音声スポット『菓子屋横丁・弁天横丁』


『菓子屋横丁』。

 そこは、彩色豊なガラスが散りばめられた石畳の道に二〇軒以上の菓子屋などがのきを連ねる、『時の鐘』に並ぶ有名スポットだ。


 小江戸川越の中でもひと際ノスタルジックな空間であり、立ち並ぶ店では懐古的な雑貨を眺めたり、昔ながらの手法で作られるカルメ焼きや飴菓子など、素朴で昔ながらの味を堪能することができる。


 明治時代初期に活躍した菓子職人、鈴木藤左衛門が和菓子屋を開いたことが始まりであるこの『菓子屋横丁』は、平成十三年環境省の『かおり風景100選』にも選定された。


 大人は童心に返り、子供は無邪気に楽しめる人情味に溢れた『菓子屋横丁』だけど、今はその姿は鳴りを潜めている。

 時刻は夜の九時少し前。昼間は賑やかな町角も今はひっそりとしていた。


「夜の『菓子屋横丁』もいいわね。現代の服に身を包んだ人がいないからこそ、際立つ風情。ちょっと写真を一枚撮るわね」


 射手園部長がスマートフォンで写真を撮る。

 すると、その写真の確認のために液晶画面を見ていた彼女が首を傾げる。


「どうかしましたか?」


「幽霊が映ったわ。それもとびっきりの怨霊ね。憑りつかれたら最後、もがき苦しみながら今日中にこの世からおさらばね。くくっ」


「え? そ、そんな怨霊が映っているんですか?」


 恐る恐るスマートフォンの液晶画面を見るボク。

 しかし怨霊など映ってはいなかった。


「ふふ、嘘よ。ちょっとキミを怖がらせようとしただけ。くくっ」


「すでにとびっきりの怨霊に憑りつかれているボクにすることじゃないですよね。射手園部長、ひどいです」


 焼笑女しょうえめのことを思い出した瞬間、急激に右腕が重くなる。この場で座りたくなるほどだ。

 お店のガラス戸越しに見れば、焼笑女が全体重を預けるようにしてボクの右腕にしがみついている。


 ボクはぎょっとする。

 焼笑女が両の口角を上げて、まばたきもせずにボクを凝視しているのだ。


(これかもずっと一緒。ずっとずっと一緒です、アンジロウさん。お慕い申しております、ふふふ)


 アンジロウさん。

 焼笑女は確かにそう言った。

 どうやらボクを、そのアンジロウさんと思い込んでいるらしい。


 ボクはそのことを射手園部長に伝えた。


「アンジロウ。明治の時代に多い名前ね。炎に包まれた焼笑女は、そのアンジロウさんと離れ離れになってしまうことを心の底から嘆きながら死んでいったのね。くくっ」


「それで射手園部長。焼笑女はここでも全然、動揺しているようには見えないのですが」


「それはそうよ。『菓子屋横丁』で死んでないのだから」


「え? じゃあ、一体どこで? このあとですと家に戻るだけのルートになっちゃいますが。至って普通の歩道を歩いてきただけ――あっ」


 ボクは思い出す。

 昨日に限っていつもと違うルートで『菓子屋横丁』に向かったことを。

 気分転換に前から気になっていた裏通り、『弁天横丁』を通って来たのだ。


 そのことを射手園部長に伝えると彼女は「やっぱりね、くくっ」と笑った。



 ◇


 

 ボクと射手園部長は『弁天横丁』へと着いた。

 なぜ『弁天横丁』と名付けられたのか。

 それは、弁天様がまつられていてその参道になったからだそうだ。

 

 この細長い路地には、かつて置屋でもあった『麻利あさり弁天長屋』、『喜多町きたまち弁天長屋』、『元町もとまち弁天長屋』の三つの長屋がある。ここは過去に活気にあふれた芸者横丁でもあったのだけど、実際にそうだったのだろう。


『弁天横丁』の入口はアーチ状になっていて、中に一歩踏み込めば『菓子屋横丁』とは別種の、独特な雰囲気がお出迎え。至るところで老朽化が進んでいたけど、今では保存再生の修復もされ、落ち着いた空気の中、当時の空気感に身を委ねることができるだろう。


 ちなみに忘れてはならない事実が一つある。

 それはこの『弁天横丁』が元は花街はながいだったこと。

 置屋から客に差し向けたのは、芸者だけではなく遊女でもあったということだ。


 

 それが射手園部長の結論だった。


「それにしても暗いわね。向こうから誰か来たらびっくりしちゃうかもね、くくっ」


 それは向こうから来た人のセリフだと思った。

 この暗がりの中で射手園部長の見た目は、ホラー以外の何ものでもない。


「ところで焼笑女がここで死んだのなら、動揺するはずですよね? でも今のところ――」


 そのときだった。


(ひ、ひいぃぃ、やめてやめて、ここはやめてえぇぇっ、あついあついぃぃっ)


 突然、焼笑女が叫びだしたと思ったら、その体が炎に包まれた。


「ふふ、やっぱり焼笑女は遊女だったようね。華やかな着物と独特な髪型。最初に見たときに気づくべきだった。川越には焼笑女に相応しい場所があったのだから。花街ができたのは川越大火以後だと聞いているけど、以前にあったとしても別に不思議ではないわ。実際、焼笑女はここで苦しんでいるのだから。くくっ」


(あついあついぃぃっ、たすけてアンジロウさん、あついあついぃぃっ)


 焼笑女がボクから離れて、熱さからなのかその場で踊り狂う。

 不気味としか形容できない笑みを浮かべながら。

 

 この場にアンジロウなる愛する男性がいれば、彼女を助けたのだろうか。

 少なくともボクは何もすることができない。


「射手園部長。焼笑女がボクから離れました。除霊をお願いしますっ」


「そうね。逝くべき場所に逝ってもらいましょう」


 すると射手園部長がボクに背を向けるようにして、焼笑女の正面に立つ。


 やっぱり除霊の道具などは持っていない。

 一体、どうやって除霊をするのかと見ていると、射手園部長が垂れている前髪をバッと上にあげた。


(っ!!? ひっ、ひいぃぃっ。こわいこわいぃぃっ)


 恐怖に表情を歪ませる焼笑女が、やがて煙のように消えていく。

 どうやら除霊が成功したらしい。


「い、射手園部長、一体どうやって除霊をしたんですか? 顔を見せただけだった気がするのですが……」


「そうよ。それが私の除霊の方法だから。くくっ」


 そんな除霊方法があるのだろうか。

 あるとすれば、怨霊が逃げ出すほどの世にも恐ろしい顔なわけで。

 

 ぼくは、ごくりと唾を飲み込む。


「あの、射手園部長の顔って……どうなってるんですか?」


「見ない方がいいよ。見たらキミのこと、、ククッ」


 ボクは思い出す。

 〝ホラ探〟には以前はほかにも部員がいたが、全員辞めてしまったことを。


 もしかしたらそれは……。

 


 

 お・わ・り

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焼笑女 ~しょうえめ~ 真賀田デニム @yotuharu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画