた。

 アメリカ人と幕府の役人が打ち合わせて指示を出す。働き手として横濵村や近在の村人たちも駆り出された。


 応接所裏の麦畑が平らにならされ、ぐるりと楕円に鉄の梯子のようなものが置かれた。その長さ、一町百メートル強ほど。

 そこに持ち出されたのが、湯気で動くという車だった。煙を吹く鉄の塊がごうごうと走り、日本人は仰天した。

 本来は人や荷物を運ぶものだそうだ。黒船で持って来たのは小さな模型なので客車には乗り込めないのだが、それでも試してみたい。意を決した役人が客車の屋根にまたがってしがみつき、落とされずに戻ったのに皆が喝采した。


 「文を届ける柱」は応接所と弁天社の間に三十本も立てられた。八町九百メートルほどをつなぐ針金を張り、あっという間に手紙を送るのだとか。〈てりぐらふ電信〉というらしい。

 応接所からは『JEDOえど』、弁天社からは『YOKOHAMAよこはま』と打電された。

 線の中を進む文字より自分の脚が速いと男たちが言い出して、応接所から同時に駆け出したのだが敵わなかった。

 だがたぶん、それでもよかったのだろう。遠い異国から来た何かと並び、ただ走るだけで。

 一緒に横濵村の子らも走った。その中に弥助の姿を見つけ、弁天は大きく声援を送ったのだった。


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