拝啓貴方様

蒼井 狐

第1話

 改まりましたような態度、乱筆乱文のほどをお許しください。

 私が斯様にして書状をお送り致しますのは、大きな苦しみのもとにあります……。ゆえに、貴方がこの文字に目を通していますその頃には、私は天へ旅立っておりますことでしょう。

 私は、貴方に恋焦がれ、食べる時も眠る時も瞼の裏に貴方を想い映しては、心を苦しめておりました。

 美しく、品のある方でございますから、私が一方的な想いを馳せているその時分にも、他の方からのお付き合いの申し出を受け、私の気持ちが届かないままで時が過ぎて行くのでは無いか……と、勝手ながら心配に心配を重ねておりました。

 出会いは私が働いていました旅館へ、貴方が三日間の宿泊をされた、その二日目のことでございました。御食事の配膳のためお伺いしたところ、貴方は私に話しかけてくださいました。

「お名前はなんと申されるのですか」

 名前を尋ねられ、お答えしますと、

「良いお名前ですね。素敵な貴女に似合った可愛らしい名前だ」

 ……そう言って下さりましたことを、いつまでも忘れることはございません。

 軽く会話をしまして、貴方が小説の作家様でいらっしゃる事を知り、私は部屋を後にしました。貴方の楽しそうに会話をしておられました表情は脳裏に焼き付き、離れたことは今の今まで一度もありません。

 貴方と話しましたその夜には、勝手ながらに貴方と過ごす素敵な日々の想像を一パイに膨らましました。作家様でおられますから、家の書斎なんかで執筆をしている貴方に、労いの言葉と共にコーヒーなんかをお出しするような……。

 または、貴方が旅館に篭って執筆をするような時には、私一人が家に残り、寂しさに泣くような夜。けれど同じ月明かりに照らされている……あぁ、なんとロマンティックでしょう……。貴方のいない悲しみの情も、たまには素敵に思ったり……。愛情と哀情。響きが似て、意味が非なる言葉なのは、恋の表裏一体を示しているのでしょうか……。

 そんなことを考えていると、鼓動で眠ることすらままなりませんでしたが、その幸せで苦しい夜の時間を堪能しておりました。

 朝に鳥の鳴き声が聞こえてきますと、私は本当に一睡もできなかったことを実感しまして、着物に着替えながら、また貴方に御食事の配膳をできるかもしれない……と胸を躍らせていました。配膳の際に、私は声をかけられて、そこから貴方と私の結ばれるキッカケが……なんて暗澹たる滑稽な期待を持ってしまいました。

 そうして始まった三日目には、私の期待していたようなことは起こることもなく、貴方は旅館を去って行きました。貴方がいなくなりました後の旅館で私は一人、お名前を聞くこともできなかった後悔の気持ちが溢れ、来る日も来る日も涙を流し、貴方が再度、宿泊に訪れては下さらないかと、朝を待っておりました。

 約二ヶ月ほど経った頃でしょうか。「小冬様へ」と、私の名前が書かれたお手紙が旅館の郵便受けに、一通届きました。何方からのお手紙かと思い、裏を見ますと「夜吉」と書かれておりまして、お名前を見ても私は見当がつきませんでした。封を開け、お手紙を読んでみますと、夜吉様が旅館で出会いました作家様……私の想い人であると分かりまして、欣喜雀躍きんきじゃくやくでございました。お手紙には、私が御食事を配膳の際、夜吉様のお部屋に伺った時の事が綴ってありまして、私はそのお手紙の内容を昨日のことのように覚えていましたから、それを夜吉様が覚えていて下さったその事実だけで、浮き立つ様でした。

 私はすぐ筆を手に取り、拙い文ではありますがお返事を書きまして、そこから文通が始まりました。やり取りの中で、夜吉様にはまだお相手がいない事や年齢の近さを知りました。

 そして小説の作家様である所以に、その文章の美しさたるや……ツイ、見惚れてしまいまして、お返事の執筆が遅れてしまうほどでございます。私はその美しい文章が綴られたお手紙が届く度、今にも咲かんとする花の蕾に水をやるかの如く、秘めたる恋の気持ちが、以前にも増して大きく、また一段と大きく育つのが、ハッキリとこの胸に感じられました。

 お手紙でのやり取りをする中で、時折夜吉様からのお返事が遅くなるようなこともございました。それが、執筆のお仕事の関係であると判っておりながらも私はそのお返事のない期間、愁事と焦燥感で胸がキュッと縮むかの様な感覚に陥ってはお返事を頂き、縮んだ胸が弛緩します様な安堵を感じる日々を過ごしておりました。

 ですが、ある日に夜吉様から届きました一通のお手紙。私は言葉を失いました。それは、お相手ができたという報告のお手紙でございました。拝読しましたその一瞬間には、哀しいという感情が込み上げてくる余地もなく、ただ、ひたすらに虚ろとしておりました。

 それまでの貴方のお手紙は、燃ゆる炎に薪を焚べるかの如く、恋心を育てました。大きくなりすぎた私の恋の炎は私自身にも手がつけられず、炎を消すように涙は流れていきましたが、鎮火することはございませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拝啓貴方様 蒼井 狐 @uyu_1110

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ