12

 振るった剣先は細い身体を容易く貫いた。

 溢れた生温い紅が身体を濡らす。こぽりと血の塊を吐き出すその口が、またね、と小さく呟いたような気がした。

 その真偽を確かめるより前に、ぐらりとカインの脳髄が揺らいだ。

 これが死であるのか、激しい酩酊に斬りつけられた左腕が疼く。二の腕深く抉られた傷は、このまま手当をしなければ壊死して二度と使い物にならなくなるだろう。

 だが、そんなことはどうでも良い。ぐらぐらと揺れる視界で、カインは目の前の人を掻き抱いた。まるで繋ぎ止めるように、強く。

 全身を寒気が襲う。急速に冷え行く躯で、死に行く人の身を、只、抱きしめる。


 酩酊、暗転、――そして。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 場違いに温かな空気が身体を包んでいた。

 その明るさに、温かさに、カインは激しく瞬きをする。

 窓が開いていた。半開きになった木枠の向こう、薄紅が広がっている。春になると咲き誇る、リーリアの花だ。

 ぽかんと、呆けるカインに、心配げな声が掛けられた。

「おい、どうしたカイン、急に黙り込んで」

 机を挟んだ向かい、見慣れた赤毛が困ったようにカインを見ている。

 その首と胴が繋がっていることに、カインは戦慄した。彼の躰はもっと、ぐじゃぐじゃに食い散らかされていたのではないか。心配げな垂れ目は損なわれ、首筋を抉られ、見るも無惨な亡骸になっていたのではないか。

 カインの友、ユージーンは、死んだ筈ではないのか。

「何だお前、幽霊でも見るみたいな顔して……」

 怪訝な顔で覗き込んで来るユージーンを前に、カインは真っ青な顔で絶句していた。

「ユージーン、お前……死んだ筈じゃ……」

「はぁ? 本当にどうした、お前……さっきまで花祭りの警備について話してたじゃないか。割り当ての確認をしたいって言い出したの、カインの方だろ?」

 呆れたような口調でユージーンが言う。花祭り、ピンと来ない言葉にカインは眉を顰めた。王都で数年に一度行われる花祭り、それは疾うに終わっている筈で、おまけに都を離れた自分には関係のない話ではないか。

 頭がくらくらする。額を抑え、カインは信じられない思いでユージーンに問う。

「悪い、ユージーン……今日は、何日だ」

 心底訝しげに、ユージーンは答える。その日付は、カインが護衛騎士となる二ヶ月前――アベイル・エルニ、その人が、断罪されたその日だった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 過去に戻っている。

 その事実は比較的すんなりと、カインの頭に入って来た。

 カインの予測、彼の人が“先見のギフト”を持っているのではないかというそれに、アベイルは肯定も否定もしなかった。彼は確かに、知っている・・・・・出来事もある、と言ったのだ。

 全く、人が悪い。無論、彼がこの巻き戻りの原因であるならば――彼の“ギフト”がこの要因であるのならば、おいそれと他人に言えないのも分かる。これは余りにも、希有で危険な能力だ。

 だからといって、カインにまで秘する必要もないだろうに。とはいえ、実際に経験していなかった自分が簡単に信じられたとは、カインにも思えないが。

 それ故、アベイルは濁した。濁した上で、カインを巻き込んだ。とんだ策士である。

 またね、最期に呟いた彼の言葉が胸に残っている。またね、最期の願いを叶える為に、カインは彼に会わねばなない。

 程なく、アベイルの婚約破棄については、彼の悪評と共に巷に広まるだろう。それから二ヶ月、カインがアベイルと出会うまで二ヶ月。それは無限にも思える長い期間に、カインには思えた。


「お前にはエルニ公爵令息の護衛について貰う」

 厳格な顔立ちの第三騎士団長、ジョルジュ・ライホネンは、厳かにカインに告げた。

 カインはぎりと歯噛みした。アベイルの失墜が騎士団の、その裏にある貴族間の抗争に因るものであることを知っている。未来を知っている。だがそれを今証明することは出来ない。不可能だ。

 騎士団長であるジョルジュがそれに無関係であるとは思えない。寧ろ下手人であると考えた方が良い。故にこの人事も、彼らの益となるものであるのだろう。

 公爵家はアベイルの存在を裏で処分しようとしている。だが、それでは彼らは困るのだろう。アベイルは表立ったところで罪を負い、処刑されなければならない。そこで選ばれたのがカインなのだろう。公爵家からの手勢に対処出来る、しかし権力を翳し多勢で来られれば対処が出来ない。そうした扱い易い駒として、カインは選ばれた。

 それを分かっていながら不機嫌にならない方が難しい。押し黙ったカインに、ジョルジュはむすりと眉根を寄せた。

「聞こえているか、カイン」

 ある程度の不敬は通ることは知っている。これが余りに異例の命であるからだ。カインの前、机上に記された書面に記された王印に目を落とす。哮る獅子の紋章。それも今やカインの目には敵のものとしか思えない。

「はい……、いえ、何故、自分のような平民が、アベイルさ……エルニ公爵令息の護衛騎士に任命されたのか、と思いまして」

 不自然にならない程度に、カインは不服を告げる。今のカインにしてみればそれは分不相応であるという意味合いであるが、かつて告げたそれは完全に不平不満に他ならない。アベイルの人と成りを知らず、噂のみを盲信していた時分のことである。

「余りにも唐突なことであったので、自失しておりました。申し訳ありません」

「そうか……まあ、そうだな。前例のない指令であるとはこちらも理解している。だが、これは王命だ」

 渋く唸るように口走るジョルジュに、カインは思わず笑いそうになる。とんだ茶番だ。これから護衛騎士として三年間務め、任期を終えれば第一騎士団に迎えられる。次いで告げられた夢物語のような胡散臭い話を、かねてより信じていた訳ではない。だが、そのような浮ついた人参をぶら下げられて動くような人間だと思われているのだとしたら、全く以て釈然としなかった。

 胡乱な眼差しのカインに、ジョルジュも流石に不快に感じたのだろう。厳めしい顔を尚更険しく、鋭い眼光をカインに向けた。

「よもや、否はなかろうな」

「……王命とあらば」

 まるで王命でなければ受ける気がないような物言いとなってしまったが、実際そうなのだから仕方がない。睨み付けるようなジョルジュに対抗するように強い鳶色の瞳で見返し、かつりと大仰に踵を打ち鳴らす。左胸の翻る鷹の記章に手を翳す。だがカインの忠誠は既に、そこにはない。 

「謹んで、拝命します」

 カインが忠誠を誓う只一人に会う為だけに、偽りの誓いを口にする。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 顔合わせの場は、記憶と同じ公爵家の応接間で行われた。

 自宅謹慎となったアベイルは表には出られない。招かれたカインは、平素ならば終ぞお目にかかれないような豪邸の廊下を、使用人に連れられ歩いていた。

 記憶が正しければ謁見は二人きりで行われた。それもまたおかしな話だが、ともすれば逆上したカインが彼の人に襲いかかりでもすれば良いとの算段だったのだろうか。莫迦な。

 だがしかし、これが格好の機会であるのも確かだ。二人きりで会合したのはこの日が最後、領地への道すがら襲撃に合うことを考えれば、ここで話し合いをするべきだ。

 豪奢な絵画の飾られた廊下を歩きながら、しかしカインは不意に不安に駆られた。

 カインが時を遡っている。それは確実だ。それはアベイルの“ギフト”に因るものだと推測している。だが、それが正しいかどうかは分からない。

 もし、カインが対面したアベイルが、カインの知る“アベイル”でなかったら。カインが心を許し、忠誠を誓い、触れた、あのアベイルでなかったら。

 心臓が縮み上がる気がして、応接間の前で身震いしたカインを、案内した使用人が訝しそうに見る。怖じ気を隠し、カインは扉に手を掛けた。


 そして彼は、彼と出会う。


「君が僕の護衛騎士を任される、カインだね」

 告げられる声音は震えていた。菫色の瞳は期待と不安を綯い交ぜにして揺れながら、長い睫の下伏せられている。

 ああ、カインの胸を安堵が過る。大丈夫だ。カインの前で、臆したように顔を強ばらせるアベイルは、カインと同じだった。目の前の人が、“そう”であるのか確信が持てず、躊躇っている。

「よろしくお願いするよ」

 震えながら差し出される手を、堪らず取った。はっと顔を上げる人の瞳がカインを捉える。揺れた瞳の奥、映し出される己はきっと目の前の人と同じ、泣き出しそうな顔をしている。

「……自分は、」

 強く細い手を握り締めながら、その人の前に跪く。息を呑んだ人に向かって頭を垂れた。かつて許しを請うた時と、同じように。

「俺は……貴方をお慕いしています、アベイル様」

 戦慄く口の端を無理に吊り上げ、笑顔を向ける。そうでもしなければ泣いてしまいそうだっだ。

 ほとりと手の甲に水滴が落ちた。滲んだ菫色を目視してしまってはもう駄目だった。カインは立ち上がり勢いのまま目の前の人を腕の中に抱え込む。カイン、小さく胸元で呼ぶ声がする。

「アベイル様、」

「カイン、……君なのか」

「はい、俺です……貴方の、カインです」

 いつしかカインの頬にも涙が伝っている。あの日損なわれたと思った温もりは、今腕の中にある。

 掻き抱いた首元から、柔らかな春の匂いがした。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「矢張り、この現象はアベイル様の能力ですか」

「ああ、……先に告げられなくてすまない」

 アベイルの謝罪に、カインは頭を振った。

 応接室のソファに二人で腰掛けながら、気持ちを落ち着けたカインはアベイルの話を聞いている。アベイルの目の縁は赤い。己のそれも同様に腫れているだろうことを、カインは自覚していた。

 永遠に失われたと思った珠玉が手の内に戻って来たのだ。歓喜せずにいられようか。

「おいそれと他人に言えることではないのは理解しています。何しろ、命に関わることですから……アベイル様?」

「ん?」

「……近いですね」

 すりすりと寄って来たアベイルの身はいつしか凭れるようにカインに触れている。細い指はまるでそうであるのが自然であるかに、カインの手に絡められていた。

 カインの問いかけに、アベイルはうん、と返事ともつかない相槌を打ちながら、カインの肩口にそっと頬摺りをして来る。ぐう、と喉を鳴らし、カインは意識を逸らそうと苦心した。何せここは彼の人の実家、公爵様の邸宅である。妙な気を起こさないようにしなければ。

「ふ、仕方がないだろう? 君が思うより、うんと長く、僕は君を想って来たのだから」

 繰り返し、繰り返し、アベイルはカインとの時を経験して来た。そう知らされた時、カインは胸が千切れそうな思いがした。彼を失い再び得るまでの間、そのたった一度だけでもカインには苦しく辛い道のりだった。それなのに、何度、何百回と、アベイルは繰り返して来たというのだ。カインと過ごし、そして失ったその時間を。

――貴方を軽蔑します。

 かつて放った言葉が一層重くカインの胸に沈み込む。その言葉は幾度アベイルの心を抉っただろう。何回心を寄せ合おうとも、何回でも拒絶される。その絶望と孤独がアベイルの自棄に繋がっていたとしたら、どれだけ残酷なことをしたのだろうか。


 すり、カインの肩口に頬を寄せたアベイルは、小さく息を吐いてそっと身を離した。

「とはいえ、そう時間がある訳でもない。手短に話そう。僕はもう、君を失いたくはない」

 緩やかに微笑むアベイルの手を、カインはぐっと握る。それは無論、カインも同じ気持ちだった。

「このまま僕が領主となればまた同じことが起きる。僕の失態を追求し、処刑することで公爵家の権力を削ごうとする者たちは、しつこく僕らを狙って来るだろうね」

「アベイル様が権力の外に在る必要がある、ということでしょうか」

「察しがいいね」

「……ですが、それは、」

「そう……僕はこの名を捨てる。エルニ公爵家から離れて……市井に下ろうと思っているよ」

 カインは瞠目する。それはアベイルが貴族ではなくなる、カインと同じく平民になるということを意味している。

 アベイルにそれが可能なのか。貴族としての教育を受け、貴族としての振る舞いし、その暮らしをして来たアベイルが。

 驚くカインにアベイルは些か愉快そうな眉を上げた。

「僕に貴族以外の暮らしが勤まるのか、という顔をしているね?」

「いえ、そのような……まあその、アベイル様の生活力……のなさは、存じていますので」

「ふ、言ってくれる。まあ、実際僕もこの可能性は幾度となく潰して来た。地位も身分も失えば、この身など容易く消し飛ぶことは分かっていたしね」

 長い銀糸の前髪を掻き上げ、アベイルはひたとカインを見詰めた。

「だけど今は、君がいる。甘える形にはなるが……共に来てくれるか」

 ここまで来ても何処か不安げに、アベイルはカインに問い掛ける。既にカインの身はその人に捧げて行く。不安を払拭するには、態度で示すしかない。この先もずっと共に在り続けるという態度で。

「無論、何処へでも。貴方の隣が、自分の居場所ですから」

 何度も、何度でも誓う。例え繰り返しの中で消えることがあったとしても、何度でも。

 カインの誓いに、アベイルは頬を緩ませた。彼に安堵を与えられることを、カインは嬉しく思う。

「そうか、ならば付いて来てくれ」

 何処へ。目だけで問うカインに、立ち上がったアベイルは緩やかに笑って告げる。

「公爵閣下の元へ……僕の、父に会いに行く」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ばん、些か乱暴に扉が開け放たれたにも関わらず、部屋の中で机に向かっている初老の男は顔すら上げなかった。

「何事だ、騒々しい」

 鬱陶しそうに低く呟く、鋭い眼差しは書面から上げられることはない。

 アベイルは母似なのだろうか。白の混じり始めた柔らかそうな茶髪、鷹のような金の鋭い眼光、柔和で中性的なアベイルとは余り似ていない父子だ。

 国の宰相である父が家にいるなど滅多にないことだとアベイルは言う。日頃は城に詰めて、碌に家庭を省みないのだと。それがここ一月ほど家で持ち帰りの書類仕事ばかりをしている。させられている。アベイルと共に謹慎をくらっているのだ。恐らく彼の地位にとって大きな打撃となるであろう。だが宰相閣下は、飽くまで淡々と、可能な業務を遂行しているようだった。

「部屋に入る許可を出した覚えはないが。警備の者はどうした」

「少し、黙らせて貰いました。話を聞いて頂きたかったもので」

 正攻法では対面すら出来ないと、使用人や警備員が止めに入るのを、半ば強引に――多少実力行使に出つつ押し入ったのだ。それは不審にも不快に思われもするだろう。

 強引に扉を押し開け部屋に入ったアベイルの背後、無言で控えながらカインは冷や汗を堪えていた。国の中枢を司る宰相、あまつ身分は公爵閣下、当然庶民上がりのカインが顔を合わせられるような相手ではない。

「下がれ、貴様の話など聞く必要はない」

「いえ、聞いて頂きます。公爵家としてもメリットのある話ですので」

「それを決めるのは貴様ではない」

 漸く顔を上げたかと思えば、アベイルの父はギロリとアベイルを睨み付ける。些か怯むカインの前で、アベイルは平然と肩を竦めて見せる。

「おや、宰相閣下ともあろう方が、みすみす契機を逃すとは。随分と耄碌したものですね」

 アベイルのあからさまな挑発に、宰相閣下は不快げに鼻を鳴らした。これが親子の会話なのだろうか。カインには理解出来ない。

 忌々しげに顔を顰めながら、アベイルの父は書類の束を机に投げ捨てた。

「それで? 私の手を止めるだけの益を貴様が提供出来るとでも言うのか?」

「情報を生かすも殺すも貴方次第では? ……その前に一つ、私をエルニ家の籍から除名頂きたいのですが」

「っは、却下だ。貴様を籍から抜いた所で、塗られた泥が濯がれる訳でもあるまい。ならば辺境を押さえる駒程度の役割、果たして貰わねば困るな」

「領地なら叔父上にでも任せれば良いでしょう。王都で遊ばせておくのも勿体ないでしょうし」

「知った風な口を……あれが何の役に立つというのだ」

 叔父、というのはアベイルの父の弟のことか。カインは余り詳しくは知らないが、有能な兄の陰で大した功績も上げられず、結婚もせず、女癖も悪く、公爵家の財を潰している、と悪評しか聞かない人物である。しかし他者からの評価など当てにならないことは、カインも知っている。アベイルが名指しするなら相応の人物なのだろう。

「確かに叔父上は最低の屑ですが、」

 そうでもないようだ。吐き捨てるように言うアベイルからするに、矢張り噂通りの屑らしい。

「ですが、屑も使いようです。保身には長けている。向こう数年の動向さえ伝えれば、経営維持をすることくらいは出来る筈だ」

「それが何の得になる」

「損害を抑えられます。この先、カムセト領は水害と魔獣の被害で財政的にも大打撃を受けることになる」

「弱い、弱いな。それが得になるとどうして言える。只の推測で交渉に臨むなど愚行が過ぎるな」

「推測ではないとすれば?」

 ハラハラしながら父子の会話を背後で聞いていたカインは、アベイルの言にはっとした。後ろからは彼の表情は見えない。告げるのだろうか。彼の“ギフト”のことを。それは余りに、諸刃に思えた。

「……何が言いたい。簡潔に述べろ」

「私には未来が分かります。少なくとも、向こう一年のカムセト領で起こる出来事は」

「……寝言を」

「寝言と断じることは貴方には出来ない筈だ。……二十年程前、私の身に何が起きたか、調べない貴方ではないでしょう」

 二十年程前、というのはアベイルの幼少期の出来事だろうと、扉の前に控えながらカインは推測する。アベイルが己の能力を知覚した時のことは聞いた。己を殺めようとした者も同時に、その繰り返しの日々に巻き込まれたのだということも。

 アベイルを幾度となく殺そうとした使用人は、気が触れて精神病棟に送られたという。それを公爵閣下ともあろう者が追求しない筈がない。

「っは、あんな狂人の戯言を真に受けるとでも思ったか」

「けれど、実際何か・・があったのは察していた筈だ。だからこそ、あのメイドを処分せずにおいたのでは? 生かすより殺す方が余程容易いでしょうに」

「……それで、その実証の出来ない事柄をどう信用しろと」

「……侯爵家と隣国との繋がりの、しっぽを掴めるとしたら?」

 アベイルの言に、宰相閣下の眉が跳ね上がった。それについてはカインも何も知らない。黙ってアベイルの後ろに控えるしか出来ない。

 公爵閣下は無言で渋面と言うには余りにも苦々しい顔を一層顰める。

「それを、何処で」

「レムナスの実……隣国でしか取れないその、すりつぶした粉は、魔獣を呼び寄せるそうですね。その経路を調べると良いかと」

「……三年前の学院での件か」

「そこから仕組まれていると考えられます、恐らく」

 ふむ、とアベイルの父は指で顎をなぞる。どうやら関心を引けたらしい。取引に値すると思って貰えたのか、宰相閣下はがさがさと机の上の書類を漁り出し、アベイルもそれを手伝い始める。どうにも似ていない険悪な父子関係のようだが、微動だにせず扉の前を守るカインは二人の共通点を見つけてしまった。どちらも、整理整頓能力が皆無だ。

 何事か話し合い、納得したのか、アベイルの父は不機嫌そうに書類の束をアベイルに投げて寄越した。

「それに署名をしておけ。……これで今日から、貴様はこの家とは無関係の人間だ。とっとと出て行くが良い」

 机上に投げられたそれを、アベイルは丁寧に拾い上げた。ざっと目を通し、不備は感じられなかったのかさらさらとその末尾に名を記した。

「では、そのように。……感謝します、……父さん」

 そう言うと、アベイルは首元からペンダントを外し、机上に置いた。父から贈られたのだという、アベイルの瞳と同じ色の宝石の入った、ペンダントだ。

 こつりと机上に置かれたそれに、気付いている筈の公爵閣下は、既に書面に向き合い顔を上げようともしない。

 気にせずアベイルは立ち上がると、カインの方へと振り返る。その表情は何処か吹っ切れたように、晴れ晴れとしていた。

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