2 引き裂かれる

「じゃあまた明日ね!」

「うん、また明日」


黎椰れいやに別れを告げたあと、私はいつも通りの帰路に就いた。


「昔よくここで黎椰れいやと遊んだな…」


思い出の独りごつ、だがそれはあどけない普通の景色を飾っていた。

昔、ここにあった駄菓子屋で黎椰れいやと二人で寄せ集めた子供らしいお小遣いでうまい棒を買って分け合った記憶がある。


「おい、」


だが、そんな思い出に浸っている暇はなかった。

神は、それを許さなかった。


金宮 夏燐かなみや かりん。」


ぞわり。

激情が私の頭を支配する。

この声の正体、あの夏の殺人鬼。

平和な日々に終止符を打つ様に、気づく頃には雨音が大地を蹂躙していた。

振り向いてはいけない。今振り向けばきっと、世界に空いた黒い穴のような虚無と憎悪が、私の目を突き刺し射抜くだろう。

だが、体は言うことを聞くはずもなく、真っ直ぐにその声の方に振り返った。

その真っ黒な前髪の隙間から、空よりも青い碧眼がこちらを覗いている。


「あんた…は、」


荘星 流輝奈しょうせい るきな


共感覚のために目眩がして、あの日の記憶の残滓がフラッシュバックした。

"殺戮と絶望の使者カタストロフ"の異名。


からそう呼ばれ続ける彼は

私の弟を、凛冬を殺したのだ。


その名も、『横浜殺戮事変』。


最初は、ある一つのニュースだった。


‪‪𓂃 𓈒𓏸◌‬


『速報です_

神奈川県横浜市の路地で、体中を刺された遺体が発見されました。

遺体は10代前半の男性と思われ、この事件をもって、市警は警戒を強める意向を示しました。』


「え……」


そこは凛冬が出かけると言った店の路地だった。

一瞬にして生まれた不安を抉られ、塗り広げられるような気分だった。


凛冬が家を出て五時間が経っていることに気づいたのだ。


今更だ。

嫌な予感がする_否、嫌な予感しかしない。こういった予想はいつも当たる。冷や汗が表皮を伝う感覚がまどろっこしい。有能な自身の脳を巡らせ思考する。


答えは


_____finished.終わり


その瞬間、自分の世界の全てが色褪せ、全てが散漫になり、卑屈な音を立てて崩れ落ちた。


殊更、心の奥から漏れ出した渇いた叫びと笑いが、次の瞬間、


『速報です!神奈川県の全域が大規模な地震に見舞われています!推定される高波は約50mです!沿岸付近の人は直ぐに離れてください!直ちに身を守る行動を取ってください!』


そこからだった。この地球が狂い始めたのは。この年から地球は約五年周期で大規模な地震と津波が来るようになり、毎年必ず洪水で何処かの島が一つ沈んでいる。


「は…何、?急に揺れ…」


一番最初のあの日の事だ。

初めて見た光景は、今となっては恐ろしい景色だった。窓ガラスは割れ、建物の何もかもが崩れ落ち、沢山の人間の悲鳴が上げぬまま死んでゆくのを、ただ一人、それを何の感情も抱かずに見つめていた。

否、寧ろ美しいとすら思いながら、薄く眼を開けて見ていた。


┄┄┄┄


『推定死者数は____


3億5千万人』


信じられなかった。

テレビの向こうに映り込む世界が、私の居るこの世界と隔絶されたような、言い様のない寂寥せきりょうに溢れていた。

『あの日自分は何をしていたのだろう』と、そればかり自分の頭に浮かんでいた。

刺殺事件というだけでは話題には挙がらないが、この事件を機に災害や経済崩壊、インフラや戦争が多発するようになったことから、『横浜刺殺事変』と名付けられた。


そしてその刺殺の犯人が目の前にいる彼だということ。

荘星 流輝奈しょうせい るきなという一人の学生は、瞬く間に世間に知れ渡り世界から隔てられるようになったのだ。

それから事件のこともあり随分と心を病んだ私を慰めるように黎椰れいやはそれまでよりも話しかけてくれるようになった。

黎椰れいやと居るその時間だけが、私の心を救ってくれた。


𓂃◌𓈒𓐍𓈒𓂂𓏸


「…話がある」


ぼそりと呟かれると共に少しだけ歩み寄られる。久方ぶりに聞いたその声の低さに驚きと疑念しか浮かばない。なんと言ってもこんな殺人犯の話なんて良い事がある訳が無い。


「近寄らないで!」


私はすぐさま彼を突き放した。

最も、危険でしかないと分かりきっている人物と一緒に居る選択をする方が頭が可笑しいだろう。


「チッ…なんでなんだよ…」

「なにが…!」


少しだけ雰囲気が変わったような、悲しみが溢れていたような気がするが気にすることもなく、遮るように彼の怒声は黄昏の空虚に響いた。


「なんでだ……なんでなんだよ!」


大きく振りかぶった彼の拳には16歳には重すぎる程の苦しさと怒りと生き辛さを感じた。

同情はしない。

温度のない哀れみと苦しみを乗せてがら空きの細い胴体を強く殴りつけた。


「がぁ゙ッ……!」

「人を殴るなんてしたくなかったんだけど」

「なんでだ…なんでこうなんだよ、!」


その叫びは何処までも孤独で、憎悪に満ちていた。

彼はもう一度拳を大きく振りかぶり、やや涙ながらにこちらに走ってくる。


私はその一撃を冷静に受け止め、気絶する程度の辺りを殴った。


周りに大衆が囲んでいることに気づき、数秒すると武装した警察が私達を囲んだ。


「その場に正座して両手を上げて下さい」


その声は冷たく、犯罪者を何人も許さぬ国の秩序の塊だとよく解った。

私はあくまで正当防衛をしたまでだ。

罪に当たるような事はして居ないと確信しているため、私は言われた通り直ぐさま正座をして両手を上げた。


「乗って下さい。少しお時間を頂きますよ。署で話を聞かせてもらいます。」

「……」


少し擦り傷が出来た彼は警察車両に運び込まれ、窓ガラスから応急処置をされている様子が見えた。

やや強引に警察車両に詰め込まれた私は、この状態に何処か懐かしさを覚えていた。


𓂃◌𓈒𓐍


「座ってくれ」

「…お邪魔します、」


以外にも、部屋の中は白黒に彩られていて綺麗だった。壁は幾何学的な模様でグレーと白のタイルで埋められていた。


「…あの公園で何をしていた」


職務質問をしてきた男は容姿が厭に流輝奈るきなに似ていた。すらりと細長く伸びた体に真っ黒な前髪、終いには特徴的な碧眼まで同じ色だった。何故警察になったのか分からない程度に洒落た顔をして若々しい男だった。


「彼に殴られかけたので軽く殴りました」

「へぇ…」


そう答えると、男は少しばかり表情を曇らせて何か含みのあるような声を出した。それは闇の暗がりから見抜く使者スパイのように鋭い眼差しであった。


「君があの子を殴ったことに間違いは無いのか」

「まぁ…はい」

「これを見てくれ」


そう言われて見えたのは一枚のレントゲン写真だった。


「肋骨を一部複雑骨折している、この場合親に賠償請求される可能性がある」


親。

親____子を守り、育み、讃える者。

私の家ではそうではなかった。

結果が出なければ意味が無い。テスト勉強に全ての時間を奪われ、娯楽自由なんてくだらない物だと遠ざけられて生きてきた。


『Q.親にこのことを知られたら』

答えはまず間違いなく私に怒鳴りつけて来るだろう。

それだけは。


「お願いだから親だけは!!」

「そう言うと思ってた」


すると彼は、そっと私の耳に語りかけ、極秘情報と念を押してきた。


私の目が、ゆっくりと見開かれた。

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ディストピア-桜の下の黒百合 涅槃寂静 喔涅#Agree @2011121

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