後編 放浪する猟犬
ヘッドフォンから流れていたアルバムが終わった。その次に流れてきたThe Madcap Laughsも全て再生が終わってしまって、また次にセットされていた
やってこない電車を待ち続けても当然来るはずはない。時間を潰す為だけにぼうっとしていただけだ。夕暮れ時になって、ようやく帰る決心をして立ち上がった。帰ると決めてからはずいぶんと早かった。それから後は、また行った道を辿って、倒れたままの金網を乗り越えて、電動走行靴を走らせて帰路についた。
ラクイが鉄筋コンクリート製の集合住宅に着いた時には、空はすっかり暗くなっていた。すっかり暗くなっていたが、電気が点いている部屋は見当たらない。彼女以外に住む人間のいなくなった場所だ。疲れ果てて這々の体で一階の玄関の扉を開くと、脚の電動走行靴を外して立ち入る。部屋の電源をつけるなり、ラクイはそのまま疲れ果てたようにベッドに倒れ込んだ。
1LDKで10畳くらいしかない小さな部屋だ。白い壁に白い天井で、清潔感はあるがどうにも普通さは拭えない。部屋の中には、ベッドや机椅子、テレビや冷蔵庫といった最低限生活に必要な家具は置かれているのだが、それ以外の物はほとんど置かれていないか押し入れに仕舞ってあるようだった。殺風景という言葉が似合う状態だが、それが彼女の好みだった。
ラクイは通信が切られているヘッドフォンを机に置いて、うつ伏せになった。しばらくの間は、枕に顔をうずめて、あうー、や、べうー、などと無意味にうめき声を上げていたのだが、そういうのも次第に飽きて、代わりに体のべたつきや汚れが気になり始めた。真夏の炎天下を一日中走り回っていたのだから。重い腰を上げてフロアを沸かしに行き、元の場所に戻ってきてからはテレビをつけて呆然と見始めた。
チャンネル1では今日の出来事についてのニュースが報じられている。『国民的大人気漫画が30年ぶりに連載されるも面白さは衰えたか。相次ぐファンからの批判』『機動隊に実戦配備された無人HV、半数以上が帰還せず。国民には怒りの声も』『30年代以降のオルタナティブロック・シーンを牽引するハリヴァ氏の「メジャーシーンはクソだ」という発言に対し、ファンと音楽評論家の間で争いが奮発。負傷者が出る事態へ』
移り変わる画面は、ラクイのような世間知らずでも知ってる漫画のタイトルを流していたり、あるいは破壊された軍用HVの写真や有名ミュージシャンのインタビューを流している。興味のない内容だったようで、すぐ次のチャンネルへと回してしまった。風呂が沸く頃には、全てのチャンネルをつまらないと切り捨てて消してしまった。
洗面所までいくと、そこで服を脱いだ。前髪を留めていたピンを抜いて、おまけで額に貼っていたガーゼも取っ払ってしまって、傷が残っていないか洗面台の鏡で見た。
鏡に映っているのは、ラクイの姿だった。普通の生活を送っていたなら、そろそろ高等教育を受けているかといった年頃か。けれどその割には身長が低い。胸も小さい。彼女の場合、遺伝ではなく不摂生や幼少期の運動不足に起因するものだ。肩に届くまで後髪は伸ばされ、前髪もピンが無ければ目が全く覆われてしまうくらいに伸びている。伸びっぱなしになっている、という方が正しいのかもしれない。ロクに手入れされていないようで、毛はボサボサである。前髪をピンで止めていたのも、目に髪が入るのが嫌だからという理由だった。額にはまだ真っ赤な打ち傷が残っているが、前髪を下ろした今ならそう目立ちはしない。けれど、目立ちはしないのに髪の毛でもう少し隠せないかと髪をいじって、それで傷口に触れてしまってちょっとだけ痛かったのか口をへの字にすると、それきり鏡を見るのをやめてしまった。
風呂は沸いてからしばらく経っていたが元の温かさは保っていたようだ。温かい風呂に、温かい湯気。
ラクイは風呂に浸かると「はぁ~~」と息を漏らした。入浴は素晴らしい文化だ、とラクイは思う。一日の終わりに心を落ち着かせられるし、その日の出来事を振り返る良い機会にもなる。そこには身体を清潔にする以上の意味がある。諸外国と戦争があった日も、帝国内の紛争で銃弾が飛び交っていた日も、こうした贅沢はできなかったものだ。
「……今日も色々とあったなぁ」
軍用HVとの追いかけっこがあった。ソルファが大きく破損した。思い出の場所に行って、しばらく時間を潰した。言葉にしてみればそれだけで収まってしまうのだが、実際には彼女にとって一日と思えないくらい長い出来事だ。体を洗い、髪の毛を洗って、またもう一度浸かった後でも、その考えは変わらなかった。
ラクイが風呂から出たのは、時計の長針が半周以上してからだった。長風呂してしまった。特別深い感情も持たずそう思う。幾年か前まではずっと居続けていると催促の言葉の一つや二つくらい飛んできたものだから、いつも仕方なく出たものだったが、今はもう何も無い。結局、忘れられていなかった。家族と別れて長い時が経って、探す事もしなくなっても、やはり忘れられるはずはないのだ。思い出そうとすると頭に不快なノイズが発生する。だから、忘れていたかったのだが。
側頭部に生じた軽い痛みを紛らわすように、髪の毛をタオルでわしゃわしゃと乱雑に拭いて、洗濯を忘れていた寝巻の代わりに普通の服に着替えてリビングへ戻った。そうして今度こそベッドに深く沈みこんで、ようやく瞳を閉じた。
人間。ソルファはラクイの事をただの人間だと言った。人間は機械と違って、ハードウェアの乗り換えだけで半永久的に生き長らえられる存在ではない。脳という取り換え不能なハードが存在する限り、命は有限でしかない。肉体に囚われる存在。死ねば何も残らないから、ソルファはやめろといつも言う。
「みんなやってること、だし。私だけがおかしいわけじゃ、ないし……」
くだらない言い訳だとは分かっている。認めたくないだけだ。
ソルファと出会っていなければ野垂れ死んでいた。違う。ソルファがいなければラクイは真っ当な人間として真っ当な幸せを当たり前のように享受できていた。放棄区画でホームレス同然の生活をしていても、いつか救いの手が差し伸べられていたはずだ。現に彼女は普通の人間として生きていない。ソルファと出会ってしまったから、その道を目指したいと思ってしまった。ソルファがいなければ、彼女はドライバーとして命をかけたゲームに参戦しなくても良かった。ソルファ自身がそれを望んでいなかったとしても、ラクイの生きる道を断ってしまった。
だから全て仕方がないことなのだと思う。
今までの人生はそういう風にできていて、これからの人生もきっとそういう風にできている。
道を踏み外した今からまっとうな社会に戻れるとは思えないし、さりとて今の生活をずっと続けられる道理もない。家族と出会おうとしなかったのも、そこに引け目を感じていたところも少なからずあったのだろう。
◆
翌日になって、ラクイはいつもの部屋で目を覚ました。随分と長く眠っていたようだ、ふあぁ、とあくびをして起き上がると、 そのまま洗面台に行って歯磨きをした。洗面台の鏡には、頭頂部にぴょんと立つアホ毛が映っていた。
額の傷は昨日に引き続いて残っているが、痛みはずいぶんと引いていたらしい。 特に気にするでもなくそのままにしていた。
歯磨きを終えて出かけるのに必要な道具を集めていると、突然お腹がぐぅと鳴る。
昨日の夜は何も食べていなかった。今日の朝もまだ何も食べていない。お腹がすいたのだから何か食べなければと冷蔵庫から食べ物を探ったが、何も見当たらない。
備蓄していたパンもご飯も全部食べ終わってしまって、腹を満たせるものが何もなかった。代わりにお菓子がいくつか残っていたから、ラクイはそれをもぐもぐと頬張った。ソルファが聞いていたらこれでもかと怒っていたに違いないが、これ幸いにというべきか通信は切断されていた。
食べている最中に、他にできる事はなかったかと部屋を見渡した。
その中で目に留まったデジタル時計は、きっかり八時を示していた。
ゲームが始まる三十分前の時刻。
不味い。そう思って慌てて食べていたお菓子を口の中に押し込むと、愛用してるヘッドフォンとお気に入りの電動走行靴を身に着けて家を飛び出した。
気温が高くなり始める頃合い。空は昨日に引き続き快晴だ。
ラクイはヘッドフォンの電源を入れると、いつもの回線を繋いだ。三秒にわたる長い応答時間の末に通信は接続される。
『接続完了。おはようございます、とでも言えばいいか。
「そうだね。おはよう。修理はもう万全?」
『ああ。これ以上ないくらいの最高な状態さ。ゲームをするってんなら――これ以上はない。わかるかい?』
「わかるよ。わかってる」
ヘッドフォンはセットされていたアルバム、THE Beatlesを流した。
弾けるように跳んで、丁寧に舗装された環状線を走り抜けていく。電動走行靴の速度を最大まで上げて大通りの交差点を右に曲がり、長い橋の手すりをグラインドして渡る。その先にビーグルスターはあった。ガレージの外ではフィンレーが手を振って待っていた。
「ごめん!遅れた!」
「早かったね!ラクイ!」
フィンレーは昨日と同じ格好で待っていた。すすだらけで油まみれのオーバーオール。けれどその目は心なしか眠そうに見える。フィンレーは寝ぼけた目をこすりながら言う。
「修理は終わったよ。やられる前よりも良い状態にした」
「ありがとう!……でも、悪い事しちゃったね」
「あー、あたしの事かい? あたしならいいのさ。後で寝なきゃいけないが、今は従業員もついてる。店仕舞いなんてつまらない真似はしないからさ」
そういうものか、とラクイは一人でに納得する。フィンレーも決して不快そうな顔はしていない。これはこれで楽しい仕事だったのだろう。
「だから、さ。応援してるよ。つまらないゲームじゃ良くないよな?」
フィンレーなりの気遣いなのだろう。ラクイはその好意を甘んじて受け入れることにした。
ソルファはガレージの中にいた。一時的に休眠状態に移行していたようで、システム関連はスリープモードにあった。背後のコックピットに搭乗すると、エンジンを回す。
「ソルファ、メインシステムを全部起動して」
言うと同時、360°に渡るモニターの視界が一斉同時に起動する。視界に幾重ものデータと情報が表示され、その全てが
操縦画面に僅か1フレームの遅れも生じていなければ、異常に跳ね上がった数値もない。完璧だった。
「それで、代金はどうするんだい?」
「出世払いでお願い!」
「分かったよ。だけどその代わり、いつか絶対払うんだからね!」
ラクイはギアを上げる。弾けるように走り出してゲームの会場へと向かう。メーターは平然と時速150km以上をマークし、地面にタイヤの痕を残していく。ラクイをして“すごい速さ”と言わしめる速度だ。
放棄区画を分ける有刺鉄線をソルファの跳躍力で軽々と飛び越え ボロボロになった廃墟の街並みを過ぎ去っていく。
『Revolution 9 : Vol.2』
一人と一機がゲームのエリアに着いたのは、流れていたTHE BeatlesのアルバムがBlackbirdに差し掛かった頃合いだった。
『目的地到着ってわけだ。相棒、準備はいいのかい?』
「準備はできてるよ。ばっちり」
ソルファは会場のレーンについて試合の開始の時間を待った。その時間に、全ての装備が万全に稼働する事を確かめている。
アセンブルは全ての状況へ対応する事を至高としている万能型だ。左腕に近接格闘用のレーザーブレード、反対の腕にジェットライフルを携え、右肩に二連装式榴弾砲、左肩に軽量のパルスシールドを搭載している。装甲の薄さを機動力と自前のシールドで補う高機動HV。
「今日のエリアは高層ビル街。市街戦になるよ。ソルファとの相性は良くないね」
市街戦となれば、遮蔽物を利用した戦闘が求められる。その際に高機動でありながら火力や装甲厚の低いHVを使用するのはあまり良い判断とは言えないだろう。確かに利点はないわけではないのだが、銃砲の類を回避するにはその街は狭すぎるし、会敵すれば互いの位置も判明するから機動力の高さは活かしにくい。
だから丁度良い、と思う。
ラクイの傍には最強のHVがいる。最高の整備士がいる。これ以上はない。ならば、それが最高の状態だ。
「今回は公開通信。海賊放送の放映や実況もあるってさ。ソルファの声も
『わかってるさ。……中継が始まるぜ』
ある周波数にセットされたラジオが電波を拾った。
『皆さま、おはようございます! 時刻は8時30分をお知らせします。海賊放送局“クラヤミファントム”の時間が今日もやってきました。まずは今日の天気から――』
中性的な声。変声機を使っているらしく中の人の性別や年齢は不明だが、どうにもかなり快活な声である。
東京の天気、東京近辺のニュース、東京で開かれる“ゲーム”のランキング――
『――それでは選手入場です!皆さま、出撃レーンをご注目ください!』
『あんたの出番だ。ゲームの時間だとよ不良少女さん』
「はいはい。わかったよ。ちゃんと名前を呼んでくれない
ソルファは出撃レーンから一歩前に出た。武装に備えられた安全装置を解除し、戦闘モードへと移行する。準備はこれ以上ない。ならばあとは天に祈るのみだ。
『東側のレーンに見えますのは新気鋭の天才ドライバー、ラクイ!ソルファの機動性を活かした戦いは目まぐるしく、解説の私も思わず目が回ってしまうほどです!
そして相対するドライバーはー……なんと、“ヂオラマ”のシド!高い状況把握力を持つシドと、鉄壁の防御を持つHV“ブートレグ”のコンビはまさしく要塞のようです!』
『そういう解説はやめてくれって何度言ったら分かるんだ……なんて言ったってやめるわけねぇわな。ブートレグ、仕事だ』
『火器管制システムに異常は見当たりません。いつでもやれます、シド』
『──はい、両者の意気込みを語っていただいたところで、ゲームスタートはもうすぐです!レディー、ゴー!』
試合が始まる合図。その始まりは何にもまして静かなものだった。敵機体と会敵可能な距離ではなかったし、かといっていつから何が起こるのかも分かったものではない。
ラクイはラジオの受信を切って、代わりにカーステレオからお気に入りの
『相棒、敵方のアセンブルは覚えているかい?』
「あー」
ラクイは歯切れの悪い返答を寄越した。
「ごめん。覚えてない」
『あんた、それは致命的ってもんじゃないのかい?』
はぁ、とソルファはわざわざする必要のないため息をついて、
『再確認だ。背後武装にガトリング、腕にプラズマランスとチェインガンを搭載した、火力と命中率の低さを連射で補う弾幕型。脚部パーツは積載量と装甲厚に長けた六脚。ガンズハートが製造している土木作業用のHVだ』
ソルファの機体内の画面に一枚の写真が表示された。改造された民間用HVの写真。
なるほど確かに、ソルファの説明通りである。都市迷彩を全面にペイントしてある機体は、重量型のHVを素体としているらしい。武装も通告通り。機体の頭部には“不気味に笑う帽子”のデカールが貼られていて、それがブートレグを象徴するエンブレムのようだ。
「わかった、わかったよ。だからはやくその写真を
ラクイの指示通り
ソルファはエンジンを蒸かした。会敵する予定の地点まで向かう。
高架をくぐり抜け、倒壊したビルを飛び越え、サスペンション代わりに脚部を折り曲げて衝撃を殺す。最高速度ではないが、それでも十分すぎるくらいに速い。先制攻撃ができれば上々、そうでなくても先に目視で確認できれば体制を整える時間ができる。
ふと、ラクイは違和感を感じた。
例えば、いつもは風呂に入る時は右足からなのに今日は左足から入ってしまったとか、街中で傍を横切った人が昔の同級生に似ていたとか、その程度の軽微な違和感であった。無視してしまおうと思えば無視できてしまうような。気の所為だと割り切ってしまえばそれまでの出来事だとしても。
ふいに風が吹いた。
「……レーダーに敵影は映ってない? ソルファはどう思」
『前方100メートル。敵だ』
気づけば、前方に一機のHVが立っていた。
特徴的な六脚だ。装甲で幾重にも補強された脚を虫めいて地表に構えている。カラーリングは市街戦に長じた灰の迷彩柄。見違うはずはない。ブートレグ。上位ランカーの一体だ。
ラクイは息を詰まらせる。ずっと近くにいたのに、つい先ほどまで気づけていなかった。僅か100mという近接戦闘の帯域に入るまで。敵はずっと前からこちらに気がついていたはずだった。けれど先手は打たなかった。ラクイが気がついていなかったから。
『あちらさんはこっちに気づいているらしい。あんたが動くの待ちだって事だとよ』
「ソルファ、私は……」
ブートレグは六脚を動かした。動かした、それだけだった。けれどラクイは次の行動を起こすのを躊躇してしまった。全身の毛が逆立つ程の威圧感。瞬間的に全警報システムが一斉にアラームを鳴らす程の衝撃。
ブートレグは背後武装を重たそうに擡げる。擡げただけ、ではない。
それが攻撃の合図だと知っていたから、ラクイは電撃的に反応した。
「――――っ!」
動かない体を無理やりに動かしてパルスシールドを展開する。
直後、爆発とも聞き違う銃声と共に弾が飛来した。彼我の距離を瞬くより早く殺して迫る弾丸は、しかし展開された電磁の波に阻まれて到達せずに終わる。鋼鉄のコイルの間に張り巡らされた青色の波が、未だ回転し続ける弾丸を眼前で静止させている。
シールドで覆われていない脚部や右腕に何発か被弾するが、装甲を穿つ致命傷には至っていない。射撃の波に抗うようにソルファは左腕に搭載したジェットライフルで応戦した。敵の射撃に対してこちらはほとんど無音で射出される。高速回転する無数の針弾が、放たれた後に加速して敵機に終着する。
けれどブートレグの装甲に弾かれて攻撃が通らない。射撃支援システムの助けで装甲の合間という最も弱い部分を縫って命中させたが、有効打は与えられない。距離が近すぎるのだ。
『パルスシールドが負荷限界を迎える。対策しろ』
ソルファの言葉通り、シールドの機関部が赤熱していた。ちっ、とラクイは舌打ちして次の武装の狙いを定める。二連装榴弾砲の照準を、0.5秒かけて正確な位置へと刻む。
ソルファは姿勢を低く構え、二連装式榴弾砲を連続で放つ。低速で撃ち出されたそれは、片方は回避を試みたブートレグの足元に着弾し、片方は直撃して姿勢制御を僅かに乱すに至った。ソルファが搭載する榴弾砲では有効打にならないが煙幕程度にはなる。車輪で後方へ下がり続け、コンクリートのビルを遮蔽に使い、一度射線から外れた。
パルスシールドの展開を終え、数百では飽き足らない数の弾丸を地面に撒き散らす。
『パルスシールドの
榴弾砲から人間の脚ほどの太さもある薬莢が落ち、心地よい金属音を鳴らす。次弾が装填されるのを確認して、ソルファは再び加速する。
『──二連装榴弾砲の残弾は4だ。次の作戦は決まってるのかい。そこんとこどうなんだ』
「決まってる。決まってるけど教えるのは後!」
ラクイは右腕のジェットライフルの残弾数を確認する。たったの五発しか残っていない。爪を噛んで次の行動を考える。
「市街戦だと遠距離からの射撃もできないし……今だと後方からの奇襲も難しいな」
地図上に敵を記す赤の点が見える。ブートレグに設定された識別番号だ。縦横に入り組んだ地形だ。中距離以上の射程で真価を発揮するジェットライフルと相性は悪い。
『“お楽しみ”は最後まで取っておく趣味なのかい?』
「……ううん。今からやろうとしてたとこ」
ジェットライフルのマガジンが落下する。
代わりに込められるのはフィンレーお手製の特殊弾薬だ。マガジンにはビーグルスターのエンブレムが丁寧に貼られている。5つ角の星を象ったネオンサインだ。
「とっておきだからね。やるなら確実に」
有利な地点を取るべく四輪を走らせる。還流エンジンを蒸してジャンプで倒壊したビルを飛び越え、無人駅を飛び越えて、更に高い場所へ跳ねる。
上を取れればいい。ビルを超える跳躍力も、オンロード走行用HVに匹敵する速度もブートレグにはない。
動作に不良はない。
ジェットライフルを見えぬ敵影へ向けて射線へ躍り出ようとし、そして僅か一瞬躊躇った。その行動の遅れが結果として命を救う。
目標を定めるべく顔を出そうとした瞬間、チェインガンの射撃が襲った。砲と呼ぶべき大きさの弾幕が、うんざりするほどの光の束となってソルファの頭部の上を掠める。弾幕が切れる頃合いを見計らってソルファは跳んだ。
再度ライフルを照準に合わせる。銃弾それ自体が加速装置を備える特殊兵器、更にその中でも独自に開発された特殊弾薬がばら撒かれる。ドリルじみた螺旋を描く弾丸が、無秩序にばら撒かれながらも全て弱点を向いている。瞬間で音速に達し、更に加速し続ける針弾はブートレグの装甲表面に命中して食い込み、その後も回転をし続けて装甲を削り続ける。機関部に侵入して、そこで止まった。
致命傷ではない、とソルファは判断している。空のままライフルのハンマーが落ちた。弾切れだ。
『お楽しみは終わりだとよ――――榴弾砲のロックオンを終了した。引き金を引くだけだ。
再度の榴弾砲が放たれる。ブートレグは射線を見切って回避した。爆発に巻き込まれながらの緊急回避だったが、二発目が命中する。
『残弾残り2発』
爆炎の中から銃弾が飛来する。電気の波がまた防いだ。榴弾砲とジェットライフルをリロードすると同時に、ソルファの左腕に搭載されたレーザーブレードが展開される。防護用の外殻に覆われたチェンバーを露出させ、溶液の詰められたカートリッジとシリンダーを接続する。カートリッジ内の液体を溶媒として、チェンバーの先端から全長2mほどの光の刃を作り出す。パルスシールドの青に反し、その光の刃は夕暮れの如き真紅だ。
ソルファは跳んだ。
ブートレグは偏差射撃でソルファにチェインガンを命中させるが、シールドで防がれている。
着地点を予測したブートレグは六脚で後方へと跳ねた。寸毫の差で失せた地点を、ソルファのレーザーが焼き払う。
ソルファは地面に着地し、再度踏み込んだ。爆発とも見間違う瞬発力。接近。
ブートレグは回避不可能な攻撃だと即座に見極め、両の腕で防御する。
ソルファは斬撃を行う瞬間に更にレーザーの出力を増し、刃を叩き込んだ。赤色の残光が孤を描いてブートレグの左腕を半ばから溶断する。センサー類を多く詰めた頭部の破壊を目的とした攻撃だったが、結果として武装を搭載した部位の破壊に留まる。そこで、レーザーブレードのカートリッジがパージされた。間を置かずに次のカートリッジと接続されるが、ブレード本体が赤熱している。次の使用まではしばらくの時間を経てからでなければならない。
ブートレグは背後武装を構える。ほとんどゼロ距離からの斉射に対し、ソルファは距離を取ってシールドで受けた。けれど、まだ近い。距離による命中精度の低下がない至近距離からの射撃だ。
ソルファに対して予想外の衝撃が加わる。コックピットが直接揺れて搭乗者であるラクイも思わず操縦桿を手放しそうになる。
『ぐぅ――ジェットライフル
武装モジュールの一つが
『次撃、来るぞ』
ブートレグは右腕の武装を展開し終える。複数のブースターと火口を有するプラズマ投射型の槍だ。白炎を先端から吹き出し、刺突の構えを取っている。
回避しなければならない、とラクイは思う。体が動かない。脚部モジュールを損傷している。脚部の装甲ごと車輪を撃ち抜かれ、初動に大幅な遅れを生じさせた。致命的な隙だった。
ブートレグは、槍に緊結されたブースターの勢いを載せた突撃で彼我の距離を縮める。
ソルファはシールドの出力を最大まで強める。槍と盾が正面切って衝突する。
ブートレグのブースターの勢いに衰えはない。シールドに衝突した後も、尚。
摂氏10000°を超えるプラズマを撒き散らし、電気の防壁を破らんと迫る。
機体重量も含めた一撃は防ぎきれない。ソルファはブレーキを効かせた車輪で踏ん張る。数十メートル滑走させてブレーキ痕を残し、しかし殺しきれないエネルギーがパルスシールドを打ち破った。
『相棒!回避しろ!』
ソルファは機体を半身にして槍の突撃を逸らす。プラズマの槍が命中するすんでのところで交錯する。
ソルファへの損傷はない。
『パルスシールドの再起動を試みる──不可能』
シールドの機関部から赤熱した雫が垂れる。熔解した金属だ。
オーバーヒートしても使い続けたシールドは、その代償に機能を永遠に停止した。これから二度と動く事はない。
ブートレグはガトリングを照準する。防御も回避も不能な間合いだ。
『あんた、どうする……』
「どうするってったってさぁ……」
ジェットライフルは使用不可能 あったとして 役には立たないシールドもブレードも使用不可能。
けれど、唯一できる行動があった。
『お前――!』
ブートレグの搭乗者は静止の言葉をかける。
けれどソルファはそれを実行した。自爆を免れない至近距離での榴弾砲の発射を。
爆炎が両者の視界を覆う。
一時的なメインカメラのエラー。ブートレグは何も見えない場所へガトリングを斉射する。
『識別反応消失、一時撤退したようです』
ブートレグに搭載された人工知能は、搭乗者のシドへと助言する。ブートレグが放った銃弾に命中弾が無いと知るや、ガトリングの射撃が止む。煙が晴れたブートレグの視界にソルファの姿はない。
『……つまらん戦い方だな。腑抜けめ』
ソルファは坂道を走っていた。どれほどの損壊を受けているのか、あとどれほどの時間を動けるのかを推し量るのも覚束ない。
パルスシールドの機関部が熱で溶解していた。負荷をかけ続けたせいだ。修理に出せば直るという次元の話ではない。二度と起動しなければ部品取りにも使えない完全なジャンクと化していた。右腕に至っては根元から完全に千切れている。こちらは修理のしようもあったが、試合中にどうこうできる代物ではない。
榴弾砲の弾数は1を示している。リロードできるだけの弾数もない。
『損壊多数。俺は動けるがこれ以上はあんたの命が危ない。降参を
ソルファの助言にラクイは苛立って、頭をかきむしる。過度の興奮状態にあった。端が欠けたモニターに、幾つものエラーが浮かんでいる。
「ソルファは、」
悔しいという感情が頭の中を支配している。万全の準備で挑んだ戦いだった。けれど、浮かぶビジョンはどれも敗戦という二文字を示している。
榴弾砲の弾数を示す文字が。左腕の破損を示すアラートが。パルスシールドの損壊を示すメッセージが。燃料タンクの破損を知らせる警告が。
ソルファの左腕に装備していたレーザーブレードは無事だった。榴弾砲も一発だけ込められている。けれど、ここから勝利を掴み取るのは困難だ。
「生きてれば良い事があるって言ったよね」
ラクイは笑った。諦観の感情を含んだ笑いだった。
勝ち目のない戦いにこそ勝利を望む心があるのだとしたら。如何なる逆境があろうと、どのようなハンデがあろうと関係ない。ここからが本番ではないか。
「私にとっては、今がそれだよ」
『――バカ野郎!』
ラクイは操縦桿を握り締めて反転した。DANGERの文字を全て踏み倒し、最高速度で突っ走る。
「ソルファは!変なところで!凝り
損傷したまま高速回転を続けたせいか脚部の車輪が黒煙を出す。速度に影響は出ていない。ラクイは構わずエンジンを最高速度で回し続ける。
ここ最近、ずっとゲームでは負け続きだった。いつか勝利をしなければその名前は誰にも忘れ去られず消えていくだけだ。だから勝たなければならなかった。 けれどそれは命あってこその事だ。自らの命も顧みないゲームプレイなどあっていいはずがない。
ソルファは再度ブレードを展開する。機関部が真紅の刃を纏い、一条の光を紡ぐ。
速度を乗せた跳躍でビルを飛び越え、さらに上に行く。
『誰もが命は大事なもんさ!俺はあんたにもそうあってほしいんだよ!』
ラクイはマップを見やる。コンクリートを隔てた向こうに敵はいる。
ソルファはビルの上から飛び超えた。高度限界も耐久限界も無視した自殺にも等しい降下。空中で体制を整えて斬りかかる。10トンを超える体躯の衝撃を乗せた斬撃はブートレグの背後を溶断する。けれど装甲止まりだ。致命傷には至っていない。
レーザーブレードのチェンバーに再びカートリッジを接続される。
ブートレグは距離を取って突撃の構えを取った。
『来ると思っていたぞ、お前が負けず嫌いなのは知っている』
ブートレグはブースターを蒸した。同時、ソルファに突っ込んで切り込む。
ラクイは速攻で反応して操縦桿を切る。回避できない。ソルファの体を焼かれながら体当たりし、槍の突撃に反対方向から突っかかった。
複雑な機構が展開され、機関部を赤熱させたままに光を再び刃と成す。
腕を振りぬく事もできぬ体勢だったが、刃を押し当てる事だけはできた。金切声にも似た音を放ってブートレグの頭部を直接焼く。分厚い装甲を焼き切って機関部まで到達し――そこで終わりだった。数百ものパーツが飛び散り、ブレードを支える腕ごと空を切る。再三の使用でブレードが耐えられる道理はない。唯一ブートレグに対抗できる攻撃手段だったレーザーブレードは、酷使により砕け散ってしまった。破壊目標としたブートレグの頭部に届くより早くその刃は潰えた。
だが、それで良かった。
榴弾砲には最後の一発が込められている。装甲で止まる威力の爆発でも、機関部が剥き出しになった今ならその一撃を与えられる。
刃は、届いた。
爆発の衝撃でソルファは二転三転して倒れ伏した。倒れ伏した、だけだ。いくら這う這うの体であっても、まだ駆動できる。けれどブートレグは違う。頭部を完全に損壊していた。
『敵機体ブートレグの識別反応が
もしソルファに表情があったなら、今は苦虫を噛み潰したような顔をしていたはずだ。
「言う通りだったね。良い事があるって」
コックピットの中で二転三転して、反対向きになった中でラクイは笑った。屈託のない笑いだった。
◆
帰り道のこと。
ラクイの怪我は幸いにも軽症で済んだ。腕や脚を打撲して大きな痣を作り、おまけに転んだ時にどこかに引っかかったのか一条の傷も頬についていたが、大怪我と呼べる物はほとんど負っていない。ソルファのコックピットに格納されていた救急箱から消毒液と絆創膏をぱっぱと取り出すと、応急処置を終わらせてしまった。
ラクイが自分の怪我の次に気にかけたのは、ソルファの損傷度合いだった。酷いものだった。昨日の軍用HVに攻撃を受けた時より、損壊の程度なら上回る。昨日はあれで動けるのが奇跡と呼べる状態だったのだが、今はそれすらままならない。脚部の車輪は焼き付いて動かなくなり、スケート走行などは望めなかった。まともに搭乗したままでいられる道理はない。そんなだからラクイはソルファから降りて、二人――一人と一体で仲良く歩いて帰る事にした。
「ソルファ、楽勝だったね」
「楽勝なんてもんじゃあないだろ、あんた。ボロボロじゃないか」
「それを言うなら……ソルファだってそうでしょ?」
ラクイの露出した肌には痛々しい打撲痕が浮かんでいる。電動走行靴を走らせる脚はぎこちない。それでも、ソルファほどではない。
「でも、良かった。相手さんも軽傷らしいって」
海賊放送局からの伝えでは、敵方のドライバーもほとんど似た容態だったようだ。本人曰く“明日になれば治る”傷を負っていたらしい。
「けど、これでお楽しみは終わりだ。次はもっと強い敵と戦うことになる」
「強い敵、か」
これで終わりではない。太陽が西に沈んでもまた東から登ってくるように、今日が終われば明日が来るように、ゲームに勝てば次がある。
またソルファが損壊するかもしれない。機能停止に陥るかもしれない。ラクイが大きな怪我をするかもしれない。ソルファの最奥部に格納された人工知能の素子が破壊されるかもしれない。それは、ソルファにとっても、ラクイにとっても決して避けなければならない最悪のビジョンだった。
「あんたは、若い。若ければ何でもできるし、何にだってなれる。けどあんたは人生をRevolution 9みたいに、無意味な物の集合体だなんて思っちゃいないのかい? あんたは、あんた自身が生きる人生をそう規定しているように見える」
「私は、人生は無意味な物だなんて思ってないよ」
ラクイが家族と離れ離れになって長い時間が経って、ソルファと出会って長い時間が経った。 未来は明るいものでも、その過程は決して明るいものではなかった。
「けど、無意味な人生は送りたくない。名前も知らない誰かに取って代わられる生き方なんて嫌」
「……そいつがあんたの
ラクイとソルファは、棄てられた東京の街並みを歩んでいく。海賊放送局の向こうで聞いてる、名前の知らない誰かの想いを載せて。
Revolution 9 夏虫光希 @neromea
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