卒業パーティーに『事件』が発生いたしました

来住野つかさ

私が容疑者、ですか?

「見ろ、ユミリーの痛々しい姿を! 卒業の日にこのような悪辣な行為をしておきながら、何食わぬ顔でパーティーに出席出来るとはなんという女だ! カトリーナ・メロー、お前の非道は目に余る! 婚約破棄を申し渡す!」


 王立学院内とは思えないほどきらびやかに飾られたダンスホールでは、卒業を祝うパーティーがまさに開催されているところでした。


 豪奢なシャンデリア、美しく活けられた花器、華やかにセットされた各テーブルに、心躍る料理の数々。門出を祝う学院長の挨拶もそこそこに始まった卒業パーティーは、楽隊の陽気な生演奏で場が大いに盛り上がっており、その中を着飾った卒業生達が楽しげに踊り笑い、グラス片手にさんざめいておりました。


 そんな中、ダンスを踊り終えた婚約者がそのお相手と共にこちらにいらしたかと思えば、つらつらとわたくしの非道とやらを捲し立て、ついには指を差しながら婚約破棄を宣言したのです。


 パーティーの最中に指を差されて皆様の注目を集めているのは、わたくしカトリーナ・メロー。侯爵家の一人娘でございます。


 婚約者はサミュエル・ガンス侯爵令息。ゴールテンイエローの髪と相まって華やかなお顔立ちの彼は、シャンデリアの光の下でカフスのシトリンと共に煌めいておられます。あちらは次男ですので、学院卒業後に婿入りしてもらう予定でしたが、それを反故にするということですね。今日がその学院卒業なのですが。


 わたくしが非道を働いたというお相手は、今現在彼の横にいるお方。このところサミュエル様と親しくしているらしいご令嬢、ユミリー・フェルト様。ルビーのような瞳が美しいと評判の方で、お家は一代男爵家だったと思います。

 ですが、当家に所以もない家門の彼女とは、クラスも別で話したことすらございません。それなのに何故かわたくしが彼女に数々の悪辣な行為をしたという話になっているようです。


「おい、何とか言ったらどうだ! 祝いの日にユミリーを大階段から突き落とすとはどういう了見なのだ? 何度も嫉妬をするなと申し付けてあったのにこのザマか、見苦しい。潔く認めて頭を下げろ!」

「そうですよぅ。わたし、痛かった、怖かったのに! 足を痛めて······怪我して動けなくなって! あ、あんな高いところから背中をドンッて押されて······」


 今にも涙を溢しそうに瞳を潤ませるフェルト様をサミュエル様が固く抱き寄せて言葉を続けます。

 ですが、わたくしはそれどころではありません。あれこれ情報を整理しながら考えている間に、また新情報が入ってきてしまったのですから。


 わたくしが今日、『大階段からフェルト様を突き落とした』ですと!


「今までも噴水に突き落としたり、教科書に刃物を仕込んだり、上から植木鉢をぶつけようとしたりと、ユミリーを再三害そうとしたのだろう? 俺の前ではいつも無口で大人しそうに見せておいて卑劣な悪女め! いい加減に何とか言······」

「『事件』ですわ!!」


 わたくしが突然声を発したからでしょうか、サミュエル様とフェルト様が驚いた顔でさらに強く抱き合いました。


「じ、事件とは何だ?」

「サミュエル様。まずはご挨拶させていただきます。本日の装い、ルビーレッドのチーフ使いが洒落ていてとても素敵ですわね。しばらくぶりにお目にかかりますが、息災でいらっしゃいましたか?」

「あ、ああ。こちらは変わりない······」

「それは何よりですわ。さて、先程のお答えですが、『事件』というのは言葉通り『事件』なのです!」

「······はあ?」


 わたくしがサミュエル様方に分かりやすくご説明せねばと勢い込んだところ、「そうだそうだ!」という声があちらこちらから起こりました。

 その声の主達、男女併せて五名がわたくしの元に集まります。


「そうですわよね、これは『事件』です!」

「そうだ、『事件』だ!」


 興奮するわたくし達に反比例するように、会場が静まり返ってしまいましたが、仕方ありません。『事件』が起きてしまったのですから!


「事件ってなんだよ、ユミリーが階段から落ちたことか? それは確かに事件ではあるが······」

「そうなのです、サミュエル様! まず、お聞かせいただきたいのですが、大階段とはダンスホールに隣接するあの階段のことでしょうか?」

「あ、ああ、そうだ。なっ、ユミリー?」

「ええ、そうです! わたしの背中を押したくせにカトリーナ様ったら忘れたのですか、ひどいわ!」


 フェルト様は胸を押さえて涙を滲ませます。

 もしや落下した際に胸を強打したのでしょうか? 目に見えるところでは右手首には包帯が巻かれていますが、他に手当の跡はありません。ドレスに高めのヒール姿でしっかり立っていらっしゃるし、何より先程サミュエル様と踊っておりましたものね。

 良かった。痛めたとはいえお体の怪我はさほど酷いものではなかったようですわ。


「ユミリー・フェルト様、初めまして。わたくしカトリーナ・メローと申します。この度は大変な目に遭われたとのこと、心よりお見舞い申し上げます。

 つきましては円滑な話し合いのため、これからフェルト様とお呼びしてもよろしくて? そしてその犯行が行われたのは正確に何時かを、まずはお聞かせ下さい」

「ええ初めまして······って初めてではないでしょ! 名前を呼ぶことは、きょ許可します!

 そ、それから······はんこう? それ! ついさっき私を階段から突き落としたんじゃないの! 卒業式が終わって、パーティーに向けて寮に戻って着替えようとした時だわ! 逃げて行くあなたの銀髪を確かに見たもの! 

 わたしがサミーから贈られたドレスを着ているのに、あなたはエスコートもすっぽかされたのが憎くてあんなことしたんでしょう! 

 サミー······、怖いわ。あなたの婚約者は悪魔よ!!」

「ああ、悪魔は俺が成敗してやるから、泣くなよユミリー」


 ご挨拶するのは今が初めてですのに、フェルト様は恐怖で混乱されているのかしら。ああ、犯人をわたくしと誤認しておられるから、二度目ましてと思われてる? 

 気がついたらお二人に悪魔呼ばわりされていますけれど、ここは記憶が新しいうちに事件に関連する証言を引き出しておきませんと。


「ということは、午前中に卒業式が終わって、まだ制服を着ている時に? 時間はお昼前ですか? それともお昼を召し上がった後? 具体的な時刻はお分かりですか?」

「えっ? ええっと······」

「おい! 何だよ、さっきから! お前がやったことだろう! それともユミリーが嘘を言ってるとでも言うのか?」


 まあ、それは心外です!


「違いますわ」

「違うって何がだ?」

「わたくしは神に誓ってそのような犯罪行為をしておりませんが、彼女はわたくしに落とされて被害に遭ったとおっしゃる。不可解な事件が起こり、謎が提示されたのです! 

 ならば容疑者のわたくしは、汚名を雪ぐために謎を解き明かし、真犯人を見つけ出す他ありませんわ!」

「しんはんにん? 何それ。そんな話じゃないのに······」

「フェルト様にはお気の毒ですけれども、そういうお話なのです。冷酷に犯行を行い、周到にわたくしに罪を被せ、尚且つユミリー・フェルト様に強い恨みを持つ人間······。そう、あなた様を亡き者にしたいほど憎んでいるその人物こそが真犯人なのです!」


 わたくしがそう高らかに伝えますと、サミュエル様方が押し黙りました。いつの間にか楽隊の音楽も止み、周りの皆様もひそひそと何事かを囁いておられます。


「な、亡き者って大袈裟じゃ······」

「大袈裟なんかじゃありませんわ! 人間、どんな事で恨みを買うか分かりませんから、フェルト様にとっては些細な言葉ひとつ行動ひとつだったことが、犯人にとっての殺意の芽生えであったのかもしれませんのよ!

 大階段の最上段から落下したら、大理石に頭を打ち付けて大量出血していたかもしれません。または顔に一生消えない傷が出来ていたかもしれませんわ! 最悪、脳味噌が飛び出て死んでしまっていたかも······。 

 フェルト様、あなたのことを殺したいほど恨んでおられる人物にお心あたりはございませんの?」


 フェルト様のお顔が真っ青になり、額に手をやり倒れそうになります。慌ててサミュエル様が支えて声を荒げました。


「脅かすようなことを言うな! ユミリーは繊細なんだぞ!」


 あら。わたくしとしたことが、つい興奮してしまいました。


「そうですわね。強烈な殺意に晒されている方への配慮に欠けた発言をしてしまい申し訳ございません」


 わたくしはフェルト様に謝意を示そうといたしましたが、彼女は周りの皆様から漏れてくる「殺したいほど恨まれている女」という言葉にショックを受けてしまわれたのか、何やらぶつぶつと呟くばかりでこちらを見て下さいません。


 そんなフェルト様を庇いながら、サミュエル様が続きを求めるようにこちらに強い視線を送って来られたので、今はわたくしの話を進めることにいたします。


「その人物はフェルト様を突き落とした後、救助せずに逃走しました。ということは不慮の事故ではないことは明白。

 ですがわたくしが犯人ではないことはわたくしが誰よりも分かっております。

 ならばどうするか。凶悪な殺人未遂事件を起こした真犯人を見つければ良いのですわ。

 ですので、事件解決の足掛かりとして、わたくしはまず正確な犯行時刻を知りたいのです。それと犯行現場と、被害状況、被害者の着用していた衣服などできるだけ細かく」

「はあ?」

「サミュエル様、しっかりなさって下さい! これは『事件』なのですから、被害状況の確認も併せて、早急に現場検証をしないといけないではありませんか!」


 わたくし、ついつい鼻息荒く話してしまったでしょうか? フェルト様がようやく泣き止んで下さったのはいいのですが、今度はポカンとしております。


「ここからは、我々も参加させてもらおう」


 先程の声の主達が帳面や虫眼鏡などを片手に持ちながら、サミュエル様方へ許可を求められました。彼らの内二名は生徒会役員。断る選択肢なしと思われたのか、お二人はただ頷いております。


「ユミリー・フェルト嬢、この度は、華々しい旅立ちの日に不幸に見舞われたことをお気の毒に思う。だが、あなたの記憶がはっきりとしている内に、本事件の調査に協力願いたい」


 そう声をかけたのは生徒会長のアーノルド・ワイズマン公爵令息。彼は華やかな美貌の持ち主ではあるものの、滅多に女性に話しかける人ではないからか、会場から嬌声が上がっております。フェルト様までもが心なしかぼうっとしているようですが、しっかりお話してもらいませんと!


「あの······何ですか、皆様は。カトリーナのご友人なのですか? 今までそんな風に見えませんでしたが」


 そんな中サミュエル様が訝しげに様子を窺って来ました。まあ、たしかに生徒会役員でもないわたくしがワイズマン様方と親しくしているのは不思議かもしれませんわね。


「我々は推理小説愛好会のメンバーだ。彼女――メロー嬢を同好の士と見込んで声がけをしたのがきっかけで集うようになってね。この会では私が会長ということになっているが、実際にはメロー副会長や他の会員達の方が遥かに素晴らしい慧眼をお持ちなんだがな」

「いえいえ、わたくしなど! 会長の洞察力と過去の判例の知識には到底抗えませんわ」

「そんな謙遜を。読書量でいったらメロー嬢が当会随一ではないかな?」

「あら嫌ですわ。わたくしなんて読んでもすぐ忘れてしまう残念おつむですのに」


 わたくし、読むのは早いのですが、頭の容量の問題なのか細かな伏線やトリックを忘れてしまいがちなのです。再読でも新鮮に楽しめるのをよく皆様にからかわれるので、ワイズマン様の褒め殺しにころころと笑ってしまいます。


「それだからこそ、日頃から膨大な行動記録を取っているのではないか。なあ副会長?」

「うふふ」

「······行動記録?」


 サミュエル様が重ねて声を上げます。あら、この方、婚約者として近くにおりましたのに気づいていなかったのかしら?


「この会のお陰で、わたくし光栄にも、とある作家様から執筆のコツを伺う機会に恵まれまして。その際に大変感銘を受けたお話がございますの。

『推理小説では奇想天外で難解な犯罪トリックを書くことが最重要とも言えるが、私の場合はアリバイにも重点を置いている。これが強固なら罪に問われないのだから、犯人はアリバイ作りに精を出すし、探偵はアリバイ崩しに躍起になる。ここが小説の醍醐味だと思っている』――と」

「ああ、良く覚えているよ。推理小説の王道を愚直に邁進するとおっしゃっていたビル・プライスナー先生の言葉に私も痺れたしな」

「アリバイって聞くとワクワクするものねえ」


 愛好会のメンバーはうんうんと頷いて下さいますが、サミュエル様だけではなく、他の方々まできょとんとされているわ。わたくしの説明下手が出てしまったのかしら?


「要するに。その作家様は、お話を作る際に、犯人、探偵、両方の立場で考えていくのだそうです。自分が今この状況で犯罪を犯したとして、アリバイをどう作るか。状況を細かく記述し、読者に情報を開示してフェアな謎を用意する。そして今度は探偵となり、誰がどう動いたかを全て観察し、裏取りしていく。そして犯人を見つけたら、どう犯人のアリバイを崩すかを考えていくのだと。

 その思考法として、『日頃から自分の行動を記録し、その時々に証言してくれる人を記録し、日々アリバイ作りをしていくのが役に立った』とおっしゃっていたので真似をしているのです」

「だから! それがどうしたんだ?」


 苛立ったようにサミュエル様が声を荒げます。彼は落ち着かなくなると御髪に手をやってしまうので、随分とみだれ髪になっていますね。


「つまり、メロー嬢には、自身の行動記録がある。在学中はアリバイ作りも日々行っていたんだよ」


 アリバイ。

 そうなのです。自己申告なので証拠として弱い部分があるかもしれませんが、わたくしの日々の足取りは記録に基づきすぐに追えるようにしてあるのです。


「それなのに『事件』が起きた。

 メロー嬢が犯行時刻にその場にいたのか。あるいはメロー嬢を騙る別人の犯行か。はたまたメロー嬢自身が本当に罪を犯したのか。

 真相解明のため、我々推理小説愛好会も微力ながらお力になるよ」


 ワイズマン様が心なしか迫力を帯びたお顔でサミュエル様ににっこりと微笑みました。


 と、そこへ、他の推理小説愛好会のメンバーの皆様がフェルト様へ矢継ぎ早に質問を繰り出していきます。


 ああ、そこはわたくしも調査したかったことですのに!


「愛好会のアニエス・ウッドストーンと申します。質問よろしいですか? 

 それで、フェルト様。犯行現場はダンスホール横の大階段で合っていますか? 落ちたのはどの高さから?」

「そうよ、あの階段よ! 高さは一番上······? と、とにかく高いところよ!」

「同じく愛好会のステファン・ブリッジです。

 事件現場は、卒業式が行われた会場からも、カフェテラスからもあなたのお住まいの寮からも離れていて、卒業パーティー出席時までにそこを経由する理由がどうにも思いつきません。何故その時刻に大階段にいたのですか?」

「あ、えと······」

「愛好会のダニエル・バウアーだ、よろしく頼む。

 大階段から落ちた時に目撃者は? 助けてくれた人物は? また被害に遭った際に着ていた制服はそのままあるか?」

「もくげき? 痛くってそれどころじゃなかったわ。せ、制服は寮の部屋にあるわ。それが何よ?」

「まあ、良かった! その制服は重要な証拠が残留している可能性がございますわ!」

「······しょうこ?」


 わたくしは嬉しくて思わず手を叩いてしまいました。会のメンバーの皆様も目をキラキラさせて興奮しています。


「では直ちに証拠品を保全しよう。

 フェルト嬢、当家の護衛騎士が女子寮に行き、制服を預からせて頂いてもよろしいかな? もちろん淑女の部屋には立ち入らない。入室は寮母殿にお任せするよ」

「え、ええ。でも······」

「ああ、寮母殿には新品の手袋を付けていただいて、擦らずゆっくりと袋に密封するよう指示を頼む。それから念の為に寮母殿と、女子寮の侍女殿にも指紋の提出を頼んでもらえるか? 捜査のためだと言ってな」

「畏まりました」


 ワイズマン様が公爵家の護衛騎士に指示を出して動かし始めました。それから会のメンバーの方達が学院の警備係にも声をかけて、何事かを依頼しています。

 その間にわたくしは帳面に聞き取り内容を忘れずにメモいたします。書くことで頭が整理されていくので、わたくしはこの作業がとても好きなのです。


 それらを今まで呆気に取られたように見ていたサミュエル様が、ようやく疑問点を口に出されました。


「ワイズマン様! あの、何でそんなに制服が重要なのですか?」

「そうだな、その辺りはリフキンに説明してもらおうか。鑑識については彼が最も薀蓄があるからな」


 すると、ワイズマン様は警備の方にあれこれ質問をしていたリフキン様をお呼びになりました。

 伯爵家のマシュー・リフキン様は大層優秀な頭脳をお持ちで、ワイズマン様と常に成績のトップを争っておられます。甘いものとコーヒーの取り合わせがお好きなのですよね。


「父上譲りのものですが、では。

 生徒会副会長であり推理小説愛好会会員のマシュー・リフキンだ。父は王立騎士団直下の調査鑑識課にて統括長をしている。私も試験に合格し、今後は父と同じ調査鑑識課に配属されることとなっているので、差し当たって鑑識に関する点については取り仕切らせていただく」


 リフキン様がバリトンを響かせ、会場を見渡しました。怜悧な眼差しが美しいと人気の瞳を覆う眼鏡に少し触れて、一呼吸置いてからお話を続けていきます。リフキン様の解説はいつも専門的でありながら分かりやすくて、本当にためになりますわ。


「まず、本日の卒業後、大階段で被害者ユミリー・フェルト嬢が何者かに押されて落下したとのこと。凡その犯行時刻は卒業式終了から間を置かないものと想定している。また当学院の制服はポケットがかなり小さいため、計画的犯行でないのならば、加害者は手袋や凶器などは未携帯であった可能性が高いと思われる。


 被害者フェルト嬢は本件の犯人をカトリーナ・メロー嬢だと断定しているが、メロー嬢はこれを否定。被害者フェルト嬢の断定は、本人の証言のみで第三者の証言など確たる証拠を持ち合わせていない。


 また本件で凶器の使用があったのか。この点については、現時点では無かったようだ。『背中をドンっと押されて』との証言があるため、素手もしくは体で被害者の制服に触れた上で突き落とした可能性が極めて高い。その際に被害者が落下を免れようと犯人を掴むなどしていたのであれば、犯人側にも被害者の痕跡が残っているはずだが、そこは今のところ置いておくことにして。

 まずは犯人が触れた制服に、犯人の髪の毛や指紋、皮脂、体液など犯人に繋がるようなものが付着していないか調査を行うのが、事件解決の近道だと思われる。

 被害者フェルト嬢より『銀髪の女性』が逃げ去る姿を見たとの証言があるが、現在の学院生の中で銀髪の女性はメロー嬢のみ。ただしメロー嬢は犯行を否定しているため、誰かがメロー嬢の犯行と思わせる目的でカツラなどを用いた可能性も検討すべきだろう。もし制服に銀髪の毛が付着していたらすぐさま毛髪検査にかけたいと思う。


 さて。皆様立ち会いの上で制服から遺留物捜査をすることに意義のある者は?」


 リフキン様が一息ついて再び会場を見渡しました。パラパラと賛成の拍手が聞こえ出し、やがて大きな拍手となっていきます。大多数の皆様は公開捜査に賛成ということですね。


「捜査手法の進化も近年目覚ましいものがあるのを皆様はご存知か? 従来のシアノアクリレート等を用いる犯人痕跡調査では判定出来なかったものが、鑑識魔法という新しい分野が飛躍的に発展したおかげで、より精度の高い痕跡を見つけることが可能になったことを。


 我が国では、すべての貴族子女は神殿にて魔力判定を行うよう義務付けられている。貴族家の養子となった場合も例外ではないが、その際、貴族子女の遺伝子データ、魔力紋の神殿保管が併せて行われていることは認知されているだろうか? 保管理由は様々だが、個人の魔力には血液や指紋と同様に各人固有の遺伝子と言えるものが組み込まれていることが大きい。


 早い話、口がきけない程幼い貴族の子供が迷子になっても、魔力紋データ照会すればその子をすぐお家に帰すことが可能というわけだ」


 おおっ、という声がそこここから漏れ聞こえてきます。自身の魔力が指紋のように固有のものだと知識として知っていても、彼らは健全な学院生。自身が犯罪に巻き込まれて魔力紋捜査されるなど、今まで想定したことがなかったのかもしれません。

 皆様、「誘拐された子の親探しにも使えるってことか」ですとか、「子が生まれたら早く魔力判定するべきなんだな」なんていうお話で盛り上がっているご様子。


 現在のところ、平民の魔力判定は任意ということになっているのです。判定にお金がかかるため、簡単に全国民へ普及とはいかないのでしょう。ただ、ここ王立学院に通う平民の方は、特待生入試を受ける際に魔力判定も行われるので、仮に彼らが真犯人だとしてもデータがあるということになりますわね。


「したがって、フェルト嬢の制服背面に残留する他者の魔力がメロー嬢のものかどうかは最新の鑑識魔法でたちどころに明らかとなるであろう! 漏れ出た悪意、殺意などは犯人の精神・を乱すから、魔力もダダ漏れになっていたに違いないからな!

 メロー嬢、あなたが冤罪だというのなら、それもすぐさま判明すると思うぞ! 鑑識魔法の威力を実感してもらおう。

 ああ、フェルト嬢もご安心を! 99%問題ないはずだが、仮に制服から犯人の魔力判定が出来なくとも、従来方式で付着した毛根、指紋、皮脂などからも個人の特定は可能だ。本件で言うと、被害者の制服さえ保全しておけば大体のことが分かるかと」


 大きな拍手とともにリフキン様の説明が終わりました。そんな中でもリフキン様は何度もフェルト様に温かい言葉をおかけになっていらっしゃいます。


 わたくしは新しい理論の鑑識魔法を直に体験できると聞いて、不謹慎にも興奮してしまいましたわ。それに伴って帳面の文字がはしゃいで乱れてしまっています。


 リフキン様からの励ましを受けてもまだ安心出来ないのでしょうか、フェルト様は俯いて無言になってしまいました。


「リフキン! さすがお父上直伝だな! 大階段は現場保全のために立入禁止にしておいたから、鑑識課がいらしたらすぐにそちらも調べていただきたいな」


 ワイズマン様が拍手をしながらリフキン様を称えております。わたくしも理路整然とお話されるリフキン様に聞き入ってしまいましたもの。まだまだ奥深い鑑識の世界を教わりたいですわ。


「無論だ。父上率いる調査鑑識課ならば漏れなく調査するだろう。

 また銀髪と言えば隣国王家特有のもの。我が国では隣国王家の血をひくメロー家くらいしか思いつかない程だ。

 隣国王家が極秘に来訪してフェルト嬢に害をなした可能性はひとまず除外しておくが、仮にフェルト嬢の見た銀髪がメロー嬢を陥れるために故意に装着したカツラだった場合は、毛髪着色剤の販売元を辿るなどその辺りから犯人特定が容易になるかもしれない。隣国の王族やメロー家が王家の色とも言われる銀髪を売りに行くとは考え難いからな」


 リフキン様、髪の毛のことまで問題提議していただきありがとうございます!


「鑑識課の、地味なようで確実に犯人を追い詰める調査は本当に素晴らしいわ! ああ、わたくしも鑑識課の実際の捜査を拝見出来るのですね!」

「カトリーナ! 何を興奮してくっちゃべっているのだ! いつもより口数が多いのは疚しいことがあるからなのだろう? まったく犯人のくせに白々しい!」


 顔色を失くしたフェルト様の横で、サミュエル様が恐ろしい目付きでわたくしを睨んでおります。


 婚約者としてサミュエル様と過ごすようになってから五年。あちらのお家からの申し出により結ばれたものでしたが、サミュエル様の本意ではなかったのでしょう。決して良好とは言い難い関係でした。それでも生活を共にし、互いを尊重し合って家を盛り立てて行かれればと考えておりましたが、彼にとってその未来は耐えられないものだったようです。


 そうですね、今のわたくしは容疑者。睨まれるのも仕方ありません。

 それから、たしかに今はお茶会時より多く話しておりますが、その理由はサミュエル様がご存知のはずですのに······。

 ですが今はそれどころではありませんわ。事件解決のため、言葉を尽くして身の潔白を証明いたしませんと!


 気持ちを切り替えて頑張ろうと顔を上げますと、心配そうにこちらを見ておられたワイズマン様が話を引き取って先へ進めて下さいました。


「それから、リフキンの話にも関連することですが、犯行現場となった大階段からも、今後の調査で何かしらが判明するかと思います」

「······どういうことでしょう?」

「人が一人落ちたのですよ、ガンス様。そこには滑った跡などがあるでしょう。もし強く打ち付けているのなら、床や階段、あるいは壁や手すりにフェルト嬢の上靴の跡があるはずです。また制服にも転落時に生じた擦過痕が必ず残っているでしょう。現に顔に傷がないので、高いところから落ちたフェルト嬢は無意識に受け身をとったのでしょう。床に強く接触した生地は摩耗しますからね。上靴にも同様に情報はあるでしょう」


 ワイズマン様が身振りを加えながら腰や腕や足を指していきます。まあ、お尻から落ちたのか転がり落ちたのかでも違いますがね、と言いながらご自身のお尻を撫でますと、一部のご令嬢から「可愛い」なんていう声もあがっておりましたが。


「そうね! あと彼女の手当をされた医務室の先生にもお話を伺わないと。医師の目からも本事件に関してお気づきのことがなかったか、確認してみましょう」


 アニエス、流石ですわ。多角的な視線で捜査を行うことは探偵の基本ですものね!


「ヒッ! ちょ、ちょっとサミー。話が違うわよ。どうなるのよ、これから」

「でもいい機会だ。カトリーナの罪を公的な機関に明らかにしてもらおう。俺達の愛が正しいものであり、カトリーナが卑劣だと世間に知らしめるチャンスじゃないか!」

「そんな······、困るわ······」


 何やら不安そうなお顔でサミュエル様に話しかけるフェルト様。この会場の中に自分を殺そうとした者がいるかもしれないという恐怖に耐えているのですから、心理的負担が大きいのでしょうね。

 早く真犯人を見つけて差し上げないと、と気合が入ります。

 

 小さく拳を固めたわたくしをよそに、愛好会のブリッジ様とバウアー様が話に加わります。


「ええと、大階段はここダンスホールの横にありますよね。

 卒業式を終えたばかりの生徒達は、カフェテラスや寮、ゲストルームなどに向かったはずなので、それらと逆方向の大階段にはまず来ない。反対に、学院の従業員の皆さんや教員の方々は、ダンスホールにて卒業パーティー準備の真っ最中だった。必然的に犯行が行われている時間帯、多くの人が大階段付近に居たということになりますね」

「ブリッジの言う通り。受け身の取れない女性が突如階段から落とされれば、悲鳴も上がる。それを聞いて駆け付け、倒れた彼女を助け起こして医務室に運んだ者もいたのではないか?」


 他の殿方に比べて多少小柄なことを気にされているブリッジ様は、クリッとした瞳が魅力的な方ですが、大変聡明な頭脳の持ち主です。


 またバウアー様は騎士家系の出ということで、日々ストイックに鍛錬に励まれた体躯は本当に御立派で、鍛錬の息抜きに推理小説を読み始めて嵌ってしまったとか。


「そうですわね。目撃者がいらしたかもしれませんわよね」


 わたくしがウンウンと頷いておりますと、バウアー様が苦笑しながらこちらを振り向きました。


「メロー嬢、君が犯人とされているんだ。犯行時に君と同じ銀髪が目撃されているというのに、ずいぶん呑気だね」

「いやですわ。犯人になったことも、このような事件に直面したこともありませんから、内心不安や緊張でいっぱいですわよ」


 日頃からおっとりさんねと家族や友人に言われる性質のわたくしです。真相を掴みたいという一心で発言しておりましたが、知らない方から見たら、これらも疑わしい行動のかもしれません。


 わたくしは思わず胸を押さえました。ああ、今まで共に学んだ方、教鞭を執って下さった方の中に、フェルト様を害そうとした人物がいるかもしれないのです。そしてその人物はわたくしをその犯人に仕立て上げようとしている。


 何を以て真犯人をそこまでの犯行に駆り立てたのかは分かりませんが、卒業という門出を祝う日に、何という悪逆な事件が起きたのでしょう。


「本件では銀髪という目撃証言がございますが、わたくし日頃よりアリバイ作りに余念がありませんでした。この行動記録を元に裏付け調査をしていただければわたくし犯人説の疑惑は晴れると思うのです」

「カトリーナ! のらりくらりと喋っていれば言い逃れられると思っているのか!」

「ふふふ。じゃあ今日の卒業式後からのアリバイはどうなっているんだい? お二人に報告してあげなよ」


 ありがたいことに、ブリッジ様がいいパスを出して下さいました。

 会場の皆様からも賛同の声が上がりましたので、わたくしはいつも持ち歩いている金猫印の帳面を捲ります。

 犯人扱いされているわたくしの無実を信じる方がいる。嬉しくて心がぽかぽかいたしますわ。


「サミュエル様、フェルト様。わたくしのアリバイを聞いていただけますか? 犯行時刻は卒業式後ということですので、そこからお話しますわ」


 お二人が渋面ながら何とか了承の意を見せて下さいましたので、記録を読み上げていきましょう。声が裏返らないよう、こっそり呼吸を整えておきます。


「それではまいります。

 まずわたくしは本日11:30に終了した卒業式の式場内で推理小説愛好会の皆様と合流し、そのままカフェテラスに移動、皆様と学院最後の思い出深い会食をいたしました。卒業式当日のみに提供される『祝卒ケーキ』もいただきましたわ。こちらは毎年違うフルーツで作られますが、今年のは黄金桃でした。


 それから13:00過ぎにアニエス・ウッドストーン様と各々の侍女を伴い、カフェテラスから学院内のゲストルームに移動してドレスに着替えました。ちなみに当家が借りたゲストルームですが、皆様ご存知のように女性用は淑女科棟の上階にございますので、事件現場の大階段からは遠い位置にありますわ。


 17:00頃サミュエル様の侍従の方がお越しになりまして、今回のエスコートも無しになったと報告がありました。それでわたくしは侍女と共に17:45に会場に入り、開催時刻の18:00までご友人方とお話をしておりました。


 ちなみに着替えはアニエスとは別室ですが、入室等の細かな時間は侍女に記録してもらっています。また本日は宝飾品が多く持ち込まれる日ということもあり、学院側の配慮からゲストルームのある階には通常より多くの警備員が配されていましたわ。その者に確認をすればよりはっきりいたしますが、わたくしは会場に入るまでゲストルームからは一歩も出ておりません。ですから犯罪時刻とされる時間帯にわたくしが犯行を行うことは出来なかったのです。


 それからカフェテラスやゲストルームまでの移動、またゲストルームから会場までの移動に際し、何名かの方とすれ違うなどしておりますが、その方々の氏名も恐縮ながら記録済みですの」


 わたくしが読み終えますと、すぐに推理小説愛好会の皆様が拍手して下さいました。


 周りで聞いていた方の中にも、「メロー様はたしかにケーキを食べてらしたわ」「方向が同じだったので、カトリーナ様がアニエス様と連れ立ってゲストルームの方へ上がっていくのを見ています」「僕も会場に向かうメロー嬢を見かけたけど、侍女も一緒だったな」などと記録を裏付けるような発言もちらほら聞こえます。


「ダンマリ女のくせに、こういう時だけ何をペラペラと······」

「そ、そうよ! その記録には抜けがあるわ! あなたはいつも図書室に行くのが日課じゃないの? 大方図書室に行くついでに大階段まで来たのでしょう?」


 サミュエル様が文句を漏らした後、少し顔色が良くなられたフェルト様が勢い込んで言い募りました。


 図書室? たしかに大階段の側にありますが、本日は終日閉室と前々から張り紙がしてあったはずですけれど? 


「ええと、今日は閉室なので行っていませんわ」

「嘘よ! あなたは今日も図書室に行ったんでしょ! 嘘をつかないで!」

 

 わたくしや他の幾人かの方々が首を傾げていますと、ワイズマン様が帳面を指差しながら笑顔を向けておられます。


「フェルト嬢、メロー嬢が今日図書室に出入りするところを見たのかい?」

「いいえ、でも彼女は毎日行ってましたわ! 毎日!」

「見ていないのならば、今日メロー嬢が行ったとは断定できないんじゃないかな? 本人は否定しているし行動記録にも記載がないしね」

「でも······」

「誰か今日メロー嬢が図書室に出入りしたところを見た者はいるか? ······いないようなので図書室のことはひとまず置いておこう」


 ダンスホールを見渡しても、誰からも目撃証言が出ませんでした。納得がいかないのか尚も言い募ろうとしたフェルト様でしたが、サミュエル様が止めておられます。


「しかしメロー嬢さすがだね。この学院に入ってからのは全て記録があるのだろう?」

「ええ。でも書き方は試行錯誤しておりますの。まだまだですわ。

 またアニエスとは学院生活のほとんどをご一緒させていただいておりましたが、平素よりお互いの侍女にも簡単な動向記録を依頼しておりますので、そちらと照らし合わせれば齟齬を確認出来ます。

 ちなみに、わたくし及び侍女達は記録を取るにあたって金猫印の帳面を使用しております」


 近くで聞いておられたリフキン様も何度も頷いて下さいます。


「簡潔でとても分かりやすい記録で良かったよ。また金猫印製というのも良い。あれは偽りを書けない制約が付いている。憲兵や騎士団が犯罪調査の時によく使うやつだ」

「ええ。本来は帳簿作成用に作られたのに、あまりに融通がきかないので会計係に不人気らしいですわね。

 わたくしは『シケモク探偵マードックの事件簿』でこの帳面を知りましたの。作中でマードック探偵が何者かに呼び出された孤島で殺人事件に巻き込まれた時に、この帳面を事件の整理と自身の日記に使っていたことで事件解決に導かれたのです! わたくし、このお話に感銘を受けましたので、すぐに真似してみましたの」


 お二人に褒められて、ついついマードックの小説の話までしてしまいました。読者の方でしたら、この帳面に書かれたアリバイの精度の高さが伝わるのではと思ったのです。

 

「この作品には胸踊りましたもの。金猫印の帳面が、他の容疑者の面々のアリバイ崩しに大いに役立つのでしたわよね! わたくしもカトリーナのを真似しまして、買い求めました。もちろん『シケモク探偵マードックの事件簿』モデルの帳面ですわ!」

「表面にマードックが煙草で焦がしたような跡があるのが格好いいですわよね! アニエス、わたくしもあの後追加で三冊買いましたの!」

「実は我が国の騎士団長様もマードックが好きで、そこから騎士団でも金猫印のが広く使われるようになったらしい」

「そろそろ続編が出るらしいぞ。次はどんな事件が起こるのか楽しみだ」

「おいおい君達。私だって話に混ざりたいが、今はメロー嬢のアリバイの件が優先だよ」


 ついアニエス方と話し込んでしまいましたら、ワイズマン様がウインクをしながら方向転換して下さいました。いけない。そんな場合ではないのでしたわ。興味のあることですと、止まらなくなってしまうのは反省しなければ。

 

「ええと、話を戻そう。

 我々が本事件を解明するためにいくつかのことを調査しなければならない。

 まず大前提として大階段のどの高さからどのように犯行が行われたのか。これはこれからやって来る鑑識課の調査結果を聞けば一目瞭然だろう。

 次に聞き取り調査。被害者フェルト嬢、容疑者メロー嬢の他、フェルト嬢を治療した医務室の医師。目撃者を探さないと。それからダンスホールで準備をしておられた先生方や在校生、使用人の皆さんにも聞き取りを行う。争う音、悲鳴、落ちた音など、すぐ横で起きたのなら誰かしら気付いただろう。目撃者や救助者がいれば犯行時刻の特定が可能になるし、加害者がどちらの方向に逃げたかを見ていれば、今度はその方向に居た者から有力な証言が出るだろう。

 図書室は入室記録があるかもしれないな。司書の方にも聞き取りだ。そうすれば今日メロー嬢が入室したかどうかはっきりしたことが分かるだろう。


 となると、殺人未遂事件としてメロー嬢をはじめ、学院にいた我々も容疑者としてここから出ることは出来ないな。証拠隠滅を図られたら困る。

 なのでパーティーは即刻中止し、会場を封鎖。門も閉鎖して、犯人が逃げられないようにしなければならないと思いますが、学院長、いかがでしょうか?」


 ワイズマン様の発言に、今まで静観なさっておられた学院長がこちらに進み出てこられました。その後ろには腕章を付けた生徒達が数名います。


「本会は生徒達のもの。ですから生徒達の自主性に任せるつもりでいましたが、この辺りで諸々の判断はこちらが行いましょう」


 学院長は慣例的に歴代王族の方が担ってこられましたが、現在はご多分に漏れず王弟殿下がその座におられます。

 元々魔術や薬学の研究がお好きだったことから、学問の道で生きることを決められたとか。たしか四十代に差し掛かっている御歳のはずですが、輝く金髪とお髭に引けを取らない美しい面差しが、今も女性達を魅了して止まない御方です。


 学院生活の中で、わたくし達が学院長のお姿をお見かけすることは滅多にありません。ですが、生徒会の方々は交流があるのでしょう、ワイズマン様やリフキン様は臆せず「よろしくお願いします」と頭を下げています。


 腕章を付けた生徒達はその横でじっとしていますが、ワイズマン様が傍に行き何事かを告げますと、皆様のお顔が和らぎました。彼等は次代の生徒会役員さんなのだとリフキン様が教えてくれます。


 そういえば以前ワイズマン様がおっしゃっていました。当学院の卒業パーティーは学院と生徒会の共催となっているのだそうです。学院行事なのですが、卒業を祝う会であると同時に教職員へ感謝を伝える会でもあるため、生徒側も運営に参加するのだと。

 楽団の手配や料理の注文などの業務を当代生徒会と共に担い、このパーティー進行からが次代の生徒会役員さん方の実質的な初業務になるのだそうです。それで次代の役員さん方は出席してくれていたのですね。


 彼等にとっても大切なパーティーでしたのに、こんな事件が起きてしまって本当にお気の毒ですわ。


 あっ、腕章を付けた生徒さんの中にも金猫印の帳面を持っている方がちらほらおられます。今年からリフキン様の年下の婚約者様が生徒会に入られたと聞きましたので、もしかしたら次代の生徒会役員さんにも同士がいらっしゃるかもしれませんわ!

 

「リフキン君のお父様がいらっしゃるのでしたら、このまま鑑識のプロの方に現場検証していただいた方がいいでしょうね。

 今日をもって皆さんは卒業される。領地に帰る方や、仕事や婚姻等で我が国を出る方もいらっしゃる。先延ばしにしては聞き取り調査をすることも難しくなります。なのでパーティーは一時中断し、鑑識課と騎士団を迎え入れます」


 学院長のお言葉に、次代生徒会役員さん方がホールの各扉を塞ぐようにお立ちになりました。先程まで居なかった警備の方も数名会場に入って来ています。


「ええ。父には先に伝言を飛ばしていましたが、正式に鑑識課、騎士団にも事件発生として依頼いたします。父は先にこちらに来るでしょう。学院長、皆様、ご協力ありがとうございます。ガンス様、フェルト嬢も捜査に協力いただきますがよろしいですよね?」

「も、もちろんだ」

「······大袈裟よ、こんなの。普通はもっとさくさく断罪されるんじゃないの?」


 サミュエル様はすっかり疲れてしまったのか、言葉数が減り、落ち着かないご様子で周囲を見回してばかりいます。

 お隣のフェルト様はというと、心なしか表情が歪んでいらっしゃるように見受けられます。目の前で爪を噛んで不安を逃そうとしておられるのに、加害者と目されるわたくしでは慰めて差し上げることも出来ません。


 わたくしは時間があれば殺人事件のお話ばかり読んで浸っていますけれど、普通の御令嬢はそうではありませんもの。突然血なまぐさい世界に巻き込まれて、精神が持たないほどお辛いのでしょう。鑑識課の方々、早くいらして下さいませ! 事件解決を急がないと、御令嬢が一人壊れてしまいますわ!


「さてメロー嬢。あなたが犯人なら、これから騎士団を呼ぶので自首するか、そちらにも改めてアリバイを申し立てるのだね。そして今学院にいる我々の誰かがメロー嬢を犯人に仕立て上げている可能性も否定できないのだから、我々のアリバイも明らかにしなければ。ああ、忙しくなるぞ!」


 警備の方から耳打ちを受けたリフキン様が、若干興奮を隠しきれないように語尾を大きく響かせながら話しかけて来ました。

 そうですね。もう一度しっかりアリバイに付いて申し上げなければいけませんわね。帳面を読み返しておきましょうと思っていますと、横で愛好会の皆様がまた声を上げています。


「今日の卒業式から現在までで居なくなっている者はいないか? またフェルト嬢に恨みを持っている者は?」

「銀髪のカツラを見たことがある方はいらっしゃらないかしら?」

「メロー嬢、フェルト嬢、申し訳ないがお二人の手荷物などを確認させてもらえないか? 私は騎士の厳しい尋問にお二人を晒したくはないし、何よりこれ以上辛い目に遭わせたくない。だから生徒会長の権限で本件を調査したいのだが許してもらえないか?

 皆さん、こんな晴れの日にパーティーを中断して申し訳ないが、証拠隠滅がされる前に調べなくてはならないのだ! 是非とも皆さんも事件解明のために協力してほしい!!」


 バウアー様方の問いかけの後、ワイズマン様がわたくし達におっしゃった言葉に胸がいっぱいになってしまいました。お優しい! フェルト様のお心が限界を迎えておられるのに気づいてらっしゃるのだわ。


「ワイズマン様、もちろんです! わたくしは身の潔白を証明するために何も隠したりいたしません! 行動記録の帳面もぜひご覧下さいませ!!」

「ありがとう。さあ皆さん、念の為に飲食物には手を出さないで下さい! おそらく犯人はこの中にいます! フェルト嬢を亡き者にしようとした犯人は、推理小説のセオリー通りに犯行現場に戻って来るでしょう。彼女を殺せなかったことでやけになって、無差別殺人に切り替えて、これらに毒物を入れていないとも限りません! 具合の悪くなった者は報告を! それ以外は騎士団と鑑識課が来るまではその場で動かずにお願いします!」

「そうですね。ワイズマン君の言う通り、皆さんは会場から出ないようにね」


 学院長は、間もなく到着する鑑識課と騎士団を迎えるためということで会場を後にしました。その代わりなのか警備員さんがわたくしとフェルト様の側に付くようになりました。お二人とも女性の方ですが、凛々しい立ち姿が強そうで素敵ですわ。


「あ、あの······」

「はい、何ですか、フェルト嬢?」

「本当に騎士団や鑑識課が来るのですか?」

「ええ。もう学院長からも通報していただきましたので。調査鑑識課リフキン統括長もお越しになりますよ! 

 そうそうフェルト嬢、彼等が到着しましたら被害届を提出してもらえますか? それで正式な捜査開始となりますから」

「え、ええ······」

「ざまあ見ろ、カトリーナ! お前の悪事が白日の元に晒されるぞ!」


 会場内の誰もが事件についてあれこれと推測し合い、ざわざわとしている中、数名の職員さんが入室されました。


「失礼いたします」

「あら、モラリ司書、遅かったですわね」

「すみません、先程図書室を閉めたので我々もパーティーにお邪魔させていただこうと思います。

 ところでこちらにカトリーナ・メローさんはおられますか?」

「えっ。メローはわたくしですけれども」


 名前を呼ばれて驚いて進み出ますと、いつもお世話になっている学院図書室のモラリ司書様です。


「メローさん。ご卒業おめでとう。遅くなって申し訳ないのだけど、初めましての女生徒さんからあなた宛の手紙をお預かりしていたのよ」

「ありがとうございます。こちらこそ在校中は大変お世話になりましたわ。それでわたくしにお手紙······ですか?」

「ええ。メローさん、いつも放課後に図書室へ寄って行かれるでしょう? 今日は『蔵書点検日のため閉室』と張り紙もしているし、流石に来ないのじゃないかとお伝えしたのだけど、その方、こちらの話を聞かずに置いて行ってしまったものだから。本人に返そうにも普段図書室に来ない方だったのでお名前も分からないし。お帰りになる前にお渡し出来て良かったわ」


 ほっとしたお顔で封筒を差し出すモラリ司書様。

 わざわざそのような形で言付けを頼むなんてどなたなのかしら。

 不思議な気持ちで受け取ろうとすると、「あっ、ちょっとそれ!」と甲高い声を出したかと思うと、慌てて口を塞ぐフェルト様。


「あら、初めましてさん。メローさんとご一緒だったのね。パーティーに出ないから代わりに渡してほしいのかと思ったけれど、無事にお会い出来ているなら、これは不要だったかしら?」

「ふ、不要よ! いえ、そんな手紙は知らないわ!」

「ええ? お昼時間に図書室にいらして強引に置いて行ったのはあなたでしたわよ? 要らなくなったのならご自身で処分してちょうだい。この手紙のために、いつもより長く図書室に在室していたのですからね。それと、人に物を頼む時は名乗るものですわよ」


 モラリ司書様は呆れた口調でフェルト様に注意をされました。封筒をひらひらさせながら怒っていらっしゃるので、フェルト様は子猫のようにそれを目で追っていますが、手を出そうか悩んでおられるご様子です。


 これは本当にフェルト様が出したもの?

 あ、もしかしたら犯人はフェルト様にも変装して、わたくしをおびき寄せる偽装手紙を用意したのかしら?


 あれこれ可能性を考えていますと、リフキン様が「この手紙は重要な証拠になるかもしれませんので、鑑識課にお渡しいただけますか?」とモラリ司書様に依頼をしていらっしゃいます。


 フェルト様の様子を見ながら何事かを考えているサミュエル様。そんな彼にバウアー様が心底不思議そうに声をかけました。


「それと、先程から気になっていたのだが、メロー嬢は無口ではないと思うぞ」

「······えっ?」

「そうそう、興味のあることに関して誰よりも夢中になって話すしな」

「いつ見てもアニエス嬢達と楽しそうにお喋りに花を咲かせているよ」


 そんな中、普段は朗らかなアニエスがサミュエル様をキッと睨みつけます。美人さんの冷たい視線はとても怖いです。


「カトリーナのことをダンマリ女だなんてよく言えるものだわ! 元々はガンス様のせいなのに······」

「ウッドストーン嬢、俺のせいとはどういう意味だ? あいつは昔から無口だったが」


 あら? サミュエル様は本気で訝しそうにしていらっしゃいます。彼の前では極力話さないように気をつけていますから、子供の頃と違って無口な性格になったと思ってらっしゃるのかもしれません。


「メロー嬢。書店で私と初めて話した時の行動記録はあるかい?」


 そこに、ワイズマン様が優しく声をかけて下さり、わたくしは頷きます。


 あれは学院入学前でしたから四年前、王都随一と人気のローズリー書店でのことです。わたくしは、マードックモデルの金猫印帳面が発売されたと知って、書店にも取り扱いがあるのか問い合わせに行ったのです。同じように聞きに来ていたのがワイズマン様でした。


「ええ。その日がわたくしの行動記録デビューでしたもの」

「その時に『とにかく夢中になれる本を探している』と言ってたよね? 『周りが気にならないほど没入出来て、時が早く流れるような話がいい』と」


 わたくしはコクリと頭を下げます。そうでした。この頃のわたくしは恋愛小説にあまり魅力を感じず、読んでいてもすぐに気持ちが削がれてしまうので、はらはらする推理小説の世界の開拓に夢中になっていたのです。


「趣味が合いそうだったから声をかけたのに『わたくしの声、男性は不快になりませんか?』と返された時はとても驚いたよ。とても可愛らしく素敵なことを話す声をしているのにね。本を探している理由も『次のお茶会の時用』というのも不思議だったし。

 婚約者との間になにか事情があるのだなとは思ったけれど、マードックみたいな探偵物語が好きということで意気投合したのだよね」

「はい」


 わたくしが推理小説に耽溺するようになったきっかけ。それはサミュエル様はわたくしの声が好みではないことに起因します。

 話したり笑い声を立てると、決まって耳障りだうるさいとおっしゃるので、申し訳なくていつもは相槌を打つ程度に留めているのです。

 また、月に一度開かれていたガンス家でのお茶会では、ある時からサミュエル様は『一時間してから帰るように』と指示しては離席するようになりましたので、その間に読む本を出来るだけ面白いものにしたかったのです。


「そうよ、わたくしとカトリーナが親しくなったのも、同じ声楽の先生に習うようになったからだわ! 『婚約者に好かれる声になりたい。悪声を直したい』って。あんなに可愛らしい声なのに何なのよ、あなたは!」


 アニエスの言葉にわたくしは真っ赤になってしまいました。家では蜂蜜を舐めたりうがいをしたり、声楽にも熱心に励みましたが、歌だけがうまくなってしまいまして。美声への道はなかなかに険しいようですの。


「それは、申し訳、ない」


 絞り出すように謝罪の言葉を口にするサミュエル様。でも仕方のないことです。苦手とするものを好きとは言えませんもの。


「お気になさらないで下さいませ。わたくしの声とサミュエル様の耳は相性が悪かった。ただそれだけなのですから」


 わたくしも頭を下げます。こうしてみますと、サミュエル様とここまでお話するのは久しぶりのことです。事件のことで興奮してしまい、悪声のことを気にせず話せたみたいですわ。


「あの、それで先程宣言したことだけどな、それはその······」

「ええ、お気持ちは分かっております。婚約破棄、確かに承りました」

「えっ。いやそうではなく」

「ええ、わたくしは誓ってフェルト様を害そうとなどしておりません。間もなく鑑識魔法で判明するはずです。ですが、フェルト様を愛しておられ、当家への婿入りを拒否されるお気持ちは理解しました。フェルト様とならきっとお耳の相性もよろしいのでしょう。悪声を直せなかったのはわたくしの咎、無理に引き止めませんわ」


 今までありがとうございました、とカーテシーをいたしますと、サミュエル様とフェルト様が盛大にお顔を引きつらせました。


「そうだ皆さん。分かっていると思うが、鑑識課と騎士団には各々宣誓をしてから証言や事情聴取に協力してほしい」

「どうしてですか?」


 ワイズマン様の言葉に会場から質問が飛びます。


「どちらも王立の組織だ。その頂点には国王陛下がいらっしゃる。その組織に虚偽を申し立てることは国王陛下を謀ることと同義。それを十分に理解して発言してほしいため、嘘偽りなく話すことを誓ってもらうと考えてほしい。あちらだって卒業パーティーで卒業生を虚偽申告罪でしょっ引きたくはないだろうからね」


 しばらく口を噤んでいたフェルト様がぽつりと呟かれました。


「きょぎしんこくざい?」

「そうだよ、フェルト嬢。故意に事実ではないことを言い、罪を着せるなど我が国であってはならないからね。国王陛下も、王弟である学院長もそういった罪をたいそう嫌っている。でも大丈夫、嘘を言わなければいいのだから堂々と宣誓をしてほしい」

「······宣誓の後、故意ではないけれど結果的に嘘を言ってしまったら?」

「故意ではなければ問題ない。それは当人が見た事実を告げただけであって、真実と別であっても、当人が見知った客観的な事実を粉飾せずに伝えれば罪には問われない」

「じゃあ当人が嘘だと分かってて話せば?」

「それは当然罪だねえ。拘留されるか刑罰を受けるか。私も詳しくはないけれど、嘘の内容にも拠るんじゃないかな?」


 フェルト様のルビーの瞳が暗く伏せられた時、扉が開いて学院長が再び入室されました。


「リフキン君のお父様が先に到着された。さて、話は進みましたか? ではまず被害に遭われたフェルト君から事情聴取を······」


 ――――ドタン。


 蒼白となったフェルト様が倒れられ、そのまま意識を失ってしまいました。サミュエル様やわたくし達も助け起こそうとしましたが、どうにもできす。物慣れた警備員の方が速やかに彼女を運んで行かれました。



     ◇     ◇     ◇



 少しして医務室で目を覚ましたフェルト様は、階段から落ちたというのは嘘だったと涙ながらに語った、とダンスホール内に周知されました。

 あの手紙も、指定の時間にわたくしを大階段に呼び出すためのものだったとか。

 サミュエル様は本当にフェルト様の被害を信じておられたようなので、ただただ呆然となさっていたようです。


 結局事件は起きていなかったため鑑識課も騎士団も現れず、学院長は「よくあることだから」と淡々とパーティーを再開いたしました。その際に、中断した分のお詫びとして後日マードックモデルの金猫印帳面を贈って下さると皆様に伝えておられてびっくり。わたくしの熱弁で決定したらしいお詫びの品に、しばし悶えたのは内緒です。

 そういえば覆面作家として活動されているマードックの作者、ビル・プライスナー先生。あの時はワイズマン様の伝手でお話を伺いましたが、学院長と背格好が似ていらっしゃるように見えますわね。プライスナー先生のように一度覆面を被ってみてもらいたいですわ。


 婚約はあそこまで公に破棄の話をしましたので、そのまま解消となりました。こちらに犯罪等の非はなくとも、サミュエル様とうまく関係を築けなかったこと、声が悪かったことは事実です。そのことを申し上げて解消にしましたが、サミュエル様が当家に瑕疵をつけた事実を鑑みてガンス家より多めのお金が届きました。

  

 ご両親とともに当家にいらしたサミュエル様からはお詫びの言葉を頂きました。声のことは思春期特有の病でただの難癖、本当はそんな風に思っていない、可愛らしい声だと言ってもらえましたが、やはり相性が良くなかったのですね。終始顔を赤くして歯切れ悪くお話になるお声は、とても聞き取りにくかったです。

 そう申し上げたら、がっくりと頭を下げておられました。傷付けてしまったでしょうか? 人に対して耳の相性が悪いとは言ってはいけないのですね。

 フェルト様とは今後どうなさるのかは伺いませんでした。


 それから、フェルト家からも直接謝罪をとのお話がありました。ですが愛ゆえの暴走ということで不問にし、代わりに後日学院から卒業生に送る報告書の中で事情を明らかにすることを厳守してもらいました。大階段から落ちた人は居なかった。だからわたくしも容疑者ではない。それが周知されるのならもう言うことはありません。


 卒業後、本来でしたら結婚式に向けて準備を進めるはずでした。それがなくなってしまい、時間が空いてしまったところ、アニエスより内輪で声楽の発表会をしないかと声がかかりました。


 懐かしい。幼い頃よく家で音楽の会を開いていたのです。ピアノやバイオリンなど楽器の上手な方が多いウッドストーン家と、音楽好きなお祖母様が集めた沢山の楽譜のある当家。たまにどちらかの家に集まって好き好きに音楽を奏でるのですが、賑やかで型にとらわれず楽しかった思い出があります。

 わたくしは元々ピアノを習っていましたが、アニエスの勧めで五年前より声楽を始めてすっかり歌に嵌ってしまいました。ですが、人前で歌うなんて不快に思われてしまうのではないかしらと思っていましたので、今まで内輪の会でも披露したことはなかったのです。






「大丈夫かしら? あー、あー、あー」

「いい声よ! ノーマ先生のお墨付きじゃないの。自信持ちなさいな」


 お揃いのドレスを着たアニエスがわたくしの肩を撫ででくれます。アニエスはピンク、わたくしはブルー。我が家の音楽ホールからは色々な楽器の調律の音が聞こえてきます。


 そうです。もう間もなくアニエスのお家と合同で声楽と音楽の会を開くのです。


 わたくしの声は変えられない。サミュエル様とは合いませんでしたがアニエスはこの声を好きと言ってくれます。わたくしは跡取りですから婚姻は必須。我儘かもしれませんが、次に婚約するならば、この声を好んで下さる相性のいい方だとよいのですが。


「お嬢さん方、そろそろ始めるよ」


 お父様のノックが聞こえ、アニエスにぐいぐいと押し出されるようにしてわたくしは扉を開きます。 

 すると、どうしたことか目の前に大きな赤い薔薇の花束が現れました。


「ふふふ、驚いたかい?」


 柔らかで穏やかな話し方。薔薇から聞こえるのはワイズマン様のお声です。


「まあ! お越しになると知りませんでしたわ! ワイズマン様、素敵なお花ですわね」

「いたずらが成功して良かったよ。赤い薔薇の理由は分かる?」


 花言葉······それだと『愛情』になってしまいますけれど。頬が火照るのを慌てて消してから推理して、ポンと手を打ちます。


「分かりましたわ!」


 そう言いますと、今度はワイズマン様の耳が少し赤いような気がします。薔薇の色が映って見えるのでしょうか?


「マードックの新作、『赤い薔薇は愛と殺意と』の冒頭に出てくる幽霊が出るという古城の薔薇園での殺人事件のオマージュですわね! 素敵!」

「えっ? うーん、いやそうかな? メロー嬢、もう読んだんだね」

「ええ、止めてしまうのがどうしても出来なくて、夜更かしして一気読みしてしまいましたの! ワイズマン様はいかがでした?」

「ええと、一言でいうと最高だった。でもそれは今日のあなたもそうだよ」


 あら。ワイズマン様が突然笑みを深めたと思ったらわたくしの耳元に口を寄せました。


「最高だ」


 声が耳の奥に入って染み渡って、今度こそ真っ赤になったわたくしを、ワイズマン様とアニエスが音楽ホールへと引っ張って行きます。


「さあさあ、歌いましょう。カトリーナのお祖母様も楽しみに待っていらっしゃるわ! ワイズマン様、カトリーナを口説くのは後にして下さいませ!」

「そうするよ。彼女の声は魅力的だからね、まずはそれを堪能しよう」


 音楽ホールの扉を開けると、両家の家族と推理小説愛好会の皆様も集まっています。音楽とミステリー。素敵な取り合わせですわね!


「さあ、始めましょう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

卒業パーティーに『事件』が発生いたしました 来住野つかさ @kishino_tsukasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ