第五章 脅迫者の出現

㊴ 新たな問題の出現

学園祭の代休明けの日、彩子たち3人が放課後にJinJinに寄ると、おばさんが珠子を見て言った。

「あらあら、あんた、べっぴんさんになったねえ。」

珠子はミスコンの後は元通り黒ぶちメガネをかけて髪も三つ編みにしているが、それでも漏れ出る美しさは隠しようがない。


修もステージ上の珠子を見た時は見とれてしまったが、それとは別に気にかかっていたことを口にした。

「珠ちゃん、ミスコンの時、体調悪くなかった?」

「うん、前の晩にあんまり眠れなかったの。」


「やっぱり不破が何かしかけたんだな。」

「どういうことなの?」


「珠ちゃんがステージに出て来て体が固まったみたいだったから、おかしいなと思って珠ちゃんのオーラを見てみたんだよ。そしたらうっすらと黒いベールがかかってた。歩き始めたら薄くなって消えたんだけど。」

「あの時は、ちょうどスキップができない人みたいに、足をどう踏み出していいか分からなくなって焦ったわ。でも彩ちゃんが『気楽にネ』って言ってくれたのを思い出したら足が動いたの。歩き方も思い出したけど、途中で変えたらおかしいからさっさと普通に歩いちゃった。ひょっとして彩ちゃん、何か超能力を使ってくれた?」

「ううん、何にも。自然体の珠ちゃんから出るオーラが不破くんの呪いを解いたのヨ、きっと。不破君のねらいが裏目に出て、いい気味だわ。」


学園祭に続いて翌週に体育祭も終わると、勉強、勉強の毎日が3年生の彩子たちを待っていた。

2週間に1回のペースで週末に対外模試があるのだが、修の成績がグングン上昇して偏差値がコンスタントに70を超えるまでになった。


昼休みに彩子たちが集まっても、卒業後の進路が話題の中心になる。

3人の中では彩子が一番ブレがなく、地元国立大学の看護学科、一本ねらいである。


「修の成績の上がりよう、半端ないよネ。志望校はどこにしてるの?」

「地元の医学部にしてるけど、先生に『もったいないから東京に出れば?』って言われて悩んでるんだ。珠ちゃんはどうするの?」


珠子は学園祭後、学校の許可を得て週末に東京へ出かけることが多くなった。

高校卒業後すぐにデビューできるよう、モデルスクールに通うためである。


宿泊場所は、中森プロダクションの寮の一室が用意されているが時にはセイラの自宅に泊まることもある。

「一生、モデルってわけにもいかないから、芸能活動は東京の私大に通いながらやるわ。将来のことを考えて経営学の勉強もしとこうと思って。」


秋が過ぎて12月も半ばになった頃、彩子にセイラから電話があった。

「彩子? 待って、パパに代わるから。」


電話口の中森氏の声は、低く沈んでいた。

「彩子ちゃんは安仁屋幸三あにやこうぞうという男を知っているかい? 沖縄で昔レストランをやっていて、君のお母さんをよく知っていると言うんだ。もちろん君のお父さんと結婚する前のことだが。」


「その名前は初めて聞きました。でも、私のママが高校を出てすぐ那覇市内のレストランで働いてたことは知ってます。」

「ふむ。去年の君のおばあさんからの手紙にもそのことは書いてあったから、多分そのレストランの主人だったんだろうが、私をゆすりに来た。」


中森氏によれば、安仁屋が語ったのは次のようなことだった。

・自分の店で働いていた石嶺信子と米兵との間に子供ができ、育てきれないというので知り合いに頼んで東京郊外の施設に預けた。

・最近その知り合いから、預けた赤ん坊が人気アイドルの中森セイラになっていることを聞いた。

・その子の実父の米兵のことを調べてみたら、石嶺信子と交際する前から既にアメリカ本国に妻子がいたことが分かった。

・以上のことから中森セイラは不倫の子ということになり、マスコミに知られたらイメージダウンになるのではないか。


「その男は今は東京で沖縄料理店をやっているらしいが、経営が苦しいとほのめかした。直接金を要求すれば恐喝罪になることを知っているんだろう。ずるがしこい奴だ。こっちは公表されても構わないんだが、君のお母さんの立場もあるだろうから、セイラの実母のほうと相談して返事すると言って帰したんだ。私がセイラの実母を知っていることに向こうは驚いていたようだったがね。彩子ちゃん、何か考えがあるかね?」


彩子はしばらく考えてから言った。

「おばあちゃんが生きてた頃も、ママは沖縄に帰省したがりませんでした。余りいい思い出がないんだと思います。セイラさんが自分の娘だということも母には知らせないほうがいい気がしますし、付き合ってた人に奥さんや子供がいたと知れば、もっとショックを受けると思います。」


「やはり、そうだろうね。私もそう思ってセイラと話してたら、セイラがわけの分からないことを言うんだよ。代わるから聞いてやってくれ。」

セイラは側にいたらしく、すぐ電話に出た。


「彩子のおばあさんがね、『彩子を頼れ。わしが直接その男と話をする。』って言うのよ。」

「え? え?」


電話口でセイラが言ったことの意味は、中森氏と同じように彩子にも全く分からない。

「順を追って話すわね。私が乳がんで苦しんでた頃、『ダレカ、タスケテ』って祈ってたら、私のおばあさんでもあるけど、あなたのおばあさんと交信ができるようになったの。彩子よりも私のほうがテレパシーの力は強いみたい。それで今度のことでおばあさんに語りかけたら、さっきみたいに言ってきたのよ。」


セイラがあの世の人とも交信ができると知って、彩子は少し背筋が寒くなった。

「分かりました。と言っても、何のことだかアタシにもよく分かりませんが、しばらく時間をください。」


電話を切った後、いくら考えても彩子はどうしていいか見当もつかなかった。

とりあえず「重」と指で書いて、祖母の霊と同調してテレパシーが通じるかを試みたが、何の反応もなかった。


㊵ 修の家系とJinJinのおばさんとのつながり

セイラ親子と話した翌日、彩子は修を「バーガー浦川」に誘った。

週末の東京行きの準備がある珠子を誘うのは遠慮した。


テーブル席に座って彩子がセイラからの電話の内容を話すと、修は難しい顔をした。

「触らぬ神に触らなければならないみたいだな。彩っぺのおばあさんは予知能力があるって言ってたけど、あの世からでもこうなることが見通せたのかな。」


「何言ってるの?」

「亡くなったおばあさんが生きてる人に直接話すとしたら、イタコの力を借りるしかないじゃないか。」


「JinJinのおばさん、神ハタさんのこと? イタコってお経をあげるお坊さんみたいな人でしょ?」

「違うよ。」


霊能者のイタコが神がかりの状態になって霊魂を呼び寄せる「口寄せ」について修は説明した。

その説明を聞いて、彩子は嬉しそうに言った。


「じゃあ、JinJinのおばさんに東京に行ってもらって、昔ママが働いてたレストランの経営者の前でおばあちゃんの霊を呼び寄せてもらえばいいわネ。」

「彩っぺのその単純なところ、尊敬するなあ。問題点が二つあるだろ? おばさんが今でもイタコができるのか、そして、できたとしても俺たちの頼みを聞いてくれるかどうか。」


彩子はとたんに落ち込んだ。

「そうだネ。どうしよう?」


「何か手を考えてみるから時間をくれ。」

「アタシもセイラさんにおんなじこと言って待ってもらってるの。だから、あんまりゆっくりはできないわ。」


帰宅した修は気が重く、母親の前で一人黙々と遅い夕食を食べた。

「どうしたの? 元気ないわね。」


修は、正面からぶつかるしかないと腹をくくった。

「母さん、神ハタさんが市内にいるよ。」


心臓がバクバクするというのはこういうことだろうと思うほど、修の心臓の鼓動が速くなった。

彩子たちと時々立ち寄るお好み焼き屋JinJinの女主人が神ハタであることを、修は母親に知らせた。


母親は神ハタが生きていることには驚いたが、同じ市内にいることにはそれほど驚かなかった。

「店は浦川町だけど、会いたい?」


母親はしばらく考えてから言った。

「懐かしくはあるけど、やめとくわ。」


問題を解決するための手がかりが途絶えたような気がして、修は落胆した。

「ハタおばさんが嫌いだとか、昔、仲が悪かったとか?」


「逆よ。ハタおばさんは私のお母さんに頭が上がらないはずだから、向こうが会いたがらないと思うわ。」

母親は次のような事情を説明した。


「私のお母さん、あんたにとってはクエばあちゃんだけど、ハタおばさんがいなくなった後、そりゃあ苦労したのよ。戻って来るかもしれないからアパートをそのままにしておいたんだけど、いつまでもってわけにはいかないから解約したの。お金だけでもけっこうかかったみたい。何か月分かの家賃やガス、水道、電気代、それに家財道具の処分も業者を呼んだんだから。風の噂にでもそれを聞いてたら、ハタおばさんは私にも気兼ねして会おうとは思わないはずよ。」


母親の話を聴いて、修は前途に少し光が見えた気になった。

「じゃあ、ハタおばさんに母さんのこと話してむこうが会いたいって言ったら?」


「それなら会ってもいいけど。あ、そうそう、ちょっと待って。」

母親は寝室へ行き、タンスの奥深くにしまっていた大きな数珠じゅずを持ってきた。


「修がそのお店に行く時があったら、これを返してちょうだい。」

「この数珠、何? すごく大きいね。」


目の前に置かれた数珠は、輪の直径が50センチくらいで、たまの一つ一つも普通の数珠よりよほど大きかった。

「ハタおばさんが使ってた数珠よ。アパートの荷物を処分する時にクエばあちゃんが取っておいたの。捨てればバチが当たりそうだからって。」


「ふうん。JinJinに今度いつ行くか分からないけど、とりあえず預かっておくよ。」

この後は、自分と彩子の二人だけで事を運ぼうと考えた修は、母親にわざとそっけない返事をして数珠を手にした。


㊶ ハタおばさんへの依頼

母親からJinJinのおばさんとの関係を聞き出した翌日の金曜日、修は夕食後バッグに数珠を入れて外出着に着替えた。


玄関を出ようとすると母親に呼び止められた。

「あら、どこに行くの?」


「珠ちゃんの家に行って、彩っぺと3人で明日の模試の勉強をしてくる。11時前には帰るよ。」

そうは言ったものの、珠子は今日の遅い便の飛行機で東京へレッスンに行ったはずだ。


小さい頃は叱られるのを避けるために嘘をついたが、高校生になってからは親に心配させたくないために嘘をつくようになった。

それが大人になるということなのだろうと思いながら、修は家を出た。


待ち合わせの8時少し前にJinJinに着くと、既に彩子が店の前に立っていた。

店の中には客もおじさんもおらず、おばさん一人がテーブルを拭いていた。


「あらあら、あんたたち。ようこそと言いたいけど、店は8時までなんだよ。」

「今日は俺たち、客じゃないんです、ハタおばさん。」


「まあ、ハタおばさんだなんて、親戚みたいな呼び方だね。」

「ええ、親戚なんです。俺とおばさんは。」


ハタおばさんは怪訝な顔をしながらも修と彩子にとりあえず座るように言い、テーブル拭きをすませて店の明かりを半分おとした。

店内が薄暗くなったせいで、テーブルを挟んで向い合せに座ったハタおばさんの目が少し光って見えたので、修と彩子はさらに緊張した。


「私と親戚っていうのは、どういうことなんだい?」

「俺の母さんの旧姓はおばさんと同じで『じん秀子』っていうんです。生まれも青森で一緒だし、それで母さんに聞いてみたんです。」


修は、昨夜母親から聞き出した話を、ハタおばさんの重荷にならないような言い方で伝えた。

ハタおばさんは、修の母親とは比べようもないほど動揺した。


修はここが正念場だと思い、ハタおばさんが落ち着きを取り戻して口を開くのを辛抱強く待った。

ハタおばさんが話し始めるまで時間にすれば3分もなかっただろうが、修と彩子にはかなり長く感じられた。


「あんたがクエさんの孫なのかい。どことなく面影があるよ。秀子ちゃんがあんたのお母さんだね。クエさんも秀子ちゃんも元気かい?」

重い口を開いたハタおばさんだったが、口調は穏やかだったので修も彩子も安堵した。


「クエばあちゃんは亡くなりましたが母さんは元気です。ハタおばさんのこと、懐かしがってました。母さんが子供だった頃におばさんは急にいなくなったと聞きましたが、何があったんですか?」

修の言葉でハタおばさんは再び黙りこみ、やがて話し始めたが、今度は重苦しい口調だった。


「私がちょうど40の年だったろうかね、『東京に働きに出た娘が行方不明になった。警察に届けても真剣に捜してくれん。娘はどうしたんじゃろう。』という相談があった。口寄せをして娘本人に語らせようとしたができなかった。恐らく死んでいたんだろうと思う。そこであの世の娘の霊を呼び寄せようとしたんだけど、その時からの半年間の記憶が今でもないんだよ。自分で言うのもなんだけど、私の霊能力は他のイタコ以上だった。そのせいで、死んだ娘の霊を降ろす時に悪い霊が私に取り憑いたんだろうね。」


ハタおばさんの話が途切れそうになったので、彩子が口をはさんだ。

「その後、おばさんはどうしたんですか?」


「半年後に我に返った時には大阪にいたよ。半年間どこでどうしてたのか、一切記憶がなかった。その後はお好み焼き屋の手伝いなどしながら暮らしていたけど、ある時、たまたまお客さんに青森の知りあいが来てね。地元の人に知られたらもう大阪にはいられない。その後のことは聞かないでおくれ。九州に流れ着くまで色んなことがあった。」

ハタおばさんの話が終わったようなので、修がこの後の話の持っていきかたを考えようとした時、ハタおばさんがまた話し始めた。


「ああ、一番大事なことを忘れてた。アパートのことは気になってたんだけど、今あんたに聞くまではクエさんにそんなにまで迷惑をかけたことは知らなかった。近所に住んでるというだけで、近い親戚でもないのによくしてもらって、もうあんたの家に足を向けては寝られないねえ。クエさんが亡くなったのなら秀子ちゃんに恩返しをしたいけど、見てのとおり、この店は食べていくだけで精一杯でね。」

ハタおばさんは、力なくうつむいた。


相手の弱みにつけこむようで、修は自分を嫌悪しながらも、人助けのためだと割り切って用件を切り出した。

「その恩返しの代わりにと言っては気が引けるんですが、ハタおばさんに頼みがあります。」


視線を落としていたハタおばさんは、勢いよく顔をあげた。

「頼み? 何でも言っておくれ、私にできることなら。」


修は横に座っている彩子を改めて紹介した。

「こっちは伊達彩子ちゃんといって、うちが近所なので小さい頃から家族ぐるみの付き合いなんですが、おばさん、中森セイラって知ってますよね?」


「中森セイラ? 聞いたような気もするけど。」

「有名なアイドル歌手ですよ。俺と彩っぺはセイラさんと知り合いなんですが、困ったことが起きたんです。話を聴いてやってください。」


話を振られた彩子は、祖母がセイラの夢枕に立ったという設定にして中森氏の苦境をハタおばさんに話した。

こみいった話だったので、聴き終えたおばさんは要点だけを確認した。


「それじゃ私が、その中森セイラとかいう歌手のお父さんを脅迫している男の前で、亡くなったおばあさんの口寄せをすればいいんだね。それがクエさんや秀子ちゃんへの恩返しにつながると思えばお安いご用だよ。」

彩子は無理矢理にでも東京行きを頼み込むつもりでいたのだが、ハタおばさんが自ら進んで引き受けてくれたので重荷を下ろしたような気分になった。


しかし、修には気がかりなことがあと一つ残っていた。

「あのう、無理なお願いをしたついでに失礼なことを聞きますが、おばさんは今でも死んだ人の霊を呼び寄せる口寄せができるんですか?」

「確かにそれは失礼だよ。任せておくれ。自分で自分のことは分かっているさ。自分のことだけでなく、あんたたちがただ者じゃないってこともその目を見りゃ分かる。」


うかつだったと修も彩子も気づいた。

薄暗い店内でハタおばさんの光る目が見える以上、向こうにもこちらの目が光っているのが見えるのは当然だった。


「あんたたちにもいろんな事情があるだろうから詮索はしないけどね。おや、それは?」

修は、バッグに入れていた数珠を「うちでずっと取っておいたものです。」と言ってテーブルの上に置いた。


数珠を手に取ったハタおばさんの喜びようは大変なものだった。

「ああ、ありがたい、ありがたい。これがあれば百人力だよ。」


初めて見る彩子は、その数珠の大きさに驚いた。

「ずいぶん大きな数珠ですネ。何に使うんですか?」

「口寄せをする時にこの数珠をゴリゴリと押し揉むんだよ。霊はその音を頼りに降りてくるのさ。」


㊷ ハタおばさんと安仁屋の対面

翌日の土曜日に模試を終えてから、彩子は修に側にいてもらってセイラに電話をした。

セイラはイタコについては初耳だったらしく、「それでおばあちゃんの言葉の意味が分かったわ。」と喜んだ。


彩子と修はハタおばさんを連れて東京へ行かねばならないものとばかり思っていたのだが、セイラに代わって電話に出た中森氏は自分のほうから出向くと言った。

「うちのプロダクションの演歌歌手たちの公演が来週の23日の夜に福岡であるんだ。そのついでに例の男とそっちへ行くよ。学園祭の時と同じホテルを予約するから、午後2時に来てくれないか。」


約束の12月23日がきた。

彩子と修はハタおばさんと一緒に路線バスに乗り、ホテルの最寄りのバス停で降りた。

「去年のこの日は、アタシ、沖縄からやってきたおばあちゃんにたくさんのことを知らされた。それからいろんなことが立て続けに起こったのよネ。もう1年たつんだわ。」


「今回はうちのおばあちゃんとの縁で、ハタおばさんに面倒かけてすみません。」

修は、風呂敷包みを持って横を歩いているハタおばさんに頭を下げた。

「なんの、なんの。悪を懲らしめて人様の役に立つと思えば、水戸黄門みたいな気分だよ。」


ホテルに着いた3人は、フロントで来意を告げると、最上階の和室スウィートルームに案内された。

中森氏とハタおばさんが初対面の挨拶をすませると、皆でソファーに座った。


「安仁屋幸三とかいう人は、どうしたんですか?」と彩子が尋ねた。

「ここで3時に会うことにしている。こちらで会わせたい人がいるという筋立てにしてね。ハタさん、よろしくお願いいたします。」


ハタおばさんに頭を下げた後、中森氏は彩子と修のほうを向いて言った。

「君たちは安仁屋みたいな悪人とは顔を合わせないほうがいい。こっそり覗く程度にしておきなさい。」


風呂敷包みを持って立ち上がったハタおばさんは、浴室の脱衣所で四国のお遍路さんに似た装束に着替えた。

ドアをノックする音が聞こえた。


「来たようだ。君たちは、彼が和室に入るまで隠れていなさい。」

入って来た安仁屋と中森氏は、リビングの脇の襖を開けて畳の間に上がった。


2畳ほどの控えの間があり、さらに襖を開けるとメインの広い和室がある。

和室では床の間を背にして白装束のハタおばさんが線香をたいて座っている。


安仁屋のほうは、中森氏の言う「九州で会わせたい人」とはセイラの実母の信子に違いないと考えていた。

そして安仁屋は、信子と中森氏がセイラの出生の秘密を公表しないよう自分に泣きついてくるものと思って、口止め料の増額まで計算していた。


「あの、中森さん、この人は?」

「言ったろう。あんたに会わせたい人だよ。」


ハタおばさんの正面に安仁屋を座らせた中森氏は、正対する二人を横から見守る位置に座った。

彩子と修がそっと控えの間に入って和室へ続く襖を細目に開けると、座布団に座っている安仁屋の背中が見えた。


安仁屋は不安げな様子でおどおどし出した。

「中森さん、私、この人、知らないです。」


「静かにしなさい。会わせたい人というのは、この方がこれから連れてくる人のことだ。それでは、ハタさん、お願いします。」

ハタおばさんは目をつぶり、修が先日渡した大きな数珠をゴリゴリと押し揉みながら、お経とも呪文ともつかない文句を抑揚をつけて唱え始めた。


しばらくするとハタおばさんは、すっと背筋を伸ばして口を閉じた。

そして語り始めた口調は、彩子にとっては懐かしい祖母の口ぶりそのものだった。


㊸ ハタおばさんの口寄せ

「こりゃ、幸三! わしの娘の信子が産んだ子を育ててくれた恩人をゆするとは何事じゃ!」

安仁屋は飛び上がらんばかりに驚いた。

イタコについては知らなくても、ハタおばさんの口を借りて語っているのが信子の母親の霊だということは感じられるのだろう。


「幸三、お前が沖縄でレストランを始める前に料理の手ほどきをしてやったのは誰じゃ? わしの連れ合いであったろうが!その恩も忘れおって、馬鹿者が。それにな、信子からちょくちょく聞いておったわい。住み込みでお前のところに預けた信子を、お前はたびたび口説いておったそうな。不倫を言うなら、お前も妻子ある身で信子に不倫を持ちかけたふしだら者ではないか。恥を知れ!」

ハタおばさんが安仁屋を一喝した時、覗いていた彩子は急いで「懲」(チョウ・こらしめる)と宙に書き、割れるように頭が痛むイメージを思い描いた。


すると、安仁屋は両手で頭を抱えて畳の上をのた打ち回った。

彩子は、正面に見えるハタおばさんと目が合った。


ハタおばさんは、一、二度うなずいた。

彩子は指を鳴らした。


痛みが治まった安仁屋は、座布団に戻って正座し、荒い息を吐いている。

「これに懲りたら、二度と悪さをするでないぞ!」


水戸黄門に印籠を見せられた悪役のように安仁屋が平伏すると、ハタおばさんは座を立って和室を出た。

頭を上げた安仁屋の前に、中森氏が現金の入った封筒を差し出して言った。


「聞けば店の立て直しに困っているとか。その足しにでもしなさい。言っておくが、この金は口止め料ではない。セイラを東京の施設に世話をしてくれたことへの謝礼と思ってもらいたい。セイラの出生に関することを公表されても、こちらは構わない。セイラのことでまた何か言って来たら、その時はあんたを名誉棄損や恐喝で訴える。よろしいか!」

安仁屋は、恐ろしいやら嬉しいやら、訳が分からないままに封筒を押し頂いた後、逃げるように部屋を出て行った。


着替えを終えたハタおばさんと彩子たちをソファーに招き、中森氏はハタおばさんに頭を下げた。

「おかげさまで彩子ちゃんのご家族も私どもも事なきを得ました。何とお礼を申し上げてよいか。些少さしょうながら、これは私の気持ちということでお受け取りください。」


現金入りの封筒を中森氏がテーブルに置くと、ハタおばさんが言った。

「これは頂戴するわけにはいきません。今回の口寄せは、あなた様からの依頼というよりは、この子に頼まれたようなものですから。私は昔、不義理をしでかしましてね、その時にこの子のおばあさんに大そう迷惑をかけたので、今日はその恩返しなんですよ。」


「そうだったのですか。それでは、これは修くんに。」

中森氏がテーブル上の封筒を修のほうにずらした。


「いえ、そういうわけにはいきません。俺のばあちゃんはもう亡くなってるし、それに実際に口寄せをしてくれたのはハタおばさんだから。」

中森氏が困惑しているのを見て、彩子が修とハタおばさんを交互に見て言った。


「これからハタおばさんのお店を借り切って、珠ちゃんも呼んで今日の打ち上げをしようヨ。これはその費用ってことでどう?」

「今日は祝日で店休日だからちょうどいいよ。美味しいものつくってあげるよ。」


「それなら私も参加したいんだが、仕事でこれから福岡に戻らなきゃならないんだ。」

中森氏は、彩子たちのためにタクシーを呼んでくれた。


ホテルを出る時に連絡していたので、タクシーがJinJinに着くのとほぼ同時に珠子も姿を見せた。

今回の件に珠子は一切タッチしていなかったので、ハタおばさんが料理をしている間に彩子が事の起こりから順を追って説明した。


「私もおばさんの口寄せ、見たかったな。」

珠子が残念そうに言った時、ハタおばさんが料理を運んできた。


「変わり映えしないけど食べとくれ。後でおうどんもつくるからね。」

テーブルの上に、お好み焼き、たこ焼き、焼きそばが並んだ。


ハタおばさんも座って話に加わりジュースで乾杯すると、超能力好きの珠子がさっそく話しかけた。

「おばさん、口寄せしている時は、自分が何を言ってるのか分かってるんですか?」


「口寄せの最中は、降りてきた霊が私の口を通してしゃべっている状態だよ。霊が帰った後は私も自分に戻るけど、何を話したかは断片的に思い出せるくらいだね。」

「霊を呼ぶのは難しいんですか?」


「イタコの能力にもよるし、降ろそうとする霊の性質にもよるね。今回のおばあさんは、待ちかねていた感じでスッと降りてきたよ。そうそう、あんたによろしくって言ってた。」

そう言って、ハタおばさんは彩子を見た。


「どんな時にも必ず道は開けるから、落ち込んでもくじけるなってことだったよ。」

「ゴタゴタ続きで模試の成績が下がりっぱなしだから、心配してくれてるのかな。頑張らなくちゃ。」


㊹ 珠子と彩子の恋心

2学期が終わっても3年生は正月前後の6日間以外は補習が組まれている。

しかし、珠子は終業式がすむと冬休み中ずっとモデルとしてのレッスンを受けるために東京へ発った。


大晦日の夜、彩子は母親と一緒にリビングで『紅白歌合戦』を見ていた。

もうすぐ中森セイラの出番という時に、風呂から上がった父親がパジャマ姿でやってきた。


「紅白はマンネリだろ。裏番組のほうが面白いぞ。」と、頭をタオルで拭きながらチャンネルを変えようとした。

ダメ! 彩子も母親も異口同音に言った。



セイラが歌い始めると、母親はしみじみとした口調で言った。

「一度握手しただけなのに、何だか他人とは思えないね。」


「そうだネ……。」

彩子には、それしか言えなかった。


年が明けて1月3日の夜、彩子が洗面所で歯磨きをしていると母親の声が聞こえた。

「彩子、電話よ。出ようか?」


「いい、自分で出る。」

口をゆすいでリビングに置いていたスマホのケースを開けると「石嶺星子」からの着信だった。


ひやりとした彩子は、母親を横目で見て「もしもし」と応答しながら自分の部屋へ移動した。

「彩子? 明けましておめでとう。年末はパパがお世話になったわね。」


「はい、今年もよろしくお願いします。珠ちゃんは元気にしてますか?」

「あの子、本当にいい子ね。みんなに好かれてるわ、モデルの業界は足の引っ張り合いも多いのに。珠子ちゃんの年明けのレッスンは明日からだから、元日からうちに泊めてるの。寮は寂しいと思って。」


「よかった。じゃ、元気なんですネ。」

「それが、そうでもないのよ。」


「何かあったんですか?」

「彩子の友だちの修くんと言ったかな、彩子はあの子のこと、どう思ってるの?」


「どうって、ただの幼なじみですけど?」

「本当にそれだけ?」


「はい。それが何か?」

「珠子ちゃんがね、彼のこと、好きなんだって。」


「えっ、そうなんですか?」

「元気がないから聞いてみたら、卒業して東京に越してきたらもう会えなくなるかもしれないって涙を流すのよ。だから私、告白してみたらって勧めたの。そしたら何て言ったと思う? 彩ちゃんに悪いからって言うのよ。可愛いじゃない。」

彩子と修がじゃれ合う場面を見て、珠子がたびたび羨ましがっていたのを彩子は思い起こした。


「じゃ、彩子のほうはほんとにいいのね?」

「はい。アタシのことは気にすることないって珠ちゃんに伝えてください。」


「よかったわ。彩子も彼に気があるかもって思って、この電話は珠子ちゃんには内緒でかけてるのよ。あ、それから、紅白見てくれた?」

「見ました! セイラさんが紅組では一番輝いてましたヨ。」


「ありがとう。ええと、あの……」

「ママも一緒に見ました。一度握手してもらっただけなのに他人とは思えないって言ってました。」

しばらく返事がなかった。


彩子はセイラの気持ちを察してじっと待っていたが、電話口のセイラの声は明るかった。

「じゃ、珠子ちゃんがそっちに帰ったら修くんにアタックするように今からけしかけるからね。バイバイ。」


電話を切った後、ベッドに入った彩子は自分の胸の奥がうずいているように感じられてとまどった。

家が近いせいで小さいころから一緒に遊んだりしていたが、思春期になると修が自分に異性としての特別な思いを抱き始めたのを彩子は感じていた。


彩子のほうは、修のことをそれほど意識していないと自分では思っていた。

しかし、振り返ってみると、高校2年生のスタート合宿の時、暗がりで修に肩を引き寄せられた時のことが甘酸っぱい感覚とともに唐突によみがえった。


それだけでなく、すべて超能力がらみのなりゆきとはいえ、胸をつつかれたり太ももに触れられたりしてもそれを決して不快に感じてはいなかった自分がいたことにも思い至った。

幼なじみの延長として馴れ合う関係を続けるうちに、修への恋心が自分の胸の中に少しずつ芽生えていたことに彩子は新鮮な驚きを覚えると共に、先ほどのセイラへの返事を後悔する思いさえも湧いてきた。


㊺ 彩子の決断

正月の三が日が明けた4日から3年生は冬季補習が再開される。

彩子は家を出る時、母親に声をかけられた。

「法事は1時半からだから遅れないように帰ってくるのよ。」


1時間目は、担任の南田の古典だった。

「新年最初の古典は『源氏物語』の冒頭をおさらいしよう。『いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが』、伊達、次の『すぐれて時めき給ふありけり』を訳してみろ。」


「はい。とても胸がどきどきしている方がいらっしゃいました。」

「思うつぼの間違いだな。『時めく』は寵愛ちょうあい、つまり尊い人の愛情を受けて栄えるという意味だ。寵愛という訳語をしっかり覚えてちょうあい。ちょっときついかな。」


午前中の補習が終わり、彩子が帰り支度をしていると、修が廊下から手招きをした。

バッグを持って廊下へ出た彩子は、久しぶりに修の顔を見て古典の時間の誤訳のように胸がどきどきした。


こんなふうに修をまぶしく思うのは、今までにない感覚だった。

「放課後、久しぶりにJinJinはどう?」


「今日はムリ。これから早退しておばあちゃんの1周忌なんだ。」

気持ちとは裏腹にそっけない返事をして、彩子はそそくさと下足室へ向かった。


彩子が帰宅すると既にお坊さんが来ていたので、彩子は制服姿のまま仏壇の前に座らされた。

お坊さんは暫くお経をあげると、後ろに座っている彩子の両親の前に焼香用の香炉を置いた。


両親に続いて彩子も焼香をしたが、お香の煙が目にしみて涙がにじんできた。

すると、その涙に触発されたかのように、修への断ち切りがたい想いが胸に迫ってきてポトリと涙が膝に落ちた。


仏壇に向かって手を合わせながら、彩子は胸の内でつぶやいた。

「ハタおばさんから聞いた『落ち込んでもくじけるな』っていうおばあちゃんの伝言は、受験勉強のことじゃなくて、このことだったんだネ。」


夕食後、勉強を終えてベッドに入った彩子はなかなか寝つけなかった。

進学や就職を期に子供は親から離れ、そしてやがては親との永遠の別れも訪れる。

しかし、そんなことは普段は意識にのぼらない。


彩子と修との関係もそうだった。

将来のことなど考えず、現在の関係がずっと続くような感覚で彩子は毎日を過ごしていた。


しかし今、幼なじみの延長のように気楽で楽しかった修との関係が珠子の存在によって揺らいでいる。

目をつぶると、昼間見た修の顔が浮かんできてポロポロと涙がこぼれた。


彩子は、つぶやくように祖母に呼びかけてみた。

「おばあちゃん、胸が痛いヨ。どうすればいいの?」


すると、これまで祖母と交信できたことは1回もなかったのに、彩子の耳の奥に懐かしい祖母の声が届いた。

「彩子よ、人間はわがままな生き物じゃ。だから、迷った時は人を救う道に足を踏み出せ。その道がやがては自分を救う道にもなる。」


命日の1周忌法要で降りてきた祖母の霊が身近にいるような気がして、彩子はベッドの上で上半身を起こして部屋の天井を見上げた。

「おばあちゃん、いるの?」

もう祖母の声が聞こえることはなかった。


祖母の言葉を心の中で繰り返しているうちに、彩子の脳裏に一つのイメージが浮かんできた。

珠子と並んで歩いていると、道の向こうに修が立っている。

無邪気に手を振って駈け出そうとする私を、珠子は立ち止まって寂しそうに見ている。


彩子は、珠子の切なさを思って胸がしめつけられた。

邪気さえ払うほどのオーラを持つ純真無垢な珠子が、セイラの前で涙を流すほどに思い詰めているのだ。

修を想っていちずに歩いている珠子を、道の途中で立ち止まらせるわけにはいかない。


彩子は心の内で祖母に決意を語った。

「おばあちゃん、決めたヨ。アタシはまだ引き返せる。」


㊻ 愛の魔法

3学期の始業式の日、東京から戻った珠子と2週間ぶりに顔を合わせた彩子は、昼休みに珠子を屋上に連れ出した。

「修のこと、セイラさんから聞いてびっくりしちゃった。今まで、何、遠慮してたのヨ。」


「だって彩ちゃんに悪いし、修くんも彩ちゃんのこと好きみたいだし……。」

珠子は、伏し目がちに小さな声で答えた。


「アタシたちは幼なじみってだけで腐れ縁みたいなものヨ。修だって、アタシのこと特別に思ってなんかいないヨ。早く告白しちゃいなさい。あ、でも珠ちゃんみたいな美人に告白されて勉強が手につかなくなったらまずいから、センター試験後がいいかも。」

珠子は恥ずかしそうに、そして嬉しそうにうなずいた。


午後の授業を終えて帰宅し、自分の部屋に入った彩子にはやらなければならないことがあった。

想いを告白するよう珠子をたきつけたものの、彩子には修の心が珠子よりも自分の方に向いているように思われた。


彩子は指で宙に「凋」(チョウ・しぼむ)と書き、目を閉じて修の自分への恋愛感情が薄れるようにと念じた。

しかし、念じ終わると彩子は心に空洞ができたような感覚に襲われた。


彩子はその喪失感を振り切るように自分を励ました。

「ええい、今日は彩子サマの一世一代の出血大サービスだい! 久世修よ、なんじはその名のとおり悩める金子珠子の救世主となるがよい」


古典の補習で習った「寵愛ちょうあい」の「寵」という字を指で書き、珠子への愛情が修の心に芽生えることを念じ、さらに「調」(チョウ・ととのう)と書いて二人の互いの想いが仲睦まじく寄り添うようにとも念じた。


そして手を合わせて祈った。

「神様、お願いです。私のチョウ能力はもう使えなくなってもかまいせん。そのかわり私が二人にかけた愛の魔法がいつまでも解けませんように。」


㊼ エピローグ

センター試験までの約1週間、彩子は何もかも忘れて受験勉強に没頭し、土、日の2日間にわたるセンター試験を無事に終えることができた。

センター試験の翌日の月曜日は、受験産業の数社に詳細なデータを送るための自己採点が午前中いっぱいをかけて行われた。


自己採点が終わると、3年担当の教師たちは結果の集約や分析を行うので、生徒は放課になった。

風は冷たいが陽射しがあるので、彩子は修と珠子を屋上に誘った。


JinJinに行くことも考えたが、人目につかないところでなければならなかった。

給水タンクの台座の日当たりのよいところに、珠子を真ん中にして3人並んで座った。


珠子は東京の私大をメインに考えているので、センター試験の結果には重きを置いていない。

彩子は志望校のA判定ラインに到達して満足だったが、修の自己採点結果が9割以上の得点率であったことを聞くと目を丸くした。

「その点数なら、どこ受けたって大丈夫じゃない! 東大、受けるの?」


「東大は2次試験の配点がメチャクチャ高いからセンターの成績だけでは分からないよ。安全策をとって1ランク落とすか、すべりどめになる私大も受けるかだろうなあ。けど、医学部は学費だけでもかなりかかるから親が何と言うか。」

「こっちの医学部なら楽勝で合格できるし自宅から通えるけど、修の力からすればもったいないネ。」


すると珠子が勢いこんで言った。

「そうよ、そうよ。東京へ出たほうが絶対いいと思う。奨学金で足りない分は中森社長が援助してくれるわ。」


修は、驚いて珠子の顔を見た。

「お正月にセイラさんの家に泊まった時に修くんの話をしたの。とっても成績がいいから東京の大学を受けるかもしれないって。そしたら社長さんが、学費はぜひ自分に出させてほしいって。」


珠子の言ったことに彩子が理解を示した。

「セイラさんを治したのは実質的に修だし、年末も修が仲介してハタおばさんを紹介したんだから中森さんがそう言うのも分かるわ。」


「でも超能力やセイラさんとのことは親に内緒にしてるし、中森さんに援助してもらうことを親に説明できないよ。」

「修くん、ハタおばさんのことは秘密じゃないのよね? そしたら、私がセイラさん親子とつながってるんだから、私を間において修くんがハタおばさんの力で中森社長の窮地を救ったことにできるわ。」


珠子は懸命に修の説得にかかり、最後は熱心さのあまり片手を修の膝のあたりに置いた。

慌てて手をひっこめた珠子よりも修のほうが顔を赤くしたのを見て、彩子は愛の魔法の効力を実感した。


珠子は話し終わるとちらりと修を見て呟いた。

「それに修くんが東京にくれば私も嬉しいし……。」


ここが潮時だと彩子は判断した。

「あ、忘れてた! アタシ、今日は早く帰って来いってママに言われてたんだ。ごめん、お先に。」


そう言って立ち上がりしなに、彩子は珠子の耳元でささやいた。

「勇気を出して。」


1階に降りて下足に履き替え、校門のところまで歩いて彩子は校舎を振り返った。

屋上の珠子たちのいるところは見えないが、今ごろ、珠子が修に想いを打ち明けているはずだ。


彩子は、校舎に背を向けて歩き出した。

「おばあちゃん、アタシ、偉かったでしょう? これでよかったのよネ。」


そうつぶやいて、彩子は空を仰いだ。

風は冷たくても、見上げた空の色は春もそんなに遠くはないことを告げていた。

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彩子は修と珠子の助けも借りていろんなチョウ能力を駆使します 仲瀬 充 @imutake73

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