13

「ちょっと、そこの騎士さん! 一輪買ってってよ、うちの花はここらで一番綺麗って評判だよ!」

 街頭を足早に歩いていたカインは、背後から掛けられた声に思わず足を止めた。

 雑踏の中、道の脇に立ち並ぶ臨時の露店からはひっきりなしに声が掛かる。串焼きや具材を挟んだパンなど、食べ歩きに適したものを売る店が多いが、中には土産と称して田舎から出て来た者に割高な商品を売りつける店もある。

 そうした露店を取り締まるのも警備兵たるカインの役割であるが、多少のことならば目を瞑ってやっても良い。今日は三年に一度の、花祭りの日なのだから。

 カインに声を掛けたのは、沢山の篭に山盛りの花を並べた露店にいる妙齢の女性だった。

 淡い紅色の一輪花がカインの前に差し出されている。王都に咲く国花、リーリアの花だ。平時であればこんな露骨な客引きに足を止めるカインではないが、花祭りにおいてこの花の果たす役割を知らない訳ではない。それでつい、足を止めてしまった。

「お、いいね騎士の白い隊服にぴったりだ」

 買って貰えると踏んだのか、若い店員は強引にカインの胸ポケットに花をねじ込んでくる。苦笑しながら、カインは懐から小銭を取り出し、店員の手にくれてやった。

「仕方ない、貰っておこう」

「毎度! 兄さん、誰かいい人でも待たせてるのかい?」

 唐突に問われ、カインは虚を突かれたように瞬きをした。そんなに自分は浮かれたように見えていただろうか。

 花売りの女性はにやりと笑いながら、頬杖を付いた。

「こんな日に花を欲しがる客が分かんないようじゃ、商売人とは言えないからね。上手くやんなよ!」

 ひらひらと手を振る女性は、新たな客を求め再び声を上げる。苦笑しながら、カインはその場を離れた。


 アベイル・エルニが自身の家名から除籍されたことにより、カインの護衛騎士としての仕事も断ち消えた。隊長としての立場も有耶無耶になり、カインの出世の道は断たれたと言っても過言ではない。勿論、カインは一切気にしてはいないが。

 寧ろ友であるユージーンが甚く気を遣い、今日の花祭りの主要な警備を引き受けてくれたくらいだ。

 昼下がり、祭りの最中でも比較的人の少ない――それでも平時よりも遙かに多い人手の中、警備とは名ばかりでカインはぶらぶらと街中を歩く。

 騎士団の衣装を纏っているだけで、それなりの抑止力はあるらしい。数回、小競り合いを諫めた程度で、目立った犯罪などは見られない。

 それで特にこれといって気を張ることもないまま、悠々と人混みを歩く。


 不意に、路地裏から伸ばされた手が、カインの袖を引いた。

「お兄さん、花を買って頂けませんか?」

 カインは眉を顰め立ち止まる。人通りも多く祭りで賑わう大通りと裏腹に、一本入った脇道は薄暗く人気がない。その入り口で、白いフードを頭から被った人物が、カインの気を引いているのだった。

 表で売られる花とは違い、裏の人間の言う花はその者自身を意味する。

 渋面を作り、カインは袖を引くその人の手を取った。

「……何を遊んでいるんですか、アベイル様」

「こうしていた方が人目に付かないだろう?」

 路地裏に佇むその人は、笑いながらそっとフードを脱いだ。さらりと銀糸の髪が靡く。菫色の瞳が悪戯めいた色を湛えてカインを見た。

 実際、アベイルの容姿は目立つ。彼の相貌を知る者は市井には少なかろうが、アベイルの美貌や貴族然とした立ち居振る舞いは、どうしても目立ってしまうだろう。

 それで頭からフードのついたマントを纏わせ、人目に付かないように言ってはおいたが。花売りの真似事をしろなどとは一言も言っていない。

「……本当に買われたらどうするつもりなんですか」

「っふ、そんな物好きなど君くらいのものだろう」

 自らの美貌に無頓着な人は、くすくす笑いながらカインに腕を絡めて来る。そうして路地裏に引き込まれると、正に客引きされているように見えるだろう。そのまま自然に、アベイルに渡されたマントを羽織る。騎士団の隊服は、余りにも目立ち過ぎる。

「本当に気を付けて下さいよ? 貴方の容姿だと、人買いにすら狙われかねない」

「また随分と買ってくれるね……大丈夫、そうなったとしても、君が助けてくれるのだろう?」

 ふわふわと笑う人の、絶対の信頼は妙にくすぐったく、面映ゆい。

 薄暗く湿った裏通りに似付かわしくなく、美しく笑う人に、カインは自らの胸元に手をやった。先程買わされたリーリアの花、薄紅のそれをその人の頭に翳す。

 リーリアの花言葉、『永遠の愛を捧ぐ』。王都の者ならその花を渡される意味を、誰でも知っている。

 ふわりと笑い受け取った人は、そのまま一輪花を髪の間に差し込んだ。銀糸に淡い紅色が華やかに色づく。

 見上げて来る菫色には、もう諦め絶望も見えず、穏やかに微笑んでいる。


 賑やかな祭りに背を向け、路地裏に二人の影が吸い込まれていく。

 彼らの行方を知る者は、誰もいない。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 シルヴァリル王国の南方に位置するカムセト領、そこに新たな領主が赴任して来たのは、雨期を目前にした時分のことである。

 長く悪政を敷いてきた領主が漸く罷免されたかと思えば、不在の時期が続き、そして漸く寄越される領主である。どうせ碌でもない領主に違いないと、領民たちの期待は低かった。

 実際、新しい領主は碌でもなかった。着任早々屋敷のメイドたちに手を出し、町の賭場では大金を擦る。とんだ穀潰しが領主になったものだと、領民は落胆した。

 しかし驚いたことに、碌でなし領主の施策は悪くないものだった。何処から金が出ているのか、大金を湯水のように費やし、金に飽かせて大量の堤を突貫工事で作り上げた。その結果、水難の被害は例年の半分以下に抑えられたそうだ。

 一説には、新しい領主は最近復権した宰相の縁者であるという。それで公費を多めに回して貰えるのだとか。噂に過ぎないが、ともあれ領民にしてみれば暮らし向きが安定するのであれば、それに越したことはない。

 また、一説には新たな領主には有能な腹心がいるのだという。一人は知略に長け、領主の仕事の補佐を。もう一人は武力に長け、領主の身の回りの警護をしているのだという。

 若いその有能な部下のお陰で、領地経営が成り立っているという話も聞くが、ともあれ平穏な暮らしが出来るのは喜ばしいことだった。

 二人の若い男たちが何処から来たのかは謎に包まれたままだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役令息の護衛役 赤坂 明 @aki0614

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画