チョークの囲い
高黄森哉
チョークの囲い
川沿いを散歩している。川は結構、下に流れているので柵がある。川の途中には、ゴミを捨てないで、とある。そんなことはどこ吹く風で、ゴミまみれの河原である。ここは治安も悪いと聞いた。
巨大な用水路みたいな川。ゴミやシューズが、川べりの草むらに捨てられている。それに、川に沿って工場があって、そこからの排水も、ここへ注いでいる。だから臭いがひどい。
そんな川の傍にも、家があって、川に向かうように並んでいる。普通、河川の周辺は洪水被害や悪臭、浸食を恐れて避けるものだが、世の中にはいろいろな人間がいる。正直、こんなところに住むなんて気が知れない。
そんな彼らの人格を垣間見ることが出来るのは、家の庭だった。彼らの住宅の手前には、菜園や花壇がよくある。それで汚い景観を、なんとかごまかしているのかもしれないが、無造作に植えられた熱帯の植物たちは、それはそれで悪趣味だった。
アスファルトの途中に、チョークで丸く囲ってある。私は、その円を踏みそうになって、飛び上がった。円の中心に、犬の糞があったからだ。その白い囲い、それを詳細に観察してぞっとする。
『これは誰の?』と書かれており、円から文字に向けて、矢印が伸びていた。その文字は、チョークで書いたとは思えないほど丁寧で、また、円は楕円であるものの、カーブは滑らかだ。
まあ、確かに、犬の糞を片付けないのは、マナー違反である。しかし、それを大袈裟に囲っ晒上げるのはなんだか陰湿で、また、規則に不条理なまでに敏感なのは、経験上、歪んでいる人間の特徴である。例えば、騒音殺人の加害者みたいな。
だいいち、そんなに気になるならば、自分で片付けて、看板を設置するべきだ。わざわざ、糞の近くにかがみこみ、白墨で地面に文章を書き込むなんて正気じゃない。それに人に見られたらどう思われるか、とか考えないのか。きっとその人はもう、正義の奴隷なのだ。
私は見なかったことにして、その場を通り過ぎた。危険な人間に、目を付けられたらたまったものではない。おそらくそいつは想像力が乏しく、故に決めつけが激しい。野良猫の排泄物であることに思い至らないほどだ。それと、内なる加虐趣味を、正義の名のもとに肯定している、反社会性の人格破綻者。
一か月が経過したある日、あの出来事があった近くで殺人があった。なんでも、雨の日に、めった刺しにされたらしい。しばらくは、警察が張っていたので、散歩ルートから川沿いは外れた。
それから半年、事件のことなど、すっかり忘れていた私はまた、あの場所へと足を運ぶ。すると、チョークで人型が書き込まれていて、その時ようやく、あの、めった刺し事件を思い出した。不気味である。
しかしながら、本当にドラマみたいに、人が死んだ場所をこうやって、残しておくんだ、と感心もする。本物を見るのは初めてなので感動すらした。なんだか、有名な俳優に出会った気分だ。
そんな気持ちに浸りつつ、いや、そんなことはない、とよぎった。そういった現場保存は今日では創作の世界のみである、と誰かから聞いた。だからこれは警察以外の、なにものかが残した白線なのだ。私は、それがだれか、すぐにわかった。
人型に向け、矢印が引いてあったから。
チョークの囲い 高黄森哉 @kamikawa2001
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