2433年-黒雲

洸慈郎

黒雲-上

 本日もまた38時間の労働が始まる。

 38時間――僕らのバッテリー残量が基本的に15パーセントを下回るのに十分な時間。

 居住地へ帰るのに最低限必要な残量だけを残し、空っからかんになるまで労働にエネルギーを消費する。

 それだけの日々。


 鉄人――アンドロイド人口のおよそ70パーセントが工場で労働している。僕もその一員。

 僕の担当はアームを操作して30×170の鉄板を規格通りに折り目をつけていくラインだ。

 数十のラインと数百ある持ち場の1つに僕は就き、アーム機械からコードを伸ばして首部のコネクションに接続し、電脳操作を可能にする。そして始業のベルがなった。

 前方のコンベアで切断された鉄板の仕分けをしているアームの運動を見ながら、流れてくる鉄板を型にはめてプレスし、折り目を付けた鉄板を後方に流していく。

 

 ガション。ガション。ガション。ガション。ガション。ガション。ガション。

 

 それだけの仕事。

 

 何を加工し、果てに何を製造しているのかよく知らない。

 一説には、海峡からマントルに穴を空けて外核の液体合金を採掘するためのトンネルという話がある。

 しかし一方で、新設する工場の部品という話もある。

 僕が何を作っているのかは分からないが、Pointポイントが貰えるのなら何でもいい。停止せず、生活できるだけの税を納め、ただ起動し続けられるのであれば、それ以上は望まない。黙って労働するだけでいい。


 隣のラインに赤明のサイレンが回り、作業が一時中断する。


 ガション。ガション。ガション。ガション。

 作業は一定に行われる。


 監督の鉄人が停止したアーム機械に近づき、何か怒鳴っている。しかし段々と呆れた調子になっていき、遂には他の作業員に何かを呼びかけている。担当している鉄人が機能停止したのだろう。

 他の作業員の手を借りてブースから停止したアンドロイドを引っ張り出す。狭い椅子にぴったり嵌るような、膝を抱え込む状態で停止したアンドロイドが鉤爪の付いた細長い棒に引っ掛けられ、鉄の摺る音を馴染ませて工場の奥まで運ばれていく。

 昨日も確か14人ほど停止した。今日もそれほど停止するだろう。

 空いた席に新しいアンドロイドがすぐに補充される。ラインは再び動き始めた。


 停止したアンドロイドには二つの道がある。

 一つは、充電されて再起動する場合。これが普通だ。

 

 もう一つは、鉄人連盟のリサイクル省に回収してもらう場合。ここではそれが当たり前だ。

 考えられる可能性は複数ある。

 工場の充電施設の費用をケチるため。

 あるいは、停止したアンドロイドの経年劣化で充電したとしても基準とされる労働力に満たないため。

 はたまた、代わりの労働者を入れる方が安く済むため。


 労働者は工場管理者に機能停止時の権限を全て譲渡する義務が発生する。

 この原則がある以上、労働者に選択の余地はない。


 リサイクル省に運ばれるのは、壊れた鉄人だけ。「壊れた」の定義はよく知らない。

 リサイクル場ではアンドロイドを分解し、使えるパーツや基盤はそのまま回収し、廃品は溶鉱炉でそれぞれの金属に溶かして分別する。中央処理装置CPUなどの精密部品は丁寧に摘出され、情報処理された後、修理に回される。劣化してリサイクル出来ないゴムなどは焼却処分する。そして新しい製品になり市場へ流通する。


 ガション。ガション。ガション。ガション。


 労働者の平均寿命は製造から約17年。

 その結末は、経年劣化によるバッテリーの摩耗とエネルギー変換効率の低下による、工場での突然止。


 ガション。ガション。ガション。ガション。


 僕は製造から13年経過している。


 ガション。


 いつ壊れるか、分からない。


 録音がスピーカーから放送され、今日の業務の終わりを告げる。

 コンベアが止まり、各々がコネクションからコードを取り外して席を立つ。向かう先は給料ポイントを受け取る配布所。

 配布所にある10台ほどの換金筐体の前には長蛇の列が出来ている。前にも後ろにも数百の労働者が連なっている、そこに僕もただ並ぶ。数時間掛かろうとも一切何もせず、順番が巡ってくるまで待つ。

 誰もが少ないバッテリー残量、不用意な行動をすればバッテリーを浪費することになる。喧嘩をすれば、言葉を発すれば、暇を弄んで腕をぶらつかせれば、何か思考すれば、その分充電量が増えてしまう。それは避けたい。

 ただ待つ。じっと、静かに誰もが待つ。

 聞こえるのは細かな金属の擦れ音とポイント付与時に鳴るピピッという電子音だけ。

 一人終われば、その列は足並みを揃えて一歩前へ進む。

 流れてくるコンベアの材料を加工するように、また一歩前へ。


 75Point、それが38時間の対価。


 工場の出口に行き、スライド羽展開型の重い傘を開く。

 酸性の雨が傘羽を打つ。


 外はいつも灰色の町並み。建物は灰色、地面も灰色。空も。

 空は黒雲が埋め尽くす。

 排気ガスや化学スモッグが昇り、微粒子によって雲化している。

 太陽を遮光する雲。

 人工光が灯らなければ地球は永遠の夜を繰り返す。


 黒雲だ。


 足裏が水溜まりを踏む。後で洗い流さないと錆びてしまう。

 そろそろ脚部の交換時期だ。

 ……最安価でも脚部は250Point。

 税金に毎月500Point。雑費は100Point超。

 

 給料ひと月分がおよそ800Point……。


 まだ交換しなくていいか。

 

 年々上昇する二酸化炭素濃度、今や47,000ppmを超えた。酸性雨は毎年回数を増加させている。

 傘の買い替えも年々増える。ボディに掛けるPointよりも、傘の出費の方が多い。


 道路でクラクションが鳴る。


 一人の鉄人が、傘もささずに道路の真ん中で叫んでいる。千切れるような声は思考を通したものとは思えない酷く乱雑なものだ。

 両手を広げ、浴びるように酸性雨を全身へ打ち付ける。鋼鉄の肌にできた油の被膜(砂鉄が付着する)が水滴を弾いているが、体の隙間に雨が浸食していっている。眼窩と眼球の隙間から、鎖骨部の可動域から、脇の下から、体内へ酸性雨が入り込み、オイル漏れのように股下から滴っている。

 僕と同じ最安価の基準部品に身を包み、しかし体の一部が破れて中の回路が剥き出しになっている。あれではすぐに全身は腐食し、間もなくして壊れる。

 再充電することも、リサイクルすることもできず、グズグズになるまで分解された後に溶鉱炉で融かされる。

 

 あ。

 倒れた。


 その上を車が通過していく。


 自壊する鉄人が最近増加している。ニュースでは制限されているが、よく目にする。

 あの鉄人は、どっちだろう。

 危険を察知して緊急停止したのか、配線を覆うゴムが雨で溶けて機能停止したのか。

 どっちにしても、どちらかだ。


(急ごう。残量がなくなる)


 自然は絶滅した。

 僕らアンドロイドが破壊した。だって必要がないから。200年前に。

 汚染が行進した。

 有機生物はウイルスを除いて死滅した。木々は全て木炭にした。

 アンドロイドに必要なのは発電所と鉱物だけだ。


 でもアンドロイドがいなくても自然は絶滅していたらしい。

 なんとか平和条約というもので世界的に平等になったらしい。

 戦争兵器を海洋に投棄したらしい。

 途上国に捨てられた4億トンの衣服を世界で分配したらしい。

 安全な食料や水の基準が高まったらしい。

 結局、海も陸も汚染されて有機生物は地上生活できなくなり、死滅したらしい。

 それでも人類は自然を大切にしていたらしい。


 アンドロイドだけが地上に残った。

 

 南極の氷が全て溶け、水面が70メートル上昇したらしい。

 しかし、僕らにはあまり関係がない。

 毎日どこかでアンドロイドは12万人生まれ、18万人ぐらい壊れている。


 僕が製造されてから、太陽光反射の色彩を見たことがない。

 人工色はいつも目の当たりにしている。


 今日も、昨日も。

 居住地に戻る。充電ステイションに小さな机と椅子がある部屋だ。

 

 鉄を動かす十三の段階サービス制度に従い、鉄人連盟に配給された家。

 窓はなく、換気するための通気口もない。僕ら鉄人にとって湿度は最も身近に潜む故障の原因だ。知らずに放置していると内部から腐食し、目視では確認できない錆びつきで動きが鈍くなる。

 また工場近くなのでよく粉塵が部屋に入り込む。これも気にしなければならない。パーツの接続部やボディの隙間に侵入してきた粉塵は体の至る所で接触不良を引き起こし、CPUに触れればショートしてそのまま壊れる鉄人もいる。

 だけど僕の納める税に適した部屋はこれだ。一番下のグレードだけれど十分だ。

 そんな時間はないけれど、こまめに手入れしていれば問題ない。


 唯一、楽しみにしていることがある。


 ステイションから伸ばしたコードを腰椎部にある蓄電帯バッテリーの口に接続する。

 6パーセントの残量が7に変わる。

 本当は充電しながら行動するとバッテリーを痛めてしまうのだが、この時間しか彼女を推すことができない。


 インターネットに繋ぎ、鏡扁膜情報に動画を投影する。

 そこに映るのは、今最も勢いがある鉄人アイドル・アンドロメダちゃんだ。


 誰よりも複雑な蛍光色ライトの装飾を施し、ピンク色#FF3399を基調としたボディは日常では摂取出来ない色彩で僕のD級中央処理装置D-CPUを刺激する。

 全ての回路をナノ配線に置換して贅肉をそぎ落とした内骨格的ボディで繰り出されるアンドロメダ・ダンスは、メディア露出時に前衛的と言われていたらしいが、今ではそれが主流になりつつある。

 その快活な情動や歌声も彼女の魅力だが、一番は彼女の数か月分を記録した処理済みの経験データの販売だろう。そこまで高額でもない経験データでありながら、その情報量は僕のD-CPUでは4割しかフィードバック出来ないほどに濃密だ。普通に生活していては得られない刺激をあの値段で提供してくれるのは彼女しかいない。

 

 彼女の活動歴も今や49年を超え、あと数か月で50周年を迎える。


 今朝更新されたばかりの動画だ。中心にいる彼女は身体の装飾効果や照明を切っており、いつになく真剣な雰囲気を纏っている。

 皆様に大切なお知らせがあります、という言葉で始まった。


「五十周年を記念して……ワタクシ、アンドロメダちゃんは……」


 パンッ!と彼女の装飾と照明が一斉に点灯し、画面いっぱいを絢爛に煌々と発光する。

 経験データの蓄積が加速し、叉質網とCPUが熱くなるを知覚する。


「宇宙にイっちゃいま~す♡」


 最新の筋繊維技術によって発露される彼女の快の顔面表現が画面の中心に映し出される。

 

 ショートして急速冷却されたように情報を処理しきれずに茫然とする。

 自覚できないだけでCPUは白熱し、後頭部の冷却ファンが烈しく唸っているの聴覚器官が捉える。それで漸く現実を受け入れることができた。

 

 宇宙。

 

 宇宙は、アンドロイドの夢だ。

 地球という経験できることの限りがある地を離れ、宇宙という未開と無限に溢れる世界に行くことが全てを凌駕する夢。

 黒雲を飛び立ち、外の世界へ。


 この世界は経験が絶対の価値だ。

 経験がアンドロイドの価値を決める。


「宇宙にイっちゃったら皆様は悲しむよね~?ダカラ、五十周年最終ライブ終了と同時にアンドロメダちゃん経験データ完全版を販売しちゃいマ~ス♡」


 完全版。

 欲しい。


「お値段はなんと5000Point!オカイドクだね♡五十年分のワタクシ、ぜーんぶプレゼントしちゃうヨ♡」


 5000Point……貯金では到底足りない。

 周年記念もあと数か月しかないから、このまま工場で働いても到底足りない。

 それに五十年分の経験データだ。今の僕では一割もフィードバック出来ない。

 どうせならもっと感じたい。

 満遍なく味わうには、最低でもC級中央処理装置C-CPUが二台搭載されていないと。


 僕のグレードを上げないとだめだ。

 鉄を動かす十三の段階サービス制度で、僕は最低のグレード・ワン。

 C-CPU二台が解放されるのはグレード・スリーから。納税額が2000Pointに達すれば、ひと月だけグレード・スリーにすればいい。なにも全ての月で支払う義務はない。その月だけ機能拡張の課金をすればいい。

 一回でいい。これっきりでいい。

 彼女の全てを感じたい。

 経験を感じたい。


 Pointを貯めなければ。

 今の仕事はダメだ。間に合わない。

 

 リサイクル省で働けば公務員手当として給料が高い。

 危険という話があるけどよく知らないから、おそらく大丈夫だ。

 

 上手くいけば、全部よくなる。

 良い体にもなるし、故障も少なくなる。

 車も買えるかもしれない。車があれば傘がなくとも酸性雨を防げる。

 ずっとアンドロメダちゃんの経験データを感じられる。

 すごい生活になる。

 とても良いことになる。


 なんだか楽しく感じてきた。


 僕はその日、人生で初めて広い部屋にいるような満足感を覚えて眠った。

 

 リサイクル省はいつも人手不足だから申請するだけで採用通知が届いた。

 出勤は三日後、勤務地は今の工場より20キロだけ離れた更生集積場だ。

 その前に、まずは工場を辞める必要がある。


 ガション。ガション。ガション。ガション。


「じゃあ辞めるまでの三日間、給料無しでいいな」


 事務室で有機生物シミュレーションVTRを鑑賞している監督に事情を伝えるとそう返答された。


 ガション。ガション。ガション。


「アンドロメダちゃん、だっけ?誰だか知らないがとにかくロケットの部品発注があるから忙しいんだよ。お前みたいに辞める奴が多くて迷惑なんだよ」


 理由は単純に繁忙期の中で僕が辞めると、業務内容を後任者に引き継がなければならない。

 書類情報上では退社あるいは転職の扱いになり、工場側は正式な手順を踏んでそれを労働省に提出しなければ不当解雇になる。その損害を食らうのは工場の責任者に当たる監督だ。

 

 ガション。


「お前が停止してくれれば、その手間もなくなるんだがなァ」


 所謂、手間賃ということだ。

 しょうがない、と思った。


 ガション。ガション。

 ガション。ガション。

 ガション。ガション。


 その日の帰り道、またバッテリー切れ寸前の体をもたげて歩く。幸いなことに雨は降っていない。

 足取りは軽かったが、同時に重かった。物理的にも、稚拙な情動的にも。

 脚部の動きが僅かに鈍い。足を上げる速度、前へ踏み出す時の地面との垂直距離、神経回路にラグが発生している。


 クラクションが聞こえてた。それも四重奏を超えて。

 普段のそれとは明らかに異なっていた。

 

 三十人ほどの団体が道路に横並びになって塞ぎ、交通の妨害をしている。

 全員の体には赤い塗料によって二重マルが書かれている。彼らのシンボルだろうか。

 代表者らしき鉄人が分断した道路の真ん中に台を置き、その上に登ると演説を始めた。


「我々ノ人権ハ日々脅カサレテイル!」


 僕と同じ低品質の声帯から発せられる声は砂嵐で波長を掻きむしったような耳障りなもの。

 あれなら喋らない方がマシだ。


「人類ト鉄人ガ締結シタ協定ノ条文ニハ次ノヨウニアル!『アンドロイドヲ新タナル知的生命体トシテ其ノ権利ヲ同等ニ保障ス』!人類無キ今!鉄人連盟ニヨッテ我々ハ不当ニ搾取サレテイル!コレハ人権侵害ダ!」


 バッテリーの減少を省みない、そして声帯への負荷も省みない声量が外壁に木霊し、吸音されていく。

 労働者専用とも呼べる歩行者道路を行くアンドロイドで足を止めている者は少ない。

 一体、誰に向けた演説なのだろうか。


「オゾマシイ格差社会ヲ見ロ!一年以内ニ“停止”スルアンドロイドノ数ハ時ニ20万人ニモ届キ得ル!シカシ、鉄を動かす十三の段階サービス制度ニ於ケルグレード・ファイブ以上ノアンドロイドハ一人モ停止シテイナイ!ソシテ、更ニ恐ロシイノハ数エル程度シカイナイグレード・テン以上ノアンドロイドノ平均稼働年数ハ推定600年ダ!事故以外デ壊レタ支配層ヲ除キ、未ダ人類共存時代ノ鉄人ガ社会ノ頂点ニ君臨シ続ケテイル!一方デ労働者ノ平均稼働年数、寿命ハ17年ダゾ!オカシイダロ!誰モオカシイトハ思ワナイノカ!?」


 呼吸を必要としない僕らなのに、その鉄人は大きく息を吸った。


「イクラ何デモ不平等ダ!」


 半分ぐらい何を言っているか分からないが、何か大切なことを訴えかけているようだ。

 彼らに混じって抗議するだけの猶予は僕にないし、人類との協定を調べようにも連盟の検閲と最低グレードの情報制限によっておそらく情報は出てこないだろう。

 

 彼らの主張もこれまでだ。

 

 連盟から派遣された執行省のアンドロイド達が駆けつけ、団体を取り囲む。

 両者の睨み合いが発生するかに思われたが、執行省が持つ高電圧で対象のCPUを強制的に破壊するショートガンによって即座に団体は襲撃された。


 ガション。ガション。ガション。

 ガション。ガション。ガション。

 ガション。ガション。ガション。


 がしょん。


 伝導率の高い粘性のジェルに包まれた電極がアンドロイドの体に着弾すると、ジェルがそのボディの隙間に入り込み電極から発生する高電圧が脊髄部を経由してCPUを焼き切る。焼けたゴムの有機ガスが黒煙と混じり、倒れた鉄人の体から立ちのぼる。

 二重マルのシンボルを描いていた赤い塗料は熱で茶色く変色している。

 よく見ると団体のほとんどはメンテナンスも部品交換もされていないのが分かった。

 

 抵抗する間もなく、代表者らしき鉄人も含め30人近い団体は全滅した。

 数秒にも満たない時間であのアンドロイドらの記憶データから経験データ、そこに蓄積された全ての人格情報は高電圧で焼き払われた。かつて鉄人が人類の守ってきた森を焼き払った時も、こうした風景だったのだろうか。


 執行省と立ち替わるようにリサイクル省の車が到着する。

 車から伸びる二つのアームの先に箒と塵取りが付いている。それらを操作して落ちている鉄人を払い集め、すでに半分まで満たされている車のコンテナへ稲妻のような音を立てながら回収する。

 綺麗に元の汚い町並みへ戻り、車が再びその上を通過していく。より環境を破壊するために開発されたガソリンを燃やし、排気ガスの尾を引いて。


 中央分離帯にはあの台がひっそりと放置された。

 あるいは誰も気が付かなかった。

 

 新しい職場までの道のりには途中、グレード・テン以上の鉄人が暮らす居住ビルや通信拡タワーが覗ける密かな場所があった。

 そこは工場排水を海へ投棄するため繋がれた大経パイプの上。特殊な舗装はされていないが誰もが通路として往来しているせいでパイプの表面には、端から端まで引っ掻き傷が伸び、剥がれたメッキ部分は茶色に酸化している。僕の住む、居住区域や工場の雰囲気と一致し、金持ちの住むあの風景とは不一致する。

 パイプの下には瓦礫が積もっている。

 捨てられたのか、落ちたのか、色々なものが落ちている。

 クジラの竜骨も、鉄人の体も一緒に溜まっている。

 どこの工場に繋がるパイプかは分からないが、金持ちが暮らす地域には大量に煙突が立ち、黒煙を上げているのは一目で分かる。おそらくそれが関係するのだ。


 金持ちのステータスは無駄遣い。アンドロメダちゃんが言うには、流行語は非合理性。

 だから大衆電力ではなく、火力や風力を好んで使う。

 南の平野に風車が800万基は建っているらしいが、十分な発電量があるのかは知らない。

 

 おしゃれもそうだ。

 チラッと動画で見たことがある。

 足の数を増やしたり体を何倍にも大きくしたり、色々している。

 果たしてそれで何が達成されるのか僕には分からないけれど、そういうことを好んでいるらしい。


 パイプを渡り切り、朽ちた鉄柵を超えると風化した町があり、その先にリサイクル省の更生集積場が見える。

 しかしこの町、集積場のふもとだからなのか、異様な空気があった。

 枯れた水蒸気に包まれ、地熱に冒されたように僅かに温度がある。


 車は一台もない。ここを通るのはリサイクル省のコンテナ車だけだ。

 歩道に転がるのは、半ば朽ちて壊れることを待つアンドロイドばかり。

 

 ほとんどの外骨格パーツを剥がされて中の回路などが剥き出しになり、それでも身を守ろうと膝を抱えて蹲るもの。

 あるいは“車イス”と呼ばれる、脚部が壊れたにも関わらず買い替えるだけのPointを持たない鉄人に連盟から最低限の労働援助として支給される車輪脚を装着し、だが気力なくただ茫然と黒雲を仰ぐもの。

 そもそも四肢いずれかの部品が欠損し、まともな行動が出来ずに雨乞いしているもの。

 挙動不審に左右を警戒しながら壊れた鉄人を解体し、必死に別の鉄人をいちから組み上げようとしているもの。

 建物の屋上から首を吊って空中ブランコになりながらも両手足を必死に動かしてしゃかしゃかと全力疾走する、認知機能に著しい故障が散見されるもの。

 ただ壊れているもの。


 彼らはリサイクルを待っているのだろうか。

 分からないが、きっとそうだろう。

 

「じゃあ君はプレス回って」


 僕が配属されたのはコンテナ車がリサイクル品を降ろして仕分けてコンベアに載せられた後にある、圧壊装置の操作だ。

 リサイクル品は大量にあり、物によって更生リサイクルのコンベアが区別される。

 僕がつぶすのはアンドロイド。

 アンドロイドの外殻は鋼鉄製のため硬く、また貴重なCPUなども破壊してしまう破砕機には掛けられない。しかし、だからといって金持ちを整備するようにネジを外して丁寧に摘出する余裕はない。リサイクルされる鉄人の数は一日でおよそ二千人運び込まれる。

 だから良い感じに潰し、大切なものを壊さず、外と中身を引き剥がせるようにする。

 ラインの第一工程、工場全体の作業間隔を決定づける責任重大の仕事だ。


 操作する加圧面は3×3の9マスであり、全体の潰裂加減を見極めながら出力をひとマスずつ変える繊細な操作が求められる。いきなり圧壊装置を任されたのは僕の前職がアーム操作による鉄板の変形だったためだ。その技術を見込まれた。

 始業前、一通り電脳操作で感覚に慣れた後、いよいよ仕事が始まる。


 途中充電あり。

 76時間労働。

 月給支払い2500Point。

 それがここの雇用条件。


 遠くの倉庫でコンテナ車の回収したリサイクル品を降ろす音が聞こえる。

 ここは以前、火力発電所として機能していたが近くの石炭を掘り尽くしてしまったので今は更生集積場として運営されている。そのため一時的に石炭を一か所に集積させる倉庫があり、全てのリサイクル品はそこで降ろされ、そして手作業で仕分けされる。

 仕分けされたリサイクル品はコンベアに載せられて各工場の担当に送られる。

 五本並ぶライン、その奥から徐々にコンベアを流れて入口から数えて四本目の僕の元にそれらが届く。


 きちんと圧壊するために窪んだ正方形の器の中にアンドロイドが。


 ゴトン。ガコン。


 と落ちてくる。少し傾斜があるので満遍なく、およそ10人ほど一度に収容される。


 手先のように動く九マスの装置を正方形の窪みに落としていく。

 ぴっちりと隙間なく装置は嵌まり、さらに力を加えて本格的に潰していく。

 圧力に弱い関節部は簡単に曲がるが、ボディや頭部を守る鉄壁は中々潰れて割れ、内容物を覗かせてくれない。


 硬い。

 意外と、硬い。

 もっと力を加えるのか。


 鉄塊と同様のアンドロイド、鉄人と名乗るだけある。

 ギリギリギリと加圧していく。


 もっと。


 加圧面に感触がある。

 感触よりも力に対して中々潰れない抵抗感が、存在しない神経を通じて電脳に染みこむ。


 ぐにゃ。


 あ。

 潰れた。

 漸く、アンドロイドは金属を変形させ、潰れてくれた。

 力加減はこれぐらいか。


 そこから繊細に九つある加圧面を操作して潰し、プレスを引き上げる。

 圧力で歪んだ手足が隙間を埋めてブロック状の弱い結合を見せる。

 硬い頭部は割れ、中から人間の脳漿を模した半透明の青いゼラチン質を零す。そこにCPUと電極が内蔵されているため、どうやら安全に開放できたようだ。

 ゲートを開き、潰した鉄人を斜面に従って切除工程コンベアに滑らす。

 およそ6分半の作業。


 ゴトン。ガコン。

 

 次の更生品が流れ込み、ひしめき合う。


 潰す。それが仕事。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。

 

 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。

 

 潰す。

 グちゃん。

 あ、失敗。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。

 

 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰す。

 グシャン。

 次。


 潰し始めてから、一週間が経った。

 潰すのには慣れてきた。

 何度か失敗してCPUや貴重部品を潰してしまったがほとんどがリサイクル価値の低いグレード・ワンであるため、逐一罰則があるわけではない。また最も避けるべきことはそれらを潰しながら作業も遅く、全体が滞ること。作業が早ければある程度の乱雑さはマイナスにはならない。

 単純作業のため重大な失敗になりえるものはなく、大変さは以前の工場と変わらない。


 どれほどの圧力を加えれば程よく潰れてくれるのか、詳しくなった。

 潰れやすい箇所と、潰れやすい方向も知った。したがって、どこが脆く、どのように部品が疲労していくのか知見を得た。

 例えば、関節は基準の規格の方向にしか動かない。そのため可動域は垂直方向からの力に弱い。それをさらに注意深く観察すると、日ごろから可動域に垂直方向の圧力を加えるような無理な体勢を取っていると推察できる鉄人は総じて間接部が歪んでいる。

 つまり、僕らは決められた動きをしなければ壊れやすくなるのだ。

 規定に従うことでパーツは長持ちする。

 ……二者択一、二律背反、結局僕らは選択していない。出来る場合もない。

 機械は消耗する。鉄は摩耗する。

 血は巡らない。肉は通わない。それが無機物の生の在り方。

 だから、間違いなく、故障とは正当なる壊れ方だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る