本編

音声スポット『時の鐘・一番街商店街』


 ボクはその日の夜、射手園部長と待ち合わせるために『時の鐘』の前にいた。


『時の鐘』、またの名を『鐘撞堂かねつきどう』。

 川越の蔵造りの街並みを代表する観光名所だ。この『時の鐘』も川越大火の犠牲となったのだけど、その翌年に関根松五郎の設計で再建された。一九五八年に『川越市指定有形文化財』に選ばれ、そして一九九六年には『日本の音風景一〇〇選』に選ばれた、文句なしの市のシンボルでもある。


 昔は鐘撞きが決まった時間に時を知らせていたけど、現在は自動鐘打機によって鐘撞きを行っている。鐘が鳴るのは午前六時・正午・午後三時・午後六時の、一日四回。現在すでに夜の八時三〇分なので今日、鐘がなることはもうない。


 ところで課外活動と称して、僕に憑りついている焼笑女しょうえめを成仏させることになったのだけど、なぜこの時間なのだろうか。場所が『時の鐘』なのは、待ち合わせに分かりやすいからとのことだったが。


「ねえ」


「ひっ!?」


「何、驚いているの? 私だよ、貞子だよ、くくっ」


「射手園部長でしたか。ああ、びっくりした」


 振り返って、この見た目ホラーの射手園部長がいたら大半の人は悲鳴をあげるだろう。ボクは彼女を知っているからいいけど、それでも〝夜中と射手園部長〟のセットはやはり怖い。


 射手園部長のことを知っている?

 いや、それは違う。ボクは彼女の顔を見たことがない。


「ちゃんと焼笑女も一緒にいるようだね」そこで射手園部長が顔を僕の右腕に近づける。「少し表情が和らいでいる。絶望を感じた泣き笑いだったのに今はそうじゃない。これは急いだほうがいいかもしれないね」


「それは一体、どういうことですか?」


「焼笑女がキミを相当気に入っているってこと。このままだとキミの魂は持っていかれるかもしれないね。くくっ」


 魂を持っていかれる。

 ぞっとするボク。


「わ、笑っている場合じゃないですよっ。そうならないためには、どうすればいいんですかっ?」


「焼笑女をはらうしかないと思う。そのためには彼女を動揺させる必要があってこの時間を選んだの」


 成仏ではなく祓う。

 焼笑女はそれほどの怨霊だというのか。でもこの時間とは一体?

 その疑問をボクは射手園部長にぶつける。すると彼女は、


養寿ようじゅ院門前の紺屋こんや職作業場で火災が発生した時間が夜の八時一五分。強風も吹いていたから、ここら辺一体が炎に包まれたのはすぐだったと思う。焼笑女がそのとき焼け死んだのなら、当時を思い出して動揺を見せるはず。動揺、すわちキミとのつながりに綻びが生じる。私はそこを狙って祓うの。くくっ」


 なるほど。でも射手園部長が除霊もできるとは思わなかった。

 それらしい道具もないけど、どう祓うつもりなのだろうか。


 ところで焼笑女の表情にこれといった動揺は見えない。


「射手園部長、焼笑女ですけどあまり動揺していない感じですね」


「そうね。おそらく焼け死んだ場所から遠いのかもしれないね。別の場所に移動しましょう」


(ふふふふふ。――さん。わたしの――さん……ふふふ)


 焼笑女が何か言っている。

 押し寄せる強大な不安感。これは早く祓ってもらわなければ。


 

 ◇



『時の鐘』から出て右に進むと、『一番街商店街』へと出る。

 道路を挟んだ両脇には、伝統的な蔵造りの建物が立ち並んでいて、正に現代の小江戸と言った感じだ。


 情緒があり美しいと口にするのは簡単だ。

 現在の人を魅了する蔵造の街並みがあるのは、多くの人間の努力があったことを忘れてはいけない。


 商店街の衰退により蔵造りの建物が壊されることが多くなり、これに歯止めをかけて自分たちの街づくりをしようと発足した『川越蔵の会』。


〝小江戸川越、歴史と文化のメッセージを伝える街づくり〟をテーマとして掲げた『コミュニティーマート構想モデル事業』の実施。


 電線を地中に埋める無電柱化による、蔵造りの建物の魅力の顕在化。


 街並みを崩さないための『重要伝統的建造物群保存地区』の認定。


 川越街並み委員会による『町づくり規範』の作成。


 人寄せの核施設としてお祭り会館の建設――などなど。


 その全てに蔵造りの街並みへの愛が溢れているのは、言わずもがなだ。


 改めて感謝ですね。

 それらのおかげでボクは毎週の川越散策を楽しめるのだから。


 ところで、昼間だったら観光客などで賑わっていただろうけど、今は夜の八時三〇分。ほとんどの店も閉まっていて静かなものだった。お店のガラス越しに見れば、僕の右腕にはしがみついている焼笑女。あなたは一体、誰ですか?


「仲の良いカップルみたいね。そのままでいいんじゃない? くくっ」


 僕のほうに顔を向けて、くつくつと笑う射手園部長。


「いいわけないですよ。だって怨霊ですよね? まずいやつじゃないですか。そういえば焼笑女はこの『一番街商店街』辺りで焼け死んだって言いましたよね? 今正にその『一番街商店街』を歩いているわけですけど焼笑女、動揺とかしてます?」


「ううん。全然だね。寧ろ、安らぎの色が濃くなってますますキミとのつながりが強くなってきているようだね」


(たのしい、たのしい。――さんと一緒に歩くの、すごいたのしい。ふふふ)


 まただ。また何か言っている。

 ボクと一緒にいるのが楽しいとか、そんな感じのことを。

 でもボクの名前を言ったわけではなかった。何か別の名前を口にしたような気がした。


「キミは日曜日に川越散策をしていて憑りつかれた。だったらキミが散策したルートを辿れば必ず焼笑女が憑りついた場所も通ることになる。『時の鐘』も『一番街商店街』も違うなら、さてどこかな? くくっ」


 射手園部長に言われてボクは昨日のことを思い出す。

 ボクの家は喜多町のほうだ。そこから最終的には本川越駅のほうまで行ったわけだけど、『一番街商店街』から逆に辿るとなると――。


「あ、『菓子屋横丁』にも行きました。もしかしたらそこで憑りつかれたのかもしれません」


「じゃあ、行ってみようか。ところで焼笑女のその衣装……」


「どうかしましたか?」


「いえ。なんでもないわ」


 こうしてボクと射手園部長は、次なる目的地へと足を向けた。

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