大人の階段 最終話
大学からなんとか帰っても、地獄は終わらない。次の日も、神谷はアポなしで俺の部屋のチャイムを鳴らしてきた。
「誕生日おめでとう」
「おめでとうじゃなくて」
俺は何の
「お前、またパーティーをやるつもりなの? これで三日連続だぞ?」
「パーティーなんて何日やっても飽きないぜ! さ、今日も踊るぞ!」
あまりの自由さに呆れを通り越して笑えてくる。何故こうも人をないがしろにできるのか。流石にもうパーティーに参加したくなかった。しかし、「大学があるから」という理由が通用しないことは昨日学んだ。また、昨日消された人々の二の舞になるわけにもいかない。大学とは別の理由で、なおかつなるべく神谷の気分を害さないように、言葉を選んで慎重に抵抗する。
「あのさ、神谷、そんなに毎日パーティーやって疲れないの?」
「疲れる? パーティーをしただけで? そんな馬鹿な。俺様はどれだけパーティーをやっても体力を消費しきれないぞ」
「体力あるんだな」俺は神谷を褒めて、なるべく良い気分にさせようとした。「でもな、俺はもう疲れてきたんだよ。お前と違って、俺はすぐ疲れてしまうんだ。流石に休ませてくれないか?」
俺としては、だいぶ丁寧に頼み込んだつもりだった。しかし、神谷は俺の言っていることが理解できなかったのか、首を
「そんなことはないだろう。まだまだ疲れるには早すぎるぞ」
俺の言い分があっさりと切り捨てられる。これ以外に神谷を納得させるような主張を考えるが、出てこない。俺が良い口実を思いつこうと、えっと、そうじゃなくて、その、などと口ごもっているうちに、俺は神谷に腕を掴まれていた。
「さ、行こうぜ。今日は俺の家に皆を待たせているんだ」
そのまま有無を言わさず俺を引っ張る神谷。その力は人間とは思えないほど強く、あっという間に玄関から引きずり出されてしまった。鍵を、と言おうとしたその時、俺が指差した玄関の扉が目の前から消えた。その代わり、俺は机の上に並んだご馳走の山に指を突き立てていた。どうやら照り焼きチキンの間に指が挟まったようで、慌てて指を抜くと、タレが指にべたついていた。何が何だかよく分からず周りを見回すと、神谷の仲間たちが爆音で流れる流行りの曲に合わせて踊っていた。彼らは突如現れた俺に対して一瞬驚いたような表情をしたものの、すぐに笑顔を見せた。
「なんだ、お前か。びっくりさせるなよ。瞬間移動でやって来やがって」
金髪の男が笑いながら言う。瞬間移動? こいつは何を言っているんだ? と思っていたら、後ろから「そんな文句言うなよ」という声が聞こえた。振り向くと神谷がいた。
「別に驚かせるつもりはないんだよ。ただ早くここに来たかったから瞬間移動しただけで」
神谷は口をツンと尖らせている。
「それでも驚いちゃうんだよ。頼むから普通にやって来てくれよ。その方が心の準備もしやすいし」金髪男はぼやきながらも自分の踊りの世界へ戻って行く。
「しょうがないなあ。まあなるべく使わないように努力するか」
そう言って神谷は俺の肩に手を置いた。
「今の良かっただろ? 瞬間移動さ」
「いやいや、そんな当然のように言われても困る」
何事もなかったかのように話す神谷に待ったをかけた。
「今の一瞬で何が起こったんだ」
「お前、鈍いなあ。瞬間移動って言っているだろ。お前の部屋から俺様の家まで一瞬で移動したの。俺様が掴んだ相手も一緒に移動できるんだよ。こんなことまで説明しないといけないか?」
神谷が明らかに不機嫌になっている。余計なことを聞いてしまったと思った。考えてみれば、昨日みたいに人を消せる能力があるのなら、これくらいできてもおかしくなかった。
「……すまん。理解した。確かに便利だな」
「だろ? 分かってくれるじゃないか。さ、今日もパーティーをやるぞ!」
神谷の顔から
その次の日も、また次の日も、神谷は俺をパーティーに誘いに俺の部屋までやって来た。もちろん断りたかったが、人知を超えた神谷の能力を体験してしまった今、断れるわけがなかった。下手に逆らって自分が消される恐れがあることは、どれだけ踊って疲れ果てていても分かっていた。消されたらどうなるのか、想像しただけで背筋が凍った。ここは何としてでも耐え抜き、消されずに生き続けなければならない。
パーティーは毎日違うパターンで行われた。最も多かったのは神谷の家で騒ぎまくることだが、いつものメンバー以外に人数が欲しい時は、二日目のように大学の教室で開催して、そこにいた学生たちを巻き込んだ。他にも、神谷が歌いたい気分の時はカラオケボックスに行き、食べたいと思うものがあれば飲食店に行った。当然のように貸切状態になっていたが、あの神谷が予約などをするとは考えられず、恐らく無断でパーティーをやっているのだと考えられた。なるべく見ないようにしていたが、神谷を注意した店員が相馬先生と同じ運命を
しかし、毎日のパーティーは、段々俺の気力と体力を奪っていった。何日も連続で健康とは程遠いジャンクフードを食べさせられ、肝臓が処理に困るほどの酒を飲まされ、その上でかなりハードな踊りを求められる。何故か毎日俺の誕生日ということにされているので、いつも神谷に「お前が主役なんだから」と言われるまま、目立つようなことをさせられた。そんな生活を繰り返しているうちに、精神的にも肉体的にも、俺は疲弊してきた。体力は加速度的に減っていき、体がどんどん言うことを聞かなくなり、アパートのらせん階段を上り下りするだけでいつしか息が切れるようになるほどであった。いつぶっ倒れてもおかしくなかった。
パーティー地獄が始まってから数週間経ったある日、神谷が「今日は大人数で騒ぎたい!」と言って大学でパーティーを開いた時のことである。相馬先生がいなくなった基礎演習の教室でヘロヘロになりながら踊っていると、背後で例のモヒカン男子が誰かに話す声が聞こえた。
「おいおっさん。学生でもないのによくそんなに踊れるな」
おっさん? 一体誰のことだろう。気になって振り向いてみると、モヒカンは俺のことを見ていた。
「え、何? おっさんって?」
俺がそう言うと、モヒカンは俺を指した。「しらばくっれるなよ。あんたしかいないだろ」
「いや、おっさんも何も、俺はお前と同年代のはずだけど」
「なんだ、若い奴に混じろうと嘘を
そう言って、モヒカンは俺の顔をまじまじと見た。しばらく俺を観察した後、急に驚いたような顔になった。
「……あれ? もしかしてあんた、いつもこの授業に出席していた……」
なんでいつも寝ているくせに物覚えだけは良いのだろうと思いながら、俺は頷いた。
「そうだよ。俺はれっきとした二十歳の学生だよ」
「え、マジで? あんた、これで二十歳なのか?」
「……ん?」
意味が分からず俺はぽかんとした。すると流石に気まずくなったのか、モヒカンは顔を背けた。
「……ごめん。今のは聞かなかったことにしてくれ」
そのまま他の仲間の輪へ戻って行くモヒカンを見ながら、彼が言ったことを心の中で
俺は気になって教室を抜け、便所に行った。大学の便所には、確か鏡があるはずである。
果たしてそこに鏡はあった。俺は映された自分の姿を見た。ぎょっとした。顔はやつれ、栄養が足りないからか皺が深くなった。また、ストレスが溜まりすぎたのか、髪の毛も白い箇所が増えていた。とても二十歳とは思えないほどのやつれ具合である。俺は先程モヒカンが言った意味が理解できた。これはいけない。早く休まないと、本当にぶっ倒れるような気がした。
だが、俺がここまで疲れていると知っているはずなのに、神谷はなおもパーティーをやめなかった。どうせ神谷など、自分の欲求を満たすためなら他人のことなどどうでも良いとでも考えているのだろう。そのように想像して、流石に俺も我慢できなくなった。
「なあ神谷」次の日俺の部屋にやって来た神谷に、意を決して言ってみた。
「……もうやめないか、こんなこと」
「こんなことって、どんなことさ」
神谷は目を丸くして尋ね返してくる。
「その……パーティーを毎日やることだよ。流石に毎日やるのは疲れるし……」
「え? でもパーティー楽しいから良いだろ?」
「そうじゃなくて」あまりにも神谷の理解能力が低すぎて呆れる。「こっちはもう疲れたんだよ。疲れてしまったら、楽しいものも楽しめない」
「そんなことはないだろ。お前にはまだ時間が残されているはずだ」
そう言うと、神谷は俺のズボンのポケットに手を突っ込んで、俺の財布を抜き取った。
「さ、取って来い」神谷は窓を開け、財布を外へ放り投げた。
「あ! 何をするんだよ!」
俺は慌てて玄関から飛び出し、アパートのらせん階段を駆け下りた。あまりに急ぎすぎて途中で転がり落ちてしまいそうだったが、なんとか踏ん張って耐えた。四階分を下って外に出てみると、歩道に俺の財布が落ちていた。特に傷もなく、中身が盗まれたわけでもなかったのでほっとした。
しかし次の瞬間、安堵とともに疲れが一気に襲ってきた。ちょっと走っただけなのに、体が言うことを聞かなかった。息が荒くなり、近くにあった柱にもたれかかった。そのままの体勢でしばらく息を整え、回復してから再び階段を上り始める。
手すりを掴みながらなんとか自分の部屋まで上りきると、神谷が玄関で待機していた。
「な? お前、まだ走れるだけの気力はあるだろ?」神谷はにやにやと笑っていた。「じゃあ大丈夫だ。パーティーを楽しめる余力があるってことさ」
「そ、そうじゃない」階段を上り下りした疲れで息が切れている俺は、せき込みながら神谷を説得しようとした。
「も、もう俺は、げ、限界なんだ」
「そんなわけないって。もっと自分の底力を信じようぜ!」
相変わらずスルーされてしまう。しかし、今度ばかりはそのままにするわけにはいかなかった。
「お前……良いか、よく聞け。俺、ちょっと前までここの階段の上り下りくらいスムーズにできたんだよ。だけど、パーティーをやるようになったらどうだ、こんなに息切れするようになってしまった……明らかに疲れているんだよ」
ここまで言い切ると立ち
「ま、そりゃあ前より疲れるのは人間なら当たり前だろ」神谷は二度、三度と首肯し、続けた。「だって毎日が誕生日だもんな」
自明の事実のように告げられたが、それだけで意味が分かるはずもない。毎日を俺の誕生日という扱いにしていることと、俺が疲れているという事実との間に、何の関係があると言うのか。さらに尋ねた。
「それって、どういう……」
すると神谷は、口をへの字に曲げて俺を
「え? 分からないのか? 毎日が誕生日ということは、つまり毎日一歳ずつ年を取っているということだ。だから、お前を最初に祝った時より疲れやすくなって当然だろ?」
意味が分からない。そんなことが現実にあってたまるか。
「一日で一歳老けるだなんて、そんなことあるわけ……」
その時、頭にものすごい衝撃を覚えた。まるで鈍器で殴られたかのような痛みが頭を襲う。思わず俺はその場にしゃがみ込む。
「てかさ、お前、いちいちうるさいんだよ。なんで俺様にそんなことまで説明させるの? くどいぞ」
神谷の声がいつもより低い。完全に
「前から思っていたけど、お前さ、段々ノリが悪くなってない? 何なの、俺様のこと嫌いになったわけ?」
嫌いも何も、これだけ毎日踊らされては、ノリが悪くなって当然である。人間であれば分かるようなことを、こいつは何故分からないのだ。
「ほら、早く立てよ。手加減したんだぞ。人間、そのくらいで死なないんだから。さっさと戻って、パーティーの続きをやるぞ」
神谷が呼びかけ、俺の体を揺らしてくる。確かに俺は起き上がろうと思えば起き上がれた。だが、もう俺に起きるつもりはなかった。これ以上、神谷の人知を超えた遊びに付き合うことは到底できなかった。たとえ死ぬことになったとしてもそれで良かった。それでこの逃げられない現実から解放されるのなら。
「……ちぇっ。こいつ、起きなくなっちまった。たった一撃食らわせてやっただけなのに。こいつも
神谷は諦めたのか、俺を乱暴に床に叩きつけた。後頭部を強打したようで、徐々に意識が薄れてくる。
「……全く。人間などよりも遥かに優れている俺様が、お前みたいな凡人の願いを叶えてやったのに、感謝するどころかケチをつけやがって。呆れてものも言えないぜ」そう言って神谷はため息を吐いた。「じゃ、お前はもう用済みってことで。バイバイ」
神谷が手を叩く音が聞こえた。
大人の階段 / 栃池 矢熊 作 名古屋市立大学文藝部 @NCUbungei
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