第10話

「やっぱり、アキちゃんのおそばは最高だね」

 うすい緑色に輝くきめ細かな美しい麺線。はなはこれを数筋箸でつまみ上げると、スルスルッと勢いよくそばを啜り上げ、満足そうにため息をついた。

 桜が満開の3月下旬。店の窓は大きく開かれ、春の暖かな陽光と一緒に桜の花びらがハラハラと店内へ舞い込んでいた。

「そう言えば、やまと焼きが好評なんですって?」

「そうなのよ。やまと芋のグラタンだから、つまみにいいし腹持ちもいいってね。お店としては色々と食べてもらえた方がありがたいので、腹持ちがよすぎるっていうのも考えものだわね」

「私も作ってみようかな……」

「あら、はなちゃん。料理なんかしなかったじゃないの。急にどうしたの?」

「うん、ちょっとね」

 はなは照れくさそうに笑った。はなの足元にはいつものようにはなを見上げて抱っこを待つたーちゃんの姿があった。そして、その横に置いてあるのは大きなスーツケース。その中には生活用品と衣類がぎっしりと詰まっていた。昨晩、早出の出勤だから見送れないと、ハルが荷造りを手伝ったものだった。

 今日、はなはこのスーツケースを持って家から遠く離れた看護学校へ入寮する。わざわざ家を離れて自炊なんかしなくてもと、何度も両親に言われた。しかし、はなには看護師をめざすにあたり、1つの目標があった。

「私ね、将来は独居で困っているお年寄りの訪問看護をしたいと思っているの」

 病院で看護師が患者に関われるのは、退院まで。それが看護業務のゴールとなるが、患者にとって退院はゴールではなく、自分らしい生活を取り戻すためのスタートとなる。そのゴールをめざすためには、療養を支えるためのサポートが必要となる。命の物語をつなぐためにめざすべきは、この訪問看護ではないか? はなはそう考えていた。

「まずは病院に勤めて専門技術をマスターしてからだけどね。一人暮らしをして自活できなきゃ独居高齢者の訪問看護なんかできるわけないって思ったんだ。料理ができなきゃそうした人たちの食事のサポートもできないでしょ」

 そう言うとはなは「ごちそうさま!」と言って器を片づけ、たーちゃんを抱き上げた。

「アキちゃんのおそば、とってもおいしかったよ」

「はなちゃん、いつの間にか成長したね。訪問看護師の夢、絶対叶えるんだよ」

「たーちゃん……」

 はなはたーちゃんの顔をじっと見た。たーちゃんは、ウキャウキャと両手をバタバタさせて喜んだ。

「たーちゃんはいずれ訪問看護の強い味方になるかもしれないわね。その時はお家で頑張って生活しているおじいちゃんやおばあちゃんを一生懸命に応援してあげてね」

「くーきゅ!」

 たーちゃんは両手を思い切り空に向かって上げた。たーちゃんが上げた両手の先、天井の上には春の空が広がる。窓から店内にまたハラハラと桜の花びらが舞い込んだ。

「アキちゃん、そろそろ行くね」

「はなちゃん、体に気を付けるんですよ」

「アキちゃんもね」

 はなはたーちゃんをそっと床へ下ろすと、上着のポケットに手を入れた。

「そうだ! 忘れるところだった。たーちゃんにお守りをあげる。一緒にお祈りをした神社でいただいたお守りだよ。たーちゃんを守ってくださるようにってお願いしたんだ」

 そう言うとはなは朱色のお守りを取り出し、たーちゃんの首にかけた。

「うん、たーちゃんよく似合っているね」

 お守りを首にかけてもらうと、たーちゃんはウヒャヒャと全身を震わせて喜んだ。

「じゃあね。たーちゃんバイバイ!」

 たーちゃんははなを見上げると、両手の先をクイクイッと振って応えた。

「はなちゃん、長旅でしょ。おにぎりを作っておいたから。お腹が空いたら食べてね」

 そう言うとアキは、アルミホイルに包まれた大きな塊をはなの手に握らせた。それははなの手にズシリと重かった。

「アキちゃん……」

「さあ、元気に行ってきなさい!」

 アキはポンっとはなの肩を叩いた。

「はい! 行ってきます!」

 はなは桜の花びらが舞い散る道をスーツケースを引きながらガラガラと駅へと向かった。


 3時間後、はなは一人、西へ向かう列車の車窓をぼんやりと眺めていた。日はすっかりと暮れ、何も見えなくなっていた。

「そういえば、お腹減ったな……」

 はなはナップザックからアキにもらったおにぎりを取り出した。アルミホイルの包みをほどくと、真っ黒な海苔をまとった大きなおにぎりが顔を出した。

「いただきます」

 かぶりつくと、しっとりとした海苔の風味と粗塩のしょっぱさ、艶々としたお米の甘さが口の中で一体となって広がり、ジュワッと唾液がわいた。

「おいしい……」

 2口目をかぶりつくと、ゴロリと厚切りの塩鮭が姿を現した。

「あっ、やっぱり鮭だ」

 鮭はしょっぱくて少しだけ苦かった。はなは鮭おにぎりをゆっくりと味わった。

「みんな、ありがとう。頑張らなきゃ……」

 車窓の向こうの暗闇に小さな灯りがぽつりぽつりと点在する。おにぎりを噛み締めながら眺めていると、それらの灯りは涙でじわりと滲んで広がり、やがて見えなくなった。

 どこまでも続く暗闇の中、列車はガタゴトと西へ向かって走り続けた。

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はなちゃんとロボットと鮭ごはんの夜2 @yamato_b

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