白風に笑う(二)

 伯英が養子に迎えた少年は、昔からひどく無口な性質たちだった。単に口が重いというわけではない。語るべき言葉を、感情を、そっくりどこかへ置いてきてしまったかのような。そんな奇妙な空虚さを抱えた子どもだった。


 それから五年。昔に比べれば口数も増え、だいぶ人間らしい表情も見せるようになった。憎たらしさに磨きがかかった、などと迅風あたりはこぼしていたが。


 それでも、と伯英はあらためて養い子の顔を見た。それでもこれは初めてだった。ここまで剥き出しの思いをぶつけられたのは。


「……悪かった」


 おまえもずいぶん勝手だな、とか、少しはおれの気持ちがわかったか、とか。言いたいことは他にもあった。だが結局、短い詫びの言葉だけを口にした。いまは、それで十分だと思った。


 養父の顔をしばし見つめ、子怜は無言のままうなずいた。普段と変わらぬその態度に伯英は安堵し、そんな自分を胸のうちで嘲笑った。


 まったくもって度し難い。勝手なのはどちらのほうだ。養い子の将来さきとやらをおもんぱかりながら、そのじつ手放す気など最初はなからなかったくせに。変わらぬことを望んでいたのは、他ならぬ己自身であったというのに。


「……しかし、惜しかったな」


 ふたたび並んで歩きながら、伯英は空を見上げた。薄雲たなびく澄んだ空は、早くも秋の気配を漂わせている。


「なにが」

「おまえの嫁さんだよ。ずいぶん気が合ってたみたいじゃないか。頭も気立てもよさそうだったし、あの県令が妙な気さえ起こさなけりゃ、けっこうな良縁だったかもしれないのにな。まあ、噂で聞いていたのとはちと違ったが……」

「そう?」


 養父の言葉に、子怜は首をかしげる。


「噂どおりのひとだと思ったけど」

「そうか?」


 今度は伯英が首をかしげたところで「子怜っ!」と騒々しい声が飛んできた。うわ、とわかりやすく顔をしかめた少年めがけて、浅黒い肌の若者が駆けてくる。


「おまえは、また! 大事なこと黙ってやがって!」


 わめきたてる若者に続いて、謹厳な顔つきの青年が歩み寄ってくる。


「話はお済みになりましたか」


 ああ、と伯英は義弟に向かってうなずいた。


「済んだ。そっちはどうだ」

「万事滞りなく。伯英どのの号令で、いつでも太興へ向かえます」

「ご苦労」


 義弟をねぎらいつつ、伯英は物騒な笑みを浮かべた。


「いまさら太興へ行ったところで、たいして敵が残っているとも思えんがな。まあ、話をせねばならん相手がいるから仕方ない」


 そうですね、と冷静に応じる参謀役と、敬愛する兄貴分を見比べて、迅風は「ひでえや」と情けない声をもらした。


「兄貴も文昌さんも、おれには何も言ってくれねえで……くそ、知っていれば、あの県令の野郎なんざ片手でひねりつぶしてやったのに」

「そうされると困るから黙っていたんだがな」


 苦笑する伯英を恨めしそうに見ていた迅風だったが、今度は怒りの矛先を弟分に向けてくる。


「おまえもだ、子怜! 奇襲があるかもしれねえってことくらい、先に言っとけよ! おかげでおれは大変な目に……」

「だって」


 まったく悪びれない様子で子怜は肩をすくめる。


「本当に奇襲があるか、わかんなかったし」

「わかんなくても言えよ!」

「言ったら迅風、警戒したでしょう」

「あたりまえだ」

「そしたら行軍が不自然になって、今度は敵に警戒される。迅風、演技下手だもの。今回は最初の負けっぷりがよかったから、敵も調子に乗って追撃してくれたわけだし」

「なっ……」


 絶句する迅風を放っておいて、子怜は養父を見上げた。


「今度はついて行っていいよね」

「だめだ」


 養い子の無心を、伯英は無情に却下する。


「なんで。主力はあらかた叩いたでしょ」

「それでも何があるかわからんだろうが。いいからおまえは大人しく待ってろ」

「いいざまだな、子怜」


 不満げに唇をかむ子怜を、迅風がせせら笑う。


「いつまでもおれに勝てねえ半人前が。てめえに戦場は百年早い……」

「迅風」


 ふわりと、子怜は微笑んだ。満開の蘭花のごとくあでやかな、大輪の蓮花のように清らかな、匂い立つようなその笑みに、迅風はぽかんと口を開けて見惚れ――


 どんっ、と重い地響きとともに地面にたたきつけられた。


 たったいま、迅風の胸倉をつかんで投げ飛ばした少年は、どうだ、と養父に向かってあごを上げてみせる。


「……おまえの言ったとおりだな、文昌」


 感心半分、呆れ半分といった面持ちで、伯英は義弟に声をかけた。


「嫁をとると男は変わる」




 ……梁末、乱世を駆け抜けた義兵集団。その戦いを支えた天才軍師の、縁戚については不詳な点が多い。一説には、蘭花のごとき美女を妻に迎えていたとも、さらには、王家軍が連城を第二の本拠地としてから数年後、屈強な若者三名が美貌の軍師の前で膝を折り、「お初にお目にかかります、父上!」と呼びかけたとも伝えられているが、真偽のほどは定かではない。



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玉蘭花伝 二 小林礼 @cobuta

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