• 現代ドラマ
  • 恋愛

【資料】開港前の横浜の地形

「開国横浜・弁天堂奇譚」
https://kakuyomu.jp/works/16818023213109989016
『解説(言い訳)①』の回の参考地図。
少々解像度粗めで文字が読みにくく申し訳ありません。
【出典 shot bar Aquarium様 HP】


現在の横浜の地図に重ねた黄色い部分が元の地形です。
青い表示の入海は、江戸中期にはすでに奥半分が埋め立てられ田になっていました。中華街の位置も幕末には同様です。

砂洲の根元にあたる増徳院は元町・中華街駅付近、先端の弁天社は馬車道駅付近です。

10件のコメント

  • 横浜の有名なエリアは大半が埋立地ですからねぇ。
    横浜駅周辺もかつては海ですし。
    というか、海沿いの平地の多くはかつては海……。
  • 和泉さま。
    横浜って基本は丘ですもんねw
    埋め立て地なのに地下街を造るのって怖くないですか。よく工事したものですよ……。
  • へえええ、ほとんど海だったんですね (´⊙ω⊙`)
    いまは機械があるけど、明治以前にこんな広いところを埋め立てるの大変だったろうな……土とかどこから持ってきたんでしょうか。
  • 壱さま。
    人力で頑張ったんですよねえ。昔の人たちって本当にすごい。
    土は、近隣の丘を崩して集めたんです。なだらかだった所が崖になったり、切通しを掘り下げた土を持っていったりもしました。
  • 連投ごめんなさい……。
    ふと思ったんだけど、なんでこんなに広いところ、埋め立てようと思ったんでしょうね。他にも平地(少し離れるかもだけど)あるだろうし、そんな莫大な手間と時間と費用かけるくらいなら、別の場所を開拓したほうが早そうな……? あれ? これみんな知ってるやつでしょうか??
  • 壱さま。
    ふうむ。この入り江ばかりではないのですよ。ここは「吉田新田」というのですが、私は横浜市内でも地元の別の新田のことを小学校で習いました。相方くんは横須賀の出身ですが、そちらでも別の新田があったそうです。
    江戸周辺、どれだけの新田が開発されたのでしょう。
    それだけ江戸の人口が急増したのですね。さすが百万都市……!
  • あっ、他の平地なんてもうないよーだったんですね!
    大納得です、ありがとうございました!
  • 壱さま。
    お役に立てましたか?
    神奈川宿も近い吉田新田は江戸からなら一日かからず。遠くはないですし、よい田んぼだったことでしょう。
  • ふむふむ〜。楽しいですにゃ、この手のお勉強は苦にならない!と思う!!(実際学校でやってたら多分うへぇって言ってる)
  • ねこ様。
    物語の流れだと歴史も頭に入りますよね!(授業よりは)
    これを書き始めてから、横浜中心部を歩く時のエモさが上昇しておりますw
    これが聖地巡礼というものか……!

    今、続きを書くために薩英戦争とか下関事件とかの勉強中で。
    難しいです(。´Д⊂)
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する