ただの男はただ安心した。
羽原みちばけ
本編。
取調室で、刑事は男を取り調べていた。
「なんで、お前は二人を殺害したんだ?」
刑事の言葉は、職務上の質問であると同時に、刑事自身の疑問だった。
刑事が取り調べている事件は、二人の思想家が殺された殺人事件だ。
殺されたのは、有名な思想家達だった。
最初はこの事件は、別々の事件と考えられた。
思想家は2人とも、内容は違えど、過激な主張をしており、その思想を危険視。あるいは敵視する者が多かった。
警察はそこから、彼らに殺意を抱いた人物がそれぞれ、別々に事件を起こしたという予想から事件を捜査した。
だが、実際は一人だった。
二人の思想家を殺したという男が一人、出頭したのだ。
刑事は仲間の刑事と同じく、犯人は過激な思想に目を血走らせ、大声で叫び散らすような人間だと思っていた。
しかし、自首してきたのは、疲れた様子の男だった。
男は静かにこちらを見て、身じろぎもしない。
特に変わったところもなく、普通で、刑事の友人にも何人かいるような男だ。
身元を調べたが、彼は普通の労働者で、特に思想家たちの思想に関連する運動に参加したという経歴もない。
今も、目の前の男からは、過激思想との関係は感じられず、疲れた表情をして、刑事の前に座っていた。
こんな男と思想家たちの間の関係が刑事にはわからなかった。
男は刑事の言葉にしばらく黙ったままだったが、やがて口を開いた。
「あいつらのせいで、俺は眠れないと思ったんだ」
刑事はその言葉をおかしく思い、疑問を口にした。
「殺された二人とお前は特に関りは無い筈だ。それはこっちの捜査でもわかっている。」
改めて捜査して分かった事は、男と二人に関わりはなかった。
男は毎日、職場に行き、帰りはたまに酒場によるという暮らしをしていて、二人の思想との関わりは見当たらず、ただ、思想に関連する本をいくつか所持していただけだった。
「関わりがない?」
男は笑った。
疲れ切った人間が力を振り絞っているような空っぽな笑いだった。
「ある、大有りだよ。あいつらは、考えろと五月蠅かったんだ」
「二人は、お前に話した事があるのか?」
「いや、無いよ。けど、俺の仲間にさ、あいつらと同じことを言う奴らが居たんだ」
「それが殺した理由?」
刑事のわずかに驚きをにじませた言葉に、男は頷いた。
「ああ、そうさ。仲間の何人かが毎日毎日、酒の席で騒ぐんだ。
より良い国にするためにはこうしろああしろってな。
それが耳について離れないんだ」
「そんな事でお前は二人もの人間を殺害したのか」
「そんな事か……。そうだよな、そんな事だよな……。」
男はまた笑った。
「そうさ。そんな事で俺は二人も殺した。
ああ、俺には耐えられなかったんだ」
「耐えらえれなかった?」
「考える事にさ。
経済だの。哲学だの。社会だの。考なきゃいけないって事が俺は耐えられなかったんだ」
男はそこで、笑う事を止め、刑事の目を見た。
無機質なガラスのような目だった。
「刑事さん。あんた、この社会は良い社会だと思っているかい?」
刑事は迷いなく答えた。
「思っているが?」
「そうだよな。刑事をやってるんだから、良い社会って答えるよな。
……でもなぁ、俺の周りの奴らはもっと良い社会があるって言って、毎晩、議論とかいう喧嘩してたんだ」
「喧嘩?」
「ああ、喧嘩さ。
あいつらは議論とか言っていたが、喧嘩と変わらなかったよ。
俺が正しい。お前が間違っている。
その繰り返しだった。
俺にはあいつらが何言ってるのかさっぱりだった。
俺には理解が出来なかった。あいつらがなんで喧嘩してんのかわからなかった。
でも、ガキの喧嘩と同じに見えた。
……それが、辛かった。
元々、頭が良くないっていうのは分かってたつもりだけど、あいつらが俺の知らない高尚な言葉とやらを言うたびに俺だけが仲間じゃなくなった気した。
俺はただ、仲間たちと酒を飲んで、静かに暮らせればそれでよかった。
余計な事を考えずに、ただ、明日の事を考えて、今日を過ごしている生活が好きだった。
けど、あいつらは言うんだ。そのためには何をすべきか考えろってな。
俺にはわからなかった。今のままじゃ駄目なのか?今よりもっと良い生活をしなきゃいけないのか?
不満を持って、粗探しして、何かを罵らなきゃいけないのか?
……俺にはわからなかったよ。どう考えても、今の生活に不満は無いのに、あいつらと一緒にいるためには考えなきゃいけない。そう考えれば考えるほど辛かった。
分からない事を無理して考えて、わかったふりをする事も出来なかった」
そこで、男は言葉を切り、呟いた。
「それで、思った。あいつらにあんな事を考えさせている奴らを殺そうってな」
刑事はほんの少しの驚きから聞いた。
「彼らを殺せば、友人たちは喧嘩を止めると?」
「わからない。
ただ、毎日毎日、高い所で大声上げている奴らの声を聴くたびに、頭が痛くなった。
内容の分からない大声を聞く度に、分からない事が恥ずかしくなって、その場から居なくなりたかった。
周りがあいつらの声を喜ぶたびに、俺は自分がここから追い出されるような気がしたんだ。
あいつらの書いた本を読んでも、まるで、わからなくて、俺だけがおかしいと思うようになった。
……ああ、そうだ。俺はおかしくなったんだろうな。そんで、あいつらを殺そうと思っちまったんだ」
「それで、殺したのか?」
刑事は続けた。
「お前が二人を殺したとしても、周りの人間は思想を捨てる事を止めるとは思えないが?」
男ははぁ、と息を吐いた。
「そうだよな。自分でもおかしいと思った。だけど、なんか、安心したんだ」
「安心?」
「俺は俺の考えで行動して、やり遂げた。
そしたら、俺は殺した奴らや仲間と一緒になった気がした。
そしたら、なんか安心して、自首する気になったんだ」
その後、取り調べを終えた刑事は、部屋を出てから、休憩にコーヒーを飲んだ。
刑事は窓から空を見上げて、ふと、自分の職務について考えた。
自分の仕事は社会を守る事。
よく聞き、刑事が心の中でも呟いている言葉だ。
だが、とも思い、考える。
それ以上をもとめただろうか?
たとえば、犯罪者を少なくするために、もっとやれる事があるのではないか?
そこまで考えると、何故か先程の男の姿が思い浮かび、胸の中の騒めきは消えていった。
後にあったのは、やれる事を疑いなくやれる事への安堵だった。
ただの男はただ安心した。 羽原みちばけ @HMitibake
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