5
男は面食らったようだ。
「...ははっ、ついにイカれたか。挽歌なら俺が歌ってやるべきところだがな。まあいい、最後の望みくらい聞いてやる」
レイカはにっこり笑い、歌い出した。
「Beautiful thing, you lock...」
直人の知らない歌だった。だが彼女の歌声は美しく、天は二物も三物も与える人には与えるんだな、などとつい場違いなことを考えてしまった。
そんなことを思うと同時に、これはレイカが男の気を逸らしてくれているのだと、直人が音を立てても紛れるように計らっているのだと気が付いた。
異常な状況に頭が真っ白になりかけながらも、直人はそばにあった鉄パイプを手にし、男の背後に忍び寄った。
「もういいだろ、歌の時間は終わりだ」
男が痺れを切らし、レイカに一歩近づいた。
その時、レイカがこちらを見て頷いた。
男が勘付き、こちらを振り向きかけた瞬間、直人は鉄パイプを振り下ろしていた。
すると縛られていたはずのレイカが一瞬で飛んできて、倒れた男の手から拳銃を奪った。
そして男の上に跨り、拳銃−ではなくいつの間にか右手に持っていた注射針を男の首筋に刺した。
男は動かなくなった。
「銃で殺した方がかっこいいけど、血が残ると面倒だからね」
レイカが涼しい顔をして言った。
あまりに一瞬の出来事で、直人は呆気に取られていた。
「え、あの、縛られてたんじゃ...?」
レイカはふんっと鼻で笑った。
「縛られるの慣れてるから」
そう言って彼女がMA-1の袖口から取り出したのは、小型ナイフだった。
それからレイカは慣れた手つきで男を引きずり、工場にあった台車に乗せた。
直人は手伝おうとしたが、邪魔だと言わんばかりに追い払われた。
意識のない男はとても重いはずで、彼女の細い体のどこにそんな筋肉があるのだろうと不思議に思った。
レイカは台車を押して工事の外に出ると、直人に先に車に戻るように言った。
彼女が男をどうするのか気になったので、自分もついていくと言ったが、レイカは車に戻れと言ってきかなかった。
渋々車に戻りつつ、直人は男を鉄パイプで殴った時の感覚を思い出していた。レイカがとどめを刺す前に、あの一撃ですでに男は死んでいたのではないか。自分が男を殺したのか−?
それからあの男が言っていたことも気になっていた。
「お前の目的はわかっている」
レイカの目的?あの男は知っていたのだろうか。であれば一体なぜ。
そんなことを考えている間に、レイカが戻ってきた。
「お待たせ」
「あの、男はどうしたんですか?」
「海に捨てた」
レイカは何でもないように言った。
「...あの人、俺が−」
言いかけたところで、レイカが笑い出した。
「あれくらいじゃ死なないよ。私の毒針で殺したの」
それが彼女の優しい嘘なのか、ただの事実なのか、直人には見極めきれなかった。
「捕まったのは、わざとですか」
「違うけど、あれくらいは想定の範囲内」
レイカは言葉を切り、目を伏せた。
「...でも今日は正直、危なかった。君が来なかったら失敗してたかも」
そしてこちらに向き直り、微笑みながら言った。
「ありがとね」
直人は途端に身体が熱くなったように感じた。
「俺、もっと手伝えます。殺しだって、何だってやります」
レイカは唇に笑みをたたえたまま、黙って前を見ていた。
「だから...だから、教えて下さい。あの男が言っていたレイカさんの目的って何なんですか。誰も救われないって、何のことですか」
レイカは相変わらず黙ったままだった。
ブルームーン 星野祈里 @inori_hoshino
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