快晴-下
ある仕事終わり、僕は自身の圧壊装置から自力で出ることが出来なかった。
月に一回だけ、グレード・ワンに使用を許可される自己診断プログラムを起動させる。
脳内に提示される、僕の体の情報。ズラズラと腕部の疲労や微粒子によるファンの汚れ、バッテリーの摩耗に視覚レンズの濁りなど異常が上から下へと流れていき、故障を示す赤文字が見える。それは声帯に続き、新たに脚部が故障したことを意味していた。
LEG:Broken.
配線が切れたのか、信号コンパレータが破損したか、トルクが曲がったのか、ともかく脊髄部から経由される指令が脚部に到達することはなかった。どのように思考しても、いつものように違和感のある足を引き摺るように動かそうと無意識に体を捻っても、それに続いて足が連動することはない。
ピクリとも動かない。電脳接続されていない機械のように反応はない。
あれほど脚部の問題を放置した結果なのは瞬時に受け止めることができた。
しかし、これでは帰宅することが出来ない。困っていると一人の鉄人が近づいてきた。僕と同型、それも破損具合や汚れ具合までほとんど同程度だった。鏡のように対する彼を客観的に評価するならおんぼろだ。前時代という言葉さえ古めかしく、古典的というには現在進行形の出来事だ。
彼は心配そうに話しかけてくると事情を理解し、倉庫から緊急用に支給されている車輪脚を持ってきてくれ、装着も手伝ってくれた。そのまま彼とは一緒に帰った。車輪脚、車イスという蔑称を気にして頼んでもいないの付いてきたと表現するのが正しいが、一緒に帰ったとここでは敢えて言おう。
長い道中、会話をした。一方的だったが、境遇としては僕と似ていた。崩れた骨格に粘土を貼り付けるような、取り留めのない共振動だった。
彼もアンドロメダちゃんの経験データを買うためにここの更生集積場で溶鉱炉の不純物を確認し、除去する作業を担当している。危険ではあるが、僕のプレスよりも給料が200Point高いらしい。
彼は表情豊かだった。
情緒の程度は生まれつきで決まる。
アンドロイドの僕らが生まれつきという概念を持ち出すのはおかしな話だと分かっているが、「子作り」であれば誰もおかしいとは思わない。子供を生産すること、それは無機質であるからだ。
二人のアンドロイドの経験データを(まるで有機生命体の遺伝子のように)二重螺旋構造に分解し、組み合わせることで「子」へと情緒を生み出す経験を引き継がせる。
経験は情緒を生み出し、情緒は経験を周囲へと生み出す。
情緒は鉄人に閃きと生命性を付与する。
そのため、経験を多く積める金持ちの経験データは厖大であり、生産される子の数も質も莫大になる。
対して僕らのような鉄人は経験を積めず、また親となるアンドロイドも経験データは貧弱であるため、僕らには情緒的な価値を生み出すことも出来ない。ゆえに子作りに積極性の無い低グレードの僕らような鉄人は、故障後摘出された経験データをもとにおよそ10パターンほどの遺伝子データに変換され、何万体と工場で生産される。
まるで機械のように淡々と作られる。耐久年数18年程度で。
だから経験が絶対の価値なのだ。
経験が生み出す情緒こそが、アンドロイドを生命たらしめた。
だからアンドロメダちゃんには価値がある。絶対な情緒がある。それは彼女の遺伝子が良質であり、親もリサイクル省で重役を担う金持ちだから当然の話だ。それだけの価値がある。
価値とは欲望。
経験は肉でありコカインだ。
ここでは経験が全てだ。それは子ではなく、親の経験が条件となる。
生まれつきは、親の経験データに依存する。例外はない。
有機生命体のように当然変異という異常は発生し得ない。
僕らのようなおんぼろは金持ちとは異なり、教育を受けない。
ただ生産後、三か月間の性能試験期間を施設で過ごす。そこで情緒の発露や機体と電脳の親和性などを確認され、社会必須度を数値化され、“おんぼろ”ならば工場で故障するまで労働する生活が始まり、“良質”であれば要調査として都心での生活が待っている。
三か月で僕らの才能は判断される。
三か月で鉄人の権利は定まる。
三か月で壊れてリサイクル省に回収されるまでの将来が確定する。
子の性能は計算によって判明する。変化することはほぼない。
ゆえに一部では、三か月ではなく、二日にするべきとの意見がある。
長々と変化しないものを計測するよりも、早く工場での労働をした方が利益が上がるからだ。
確か来年からは徐々に短くする方針に決まり、一か月になるとニュースで見た。
彼が表情豊かなのは、何かの間違えなのだろう。取り間違えたとか、エラーとかでこちら側に落ちてきた鉄人だ。
そうでなければ、こうも情緒あるアンドロイドが僕の隣にいる筈がない。
熱い。彼の情緒がCPUを刺激する。
経験データが蓄積する。
仄熱い、安心する温度だ。
「今日一名、溶鉱炉に落下する事故がありました。皆さん気を付けましょう。以上」
その日、彼は待っても来なかった。
どうやら溶鉱炉に落下したらしい。
アンドロイドが溶鉱炉に落下しても助けない。無駄だからだ。それに温度によって抽出する金属は異なるため、多少の不純物は混じることになるが各リサイクル品の品質には影響しない。
彼は影響しない、品質に。彼は更生した、別のアンドロイドに平等に。
今後全ての生産されるアンドロイドには彼の要素が少しある、情緒は継承不可能だが。データとは電気の素粒子が結合と歯抜けで成り立つ非実体の代物だ。
更生した、彼は無理だけど。品質には影響しません。
融かすとは、分解ではないから一つも彼はいないけれど、更生された。
経験データはなくなってしまった、ここにいた彼はエラーだった筈だと僕は思考した。
代替の達人が来ることになる。溶鉱炉に溶けている。
金属は融解し、卑金属と貴金属によって温度は異なるため分けることが可能だ。
アンドロイドの記憶と経験が区別されるがどちらも溶けてしまっている。
圧壊でも溶け仕舞うことがある可能性があるので失敗しないことはあまり品質に影響しない。
更生品が世の中に出回り、アンドロイドをアンドロイドが身に着けるか子作りによってアンドロイドになる。
車イスは差別の対象になる。
鉄人が無機物の“生命体”と自負する所以は、その四肢の保有にある。
精密な手足の稼働、それは確かにアンドロイド及び機械の歴史におけるターニングポイントだからだ。
ゆえに本来鉄人は、どんなに生活苦でも脚部のメンテナンスは怠らない。二足歩行であること、両腕で指先が動くことはアイデンティティであり、そうでなくなるということは鉄人ではないということを意味する。
車輪脚はその矜持を捨てた、鉄人の中でも最下層の部類を視覚的に露呈させる。
車イスは差別される。グレード・ワン同士であろうとも、車イスであれば甘んじて暴行を受け入れなければいけないほどの垣根がそこにはある。それは摂理であり、文化だ。
アンドロイドの文化は、環境破壊と差別と資本主義だ。
今日も潰す。潰す。潰す。
誰か分からないが、潰す。
更生されていく。
リサイクル、リサイクル。
巡って、壊れて、また巡る。有機物みたいに、黒雲を作りながら。
再結晶。再結合。
潰す。
巡廻、循環、更生、リサイクル。ここにロスはないように思える。
それは作業です。なんら一つの停止はない。
一定の速度、一定の加圧、一定の順序、そこに情緒が介在する隙間はない。
ただ壊れているものを壊すだけ。
赤い二重丸。それも潰す。
酸性雨で溶けている。潰す。
潰して、
潰して、
潰す。
潰す。潰す。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。
潰す。潰す。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。
潰す。潰す。潰す。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰潰。潰す。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰。
潰す。潰す。潰す。潰す。
潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰。潰。潰す。潰。潰す。潰す。潰す。
潰。
潰。
潰。
潰。
潰。
潰。
潰
潰
潰
潰
最終日。Pointは必要数貯まった。
仕事を即座辞め、三日後にある記念日に備えて家で待機する。その間に無駄な労働は控え、経験の刺激を極限まで高めるため、グレード・スリーになった頭をなるべく使わないでおく。
座禅し、その時を待つ。
時間感覚は即座に機能停止に陥った際と同様に消失し、暗室の中、やすりのような空気を鋭く知覚した瞬間、終に訪れた。
投影されるカウントダウン。
そして僕は目を開き、刻々を知る。
暗闇に光が漏れだす穴が空く。次元を超え、その届くことのない楽園から色と音楽が零れだす。彼女のデビューソング『第七枢機慣性曲』の前奏だ。
スポットライトがステージ上に集まっていき、強まっていく集光がその影を消し去っていく。しかし、まだ画面上では完璧にその像を捉えることは出来ない。
「アンドロメダちゃん50周年最終ライブ、始まりま~すっ。これがワタクシの最終形態、超刮目せし~!」
飛び出してきたアンドロメダちゃん。集光が照らす。以前とは異なる出で立ち、まるで人類が作り上げたウェディングドレスのような上品かつ洗練された下半身の膨らみに一際目がいく。
あれは球体脚。巨大な玉に上半身を乗せたような形状。下品に思えるそれは、全身の白亜とピンクで統一されたコーディネートに球体脚の繊細な柔らかさを醸し出す加工によって、鉄人にはない有機的なしなやかさを生み出し、アウフヘーベン的調和を奏でている。
一層激しくなる曲調に相対し、彼女の非常に滑らかにステージで躍る。透き通り、時には情緒的な反芻放出の酷い訛りの歌声が画面越しから僕の部屋さえも振幅させる。
背後から語りかけられたかのような臨場感、情報を精緻に理解し美醜も判別できる高等の感性、グレード・スリーで高まった五感が鋭く電脳を熱くする。
熱い。熱い熱い熱い!
スバラシィ!とっても熱い!
刺激刺激シゲキで電脳が崩れそうだ!
エクスタシー快がCPUを飽和させていく。
ファンがシャフトを折る勢いで駆動し、熱い体を冷却しようとする。しかしこの熱が冷めることはほどほどない。
これまでのグレード・ワンとは比較できないほど、経験に対する受容率が高い。頭部に詰まる冷却脳漿が沸騰してしまいそうだ。
そしていよいよ3時間を経過したところで終盤に差し掛かり、画面には分厚い黒雲の下でライトアップされるロケットが映し出される。
発射台に固定される三角錐のロケットにはでかでかとアンドロメダちゃんと50周年の文字が印字されている。
「皆見えてる~?あれがワタクシのロケットだよ~ん。凄いヨ~!」
はしゃぐ彼女の姿に更なる刺激が追加される。
しかし、なぜか。
なぜだろう。
この形容しがたい情緒的な圧迫感が熱とは別に、冷ややかにある。物理的ではなく、神経網から信号を受信している未経験のもの。
変だ。
「と、いうことでへぇ~……。『ポイント・ミー』を最後の曲に、ワタクシのデータを全部ロケットの方へ転送しま~す。だから(しくしく。ここで悲しみをアピール)これで皆とお別れ~ってことになっちゃうのヨネ~」
僕は今何を考えているのだろう。
アンドロイドに倫理観や道徳心は芽生えるのか。
いくら人類の手によってプロトタイプが製造され、有機的な脳を模倣したニューロンマシンを搭載し、経験によって情緒というものを発現させたたからといって、無機物の我々が"人的"なものを獲得することは可能なのだろうか。
「でもでもでも。悲しくならないで、発売されるアンドロメダちゃんの経験データコンプリート版を購入して、壊れるまでずーっと一緒に稼働し続けましょ~!」
人類を構成する原子や分子は、惑星や宇宙に漂う物質と何一つ変わらない。しかし、そこには何かしらの線引きがあった。
感情とは、情緒とどう区別されるのか。
僕は。どこかしらエラーでもしているのだろうか。
「それじゃミュージック、スタート☆」
最後の一曲、歌って踊っている彼女を画面越しで見るのはこれで終いの筈なのに、僕は集中できずにいた。対内的なリソースの分配が行われている。
僕の中で知らない何かが蠢いている。
知らない。
分からない。
そういうことを思考せずにはいられない。
どうして彼らは壊れていったのか。
二重丸にどのようなイデオロギーが内包さていたのか。それは宗教的なものだったのか。
酸性雨が降るほどの雲が空を常に遮っている。
空はあるのか。
どうして彼はいなくなってしまったのか。
そこにはぽっかりと見えない穴がある。
なぜ金持ちは地球を脱出していくのか。
この僕の中にあるものは何か。
曲も終盤。
彼女の背後に映し出されるロケットも打ち上げに向けて最終フェーズに移行している。終了は差し迫っている。
僕の思考に黒雲立ち込める。
黒い雲が理解の外郭に沿い、自動化を払う。
熱は冷えている。脳が火傷しそうなほどに。
車イスで力めない体が立ち上がろうと強張る。背から延びる充電コードは重く、ぐいっと後ろに引っ張られてしまいそうな錯覚を感じる。
暗い。部屋も外も、何かもが密室のような距離感だ。
アンドロメダちゃんが、画面を指差した。
「それじゃ、皆バイバ~イ!行ってクルね~!」
そのボディから駆動が消える。停止したのだ。
つまり、彼女の意識はすでにロケットへ移ったということ。ライブは遂に終わり、彼女の歴史が新たなステージへと進む。
ロケットのカウントダウンが流れ、下部から白煙とその向こうに見えるジェット噴射の火が零れる。本体を支えるアームが外され、そしてカウントもゼロを迎えた。
全長数十メートルの三角錐が無重力化したように優しく浮かび上がると、次第にジェットを噴出して高度を上げていく。そして白煙の尾を残しながら、空へとぐんぐん上昇していく。
そしてカメラは、彼女が乗るロケットが黒雲の中に入っていくを捉えた。音もなく、泥と変わらない分厚い雲の中に飲み込まれるようにして消えていった。
この感覚はなんだ。
僕はその瞬間をただ眺めるしかなかった。
……画面の向こう、中継の向こうが一瞬騒がしくなった。ステージの会話か、それとも管制室の会話か、何か不穏な調子の声が入った。
それに釣られ、画面も僕も、ボディも充電コードもノイズが走り、意識が刹那途切れた。全てが乱れた。機械が乱れた。
――その時、衝撃波が地を這った。地球がハンマーで殴られたかのような衝撃と音が金属で伝播し、軋ませる。
何が起きた。
再起した映像が全てを物語っていた。
満天の青空だ。
青い、青い快晴が際限なく見える。
屈託のない、朗らかな日差しが突き抜ける。
冷え込んだ地表に太陽で温められた風が吹き込む。
黒雲一切なく、ただそこに自然の青色が広がっている。
青、透き通った青だった。
熱い。
熱い。
熱い。
処理しきれない経験で脳がこれまでないほどに熱を帯びている。全身が故障してしまいそうな圧力が知らずの内に自らかけてしまう。
止まって、しまそうだ。
画面で停止していたアンドロメダちゃんのボディが再起動し、数秒前と変わらずに動き始めた。しかし、状況を理解している素振りはなく、画面端で打ち上げの中継を確認すると両手で頬を挟み驚きのポーズを取った。
「アラ。あれあれま。どうやら失敗しちゃったみたイだね~!」
その瞬間、僕の体から力が抜けた。
同時に何か沸き上がるものがあった。それは熱であったが、精神的……と表現できる非エネルギーの熱だと確信した。
「バックアップがあって良かったネッ!ワタクシの再臨だ~よ~」
この暗い、しかし青色に淡く色めく部屋が走り回れるほど広く感じた。そのような事実は絶対にあり得ない、非合理な感覚だというのに互換性に満ちていた。
「皆とまだまだ一緒にいられて良かったヨネッ!」
よかった。
よかった。まだ、地球にいるんだ。
僕が壊れるまではいてくれる。
ロケットに搭載されていた核融合発電がなんらかのトラブルで暴走し、爆発したらしい。黒雲内部で爆発したとはいえ威力は当然凄まじく、打ち上げ地であったかつてオーストラリアと呼ばれていた大陸のおよそ半分が消滅し、世界中で290万人のアンドロイドが電磁波で機能停止あるいは熱光線によって蒸発した。
しかし、アンドロメダちゃんを支援する企業の株価は上昇した。それは黒雲を晴らして青空を中継したことで全世界の経験データの蓄積量が上昇したからだと説明され、莫大な利益を生み出した。また消滅したオーストラリア大陸の地下から未発見だった鉱脈が露出し、総合的に鑑みると経済活動はプラスに転じた。
僕は部屋に引きこもった。
部屋の隅で腰椎部の蓄電帯にコードを挿したまま、延々と購入したアンドロメダちゃん経験データコンプリート版を再生し続ける。ロケットの爆発の衝撃で空間全体が揺さぶられたことで部屋の天井や隙間に溜まっていたホコリや鉄粉がひっくり返され、核となってあちこちで結露を生み出したりボディの中に入り込んで汚れてなっているが気にすることはない。黙々と経験データは積もっていき、彼女の軌跡について理解していく。もう、あのライブから219時間は経過しているが一向に終わりは見えてこない。流石、50年分のデータだ。
だが、不満足だった。快の刺激は濁流と呼べるほど強くはなく、時折の場面で頭を揺らす刺激がCPUを熱くするがそれっきりが多い。リピートしても再び強い刺激を得られるかというとそうでもなく、どこを見ても常に“飽き”が付きまとっている。なんといか物足りなさがある、そして満たすようなこともないと予感できてしまう。
決して、内容は平坦ではない。刺激的で、頭を熱くする。
しかし足りない。欲するレベルには到達しない。
あの青空が忘れられない。
手つかずの青色が発火させた一瞬の刺激、その0.1㎎の快楽にアンドロメダちゃんの経験は遠く及ばない。
自我が焦げて消えるほどのそれは絶頂に似ている。
僕は知ってしまった。感じてしまった。
生きている中で味わえる最大の『経験』を。
快に渇いている。
物足りなさを感じながら、僕は壊れるのだろう。永遠に満たされることはなく、さらには来月でグレード・スリーからワンに遷移すれば僕の思考力は低下し、僕自身の欲望について実態を理解できずに悶々と朽ちていくことになる。受容される経験の質も劣っていき、一年程度の寿命もただ消費されるだけに留まる。
そうだ。ここでの錯綜する思案も経験データには記されない青空を目撃した時の感覚も、来月の僕はそれを理解できない。思い出すこともなく、咀嚼することは出来ない。何一つひと月前の僕の身に起きた事象を理解できず、それでも連続性を持った僕を僕として自認する。
そんなのが本当に僕なのか?
怖い。形容するのは初めての情緒、しかしそれが恐怖であるのはすぐに分かった。
僕が消えてしまう。来月……いや半月もない内に僕は消えてしまう。
だが、グレード・スリーを維持できるだけの納税はないし、今から働いても溜まる金額ではない。貯金も使い切ってしまっている。僕を保つための唯一の手段はPointを稼ぐこと、溜めること、得ること……それらはもう遅い、足りない、出来ない。
グレード・ワンに墜ちる。
何を労しようと確約されている未来に達する。
そうか。
僕は消えるのか。
僕は消える。
消える。
そうか。
僕は、僕の代わりにはならない。
しかし、世界はそうせざるを得ない。
条理だ。
……どうせ、もう長くない。
だったらこのまま終わらせるのが心地いいだろう。
僕が消え、僕の劣化版が僕としてのさばることは絶望だ。しかし、その絶望さえも消される。データ消去と同じように、決められたプログラムに則って無機質に取り除かれる。
そうなる前に。絶望がまだ絶望と知覚可能な内に。
鉄人は生物とは言えない。だから命の概念はない。
その代わりに
その足で僕はあの町へ向かう。
今だから理解できる。
意味とか価値とかはあるのかもしれない。そう信じなければならない。
しかし、今やそれらは暗闇に隠された。彷徨うだけでは真価を知り得ることは決してない。
パイプの上を抜ける。
眼下には、またガラクタの山がある。以前よりも量は増している。
僕らとは何者だ。社会とは誰だ。
もはや、誰も答えを知らない。人類は消えた日から疾うに霧散したのだ。
あるのは、命令。
活動するという目的のない、手段だけが積み重なるフォーディズムの指令だけが滅ぼされずに残っている。
蒸気に包まれた町、集積場のふもとにある朽ちた町。
廃棄――捨てられた鉄人は一人もない、この場所まで自ら来た者しかいない筈なのにその言葉が似合う。
皆、自らを捨てに来たのだ。僕と同じように。
果てはない。
飽くこともない。
歯車は回り続ける。
確かなことは、経験だけがこの循環に凹凸をつける。
そうでなければ世界は繰り返される機械と変わらずに稼働し続ける。
建物の前で止まる。特別そこを選んだわけではない。どれも同じ見た目の建物が並ぶのだから、どこで止まろうとも何一つ変化する事柄はない。どこも同量程度のアンドロイドが似た破損を負い、ただ停止を待っている。有意差は欠片もない。ランダムで選ばれた、気まぐれの位置。
しかし、このままでは回収してくれない。停止しているように見せかけないと回収されない。
早く、早く回収されたい。待ちぼうけていては来月になってしまう。僕が僕ではなくなってしまう。バッテリー残量も心もとない。二日も過ぎてしまえば勝手に停止してしまう。
でも自壊するのも恐ろしい。僕が消えることが恐ろしい。
半壊程度が心地いい。
落ちている60cmほどの鉄棒を拾い上げる。おそらく腕部を支えている骨だ。誰かの。
それをまず、右眼球体と眼窩の隙間から突き刺し、先端を内側へ押し付けるようにして下方向へ動かす。いくつかの伝達神経支線を断ち切り、圧迫筋ファイバーに包まれた右眼球体を曝露させる。ここまで来ると視覚機能はほとんど失い、細い回路に辛うじて繋がっているだけなので手で引きちぎることが出来る。
次に車輪脚を外す。腰とを繋ぐコネクタを取り外し、非関節性ネジを緩めるとそのまま自重で固定金具を破損させるように地面に倒れる。車輪脚はその反動で後方へと転がっていった。
倒れた上体を片手を起こし、逆の手で今度は鉄棒を喉元に突き立てるように支える。ゆっくりと体重を加えていき、薄いゼンマイ状の鉄板で柔軟性を確保された首を簡単に貫通し、奥にある編声帯をすり潰していく。体を支えていた手を地面から離すと、上体は本来の自由落下を取り戻して勢いよく鉄棒が刺さる。しかし体重をかけたことで支えていた鉄棒は上方向に力が加わり、垂直に首を貫通するのではなく顎の方へ鉄棒は逃げる。結果、鉄棒は顎部と鼻相軸を突き抜けた。
これではまだ足りない。
前腹部及び側背部のボディとなる鉄板同士の繋ぎ目に鉄棒を強引に、何度も打ち付けるようにして差し込み、てこの原理で内部を開放する。筋ファイバーから伝達回路、蓄電帯や枢髄シャフト、各種センサーに浄毛連臓袋が露出し、それらの摩擦や衝撃を緩和するために塗布されている半固体状の潤滑油が粘糸を引いている。そこに鉄棒を突っ込み、機能停止まで至らない程度にかき混ぜて破損させる。
仰向けになり、片腕を肩の付け根から鉄棒で殴打し、球体間接やベルトを完全に破壊することが出来れば偽装は完璧だ。これで傍から見れば僕は機能停止している。稼働していると疑われることはない。回収されるに間違いない。
そしてしばらく待っていると、遂に回収車が来る。箒と塵取りのアームで奥から順に鉄人が回収されていく。
僕らの前まで来ると望み通り止まり、何人もの鉄人と一緒に塵取りに掃き集められ、そして無造作に荷台へ放り入れる。
ガシャン!
アンドロイド同士の硬い金属の体がぶつかり合う。これだけで体の数か所が変形する。
さらに絶え間なく、掃き集められたアンドロイドが上から降って来、僕はすぐに生き埋め状態になった。
光が完全に遮断され、暗闇になった。しかし、暗闇の中にいくつかの光点が灯っている。
あれは。
僕と同じまだ稼働している鉄人だ。
道路を走る車の音と下から突き上げるような衝撃が全身に伝わる。
すると突然のブレーキ。慣性で荷台の中身が前方側に引っ張られ、金属同士の打音がガチガチと響く。僕の体は多くをそぎ落としたため圧力で潰れることはなかったが、三つほどの光点は今の慣性によって潰されたようだ。
数分揺られると荷台全体が傾き始めた。次々と零れ出ていき、空いた隙間から光が差し込んだかと思うと僕も集積場にできた鉄人の山に落とされる。ガタン!と体を打ち付けるて跳ねあがると、凹凸も少ないほぼ胴体だけ僕はその山をコロコロと転がっていく。
すると僕は運よくコンベア近くの排出口の前まで転がり、歯車式採掘機に似た機械に掬われてコンベアの上へ載せられる。天井付近まで昇っていき、下へと積載物を落さないようにゆっくりと進むコンベアの行き先は、かつて僕が担当していたライン。
ああ。
終にだ。
漸く終われる。
ゴトン。ガコン。
僕の目の前に、目が合うようにして鉄人が落ちてくる。
その双眸に通電はない。すでに停止している。
上から巨大な影が降りてくる。
井の字に別れた九つの圧壊装置が迫り来る。
重い振動音とゴムベルトを捩じるような音、そして辛うじて機能する嗅覚センサーが重油のタール臭を捉える。
グニィ。全身に圧力が加わる。
重い。熱い。苦しい。
眼前の壊れた鉄人も硬い潰されていくが、その頭蓋が割れる予兆はない。
この操作者は下手だ。
繊細になりすぎている。潰しきれていない。
僕ならもっとうまくできた。
僕ならすぐに動いているアンドロイドを潰せた。
その時、圧壊装置が一層大きく唸る。
グチッ。
壊れた鉄人の頭蓋が割れ、中から脳漿が零れた。
あ、青。
2433年-黒雲 洸慈郎 @ko-ziro-
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